前編
しばらく忙しく文章を書いていなかったので、他作品である連載再開前に過去作品をリハビリがてらに掘り起こし修正したものです。長期にならず完結予定。
「くっそ……!」
男が一人、うめき声をあげながら木の表面をわし掴むようにして身体を支え立ち上がる。
手も足もがくがくと振るえ、構え直した血に濡れた剣が頼りなげにぐらぐらと揺れた。
辺りを彩る真っ白な雪が、男の周りだけ点々と赤く染まり、次第にそれは増えていく。
男がにらみつける先にいるのは、数匹の狼だ。低い唸り声を上げている狼を前に、男はぼろぼろの身体でありながらいまだ闘志を漲らせ、魔力を高めている。普段であれば決してこのような狼に負けはしないだろう泣く子も黙る王国騎士の紋様が、その胸の鎧に彫られていた。
「発作さえ、起きなければっ」
男はそう吐き捨てながら、剣を振るう。襲い来る一匹を切り伏せる度、雪が赤く黒く染まっていく。それは狼のものか、男のものかわからない。
最後の一匹。そう思ったのに、男の持つ血塗られた剣はとうとう弧を描いて雪に突き刺さった。すでに剣の雫を払う事もできず、荒い息を繰り返す男はそれでも狼を睨み付ける。
が、次の瞬間、男の表情はそれまでの闘志漲る強い意志を持つものから、今度こそ愕然とし、強張った表情へと変わる。
その時、狼はぴしりと音を立てて凍りついた。
「大丈夫かしら? すぐに病院に」
聞こえた声に、男はがくがくと震える足では身体を支えきれず、顔を上げることもできないまま霞む視界を必死に声のする方角へと向ける。
もはや警告のような赤以外何も映すことがない世界で、必死に男は口を開く。
「やめ……」
ぶわりと広がる魔力が雪を舞い上がらせる。その中心で、男は今度こそ気を失った。
「あらあら。困ったわね」
その場に残された女性は、大きな荷物を抱えて困ったように首を傾げたのだ。
◇ ◇ ◇
例えば、貧しいながら必死に日々の生活を送る少女の、一度も顔を見たことがない父親が実は貴族だっただとか、小説なんかだと王の隠し子、御落胤だったとか、よくある話だと思う。小説の中では、だ。
実際にあればはた迷惑な話だな、なんて突っ込みはいれておく。現実では幼い頃から教育されている子供達とは違い、付け焼刃の礼儀作法なんて優雅に見えっこない。そんな冷静な突込みをいれつつも、それでも一転お姫様のような立場になり、それまでの人生とは違う苦労をしながらも素敵な王子様と巡りあったり、愛を深めていく物語を読むのは大好きだ。
非日常に憧れる歳というか、たとえ私の場合はいないのが父親ではなく母親で、しかもずっといないわけではなくて一緒に過ごす期間もあるという普通とは違うようであまり変わらないような、そんな生活を送っているとしてもそれが普通な私にとっては、恋愛小説の中にある非日常は憧れる世界。
まぁ実際になりたくはない、と思う。
素敵な物語を読めて、好きな歌を歌って、いつか平凡でも私の人生を変えてくれる、素敵な恋ができれば。
それだけのよくある小娘の話だった筈なのだけど。
「リィナ、それこっちに運んで」
「はーい!」
元気良く返事をして、父特製の手の込んだ昼食をテーブルに運ぶ。これが出てきたということは、母がそろそろ来るのだろうとにんまりとした。
「ごめんなリィナ。せっかく母さんが来るのに、明日から家を開ける事になって」
「大丈夫、仕事なんだから仕方ないよ! それに私もう大人だよ?」
くすくすと笑って申し訳なさそうにしている父を手伝う。
窓の外は相変わらずしんしんと雪が降り積もっていて、雪と木以外は何もないように見える。当然だ、こんな冬に山奥に出入りする人間なんて私達くらいだろう。
冬の家。私がそう呼んでいるこの山奥の家は、私達家族の冬の別宅、別荘のようなものだ。
別荘というにはあまりにも不便な何もない山奥。家屋だけは多少立派で、大きな居間に広い台所、一階には両親の寝室や父のアトリエがあって、二階には空き部屋が三つと私の部屋。庭も広いし、ずっとここに住んでいたいなんて我侭を言った頃もあった。
他の季節を過ごす為の街にある我が家はこの半分以下のスペースしかないから当然立派に見えるのだ。
物語に出てくる貴族のお屋敷とは比べられるわけもないが、それでも私は十六年間毎年、ここに来るのを楽しみにしていた。
街はたくさんの本と歌に溢れているが、煩わしい事も多い。
それになんと言っても、この冬の間だけは忙しい母と一緒に過ごせるのだ。
「お母さん、もうくる? 大丈夫かな」
「大丈夫だよ。きっとおいしいものをいっぱい買ってきてくれるぞ、なんと言っても今日はリィナの誕生日だしな」
「楽しみだなぁ、甘いものあるかな」
元気良く頷いて、鼻歌交じりに手伝っていく。
芸術家である父を、一緒にいられる時間は限りなく支えようと奮闘している母は、普段の仕事を手伝うだけではなく冬の間生活する為の買出しも担当してくれている。
母がふもとの町でいろいろ買ってきてくれているからこそこの山奥でも無事に過ごせるのだが、娘としては若干心配もある。
小さな頃は不思議に思うことはなかったが、いくら母が魔力強くてもやはり一面雪景色の山の中で何かあったらという不安もあるし、母は若干浮世離れしているというか、天然だ。あれほど母の魔力が強いのに魔力がない私には、魔力があるから安全、という感覚がわからない。
ちらりと外を見れば、父が鋭意制作中の氷像が簡易の屋根つきテントの中にいっそ神秘的に輝いて見える。舞い散る雪で幻想的にも見えるそれは天使を思い起こさせ、固い氷とは思えないやわらかそうな羽をつけた氷像は今にも飛び立ち消えてしまいそうな儚さでありながら、強く存在を主張するというアンバランスさを保っていた。さすが、父と母の作品だ。
父が冬の間のみ母と一緒に作り上げる氷像は非常に有名で、これだけで一年は暮らせるお金をもらえる、と聞いたことがある。
その父の作品は毎年国におさめられ、この時期各国から集まるお偉いさん達の滞在する城内に展示されシンボルとなるらしい。詳しいことはわからないが、観光の目玉みたいなもんだと父は笑っていた。
明日母と一緒に仕上げを行い国に納品しにいくらしい。いつもは騎士に引き渡すらしいのだが、今回は何かトラブルがあったらしく、魔力を保持して守りながら氷像を運ぶことができる騎士がいないようなのだ。製作者が共に行くことになったのは仕方ないことなのだろう。
魔力が含まれて作られる氷像は守りの効果もあるとかないとか、よくわからないがとにかく貴重なものらしく、父は冬の時期以外も忙しそうだ。
そして母は、冬以外はいない。つまり私は家にいても一人きりのことが多いが、両親の愛情はしっかり受け取っているつもりだ。
母が冬しか一緒にいられないのは、魔力が強すぎて簡単に街中には出られないからだと、秘密だよ、と小さい頃に教えてもらった気がする。仕事で遠方に行く時期でもある、とかいろいろ理由があるようだが、魔力の事はわからないので仕方ない。それでもやはり寂しかったと思う。
それでもこの別荘に来れば、母はずっと私と一緒に遊んでくれ、勉強も見てくれて、とにかくたくさんお話をしてくれるのだ。父だって、忙しい合間をぬって必ず食事を共にしてくれる。
幸せだ、と思う。好きな読書にかまけてその物語に憧れることはあるが、私はこれでいいのだと。
なのに、だ。
【1】
「お母さん! 久しぶり、元気だった!?」
ぴょん、と飛びついた私を、お母さんは笑って抱きとめてくれる。
相変わらず、すごい綺麗。さらっさらの長い銀髪は透き通るようで、儚げにも見える。整いすぎた顔立ちは僅かに冷たさを感じる気もするが、普段の様子からとても温かな心の人だと思う。……なんて気恥ずかしさもなく素直に母を評価するのは、普段一緒にいられないからかもしれない。
「ああ、リィナ。寂しい思いをさせてごめんね、お母さんがいない間も、元気に過ごしていた?」
「もちろん! でも会えるの楽しみにしてたんだよ!」
「嬉しいわ。ずいぶんと綺麗になった。また後で歌を聞かせてね、リィナ」
久しぶりの母の父よりは少し低い体温に包まれていると、ひょっこりと台所から顔を出した父が口を尖らせて拗ねて見せた。
「なんだ、リィナに母さんとられちゃうな」
「ふふふ」
穏やかに笑う母だが、二人はとても仲がいいことは知っている。冬の間これでもかという程一緒にいるのだ、街中で見る夫婦よりも仲がいいのではないかと思う。たまに目のやり場に困る事があるくらいだ。
若干天然な母と、面倒見がいい父の会話はいつも楽しそうで、羨ましい。自慢の両親だ。
それにしても父よ、確かに若々しいし娘が言うのもなんだが紳士的で穏やかな容貌は自慢に思う事も多いが、口を尖らせるのはどうかと思う。娘にやきもちを妬くな。
「さあ、誕生日のお祝いをしましょう。今日は特別だもの、プレゼントもすごいものを用意したのよ」
楽しそうに笑う母は、歳のわりに幼い笑顔でいそいそと居間に料理を広げている父を手伝い始めた。
嬉しくなって一緒に手伝い、席について祝いの言葉をもらった、直後の事である。
「さて、十六歳という事は、リィナもとうとう雪女の力が開花する時ね!」
「……うん、え? お母さん、なんて言ったの?」
手にしていたスプーンは口に入る直前で止まり、呆然と母を見る。
今、日常では聞かれる事がない単語が聞こえたけれど、気のせいか。
「さっそくプレゼントを、と思ってね、森で見つけたから持って来ちゃった! はい、どうぞリィナ!」
「うう、もうこんな時期なんだなぁ、お父さんなんだか複雑だよ」
なぜか泣き出した父より、私は母がどどんと居間に置いた木箱が気になる。ガチャリと音も気にせずスプーンをスープ皿に戻し、唖然とそれを見つめた。雪が降り積もる外から運んできたせいか所々水のしみが広がる木箱は私の腕を広げたくらいの大きさで、逆に今の今までここに放置されていたのに気づかなかったのが不思議だ。
「な、何これ」
プレゼントという割には包装もなにもない、どちらかといえば船着場の荷物みたいな木箱におそるおそる近づいていく。
にこにこと「さあ開けてみて!」という母と、号泣しながら母に抱きついている父。その異様な光景を目にしながら箱の蓋に恐る恐る手を伸ばした私は、そっと開けて隙間から覗き込んだ後、勢い良くその蓋を弾き飛ばした。
「ちょ、な、えええ!? だ、大丈夫ですか!?」
箱の中に、男の人がいる。
押し込まれた感たっぷりの男の顔はよく見えないし、布にくるまれているせいか背格好もよくわからないが、鎧のようなものが見える。立派な赤い色のマントに、鎧には紋章のようなものが見えた気がした。目を逸らした。……いやいやまてまて、これ、騎士か? 騎士なのか?
プレゼント気に入ってくれたかしらーとのほほんと笑う母。
「おかーさん!? これは犯罪だ!!」
「あらー、人助けよ」
わけがわからないことを呟く暢気な母の前で、私は「違うわ!」と絶叫したのである。
【2】
「とととにかく出さないと、えっと、えええっ、重たい! お父さん助けてよ!」
「んー? おや、これまた随分……」
鎧の重さもあるのか、男はいくら引っ張っても持ち上がりそうにない。
まったく慌てた様子もなく箱の中を覗き込んだ父は「ふんふん」としばらく見つめ、箱に手をかけた。
ぐっと引っ張るとバキリと音を立てて箱はあっけなく解体されていく。おそらく魔力を使っているのだろう。
ごろりと転がり出てきた身体を慌てて支えて、ひっと息を飲む。体中ぼろぼろで、細かい傷だらけだ。
「おと……おかあさ、この人死んで……」
「死んでないわよー? 死んでしまったら困るから、止めただけ」
こんなときなのににこにことそう言った母の言葉が理解できずに固まる。
何、何言ってるのお母さん。私のお母さん、こんなときに笑う人だったの?
「落ち着きなさいリィナ。さっきの話は覚えているかい?」
父が優しく私に諭すように話しかけてくるが、今はそれどころではないだろう。目の前の男の人はひどく冷たいし、動かない。慌てて胸に手を伸ばすが、鎧やら巻きついた布やらが邪魔で心音も確認できないし、呼吸もよくわからない。
「マリーナ」
少しいつもとは違う声音で、愛称ではなく名前をしっかりと呼ばれ、知らずぴんと背筋が伸びる。
振り返ると穏やかな笑みながら有無を言わさぬ様子の母が、落ち着いて、と言葉を続けた。
「しっかり聞いて頂戴、リィナ。成人する十六までは言えない掟だったから、混乱させるのはわかっているのだけれど」
「え……?」
なんだか不穏な空気に、身体が強張る。どきどきと、母の青のような、銀のような瞳を見つめていると、目線を合わせるように屈んだ母はゆったりとした口調で続けていく。
「雪女は、わかるわよね?」
「……雪の精に愛された、人間とは違う特徴を持った種族……」
口から出たのは、父から聞かされたことのある、何の悪意もこもっていない言葉。
実際は雪女といえば、恐怖の対象だ。人間より魔力が高く、男を喰らう異種族。その数は多くなく、吸血鬼と呼ばれる種族や狼族と呼ばれる種族と並んで、普通に暮らしていれば御伽噺のような世界の、しかしどこかに実在するといわれている存在。……私の場合は特にそれに対しては恐怖は、なかったが。
母は私の言葉を聞くとにこりと嬉しそうに笑い、そしてなんでもないように言い放つ。
「お母さんは、純血の雪女。あなたは雪女と人間の間に生まれた子なのよ、リィナ」
言われた言葉が頭をすり抜けていく気がした。重要な言葉を言われているとわかるのに、まともに考える事ができない。
雪女。お母さんが雪女。じゃあ私は半分人ではないのか。そんな、街の図書館にある物語のような話を今目の前で聞かされている?
「か、軽い! お母さんそんな重大な話あっさりしないで、軽すぎる!」
「えー?」
ちらりと父に視線を向ける。お父さん、喰われてないよね? 生きてるよね?
呆然とした私に伸ばされた母の白い手が、ごめんね、と頬を滑る。いつものにこにこ顔なのに、どこか緊張を含んでいる気がして、もしかして母も余裕はないのかも、と目を見開く。
ひやりとした指先に、急激に思考が動きだす。
冬しか会うことが出来ない、魔力の高い母。
少し低い体温。
幼い頃父に聞かされた話。……怪我をして死に掛けた父を助けてくれたという雪女の話。
「だから決して異種族だからと差別してはいけないよ」
そう父が話す内容は興味深くて、ファンタジー小説だって大好きな私には特に否定する要素もなかった。……自分の身に起こる事を想像していなければ。
そうして考えていると、そういえば母は熱すぎるお風呂には入らないだとか、極端な猫舌でスープも冷えているのばかりだとか、思い当たる事が多すぎて愕然とした。
……父が、何度も「異種族を差別するな」と、素敵な人たちもいるのだと説明してくれている意味が漸くわかった気がする。そうでなければ、私は今意識を保っていられなかったかもしんない。
でも、不思議としっくりと来る気がしたのだ。自分の中の違和感が解れていくというか、ある意味落ち着いたような。
そこで、はっとして自分の目の前で倒れた男の人を見つめる。
「お、お母さん、もしかしてこの人」
「お母さんは何もしてないわよ? その人、この深い雪の中で狼にやられて死に掛けてたから、助けて拾ってきただけ」
その言葉にほっとする。いろいろ思うところはあるが、さすがに母がこの男性を喰ったとなれば受け止めきれる自信がない。
だが生きているようには見えない男性の姿を見ると、やはり落ち着かない。先ほど母はなんと言っていた? 死んだら困るから止めた、とか、助けて拾ってきたとか言ってたよね?
「ど、どうしたらいいの」
「それがね、お母さんさっきも言ったけど治癒魔法って苦手なのよ」
頬に手を当て可愛らしく小首を傾げた母は、心底困ったように眉を寄せる。なんだか軽く聞こえるが、魔力が高い母が困るということは相当なのだろうか。
「だからね、雪女の魔力で氷漬けにしてここまで運んだのよ。お母さんの相手じゃないからもう切れかけているけれど、それなら氷漬け前の状態のまま運べるから死なないし」
「は、はぁ」
話についていけない。助けを求めるつもりで父を見れば、父はうんうんとなんだか神妙な顔で頷きながら男をがん見していて目線が合わない。
氷漬けって、氷塊の中に人間が閉じ込められているのを想像してたけど、違うんだな。……っていやいや現実逃避している場合じゃない。
「だからもし覚醒したリィナが治癒魔法が使えたらラッキー、助かるわ、と思って、丁度いいからもって来ちゃった!」
「ごめんお母さん、わかりやすく順序立ててもう一回言ってくれる? ら、ラッキー? 人の命を運にかけるな!」
意味がわからん。
「だからね、その男の子にリィナがちゅーっとしちゃって覚醒してあわよくば治癒魔法が使えるかも、と思って! お医者様は駄目っぽいし」
「だからね、わかんないよ!!」
目の前にあるものを無作為に投げ飛ばしそうな衝動に駆られ(目の前に瀕死の男性しかいなかったので)なんとか思いとどまった私は、がくりと頭を抱える。
結局見かねた父が説明してくれた内容は、こうだ。
雪女と人間の子供は、十六になるまでその事実を教えてはならない掟があること。
十六になったとき目覚める兆候があれば、男の力を分けてもらうことで雪女としての力を覚醒できること。
兆候があるのに覚醒をさせなければ近いうちに眠る魔力が暴走することになるということ。
覚醒さえすればそれまで抑えられていた魔力が使えるようになること。
そしておそらく私は治癒の使い手であるということ。
「な、なんでわかるの?」
「歌よ。気づいていないと思うけれど、あなたの歌って微かに魔力がにじんでいるのよね、癒しの。だからこそ、あなたは人間より雪女の血が濃いのだと気づけたの」
母が言うには、それが目覚める兆候らしい。それがない子は十六を過ぎても人間として生きさせ、雪女の血のことを知らせないのだとか。
ゆっくり、考えたい。自分の事、これからのこと。だけど目の前の現実がそれを許してはくれないようで、母が少し焦った様子で「もう氷の魔法がとけそう」と告げる。
「な、何すればいいんだっけ?」
「それはもちろん、口付けね。ロマンチックでしょう?」
「いえまったく」
意識のない男性に口付けて覚醒とかどんな痴女の物語だ?
目覚めのキスで目を覚ますのはお姫様が定番であって決して瀕死の男性ではない!
取り合えず突っ込んでおきながら、私は男の人をゆっくりと慎重に動かし、その顔を覆っている布をはずしていく。
現れた容貌に息を飲んだ。父も、母も綺麗な人だとは思っているが、血で汚れていても目の前の男はまるで物語の王子様ではないかという美しい顔立ちなのだ。
さらさらの黒い髪が仰向けにさせたことで横に流れていく。少しつりあがった眉に長い睫、すっと通った鼻筋に薄い唇はすべて形良く父の彫刻のように美しく配置され、一瞬これは人形で母の冗談ではないかと思いつつ、その閉じられた瞳は何色なのだろうと考えた。
現れた鎧にはめ込まれた石の周囲に彫られた紋章から、おそらく王国の騎士団の人間であろうと予測できるが、この人は果たして寝込みを襲って許してくれるタイプの人だろうか、とどこかずれた思考になりつつ考える。
大体なんで見つけたならそのまま街の医者のところにでも連れて行ってくれなかったのだ、母は。
そういえば丁度いい、とか言っていた? もしかして、私の覚醒のためにか! 覚醒しなければ、魔力が暴走する……うわああそれなんだか非常に申し訳ない!! やっぱやめ、いや時間ないんだったっけ!?
「ええい、キスなんて度胸だ!」
えい、と勢いをつけて口付ける。がつ、と歯が当たってしまった気がしたが許していただきたい、こちらはファーストキスなのだ。何が悲しくてこんな……いや美形だけどさ!
「うあっ……!」
ぶわりと、体内から何かが溢れる。なんだこれ、わかんない、どうしたらいいのと戸惑いながら、必死に願う。
どうかこの、巻き込まれた哀れな騎士を助けてくれ、と。
更新してから追加であとがきに記載↓
作中の【1】【2】などの番号表記は、公開前に長く書き溜めて「この辺りで一話」と区切っていた為のもので、今回さくっと終わらせる為に前編に詰め込んだ為に、あまり意味がないものとなっています。適当な区切り程度の認識でお願いします。