〇五五 美周郎の夢
~~~江東 会稽~~~
「劉備は曹操の南下に備えるため荊州に帰ったが、
尚香さんは早とちりで旦那を害されると思い、
兄上に厳重に抗議したため、それには加わらず。
――ってことになりました。
離縁ではなく、あくまでも婚姻関係は保ったままですし、
まあ結果的には良かったんじゃないッスか」
「フッ。気休めはやめてくれ。全ては私が至らなかっただけだ」
「……そんな紙みたいに白い顔されてたら、
気休めくらい言いたくなるッスよ」
「みすみす主君の妹君の縁談を壊し、妻には刃を向けられた。
フッ。顔色の一つも悪くなるさ」
「精神面だけじゃなくて、身体も毒矢を浴びてガタガタなんでしょ?
ごまかしたって無駄ッスよ。少しは休んでください」
「休養ならたっぷりさせてもらったよ」
「あれは療養ッス。
休んでたんじゃなくてえ、ガチで倒れてただけでしょ。
毒も抜け切ってないって医者から聞いてるんスよ」
「我々は計画を次の段階に進めなくてはならん。
休んでいる暇なんてないさ。
うわべだけとはいえ、劉備との強固な同盟が成ったいま、
我々は西への進路を得たのだからな」
「……益州を獲り、
曹操と天下を二分する計略ッスね」
「だから落ち込んでいる暇はない。
益州攻めの総大将を務める孫瑜殿と、
益州に生まれ土地勘のある甘寧を呼んでくれ」
「…………止めても無駄みたいッスね。
ウイッシュ。わかりましたよ提督殿」
~~~荊州 江夏~~~
「荊州を通過して益州を攻めるから
通行許可をよこしなさいですって?」
「ウィッシュ。
曹操は赤壁の敗戦で被った痛手から立ち直ってないッスから、
長江を越えて攻め寄せてくるとは考えられません。
今なら軍を二手に分けて、益州を攻められるッス」
「なるほど。天下二分の計か」
「なんだいそりゃ?」
「強大な曹操の勢力に対抗するため、
曹操の手の及びにくい南に版図を広げ、
いわば天下を二つに分かち曹操と鼎立する計略だ。
地力ではとうてい曹操に敵わぬ孫権が
採るべき策としては、定石と言えよう」
「話が早くて助かるッス。
さては諸葛亮センセも同じことを企んでたんスか?」
「フン。策と呼ぶのもおこがましいくだらぬ考えだ。
漠然とした構想だけなら、そこの馬鹿でも抱いていた程度のな」
「………………」
「へええ。劉備さんも……」
「ふーん。まあ、アンタらが
変なことを考えてなければ別にいいんじゃないの?」
「変なことってなんスか?」
「たとえば、荊州を通過するフリして、
油断したアタイたちを襲って荊州を乗っ取るとか」
「そんなあ。俺らと劉備さんとで潰し合ってたら、
それこそ曹操の思う壺じゃないッスか」
「そのあたりは警戒しておけばいいんじゃないですかね。
攻め落とせるものなら攻め落としてみろって構えで」
「ウィッシュ。そっちの考えは
俺から口を出せることじゃないんでえ、お任せするッス」
「それにしてもアンタも
使いっ走りみたいなことばっかさせられて大変ねえ。
劉備担当の外交官にでもなったの?」
「ぶっちゃけ、俺や周瑜以外のみんなは
劉備さんを敵視してるんでえ、俺が来るしかないッス」
(江東の人はみんなぶっちゃけすぎだろ……)
「では劉備様もそれでよろしいですかな?」
「……………………尚香さん」
「はい?」
「尚香さんに会いたい。
おーいおいおいおいおい。わしは尚香さんに会いたいんじゃあ……」
「は、はあ。い、いちおう孫権にも伝えておくッス。
この前の騒ぎで尚香さん蟄居させられてるんで、
期待はしないで欲しいッスけど……」
「…………できれば二喬さんにも会いたい」
「そっちは人妻よバカ!
どさくさにまぎれてなに言ってんのよ!」
~~~回想~~~
「このまま許都に攻め込むか、
それとも荊州を抜いて益州を落とすか。
二つに一つだ。どっちかを選べ」
「フッ。あいかわらず急な話だな。少し整理させてくれ。
曹操はいま、袁紹と対峙していて容易に身動きが取れない。
留守にしている許都を急襲し、献帝陛下を奪取する。
――最初の計略はそういうことだな」
「おうよ」
「そしてもう一つが、劉表の荊州を落とし、
さらに西の益州にまで勢力を伸ばす。
そうして曹操と正面からぶつかり合える力を蓄え、堂々と対決する。
そういう考えか」
「どうでェ、どっちも面白そうだろ!」
「しかし二つ目の計略は、お前にしては迂遠な策だな。
誰かに入れ知恵されたか?」
「ははっ。おめェにはお見通しか。
益州を獲るってなァ、この前紹介してくれた魯粛のヤローの考えなんだ。
たしかにまだるっこしいけどよォ、
曹操と正々堂々戦えるってのは面白そうじゃねェか!」
「それに堅実な策だな。
お前に天下を獲らせるためには、最も現実味のある手段だろう」
「だが、今すぐ許都に殴り込んで、
一か八かの戦いをするってのも、それはそれで楽しそうだ。
だからおめェに選んで欲しいんだ。
おめェが選んだ方にオレは乗るぜ!」
「藪から棒に責任重大な話だな。
フッ。だが迷うことはない。私の選択は二つ目だ。
まずは荊州を、しかるのちに益州を落とす」
「なら決まりだな! 周瑜!
さっそく荊州と益州を落とす作戦を考えろ!
先陣はもちろんオレ、軍師はおめェだ。
へへっ、楽しくなってきたぜ!」
「任せろ孫策。必ずや君にこの中原の覇権を握らせてみせるよ」
~~~江夏 孫権軍~~~
「…………ここは?」
「江夏の近郊、孫権さんの従兄の孫瑜さんの陣中ッス。
急にぶっ倒れたんスよ」
「……倒れた? 私がか?」
「動かないで! 馬から落ちて激しく頭を打ってるッス。
ガチで絶対安静なんで」
「……すこし記憶が混濁している。私はどこに向かっていたのだ」
「荊州を通り抜け、益州の攻略に向かっていた途中だ。
……だから動くなと言っている。礼儀など気にしている場合か」
「………………」
「どうした魯粛。震えているのか? 君らしくもない」
「こ、この顔はなんなんスか!
顔だけじゃない、手も! 足も! 体全体が変色してる!
毒矢の傷が完治してなかったんスね!
それを白塗りしてごまかしてたんスか……」
「フッ。化けの皮がはがれてしまったか。
もともと色が白かったおかげで気づかなかったろう?」
「あんたは馬鹿ッス! ガチで大馬鹿者ッスよ!
こんな身体で、なにが益州攻略ッスか!?」
「…………孫策と約束したんだ。
私は行かなければならない。なぜなら私が選んだのだから……」
「無理だ」
「フッ。これは諸葛亮先生、いらしたのですか。
お見苦しい姿を見せたこと、お詫びしよう」
「まったくだ。わざわざ見舞いに来てやったのに弔問になりそうだ」
「では見舞金を香典に書き換えるです」
「……あいかわらず先生は愉快な方だ」
「慈悲深い余が香典代わりに手を貸してやる。
だから貴様は安心して死ね」
「と言うと?」
「益州は余が落としてやろう。もっとも、益州は余の物になるがな」
「なっ……!?
し、周瑜が病みついてる間になんて図々しい話ッスか!」
「しかし周瑜亡き後に遠征軍を率いられる人材がいるのか?
魯粛、貴様か?
このぽっと出の誰だかわからない孫瑜とかいう男がやるのか?
それとも孫権が江東を空にして自ら赴くか?」
「そ、それは……」
「無理だ。
よしんば益州を攻略できたとして、
得体のしれない劉備の率いる荊州をはさみ、
誰が遠く離れた西の果てで益州を統治できる?
劉備と摩擦を起こさずに交渉できる?
もし一人だけいるとしたら、
それはここで死相を浮かべている男をおいて他にあるまい」
「…………」
「いや、そもそもが無理な話なのだ。
周瑜、貴様一人では益州を落とせぬ。統治もできぬ。
貴様と孫策、どちらが欠けても不可能なのだ。
貴様とて、そんなことはわかっていただろうに」
「……あなたは優しい方だ」
「なに?」
「私の、孫策の夢を継いでくれるのだろう?
もちろんあなたや劉備にとって得になる話だから、
代わりにやるというだけなのだろう。
だが死に瀕した私に、あえて夢を継いでくれると言う。
あなたは優しい方だ」
「やめろ。虫酸が走る」
「フッ。あなたもそんな顔をするのだな。
それだけでも倒れた甲斐がある。
……ああ、そうだ。これも孫策の言葉だったか。
私はどこまで行っても、
孫策の、小覇王と呼ばれた男の真似に過ぎないのかな」
「し、周瑜。しっかりするッス!」
「私の後は魯粛に任せる。
諸葛先生が益州を落とせば、曹操と江東と益州で三国鼎立の形となる。
天下三分の計だ。
私と孫策の夢は、孫家と劉備との間で続いていくんだ……」
「周瑜! お前はまだまだ孫家に必要な人間なんだぞ!」
「諸葛亮先生……あなたとはもっと話したかった」
「余は貴様ごときに話すことなどない」
「フッ。天はどうして私とあなたを、同じ時に産んだのだろうか……。
あなたの後に産まれていれば、書を通じてでも
もっとあなたの言葉を聞くことができたのに」
「もう一度言う。やめろ。虫酸が走る」
「益州攻略は孫権の夢でもあった……。
彼もまた孫策に憧れ、孫策の後を追っていたのだからな……。
孫権に、すまないと言ってくれ……」
「周瑜ーーーーーっ!!」
「周瑜…………」
~~~江夏~~~
「戻ったらすぐに諸葛均と馬謖を呼べ。
あいつらに仕事をさせる」
「はいです。
……周瑜が死んで残念です。
御主人様を歴史上初めて慕ってくれた友人だったです」
「余に友人などおらぬ。もとい、いらぬ」
「龐統と馬良がいるです」
「あれは知人だ。あんな趣味の悪い友人は必要ない」
「…………」
「黙れ」
「何も言ってないです」
「いま思ったことを黙れ。死ね」
「嫌です」
「お呼びですか兄上」
「これから呼ぶところだ。……やけに手際がいいな」
「周瑜様が亡くなれば、兄はすぐに私に仕事を命じるだろうと
龐統様がおっしゃられました」
「フン。あいかわらず小ざかしい男だ。
……貴様はすぐに益州と関中に飛べ」
「わかりました」
「お呼びですか御主人様」
「……貴様も龐統の指示で来たか。まったく忌々しい」
「つまり御主人様は自分の考えを読まれるのが嫌なのです」
「誰に向けた説明だ。
……馬謖、貴様は馬良をつれてこい。
そろそろあのものぐさ者にも手伝わせてやる」
「うっ。……あ、兄を呼ぶのですか。
御主人様の命令とはいえ気が進まないな……」
「ごちゃごちゃ言わずにさっさと行くです」
「チッ。いつか半殺しにしてやるからな小娘」
「返り討ちで全殺しにしてやるです長っ鼻」
「黙れ。さっさと行け」
~~~~~~~~~
かくして龍鳳にも比肩し得た俊英、周瑜は没した。
龍鳳の力を得た劉備の目は益州へと注がれていたが、
さらに西の彼方、関中ではついにあの男が立ち上がろうとしていた。
次回 〇五六 馬超、起つ




