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3.狼王、一閃

 黒猫の言っていた通り、道には柄の悪い連中がたむろしていた。閉鎖された坑道以外には宿も酒場もないこの場所で、わざわざ徒党を組んでいる。ジェンドを待ち受けていたのは明らかだった。

 数は十人――悪くないと思った。

 連中の中には見覚えのある奴がいた。

「よう。お仕事ご苦労だな、文字なし」

 先頭に立っていたひげ面の男が言う。数日前、別の場所で難癖を付けてきた男だ。頭や腕に薄汚れた布を巻いている。ジェンドから受けた傷がまだ癒えていないらしい。相当鬱憤が溜まっているのだろう。目が血走っている。楽しみが増えてよろしいと思った。

 ――だが、文字なしはよろしくない。

 ひげ面の仲間が別の通路からぞろぞろと現れ、ジェンドの退路を塞ぐ。三番通りは道幅が狭く、壁が高い。前後を塞がれては逃げられない。

 ジェンドはまったく臆さず、ひげ面の前まで進み出た。罵声を飛ばす仲間を、ひげ面が片手で制した。

「あんたを待ってたぜ。この前の借り、きっちり返そうと思ってよ」

「にゃーにゃ」

「相変わらず苛つく喋り方だ。おい!」

 ひげ面の後ろから濃緑のローブを着た男が出てきた。手には複数のナイフペンを握っている。

 戦闘紋章術師。なるほど、今回の切り札はそいつか。

「てめえの大好きな一騎打ちなんざ、この世界じゃ通用しねえってことをわからせてやる。消し炭になって、あの世で詫びな!」

 ひげ面の合図で、ローブの男がナイフペンを走らせる。

〈【白天】紅く直ぐ 稲炎 砕く〉

 鍵詞(キーワード)紋章句(ルーンスペル)を刻む。

 紋章術発動のプロセスは、まず見出しにあたる鍵詞を刻んで術の方向性を決め、それから発動したい意味の(コトバ)を紋章句として組み合わせる。手練れになるほど、紋章句は複雑で美しい光を放つ。

 ローブ男の眼前に一メートルほどの術円陣が出現する。陣の縁に沿って、舐めるように炎が走る。

 ジェンドの退路を塞ぐ男たちが狼狽えた。

「あ、兄貴。そんな紋章術使うなんて、聞いてないッスけど」

 このまま紋章術が放たれれば、男たちも無事では済まない。

 ひげ面は顔をほころばせた。

「安心しろ。お前らの犠牲は無駄にしねえ。ボスだって認めてくれるさ。くくく」

「ま、まさか……ああ、兄貴。止めて。止めてくれ!」

「あの世でジェンドの道案内をしてやりな! はっはははっ!」

 ひげ面が高笑いする。青ざめた男たちが慌てふためいて逃げようとするが、紋章術発動の方が速かった。

 術円陣から炎の塊が打ち出される。直撃コースだ。

 ジェンドは後ろを見た。チンピラが二人、背を向けて腰を抜かしている。

 愚図が。逃げるならさっさと逃げやがれってんだ。

 炎の塊が眼前に迫る。勝利を確信しているひげ面に対して、少しばかり、失望する。

 まさか、これで終わりってわけはないよな?

 ジェンドは剣の柄に手をかけた。

 ――吼えろ。『狼王』。

 巡る血。解放される力。

 鞘から抜き放たれた刃は、最速で宙を奔り、炎の塊を切り裂いた。

 紋章術は細切れに砕かれ、剣の煌めきは銀の残像となって空間に焼き付けられる。

 薪が弾けるような音が、しんと静まり返った道に響いた。

 紋章術師の手からナイフペンが落ちる。

 剣から炎の残滓を払い、ジェンドは剣先をひげ面の眉間に向けた。

 ひげ面は見た。

 口元を笑みの形に歪めたジェンドの背後に、巨大で、美しい毛並みの白狼が立つ影を。

「にゃおん」

 さあ、楽しい戦いを始めようぜ。

 言葉は通じなくても、狂気は伝わる。ひげ面たちは悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。あまりにも無様な姿に、ジェンドは完全に冷めた。

 つまらん。これからが本番だってのに。一対一(サシ)より術斬りの方が怖いってか。まったく。だったらせめて、てめえらの身体ひとつで勝負しろっての。

 愛剣――『狼王』を鞘に収める。

「にゃにゃ」

 悪かったな、あっという間に終わっちまって。

 ジェンドは軽く鞘を叩いた。

 紋章術を『斬る』――それは常識外の技だ。

 神剣の力と、遣い手の技量、そして紋章術に生身で立ち向かう狂気が合わさって、初めて可能になる。

 聖書を封印されたジェンドが身を立てる術として選んだもの――それが剣術だ。どこか決まった流派から教えを受けたわけではない。強いて言えば、狼王流だ。

 ひげ面が見た巨大な獣の幻――狼王。ジェンドの愛剣は、神獣に等しい狼王から授かったものだ。そして、剣に見合うよう己を鍛え上げた結果が術斬りの絶技であり、剣を振るう代償が動物語の呪いであった。

 服をはたいて煤を取る。少し裾が焦げてしまっていた。ルテルからまた文句を言われる。

 まあ、いつものことさ。おかげで気分も少し晴れた。

 気を取り直して、仕事場に向かう。

 民家や倉庫が並ぶ通り沿いに、ひっそりと口を開ける坑道。鉄柵で閉鎖されているが、こんな脆い鉄の棒などジェンドにとってはあってないようなものだ。すでに鉄柵の端を壊して通れるようにしてある。

 坑道に入ってすぐの場所に、探索のための道具をいくつか置いている。その中から松明とマッチを取り出し、火を付けた。この火が三分の一にまで消えたときを探索のリミットにする。

 坑道の奥へと進んで行く。ここを探索するのは二度目である。前回は目的を達成する前に撤退した。ジェンドにとって、それは我慢ならない失態だった。

 成果は自分の力でもぎとるもの。安易に他者を頼らない。

 だから成功はすべて己のもの。失敗もまた然りである。

 その信念を曲げても良いと思えるような戦士に、ジェンドはいまだ会ったことがない。

 耳障りな金属性の音が聞こえてきた。

 ――来やがったな。

 ジェンドは松明を向ける。灯りに切り取られた空間に、一匹、また一匹と小さな姿が侵入してくる。

 それは金属の身体を持った無数の『虫』であった。前回、探索を阻んだ張本人たちだ。

 頬に一筋の汗が流れる。

 数が、増えてやがる。仲間がやられて縄張り意識が強くなったか。

「なお。にゃお……!」

 上等だ。俺の行く手を阻む奴らはまとめてぶっ潰す……!

 ジェンドは狼王を抜いた。


◆◇◆


『おかえりなさい』

 アパートに戻ると、ルテルが紋章術で声を飛ばしてきた。ジェンドは応えなかった。

 怪訝に思ったルテルが二階から降りてきた。彼女はジェンドの姿を見るなり眉をひそめた。

「泥だらけです。裾なんて焦げてるじゃないですか」

「にゃん」

 仕方ねえだろ。コーヒー貰うぞ。

「洗濯する身にもなってください。あれは最も体力を使う高難易度の作業なのですよ」

 ジェンドは仏頂面のまま台所に立つ。ルテルが隣に並び、ジェンドを下から上まで観察した。

「……しかも、あちこち擦り傷があるです」

「にゃお、にゃ」

 うるさいな。こんなの傷の内に入らねえよ。

「卵は?」

 ジェンドは視線を逸らした。ルテルはため息をついた。

「代わるです。コーヒー淹れますから、そこ座るです」

 安物のポットを奪われる。

 ジェンドはイスにどっかと腰を下ろし、テーブルの上に足を投げ出した。天井を見上げる。

 ――結局、失敗した。今度も虫ごときに行く手を阻まれた。

 テーブルに拳を叩き付けたい衝動を、ルテルの手前、何とか堪える。

 狼王を鞘から抜いて、かざす。片刃に美しい波紋が浮かんでいる。硬い敵を何体斬っても刃こぼれしない頑強さは、人の手では決して得られないものだ。

 ジェンドは物思いに耽り、目を細めた。

 無事に帰ってこられたのは狼王のおかげ。そして、依頼を達成できなかったのは自分の気性と力不足のため。

 狼王、お前は十分に期待に応えてくれているのに、すまねえな。

「コーヒーですよ」

 俺は剣術で身を立てると誓った。荒事でしくじって、評判を下げるわけにはいかない。かといって、助力を頼めるほどの戦士や紋章術師がいるわけでもない。簡単に誰かに頭を下げられる人間ではないことは、自分自身がわかっている。戦い方をもっと工夫するしかないか。どうする。どう越える。

 狼王を睨みながら、コーヒーを飲む。

「に゛ゃ゛あ゛あああぁぁっ!?」

 熱々だった。

「美味しくできました」

「にゃにゃにゃ! なー、ななっ!」

 (あつ)っ、()っつ! おいコラ笑ってんじゃねえよ! つか絶対わざとだろお前!

「あれ、私は飲めるのにジェンドは飲めないですか? この程度の熱さで」

「にゃぐ……!」

「あー、美味しいです」

 こいつ、実は怒ってやがるな。

 ひりひりする舌の痛みに耐えながら、ジェンドは狼王を鞘に収める。本当に美味そうにコーヒーを飲むルテルを見て、悩む自分が急に馬鹿らしくなった。

「だから言ったです。怪我厳禁と。これはおしおきです」

 ルテルが穏やかに言う。

 熱々のコーヒーを辛抱して飲み干し、カップを差し出す。

「なおなお」

「はいですよ」

 カップを受け取り、ルテルは台所に立つ。

 こういう喧嘩は日常茶飯事。馬鹿なやり取りをするのもいつものことだ。

 飲み口が少し欠けた揃いのカップで、ジェンドとルテルは改めて一服した。今度は何も言わなくても、ジェンドの好みの温度に仕上げてくれていた。

 まあ、あれだ――ジェンドは安物コーヒーの黒い液面を見て、口元を緩めた。

 やっぱ、落ち着くな。

 外の世界はいけ好かないこと、鬱憤がたまることばかりだ。だが、ルテルとこうしてコーヒーをすすって、他愛ない話をしていれば、たいていのことは忘れることができる。

 コーヒーを飲み終わる頃、ルテルが薬箱を持ってきた。市販の軟膏を、ジェンドの頬の傷に薄く塗る。

「街は本当に便利です。薬も手に入る。食べ物も、住むところもある。やりくりは確かに大変ですけど」

 手を動かしながら、ふとルテルがつぶやいた。ジェンドはされるがままだった。

 エナトスに辿り着くまでの苦難が脳裏をよぎる。外の世界は、一歩間違えば死がすぐそこに待っていた。ルテルの言葉には感慨がこもっている。

 傷の治療が終わり、薬箱の蓋を閉める。

「ではそろそろ怪我のことを教えるです。どれも軽傷とはいえ、傷口が多い。どんな『群れ』にぶち当たったのです?」

 ルテルが怜悧に目を細める。さすがに鋭かった。

「何か、私の方でわかることがあるかもしれません」

 ジェンドは頭を掻いた。本音では、ルテルには荒事の仕事に絡んで欲しくない。助言も分析も必要なくて、いつものように馬鹿話ができればそれでいい。

 が、身近で最も頼りになる助言者が彼女なのは事実だった。

「なーな」

 虫だな。小さくて硬くて、うじゃうじゃ群がる虫だ。

 ジェンドは坑道内でのことをぽつぽつと語った。

 廃鉱となった坑道には様々なモノが棲んでいる。獣の類だったり、もっと厄介な魔物の類だったりする。

 対人戦闘、それも一対一なら無類の強さを誇るジェンドだが、さすがに身体の大きさも特徴も人や獣とはまったく違う敵を、一度に何十体も相手にしなければならない状況はきつかった。

 こういうときに威力を発揮するのが紋章術なのだが、ジェンドは使えない。ジリ貧の末、結局撤退したのである。

 話を聞き終えたルテルは顎に手を当て記憶を探る。

「『柱硬虫(ちゅうこうちゅう)』ですね。昔、坑道の崩落を防ぐために、たくさん使われたと本で見ました。特殊な紋章術で操って、足場や天井の支えにしたそうです。操る人間がいなくなって、野生化したのですね」

 まったく迷惑な話だぜ、とジェンドがため息をつくと、ルテルは即座に「調査不足に準備不足です」と斬り捨てた。

「柱硬虫には紋章術が効くはず。でもジェンドには無理な話ですから、完全に駆逐するのは不可能。よって必然的に依頼はキャンセルですね」

「にゃー。にゃー」

 馬鹿。このままじゃ終われないに決まってるだろ。

「相変わらず頑固なのです。その自信がどこからくるのか、三百字以内で記述して欲しいくらいですね。そうすれば道具のひとつやふたつ作ってあげなくも――」

「にゃふ!」

 よぉし言ったな。やったろうじゃねえの!

「あ、嘘です。嘘。私が望むのはもっと平穏無事なお仕事――だから水盤紙出すの止めてください。ちょ、タイトルまで付けるですか?」

「にゃおーん!」

 俺の文才が火を噴くぜ!

「こっちが恥ずかしいから止めてくださいってば! 話を聞いて下さい! ああもうー」

 意気込むジェンドに慌てるルテル。

 こうして、二人の一日はいつものように過ぎていった。



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