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そのシナリオは所謂「王道」と呼ばれるものだった。
魔法が存在する世界ベルニア。その大陸に存在する五大国のひとつ、「ロードヴェルグ王国」。
この国は海に近く、特産品や海産物も多いことから「水の都」とも呼ばれる。
貴族たちの子供や魔法の才能がある子供が15歳になった時、国の郊外にあるロードヴェルグ王立学園で三年間勉学に勤しむ。
ゲームの舞台はまさにそこだった。
この国には王都から離れた郊外に「ララート」という領土がある。
そこは周囲を海に囲まれた小島になっているのだが、そこに住まう人々はよく魚と心を通わせることから「海の一族」もしくは「人魚の一族」と呼ばれていた。
特段豊かな領地と言う訳ではない。
位もそう高い訳ではない。
だが広大な海を泳ぎ回る魚たちと心を通わす彼らは情報通であるともされていた。
そんな人魚の一族から一人、ロードヴェルグ王立学園に少女が入学したのは、丁度国の第一王子が三学年に上がった
その年。
少女は柔らかに伸びた金の髪に深い海を思わせるブルーの瞳。
健康そうに焼けた小麦色の肌は同年代の令嬢からしたら異質。
しかしその穏やかな笑顔と広大な海のような優しく広い心は様々な思念を抱えた人々を惹き付けた。
所謂攻略対象キャラクターと呼ばれる人達。
第一王子であるゼロス・メイ・ロードヴェルグ。
王子の護衛騎士であるマルベル・サーペンス。
国の宰相の息子であるデュリス・コルネット。
天才錬金術師であるラディア・ガーディア。
この四人が特にヒロインである彼女に心を砕いた。
学園内での地位が確かな四人の男性がヒロインに心酔していくことによって面白くないと思う人間も出てくるのは確かで。
それが彼らとの結婚を望む貴族の令嬢たちであったことも言わずもがなで。
此処で登場するのが、フィーネ・サーペンスともう一人の悪役ルリア・レージュ伯爵令嬢である。
フィーネは王子に憧れ王子との結婚をつよく望んでいたし、貴族位もそれなりに高いことから王子の婚約者として打診されていた。
護衛騎士であるマルベスはフィーネの兄で、貴族心の強い彼女は位の高くない娘が兄に近づくのは許せなかった。
宰相の息子であるデュリスはルリアの幼馴染で婚約者だった。
そこに恋愛感情はあまりなかったらしいがそれでも婚約者が他の子女を口説くのは面白くない。
錬金術師のラディアはそれはもう顔が良かった。ルリアの好みドンピシャだったらしい。
彼女はラディアをレージュ家付きの錬金術師にしようとしていたがずっと軽く流され続けていたのだ。
そんなこんなで様々な手を使ってヒロインをあくまで「自主的に」攻略対象キャラクター達と離れさせようと画策していくが、その障害を乗り越え二人の仲は深まっていく。
最終的に悪役達には悪役らしい退場の仕方をするのだ。
二人はついに結ばれて、幸せな結婚式を迎える。
ヒロインは柔らかな金の髪に、彼女の故郷を思わせるシーグラスのティアラを飾り―――。
そこまでが私が知っている乙女ゲーム「シス・ティア」だ。
確かに私はシスティアをプレイした。
どのルートもエンディングまで制覇したのを覚えているし、その時に悪役令嬢二人がどうなったのかも覚えている。
私が覚えていることは、「システィアのシナリオ」と「プレイしたという記憶」の二つだけだ。
そう、ゲームのことは鮮明に覚えているというのに何故だか私の名前や職業、顔だとかそんな簡単なものさえも思い出せない。
ただ漠然と、このフィーネの身体が私の物ではない、という客観的な視点で見ているという違和感しかないのだ。
私は「私」じゃないのに「私」が誰だか分からない。
いつか思い出せるのか、と考え続けてもう4歳。
思い出そうと頭を巡らせることはとうに諦めている。
どうしようもないのだったらこの生活を楽しむしかない、と楽観的に考えていた。
ヒロインさえ虐めなければ悪役が悪役らしく退場することにはならないのでは?そう思って学園に入学するまでは乙女ゲームの存在すら忘れようとしていた。
しかし突然それは起こってしまったのだ。
王子の護衛騎士になるはずのマルビス兄様が、突然の事故で亡くなってしまった。
代々王族の護衛騎士を務める家柄としては兄様が亡くなったからそれで終わり、と言う訳にもいかず、しかし打診した長兄のグレイス兄様は今日6歳の王子には年が離れすぎてるという理由で却下されたらしい。
その下のメルー兄様はもうずっと武芸の道から離れてしまっているしこれもまた年齢が離れている。
そうなってしまった結果王子より二歳下だが比較的年近い私が王子の護衛騎士として勅令が下ってしまったという訳だ。
この護衛騎士というのが身だけではなく心も支え、ということから年近い人間が良いとされているのだがいくら年近くても武芸を嗜んでいなかった令嬢に急に剣を持たせるか?だとかそんな疑問も出てくるけれど偉い人の考えることはよくわからない。
勅令にはお父様も逆らえない。
故にマルビスお兄様が亡くなり勅令が下った直後からお父様による鍛錬が始まったのだ。
もう何か月もドレスには袖を通していない。
動きやすいパンツスタイルで今日も剣を振るう。
磨き上げられていた爪先は無残な程に血や泥が溜まっている。
髪だけは鍛錬が終わって泥のように眠る私のそれを私付きの侍女であるアリスが必死こいて整えてくれているので令嬢として目も当てられないなんて状況は回避している。
掌にできたタコは潰れ血豆になっているし身体に見える傷もそう少なくない。
でもこれはお父様の愛。
私が強くなければ、王子を守り、そして自分の身を守れるようにならなければならない。
私を失わない為に、お父様は全力で私の鍛錬に付き合ってくれている。
そう思えば、この想定外しか起こらない状況も、地獄のような訓練も乗り越えられた。
代々王族に仕える騎士は王族が10歳に成ったころに正式にその任に就く。
6歳のゼロス王子が10歳になるまでのあと4年。
毎日剣を握り血を流し、顔に傷が付こうが構わない。
私はもう、綺麗に着飾って生きる麗しの令嬢には戻れない。