11.坑道の戦い
三番通りの坑道入口に到着する。
以前と様子に変わりはなく、誰かが来た形跡もない。
「こんなところにも入口があるのね」
リィスが物珍しそうに鉄柵に触れる。
坑道の一部を倉庫に改装しようなどと、ダンプスも妙なことを考えつくものだとジェンドは思った。
「ジェンドさんはこの奥で敵と遭遇したのよね。久しぶりにこれを振る機会が来るか」
リィスは腰を叩いた。二振りの短剣を身につけている。
「昔、よく使っていたものなの。本当は槍が欲しいところだけど、こんな場所じゃあ振り回せないから」
確かにその通りだが、槍を振るう事務員など聞いたことがない。リィスの表情は前よりも生き生きしていた。槍を持たせれば本当に使いこなしてしまいそうだった。
二人は坑道に入った。
自然光がまったくない坑道内で松明が暗闇を払う。凹凸の激しい岩面は、黒く湿っていた。歪な地面の段差や岩の割れ目から、かすかな水音が聞こえる。
道中、リィスが光を放つ欠片を壁の窪みに差し込む。ジェンドたちが歩いてきた道を一定の間隔で照らす。
「待って」
リィスは鼻をわずかに震わせ、それから岩肌を撫でる。
「空気が淀んできているわ。湿気も多い。このままだと呼吸が苦しくなって、知らないうちに体力を消耗してしまう」
腰袋から硝子製のナイフペンを取り出し、空中にルーン文字を書く仕草をする。しかし、ペン先が動くだけで文字は輝かない。それでもリィスは鍵詞と紋章句を唱えた。
「枯紅葉の碧蔓。想いは祈りに、祈りは光輝に。お願い、奏でて」
ナイフペンを折る。乾いた音が坑道内に響く。
直後、眩い輝きを放ち、空中にルーンが現れた。文字が風に変わり、ジェンドたちの周りを爽やかに優しく巡り始める。
「これが私の紋章術。紛い物だけどね」
リィスは言った。ジェンドは目を丸くして、体表を巡る風を感じる。
「私も含めて、故郷に住む人たちは伝統的に聖書の文字数が少なくて、術をほとんど使うことができないの。だから代わりにこういう技術が発達した。エナトスではあまり良い顔をされないから、人前で使う事はほとんどないんだけど」
使用済みのナイフペンを見せる。硝子製のそれは風化して粉末状になっていた。
「今日の手持ちだと、あと四回分。専用のナイフペンを作るには手間がかかるし、使用回数も限られているし、苦労も多いけど、これしかないから。ご先祖様が試行錯誤して編み出した生き残る術。だから誇るべき、なのでしょうね」
さらさらと、指から硝子片が落ちる。目を細めたリィスの顔は、切なさを感じているようにも、自虐しているようにも見えた。
ジェンドは、なぜ彼女と探索しようと思ったのか改めて理解した。
リィスも同じだったのだ。聖書の縛りに苦しみ、その中で自分のできることをしてきたのだ。
手を叩いて硝子片を振り落とし、リィスはさっぱりした顔になった。
「さあ、行きましょう」
彼女の言葉にうなずく。
そのとき、坑道の奥から物音が聞こえてきた。段々と近づいてくる。鉄の粒を大量に地面にばらまいたような乾いた打音が坑道内に反響し始めた。
何度聞いても嫌な音だ。
ジェンドは狼王を抜き、リィスに目配せをする。彼女も武器を構えた。
松明の明かりに切り取られた空間に、掌サイズの金属の虫――柱硬虫が現れた。百は優に超える数だ。柱硬虫の群れはジェンドたちから数メートルの距離で立ち止まると、威嚇するように前脚を上げる。
「これが、ジェンドさんが苦戦した虫……確かに、ひとりで相手をするには多すぎる」
リィスがつぶやく。それが合図となった。
最前列にいた十数匹の柱硬虫が、いっせいに飛びかかってくる。
ジェンドは力強く踏み込む。
――吼えろ。狼王。
神獣の闘気が溢れる。一閃が目の前の数体を刻み、残りを吹き飛ばす。
押し寄せる金属色のうねりは止まらない。やはり一度には仕留め切れない。
横から飛びつこうとした一匹を、短剣が叩き落とす。リィスだ。
彼女は狭い空間で踊るように回転しながら、一匹一匹を確実に斬っていく。あるいは蹴り飛ばしていく。その規則正しく流れるリズムは、いっそ心地良いと感じるほどだ。
柱硬虫の前進が止まる。互いの攻撃に間ができる。
この隙にリィスが動く。
「ジェンドさん、下がって。私が足止めする」
二本のナイフペンを一度に折った。紋章句に呼応して、空中に発生した無数の氷の礫が柱硬虫に襲いかかる。
耳をつんざく高音。紋章術は柱硬虫を貫き、さらに周囲の地面を凍らせる。直撃を免れた虫たちは、今度は凍った地面に足を取られて身動きが取れなくなる。
「さあ、覚悟しなさい」
リィスは笑みを浮かべていた。
これまで無意識に抑えつけていた戦士の本能、戦いと力への欲求がにじみ出ている――そう見えた。
こちらも負けていられない。
歯を剥き出しにし、声を獣の唸りに変える。血の昂ぶりに呼応して、狼王が熱を持ったように感じる。
狼王から放たれる衝撃はこれまで以上に苛烈になる。刃を受けた敵は元より、剣身に触れていない個体まで吹き飛ばし、氷もろとも破壊する。ジェンドは繰り返す。ただ目の前の敵を屠る――それだけを頭に入れて、ひたすらシンプルに、ひたすら容赦なく。
やがて、二人とも肩で息をするようになったとき、周囲には無数の虫の残骸が散らばるのみとなった。
「打ち止めのようね」
短剣を収め、リィスが満足げに額を拭った。
「数は多かったけど、少し物足りないかも」
そう言う彼女に、ダンプスの館で見たような陰気さはない。
ジェンドは手を掲げた。リィスも心得て、互いにハイタッチをした。
直後、死骸の欠片が細かく震え始める。
「なに?」
「にゃ、にゃ!」
すべての欠片が坑道の奥へと吸い寄せられる。錆びた鉄が軋む音に混じり、何か重たいものが地面の石を踏み壊す音が聞こえる。
「簡単には終わらせてくれないのね」
再び短剣を構えながらリィスがつぶやいた。
やがてジェンドたちの前に、坑道を半ば塞ぐほどの巨大な柱硬虫が現れる。倒した同胞の死骸を取り込んだのだ。
胴体は岩のようで、人間など簡単に押し潰してしまえるだろう。前進速度は遅くても、鋭く大きな前脚は十分に脅威だ。加えて、融合前の個体にはなかった長い『鋏』が毒蜘蛛のように口から生えている。
その圧倒的な迫力を前に、ジェンドは不敵な笑みを浮かべ、リィスは高揚感で震えた。
「この感覚。久しぶり」
胸に手を当て、リィスは言った。
再び狼王を構える。歓喜で震えているのは、自分か、それとも狼王か。
巨大柱硬虫が威嚇の姿勢を取る。
二人は同時に、裂帛の気合いを上げる。地面を蹴る。
リィスが壁面側から柱硬虫の懐に飛び込む。走り込んだ勢いを利用して、二撃。
だが太い足には表面にわずかな傷が付いただけだ。
「硬い」
「にゃお!」
ジェンドが警告した直後、前脚の先端がリィスの頭上を襲う。素早い身のこなしで攻撃を躱し、彼女は柱硬虫と距離を取る。
「前脚の動きが速い。気をつけて」
口鋏がジェンドを狙う。ならばと、引きつけてから岩陰に伏せる。岩を噛ませて隙を作るためだ。
頭の数十センチ上を鋏が裂く。岩は林檎のように砕かれる。
「何て威力。大丈夫?」
リィスに手を上げて応える。相手の力を前にして、ジェンドはいよいよ楽しくなってきた。
仕留めがいがある野郎で嬉しいぜ。狼王、お前もそう思うだろ。
ジェンドは脚を狙う。強い手応えとともに巨大柱硬虫が怯む。しかし、狼王の一閃でも切断までは至らない。
舌打ちするジェンドに向けて、再び口鋏が迫る。今度は鋏の側面で殴打して、岩壁に叩き付けようとしてきた。
隙ができた柱硬虫の頭部に、リィスが短剣を突きつける。ごく浅いが、刃が通る。巨大柱硬虫が一際大きく悶える。
攻撃から逃れたジェンドは、怒りで鋏をしきりに動かす敵を前に、唇を舐める。
「ひとつ無茶な提案があるのだけど、聞く?」
柱硬虫の動きを警戒しながら、リィスが側に寄ってくる。
無茶は大歓迎だ、とうなずく。彼女は武器の代わりにナイフペンを一本取り出す。
「私が突風を起こす。ジェンドさんがその勢いを利用して敵を貫く。どう?」
簡潔な言葉。ジェンドは声に出して笑ってしまった。
あの硬い敵を貫くために、ジェンド自身が鏃になれと言うのだ。
面白い。
ジェンドは迷わない。リィスの肩を叩く。
「なお」
「任せて」
術の発動のためにリィスが下がる。ジェンドは狼王を掲げて柱硬虫を挑発する。巨大な口鋏を開閉して、柱硬虫はいきり立つ。
狙うなら口鋏の根元――頭だ。
「今!」
合図とともにナイフペンを割る。
ジェンドは、背後から紋章術の輝きを受けて突撃する。彼の背を風の壁が強く押す。
爆発的な加速に柱硬虫は対応できない。
狼王を巨大柱硬虫の頭部の中心に突き立てる。火花が散り、剣身が根元まで埋まる。痙攣しながら、なおも口鋏でジェンドの胴体を断ち切ろうとする柱硬虫。鋏が徐々にジェンドに近づく。
鋏の動きが止まった。リィスが両手に持った短剣で鋏の先端を受け止めたのだ。
彼女の身体が紋章術の光に覆われている。最後のナイフペンで肉体を強化したのだ。だがそれでも、あの鋏を一人で支えるには無理がある。食いしばった口から呻きが漏れている。
リィスが稼いでくれたわずかな時間。無駄にはしない。
ジェンドは、目の前にある巨大柱硬虫の目を睨みつけた。
狼王に満身の力を込める。軋み。『裂く』感触が掌に伝わる。深々と突き刺さっていた剣が、柱硬虫の頭部を垂直に切断する。
口鋏の圧力が緩む。
ジェンドはすぐに距離を取る。術の効果が切れ、前のめりによろけたリィスを支え、口鋏から逃れる。
巨大柱硬虫の全身に無数のヒビが走り、自重に耐えられず粉々に砕けた。林檎の籠をひっくり返したように、死骸の欠片がジェンドたちの足元までなだれ込んだ。
抜き身の狼王を手にしたまま、欠片を蹴る。もう、異変は起こらない。
隣のリィスが、大きく長く息を吐いた。
「さすがに疲れたわね。ふふ……」
達成感からか、頬を緩めながら岩場に座る。
「ジェンドさん」
リィスが呼び、掌を掲げた。狼王を収め、肩の力を抜く。
もしひとりで巨大柱硬虫と戦っていたら、結果は違っていただろう。
ジェンドとリィスは再びハイタッチを交わした。
「とりあえず、お仕事一区切り。ね」




