〇四九 赤壁の戦い
~~~荊州 赤壁~~~
「まずは濃霧に包み、曹操水軍の連携を断つ。
クックックッ。この下らぬ書物も存外、役に立ったな」
「仙人からぶんどった妖術書を使ってるだけなのに、
さも自分には不思議な力があるように見せかけるなんて
さすが御主人様です」
「これはまぎれもない余の力だ。
それにこの書はもらい受けたものであり、強奪した覚えはない」
「そういえばそうです。
もらう前に23回刺しただけで、もともとくれようとしてたです。
勘違いです。てへぺろです」
「舌を出すな。かわいくねえんだよ」
「馬謖にかわいく思われたくなんてないです」
「黙れ。気が散る。死ね」
『嫌です』
~~~赤壁 荊州水軍~~~
「……霧が出てきたな」
「霧なんて珍しくもないだろ」
「で、でもこれはちょっと尋常じゃないぞ。
天変地異の前触れか?」
「なにを馬鹿なことを。
前触れだとしたら、それは孫権が滅びる前触れだ。
ついに曹操丞相が中華を統一する。時は来た! それだけだ」
「…………なに言ってんだおま」
「へ? お、おい蔡瑁様?」
「チョリース」
「な!? お、お前は――」
「て、敵だ――」
「ば、馬鹿な――」
「腕を上げたな甘寧。絶叫される前に殺すなんて良い手際だ」
「久々に蘇飛サンと仕事できるから張り切ってんデスよ。
元気そうじゃん?」
「お前こそ。関羽将軍に拾ってもらった縁で、
お前とまた働けて俺もうれしいぜ」
「テンション上がるわー。
んじゃ、荊州水軍の旗艦で曹操軍の中を遊覧と行きますか!」
~~~赤壁 曹操軍~~~
「それにしてもすごい霧じゃな。
荊州ではこのくらい珍しくないのか?」
「……いや、ここまでの濃霧は経験がない」
「! じ、丞相。この風は……」
「東南の風だね。
情報ではまだ十日ほどは吹かないはずだったのでは?」
「そのはずです。霧といい風といい不可解だ……」
「まあ天は気まぐれなものさ。
しかし霧と風が一度にそろうのは、ちょっと解せないね。
何者かの意思を感じるよ」
「見えました! 黄蓋の船です!」
「…………濃霧と東南の風を計ったように寝返りか。出来すぎだね。
本当に降伏だったら気の毒だが、念には念を入れておこう。
黄蓋君の船を沈めたまえ」
「ああ。射てッ!!」
「矢が弾かれます! あれは小船に偽装しているが軍船です!」
「我が軍の艦に衝突しましたぞ。……火を放っていますな」
「やはり偽装投降か。この風では延焼は免れない。
蔡瑁君、張允君に命じて船を離させるんだ」
「そ、それが先刻から蔡瑁らに連絡がつかなくなっています」
「なんじゃと? しかしあれを見てみい。
こっちに向かってくるのは荊州水軍の旗艦、
蔡瑁の船ではないのか?」
「……どうやら先手を取られたようだね」
「丞相、まさか――」
「ヒャッホー! 曹操はそこか!」
「奇襲ですな。
あの様子では彼らだけではなく、
我が軍の懐深くにまで敵に入り込まれていると見ていいでしょう」
「殿! ここは危険だ! 早くこちらへ!」
「お前が先走って叫ばなければ、
もうちょい近寄れたんだがな……」
「これが叫ばずにいられるかっての! イクぜ!!」
~~~赤壁 孫権軍~~~
「……ガチで東南の風を吹かせたんですけど。
ぶっちゃけ諸葛亮って何者なんスか」
「今は詮索している暇はない。
望みどおりに東南の風が吹いたのならば、それに乗じるまでだ」
「さあ、曹操様の首を頂戴に伺いましょう」
「野郎ども! 面舵いっぱい! 突撃するぜ!」
「行くぞ。黄蓋殿を見殺しにするな」
「ワシに続けえええええ!!」
「逃げるな曹操でごわす!」
「私も前線で指揮をとる。後方支援は任せた」
「ウィッシュ」
~~~赤壁 曹操軍~~~
「ここまで逃げればひとまず安心であろう」
「やれやれだね。後方に残っていた君が来てくれて助かったよ」
「いや、もしものことがあればいち早く丞相のもとへ駆けつけるよう、
荀彧殿に言われていたのだ」
「……そうか。さすが荀彧君だ。
彼がいればこんなことにはならなかっただろう。
まったく自分が情けないよ」
「いいえ、丞相が素早く全軍撤退を決断なさったから、
これだけの被害で済んだのです。
主だった将や軍師の無事も確認しています。
戦線はすぐに立て直せるでしょう」
「しかし軍船のほとんどを焼き払われてしまった。
これでは孫権君を攻められないよ。
この戦いは僕の惨敗さ」
「ならば次はどこまで撤退するかだな。荊州を捨てるか?」
「それでは孫権君にご奉仕しすぎだよ。
劉備君だって黙っちゃいないだろう。
せめて襄陽は手元に残しておきたい。
徐晃君、すぐに向かってくれたまえ」
「拙者にそのような大役を……心得た!」
「荊州南部の四郡は諦めるしかないかな……。
あとは南郡に入れた曹仁君にできるだけ粘ってもらおう。
それより心配なのは東だ。孫権君だけじゃない。
僕の敗北を聞けば揚州の不穏分子が動き出すだろう」
「じ、丞相! ぜ、前方に軍が見えます!」
「何者だ!?」
「……劉表の旧臣、文聘だ。
戦いに来たのではない。降伏に来た」
「君が文聘君か。噂に聞いているよ。
よく来てくれた。僕に降伏してくれるんだね」
「劉表に誓った忠義を、
劉表亡きいまどこへ向ければよいか悩んだ。
いろいろ考えたが、あなたに勝つ方策はないようだ。
おとなしく降伏したい」
「それは光栄だ。でもいいのかい?
ご覧のとおり僕らは敗残兵で数も少ない。
今なら討ち取れるかもしれないよ」
「じ、丞相……」
「……あなたを討ち取って、その後はどうすればいい?
私はそんな器用な人間ではない。
劉表の跡を継いだ劉琮と同じように、私も降るだけだ」
「わかった。降伏を受け入れよう。
早速だけど任務についてくれるかい。
江夏の劉備君が襄陽や南郡をうかがわないように
牽制してくれたまえ」
「承知した」
「多くの兵や将を失ったが、
代わりに文聘君ら荊州の人士を多く獲得した。
土地は孫権君に、民は劉備君に譲ったが、人材は僕のものだよ。
……でも不思議な戦いだった。長坂といい赤壁といい、
常に何者かの意思が介在しているようだった。
ちょっと詩的な表現だけど、
邪悪な何者かに見つめられているような心地がしていたよ」
「……その邪悪な存在に心当たりがあります」
「ほう。それは何者ですかな」
「おそらく俺が劉備に紹介した、"伏龍"諸葛亮孔明……」
「伏龍! あの伏龍が劉備についておるのか!」
「……他人に仕えることなどない男だと思っていたが、
たしかに俺もあいつの気配を感じていました。
俺はとんでもない力を劉備に与えてしまったのかもしれない……」
「なるほど、伏龍か。
兵も領土も軍師もない、ないない尽くしだった劉備君が、
ようやく手に入れた新たな力だね。
今回は伏龍にしてやられたのだとしても、
とんとん拍子に統一できるほど、この中原は狭くないということさ。
いい勉強になったよ。
さあ、都に帰ってこれからのことを考えるとしよう」
~~~赤壁 孫権軍~~~
「諸葛亮は霧に紛れていつの間にか劉備のもとへ帰ったようスね」
「あの霧は自分が無事に帰るための煙幕でもあったというわけか。
つくづく用意周到な男だ」
「あの人を人とも思わぬ横暴な態度! 霧やら風やらを操る妖かしの術!
生かしておいては必ず大きな災いとなるぞ!」
「わかってますよ。だが逃がしてしまったものはしかたない。
曹操と戦うために我々も必死だったのです」
「まったく……どうなってもワシは知らんぞ!」
「まあまあ、何はともあれ大勝してよ、
あの曹操を追い返したんだ。大戦果じゃねェか。
黄蓋も周瑜も甘寧も闞沢もみんなよくやってくれたけどよ、
オレは殊勲者は魯粛だと思ってるぜ」
「光栄ウィッシュ」
「おめェが諸葛亮のヤローをつれてきて
みんなを挑発しなけりゃ、やる気にならなかったもんな。
おめェにはなんかお礼をしねえとな。
とりあえず下馬でも手伝ってやろうか?」
「ぶっちゃけこの程度の小さな勝利でお礼なんか不要ッス。
それより殿が皇帝になった暁には、
凱旋する俺や周瑜を立派な馬車で迎えて、
ガチで頭の一つも下げて欲しウィッシュ」
「はっはっはっ! そりゃあいい!
そん時は土下座でも逆立ちでもなんでもしてやらあ!」
「皇帝……土下座……な、なんという不敬な……
この大馬鹿者たちは……ッッ」
「あれ、張昭がまたのびちまったぜ。
久々の戦場で疲れがたまってたんかな。
誰か医者を呼んでくんな!」
~~~~~~~~~
かくして曹操の中原統一の野望は赤壁の地に潰えた。
諸葛亮は妖かしの霧の彼方に去り、周瑜の眼は南郡に向けられる。
一方、次なる戦いは早くも東方で始まろうとしていた。
次回 〇五〇 城塞都市・合肥
 




