〇六六 その名は錦馬超
~~~雒城~~~
「あたしの古い友人に霍峻って男がいましてね。
ここから北に行った所にある葭萌関って砦を守ってるんだ。
これが馬鹿の付くくらい真面目な男で、冗談なんて一切口にしない。
そんな彼が「孟ちゃん、俺の砦を馬超が攻めてくるよ」
なんて言うんだ。
あたしは「よせや~い。馬超が来るわけないだろ」ってね。
だって馬超は漢中にいるんだ。
葭萌関を攻めてくるわけがない。夢でも見たんだろってね。
その時は思ったんだ。
でも霍峻は「本当だよ。本当なんだよ」ってしつこく言う。
あたしも彼の正直さはよく知ってるからね。
これはおかしいぞ。本当に馬超がいるんじゃないかって
だんだん思ってきてね」
「あわわわわわわわわ」
「そしたら霍峻が「孟ちゃんあれだよ!」って急に叫んだ。
あたしはびっくりして彼の指差す方を見た。
でも誰もいない。だ~れもいない。誰もいないんだ。
てっきり冗談だと思ってね。
あたしは「おどかすなよ~」って笑った。
でも霍峻は笑ってないんだ。
真剣な顔のまま「馬超が来る。馬超が来るんだよ」って
繰り返すんだ。あたしはだから
「どこから来るんだよ。馬超はどこから来るんだよ!」って。
彼に聞いた。そしたら彼は……」
「彼は…………?」
「お前の後ろだあああっ!!!」
「ぎゃあああああああああああああ!!!」
「本当に馬超の軍が攻めて来ていたと。そういうお話です……」
「長い! 長すぎるぜよ!
つまり、葭萌関に馬超が攻めてきたと、それだけの話じゃな?」
「曹操を窮地に陥れたっていうあの馬超ね。
これは劉璋と戦ってる場合じゃないわよ。急いで迎撃しないと」
「そうだ。貴様らはさっさと葭萌関に向かえ」
「し、諸葛亮!?」
「亮さん! 来てくれたんか!」
「貴様らでは馬超に勝つことはできぬからな。
余がじきじきに采配を振るってやろう」
「お、おまんが諸葛亮か……。
噂に聞いてたより強烈な奴じゃな」
「あいかわらず神出鬼没のバケモノみたいな男ね……。
でも残念だけど諸葛亮、アンタの出番はないわよ。
馬超なんてアタイが踏んづけてやるんだから!」
「ほう。貴様なら余の力を借りずとも馬超を破れると?」
「馬超ってのは策もなんもない、猪武者らしいじゃないの。
それに豪傑と戦えると聞くと、
喜んで一騎打ちに応じるって言うわ。
それなら兵も策もいらないわ。
アタイが馬超を討ち取ってやるわよ!」
「貴様が馬超を一騎打ちで破る……?
クックックッ……これは傑作だ。面白い冗談ではないか」
「なにがおかしいのよ!!」
「ならば問おう。貴様はこれまで一騎打ちで誰を討ち取ってきた?
さぞや名のある将の首を挙げてきたのだろうな」
「んぐ……。そ、そうね。
いちいちそんなこと覚えちゃいないけど、たとえば……。
ま、まず鄧茂でしょ。
そ、それに郝萌。あと魏続とか……」
「鄧茂(笑)。郝萌(笑)。魏続(爆)」
「そ、そうだわ! 呂翔も討ち取ってるわよ!」
「呂翔(核爆)」
「これはこれは。さすが劉備軍の重鎮、世に名高き張飛将軍だ。
燦々たる実績であらせられるな。
――おお、よく見ればそこに趙雲がいるではないか。
参考までに聞くが、劉備に仕官してから
張飛の半分も経っていない貴様は今までに誰を斬った?」
「自分は大した実績ないッスよ。無名の相手ばかりッス。
呂曠、晏明、夏侯恩、淳于導、張繍、高覧。
あと侯成、何儀、邢道栄、陳応、鮑隆――」
「ちなみに私は張勲と曹純を殺してるです」
「う、うっさいわね! だまんなさいよ!
アタイだってそこにいる厳顔も、
あの張任だって、その気になれば討ち取れてたのよ!」
「………………」
「それにアタイは官軍にいた頃は
一つの戦で八百八人の兵の首を挙げて――」
「要するに弱い者いじめが得意なのか」
「お前、意外としょぼいんだな」
「うるさいうるさいうるさーーい!!
見てなさいよ! アタイ一人で馬超の首を持ってきてやるんだから!!」
「ち、張さんが怒って出て行っちまったぞ。
本当に馬超さんと戦いに行ったんじゃろか……。
たしかに言われてみれば張さんの実績はあんまり大したこと無いけど、
ちょっと酷いんじゃないか亮さん」
「馬鹿め。
勝ち戦続きであの偽女は天狗になっていた。
油断せぬよう少々、お灸を据えて鼻をへし折ってやっただけだ」
「ということは、馬超の相手は張飛に任せるのか?」
「言うまでもない。馬超の蛮勇に正面から立ち向かえる者がいるなら、
それに任せれば話が早いではないか。
余は貴様ら暇人と違い忙しいのだからな」
「…………と、とにかくここはワシが引き受けるから、
おまんらは張飛の後を追い、葭萌関に急ぐぜよ!」
~~~葭萌関 馬超軍~~~
「おのれ葭萌関め! 馬超の攻撃をしのぐとは見事だ!」
「すんまへん殿、葭萌関に劉備の援軍が入るのを防げんかった。
援軍を率いてる張飛ってのがえらい強くて歯が立たんわ」
「張飛か! その勇名は馬超も聞いたことがあるぞ!
特に誰か名のある大将首を獲っているわけではないが、
ものすごく強いとな!」
「……それって本当に強いのかしら」
「ならば本当に強いかどうか馬超の槍が確かめてやる!」
「はいはい。例によって待ちなさい。
アンタ一人で突っ込んだら危な――」
「見よ。葭萌関から誰かが一騎で出てきたぞ。
あれは噂の張飛ではないのか?」
「アタイの名は張飛!
馬超! 今すぐアタイと戦いなさい! 一騎打ちよ!」
「おお! 張飛が馬超を呼んでいる! 今行くぞ張飛!」
「だから待ちなさいって!
せっかく敵の大将格がのこのこ出てきてくれたのよ。
遠くから矢を射かけて討ち取っちゃえばいいのよ」
「董白、君の言葉でもそればかりは聞けないよ!
そんな卑怯な真似は星になった父ちゃんが許さない!
馬超は正々堂々と一騎打ちをする!」
「で、でも敵の罠かもしれないし、
そうじゃなくてももしアンタが負けたら――」
「馬超は負けない!!」
「……あかん。病気で漢中に置いてきた龐徳がいればまだしも、
こうなった殿はもう止められへん」
「何を迷うことがある。要は馬超が勝てば良いのだ。
行け馬超。張魯師君のために戦うのだ」
「行くとも! 董白!
君のために張飛の首をかっ飛ばして見せるよ!」
「……その董白は別にそんなこと望んでないんだけど」
「行くぞ張飛いいいいいいいい!!」
~~~葭萌関 劉備軍~~~
「馬超おおおおおおおお!!」
「張飛いいいいいいいい!!」
「あ、あれが音に聞く張飛殿か。
あの馬超と互角に打ち合うとは……」
「うんうん。どうじゃ、うちの張さんは強いじゃろ?」
「その調子よ張飛! 女のド根性見せてやんなさい!」
「本当に五分と五分だな。これはちょっと決着がつきそうにないぞ」
「い、いいのですか軍師殿? このままでは張飛殿に危険が――」
「良いも悪いもない。
なかなかの余興ではないか。貴様ももっと楽しめ」
「ほれ張さん右じゃ! いややっぱり左じゃ!
左に回り込め! 正面にも気をつけるんじゃぞ!」
「アンタは! 黙って! 見てなさい!」
「やるな張飛! 馬超とここまで戦えるのはお前で四人目だ!」
「結構いるのね! アンタ実は大したこと無いんじゃないの!」
「お前こそ大した将を討ち取っていないと聞いていたぞ!」
「それ関中にまで知れ渡ってんの!?
だ、だったらそういうアンタは誰を討ち取ったのよ!」
「郭援! 李通! あと許褚とも互角に戦った!」
「フ、フン……。まあまあやるじゃないのさ!
でもこれまで誰を討ち取ったかなんて関係ないのよ!
ここでアンタの首を挙げればいいんだから!」
「同感だ!!」
~~~葭萌関 馬超軍~~~
「……もう日が暮れてまうで。馬や武器を3回取り替えて、
食事休憩まで2回挟んで、それでも決着がつかん」
「………………」
「だがあれだけの相手だ。張飛とやらを討ち取れば、
劉備軍の士気は地に落ちるだろう。
そうなれば葭萌関を落とし、劉備軍を蹴散らすこともたやすい」
「大丈夫か姐御? 顔色が真っ青やで。帰ったほうがええ」
「…………あたしは馬超の戦いを見届ける」
「ヒッヒッヒッ。殊勝な心がけだ。
張魯師君のためにもせいぜい夫の勝利を祈るのだな」
「………………馬超」
~~~葭萌関 劉備軍~~~
「きゃあ危ない!!」
「何をやっとるんじゃ張さん!!」
「日が沈んで相手もろくに見えないのでしょう。
労も溜まっているしこれ以上戦うのは危険です!」
「人間ってのは暗闇を恐れますからねえ。
あたしも以前、山に登った時に――」
「孟ちゃんの長い話を聞いてる暇はない。
劉備殿、早く撤退命令を!」
「もうちょっと見てたい気もするんじゃが……。
しかたない。撤退させとくれ」
「……駄目だな。ドラを鳴らしてもまったくの無視だ。
今の二人には雑音は聞こえないようだ。
これは劉ちゃんが自ら止めに入るしかないぞ」
「ええっ!? ち、張さんと馬超さんの間に割って入るんか?
わ、わしは嫌じゃぞ。誰か代わりに行ってくれんか」
「だが力ずくで止められそうな趙雲も黄忠も魏延も、
法正と一緒に雒城の守備に置いてきちまった。
いちおう義兄の劉ちゃんが命令するのが一番だろう」
「そ、そうじゃ、亮さんの知恵なら
二人を止められるんじゃないか?」
「余は肉体労働は好まぬ」
「な、なら月英さん!」
「嫌です。いやーん。月英こわーい。です」
(女に頼ろうとしたぞこの男……)
「お、お願いじゃ。後生じゃから誰か、誰か代わりに――」
「さっさと行け」
「うひゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「劉備!? ちょっとアンタ、馬で突っ込んできてどういうつもりよ!
ここは危ないから下がってなさい!」
「だ、だって亮さんが的盧さんの尻をぶっ叩いて無理やり……」
「お前が劉備か? 何の用だ。見ての通り馬超たちは忙しい!」
「そ、そのー。なんというか……。
もう暗いし、帰ったほうがいいってみんなが言っとるし……」
「子供か!」
「うん? そういえば辺りが暗いな。これでは戦いづらい。
待っていろ、部下に火を持ってこさせる」
「そう来なくっちゃ!」
「じゃ、じゃが――」
「なんやなんやお前は! ――劉備だと? 敵の大将がなんのつもりや。
一騎打ちの邪魔すんなら、わてが相手になるで!」
「馬超の邪魔をするな!」
「ひいっ! わ、わしはそんなつもりじゃないぞ。
ただ、こう暗くては戦えぬからもう辞めたほうがいいと――」
「だから灯りを用意すると言っている!
馬岱! すぐに篝火を百本用意しろ!」
「いや……劉備はんの言うことももっともや。
今日はここまでにして、明日改めて戦ったらどうや?」
「いいえ。すぐに火を用意しなさい。
言ったはずよ。あたしは最後まで見届けると」
「董白…………」
「べっぴんさん…………」
「待て! この勝負はここまでだ!」
「次から次へと誰だ!
んん? よく見れば父ちゃんの旧友の李恢じゃないか。
劉備軍に降ったと聞いているが今さら何の用だ」
「馬超、お前が劉備殿と戦うと聞いてあわてて飛んできたのだ。
諸葛亮殿は何も言わずいなくなるのだから困る……。
とにかく間に合ってよかったぞ。
お前たちは心得違いをしている。なぜ劉備殿と戦うのだ?」
「張飛を倒すためだ!」
「あかん。また目先にだけ神経が行っとる。
……ええと、張飛を倒し、劉備を倒し、さらに劉璋を倒し、
益州を制圧するんが目的やで」
「そんな瑣末な目的は聞いていない。お前たちの最終目的はなんだ」
「…………曹操を倒すことよ」
「ならばなぜ劉備殿と戦う?
劉備殿こそ長年にわたり曹操と戦ってきた方ではないか!
お前たちは目先の利にとらわれ、張魯に踊らされているだけだ。
劉備殿とともに曹操と戦うことこそが、真に歩むべき道であろう。
早く目を覚ませ!」
「むむむ」
「何がむむむだ!
お前や董白がついていて、なぜ馬超に道を誤らせる?
死んだ馬騰も草葉の陰で泣いているぞ!」
「父ちゃんが……泣いている……?」
「……李恢の言う通りね。
あたしたちは本当の目的を見失っていたわ。
劉備、聞いての通りよ。アンタに降伏するわ。
受け入れてもらえるかしら?」
「も、もちろんじゃ! 強い人やべっぴんさんは大歓迎じゃぞ!
……断ったらこの場で斬られちまいそうじゃし」
「董白のことだ。それも計算に入れているのだろう。
馬超、お前もそれで良いな?」
「よくわからないが馬超は董白に従うだけだし、
父ちゃんを泣かせるようなことはしない!
それに劉備陣営に入ればいつでも張飛と戦えそうだ!」
「ずいぶんと虫のいい話ね。でもまあ、アンタたちなら歓迎す――」
「今だ! うなれ業火よ!!」
「な!?」
「ヒッヒッヒッ。馬超よ、お望み通り火を用意してやったぞ!」
「くっ! すっかり火に囲まれてしまった」
「しまった! この展開は予想できたはずなのに
あたしとしたことが……」
「ご苦労であったな馬超よ。
劉備をおびき寄せてくれた礼に、お前もろとも地獄へ送ってやる」
「おのれ裏切ったな楊白!」
「先に裏切ったのはアンタの方でしょ!
……って突っ込んでる場合じゃなかったわね。やばいわよこれ」
「あわわわわわわわわわ」
「ヒッヒッヒッ。裏切り者の馬超はもちろん
劉備まで討ち取ったとあれば、師君もさぞお喜びに――」
「くだらぬ」
「へ?
……お、おれの業火の術が……扇の一あおぎで……消え……た?」
「興醒めだ。余興を楽しんでいたところに水を差しおって」
「火を消したのだから水を差したのは御主人様の方だと思うです」
「黙れ。殺せ」
「はいです。殺すです」
「く、来るな! な、なぜだ! なぜ火が放てぬ!?
ひ、ヒィィィィィィィイイ!!」
「殺したです。11回刺したら死んだです。
手から火を出してたですけど仙人じゃないみたいです」
「当然だ。
余ではなく劉備を先に葬ろうとする愚者が仙人になれるものか」
「助かったぞ! さすが亮さんじゃ!」
「あ、アンタが諸葛亮……? と、とりあえず礼を言っとくわ」
「貴様の礼など不要だ。それよりもすぐに成都へ進撃しろ」
「今すぐ成都へ? ずいぶん急じゃないの」
「降伏したという話が伝わるより先に馬超が成都へ現れるのだ。
クックックッ……。劉璋め、さぞや肝を潰すであろうな」
(こいつのほうが曹操よりよっぽどラスボスっぽいで……。
もしかして、えらいヤツに降ってもうたんやないか)
~~~成都~~~
「劉璋! 聞こえているか!?」
「な、なになに? 誰かがぼくを呼んでるよー!」
「あれは――馬超!!」
「馬超は劉備に力を貸すことに決めた!
もはやお前たちに勝機はないぞ!」
「むう……。黄権は南方の防衛に向かっておるし、
戦える将がいない。たしかに厳しいな」
「龐徳はどこだ! なにゆえ我々を裏切った!?」
「龐徳は置いてきた!
冷たいようだが、病でこの戦いにはついて行けない!」
「わてらの真の目的は曹操の打倒や。
目的を同じにする劉備はんと組むのは当然のこっちゃ。
悪く思わんといてや」
「くっ…………」
「成都は完全に包囲されてるわ。
おとなしく降伏しないなら一斉攻撃させてもらう」
「だ、そうだ」
「劉璋さんやーい。悪いことは言わんから降伏してくれんかのう?
今さらじゃけど、わしは劉璋さんと戦いとうないんじゃ」
「本当に今さらだけどな」
「どどどどどどうすればいいの!? ぼく怖いよー……」
「こ、降伏しましょう!
馬超が敵に回ったらどうしようもありません!」
「さっきから馬超馬超ってアタイのことも話題に出しなさいよね!
その馬超と互角に戦った張飛もいんのよ!」
「及ばずながら趙雲もいるッス!」
「劉備軍だけではない。
すでに益州軍の重鎮たちも多くが降っておる」
「俺たちもあんたらとは戦いたくねえ」
「我々からも劉備殿に口添えいたす。心配せず降られよ」
「はいはい、それがいいですよ」
「降るか戦うか早く決めろ! 馬超は気が短いんだ!!」
「怖いよー。えーん。えーん」
「………………ここまで、か」
~~~~~~~~~
かくして錦馬超は劉備に降った。
劉備軍は益州の首都・成都に迫り大勢は決した。
天下三分の計、その第一歩がいま刻まれようとしていた。
次回 〇六七 天下三分の計




