〇七六 樊城の戦い
~~~樊城 北 于禁軍~~~
「曹仁のダンナがしくじったか……」
「というよりも、やはり関羽は強いと言うべきですな」
「関羽はすでに我らの到来を察知し、
樊城・襄陽は遠巻きに包囲するに留め、
我らを迎え撃つ構えを見せている」
「曹仁のような単細胞と、
我々エリート部隊である七軍の違いを関羽には教えてやろう」
「噂の関羽が俺たちと少しは戦えるかどうか楽しみだな!」
「……劉備軍は先に五虎大将という官職を定めた。
我はそのうちの二人、馬超・趙雲と刃を交え、
その強さを身をもって心得ている。
関羽はその五虎大将の筆頭だ。ゆめゆめ油断めさるな」
「ふむ。馬超か。
そういえば貴殿はその昔、馬超に仕えていたそうだな。
今でも昔の主君は恋しいのか?」
「どういう意味だ」
「そのうえ貴殿の従兄も劉備に仕えていると聞く。
たしかに、ゆめゆめ油断しないよう心せねばと思ってな」
「我が劉備軍に寝返るとでも言いたいのか!?」
「言われてみれば龐徳殿は、
主君を二度も変えた稀有な御仁だったな!」
「二度も三度も同じだと思われたら怖い怖い。
龐徳殿には背中を見せないようにせんとな!」
「………………」
「そのくらいにしときな。
戦う前から仲間割れしてたんじゃ世話ねえぜ。
おれっちは龐徳のダンナを信用してる。
んで、おれっちはこの軍の隊長だ。
アンタらにはおれっちと同じようにダンナを信用してもらうぜ」
「これからあの関羽と戦うというのに、お主らには緊張感が足りん。
しかと于禁将軍の言葉を噛みしめよ!」
「はいはい」
『反省してまーす(チッうるせーな)』
「………………」
「于禁将軍! 前方を偵察してきたが関羽軍に動きがあったぜ」
「どうやら樊城の包囲は一部隊に任せ、
主力は我らのほうに向かってくるようだ。
どうする于禁?」
「あん? なにうちの大将を呼び捨てにしてんだよ朱霊」
「お前は于禁将軍の配下に降格させられた身だろう?」
「身の程と言うものをわきまえて欲しいものだな!」
「ぐぬぬ…………」
(龐徳殿に噛みついたと思えば次は朱霊殿に……。
七軍だかなんだか知らんが、
権威を鼻にかけなんと横暴な奴らだ!
このような連中とともに関羽と戦わねばならんとは、
先が思いやられる……)
~~~樊城 南 関羽軍~~~
「援軍に現れた于禁のほうから先に仕掛けてきただと?」
「到着するなり先制攻撃してくるとは、
ずいぶんせっかちなお人でやすね」
「たしかに于禁の軍は4万と多く、我々に匹敵している。
だが陣を敷くのもそこそこに仕掛けてくるとは思わなかった」
「いかがいたしましょう父上?」
「………………」
「さすがは父上! 向かってくるならば
有無を言わさず迎え撃つまで、というわけですね!」
「待った若将軍。
先の戦で廖化が負傷し、また後方からの補給も長雨で滞っている。
敵の動きにつられ、いたずらに戦いを急ぐべきではない」
「補給が滞っているだって?
さてはまた糜芳がちんたらしているのだな!
魏軍を片付けたら次はお前の番だと伝えてやれ!」
「落ち着きなせえ若将軍。
聞けば于禁軍は内部で不協和音を起こしてるそうだ。
我々もそれに付き合ってやる必要はありやせんよ」
「そうだ。敵は内部分裂を起こす前に
自軍を取りまとめようと、戦いを急いでいるのだ。
我々はそれを逆手に取るとしよう」
「趙累には何か策があるようだな。言ってみろ」
「下手に正面からぶつかれば、我々もただでは済まないし、
せっかく乱れている敵の結束を固めてしまうことになる。
ここは撤退すべきだ」
「撤退だと! 関羽は敵に背中を見せぬ!」
「尻尾を巻いて逃げるわけではない。戦略的撤退というものだ。
この戦で関羽将軍は、戦わずして勝つのだよ……」
「………………」
~~~樊城 北 于禁軍~~~
「罠……だったってことか」
「あの関羽がただ逃げているわけがないとわかっていた!
だが我々は追うしかなかった。
主力を担う董衡ら七軍は、調子に乗って追撃を選択したのだからな」
「そうして気づけば低地におびき寄せられていた。
まさか関羽は折からの長雨を利用し、水計を狙っていたとはな」
「ただ強いだけじゃねえ。頭も切れやがる。これが関羽か……」
「朱霊のダンナは水に囲まれる前に逃げ出したようだな。
さすがダンナは目端がきくわ」
「朱霊は一兵卒にも等しい扱いを受けていたから
簡単に持ち場を離れられただけだ。
責任ある立場の于禁将軍や我々が孤立したのはやむをえない」
「ま、なんにしろおれっちの監督不足だ。
七軍の暴走を止められればよかったんだが――」
「………………」
「魏軍に告ぐ!
おとなしく降伏すれば我が軍の船で救助してやろう。
だが抵抗するならばそのまま溺れ死ぬがいい!」
「降伏……ぶはっ。するぞ。降伏する! あっぷあっぷ。
俺は魏軍をやめるぞ関平ーーっ!!」
「う、于禁将軍! 我々も降伏しましょう!」
「そ、そうです! 中洲に取り残された我々はもう戦えません!」
「……わざと退却する関羽軍をかさにかかって追撃し、
おめおめと罠にはまった貴君らに
意見を述べる筋合いがあると思ったか」
「ぐぬう…………」
「か、かくなる上は……。
隙あり龐徳うう!! 龐徳は捕らえたぞ!!」
「でかした董超! やいやい于禁ども! 手出しするなよ!
龐徳を手土産に俺たちは関羽に降るんだ!」
「一歩でも動いたらブスリと行くからなあ!」
「愚かな……。裏切り者に捕らえられるような我と思うてか!!」
「うわっ!?
ち、力ずくで腕をほどいて――ぎゃああああっ!!」
「ま、待った! じ、冗談ですよ?
やだなあ。ほんの軽い冗談に決まって――うげええええっ!!」
「……うだうだしてたら、またこういう馬鹿が出てくるだろう。
龐徳、成何、東里袞。最後の戦いとしゃれこもうぜ」
「お供いたそう!」
「へへっ。天下に名高き于禁、龐徳と死ねるなら本望だ!」
「待たれよ!!
……死ぬのは我だけでいい」
「なんだと? おいダンナ。
そいつはいくらダンナの言葉でも聞けねえぜ。おれっちは――」
「兵のことを考えられよ!」
「!」
「御覧じろ。水に落ちた兵たちは次々と関羽に降っている。
だが辛うじて陸地に取り付いた者どもは、
まだ我々の様子を見て抗戦を続けようとしている。
ここで我々が死に臨んだら、彼らもまた全滅の憂き目にあうだろう」
「むう…………」
「敗れたのは我らの失策だ。兵に罪はない。
忠節の士をあたら道連れにすることはあるまい」
「だ、だからってダンナが一人で死ぬことはねえだろ!
おれっちだって――」
「我は馬超、張魯とすでに二度主を変えた。
三度も変える不忠の者にさせないでくれ」
「それを言ったら、おれっちだって昔は
鮑信のダンナに仕えてたんだぜ」
「魏王の盟友だった方だそうだな。
主君を失い盟友に仕えるならば不忠ではあるまい。
それに、聞けば鮑信殿に託されたことがあるのではないか?」
「……鮑信のダンナはおれっちに、
代わりに曹操のダンナの行く末を見届けろ、と言った」
「その願いはまだ達せられてはいまい。
于禁殿、総大将である貴殿には兵を助ける義務もある。
お主らは生きられよ」
「………………」
「わかった。私は龐徳殿に加勢しよう。
于禁将軍と東里袞は敗残兵をまとめて降伏してくれ」
「なんと!?」
「いや、私が貴殿に加勢するのはただの確率の問題だ。
一人では関羽に勝てないが、二人なら勝算もあるだろう?」
「………………」
「東里袞、お前はまだ若い。于禁将軍を助けてやってくれ」
「成何殿…………」
「もはや何も言うまい。
行くぞ成何殿! 今日が我らの死ぬ日だ!」
「おう!!」
「関羽に逆らうとは愚かな! 目にもの見せてくれよう!!」
「気をつけられよ若将軍! 龐徳は弓の名手だ!」
「あっしが水中から敵の小舟を狙いやす」
「………………ッ!」
(鮑信……。龐徳……。成何……。おれっちは……。
曹操のダンナ…………)
~~~許昌の都~~~
「于禁君が降伏。龐徳君が戦死したか……」
「于禁の奴め!
30年魏王に仕えたお前が、急に臨んで3年も仕えていない
龐徳に劣るとは思いもしなかったぞ!」
「やめたまえ王朗君。ここは戦場ではないよ。
于禁君がいかに降り、龐徳君がいかに死んだか
僕らにはわからないんだ」
「は、ははあ! さ、差し出がましいことを申しました。
そ、それなら敵前逃亡した朱霊は文句なしにけしからんですな!
……ですな?」
「朱霊君は于禁君のもとで一兵卒のような扱いだった。
彼がどう動こうと戦況は変わらなかったろう。
それに彼も水を避けて多くの敗残兵を助けたそうだよ。
そう責めないであげたまえ」
「そ、そうでありますか……」
「まあ、王朗君のそういった潔癖さは
大きな美徳だから大切にしたまえ」
「あ、ありがたき幸せ!!」
(王朗は潔癖ではなく、他人の落ち度を探し、
あわよくば蹴落としたがってるだけだがな……)
「華歆君。なにを他人事のような顔をしてるんだい。
潔癖ぶりなら君も王朗君といい勝負じゃないか。
僕から見れば君たちは似たもの同士だよ」
「わ、私がですか!? そ、そんな……」
「なにを不服そうにしているのだ華歆よ! 私の方こそ心外だ!
……あ、い、いや。
こ、これは決して魏王の言葉が不服とか、
信じられないとか、そういうことでは――」
「そんなことより関羽に対する方策を考えなければならん。
樊城、襄陽は水と兵で包囲するに留め、
関羽の本隊は宛城へと向かっているぞ」
「本当に宛城を攻める気はないでしょう。
上庸を攻める孟達や、
長安を目指す劉備と足並をそろえてくるはずです。
関羽の狙いはあくまでも――」
「樊城・襄陽を餌に多くの援軍をつりだし、
上庸や長安方面の守備を緩めるのが狙いであろうな」
「だからと言って手をこまぬいていれば、
一転して瞬く間に宛城も包囲されるだろう。
すでに上庸も落城寸前という情報を受けている。
怖いね。あの関羽君が近くまで来ているなんて恐ろしいよ」
「ぎ、魏王ともあろう御方がそんな弱気なことを……」
「彼は一時期、僕の配下になっていてくれたから、
その鬼神のような強さを目の当たりにしているんだ。
できることなら許都を離れて、もっと北へ遷都したいくらいだよ」
「我らは関羽を直接は知りませぬが、
魏王にそこまで言わせるとは……」
「現にいまも曹仁君、于禁君をたやすく破って駒を進めている。
関羽君を相手にしたら僕でも及び腰になるさ。
……だが手を打たなければ、もっと彼の脅威は広がってしまう。
とりあえずは宛城を守る徐晃君に出撃を命じよう」
「曹仁、于禁が敵わぬ関羽に徐晃で歯が立つとでも?」
「関中からも援軍を回すよ。関羽君に勝つ必要はないんだ。
もとより正面切って関羽君と戦い、
勝てる将なんてこの中華にはいないよ」
「な、ならばいかにして関羽を止めるのですか」
「正面切って戦わなければいいんだよ。
間もなく、彼らが動くはずだ。
彼らならば、あるいは関羽君を破れるだろう。
僕らはそれまでに、関羽君の足止めをしていればいいのさ……」
~~~合肥~~~
「けっ。まったくいけすかねー連中だぜ。
孫権のヤローどもはオレらに降伏したんじゃなかったのかよ!」
「表面上はただ国境近くで軍の演習をしているだけだ。
責めることはできまい。
……まさかやられる前にやっちまえとか考えてないだろうな。
早まった真似はするなよ、張遼」
「わーってんよ。
孫権どもはオレらと同じ魏王の臣下だってんだろ?
オレらの方から先制攻撃したら、
仲間割れで処罰されんのはこっちだぜ」
「わかっているならいい。
……俺だって孫家の小僧の面従腹背には、
はらわたが煮えくり返ってるんだ。
その俺が我慢してるんだからお前も我慢しろ」
「へいへい。
李典や楽進がおっ死んじまって、
代わりに夏侯惇の旦那が来ると聞いた時にゃ、
もっと自由にやれんじゃねーかって思ったけどよ」
「あいにくだったな。
俺は20万の相手に800で正面攻撃を仕掛ける誰かと違って慎重なんだ」
「夏侯惇将軍! すぐに来てください」
「どうした?」
「孫権の使者が面会を求めています」
~~~建業~~~
「決まりだ。オレらは関羽を討つ」
「そして念願の荊州奪取を果たす。うむ、よくぞ決断した!」
「しかし同盟を破棄して奇襲を仕掛ければ、
劉備は激怒するでしょうな」
「案ずることはありませんよ。今のあっしらは曹操の臣下なんです。
あくまでも曹操の密命を受けて動くだけです」
「だがそれで劉備はまだしも関羽は納得するか?」
「奇襲されて納得する御仁なんてこの世のどこにもいませんよ。
要は有無を言わさず関羽をしとめればいいんです」
「…………呂蒙、おめェ焦ってんな?」
「いいえ」
「いんや。そのツラ見てこいよ。
孫策の兄貴や周喩が死ぬ前と同じ顔色しやがって。
おめェ、隠してやがるけどあと一年ももたねェんだろ」
「あっはは。艦長は何か勘違いされてるようだ。
あっしはいたって元気ですよ。
関羽を討つための謀議を重ねて、ちいとばかし疲れてますがね」
「……まあ、そういうことにしといてやるよ。
だが、今回の戦でお前に指揮を任せることはできねェ」
「!? 艦長、それは――」
「最後まで聞け。
おめェが作戦半ばでくたばっちまうとは思ってねェよ。
お前は与えられた任務は必ずやり遂げる男だからな。
だから、それを逆手に取ってやろうってんだ」
「……関羽を油断させるため、ですか」
「そうだ。おめェが病気で職を辞したと聞きゃあ、
関羽はオレらへの警戒を緩めんだろ。
その隙を、オレらが突くんだ」
「しかし、呂蒙殿の代わりになれる者がおりますかな?」
「オレは知らねェよ。それは呂蒙が決めるこったろ。
てめェの代役はてめェが選びやがれ。オレにケツ拭かせんな」
「…………では、陸遜をお使いください」
「陸遜? あのような若輩者に任せるというのか?」
「陸遜に足りないものはありませんよ。
あえて言うなら年齢でしょうか。
もっとも、若いことを劣っていると言い換えるなら、の話ですが」
「……言うではないか。面白い。
呂蒙が推薦するならば私に異存はないぞ」
「私にもありません」
「なら決まりだ。呂蒙は引っ込む。陸遜が出る。関羽を殺す。
一連の動きに時間はかけられねェ。一気に勝負を着けるぜ」
~~~~~~~~~
かくして関羽は于禁の援軍をも打ち破った。
しかしその背後に刺客の影が迫る。
呂蒙、陸遜、そして孫権。彼らの刃は関羽の肺腑に届くのか?
次回 〇七七 関羽の不覚へ




