〇四八 風と毒と嘘
~~~荊州 襄陽~~~
「止まれそこの船! 何者だ!」
「えーと。わ、私は……」
「怪しいヤツめ。ここは曹操丞相の陣営であるぞ!」
「そ、その、実は、そ、孫権の……」
「孫権の手の者か?
それにしては一人だし、武器も持っていないようだな」
「孫権の、いや、孫権を裏切りたいという、ある人がいまして……。
わ、私は、その人からの使者として、その……」
「孫権を裏切りたいというヤツからの使者だと?
お、おい蔡和! こいつはおおごとだぞ!」
「お、おう! すぐに蔡瑁様に知らせよう!」
~~~襄陽~~~
「孫権軍は軍を率いる周瑜と程普が相争っています。
指揮系統は乱れ、周瑜ら若手と、程普ら老臣との間は険悪で、
ろくに進軍もできない様相です」
「ふむ。世代間闘争とは向こうも苦労しているようだね。
蔡瑁君、水軍の様子はどうかな?」
「は、はい。お預かりした水軍の鍛錬は進んでいますが、
慣れない気候からか疫病が蔓延し、多くの兵が倒れています。
また水路を用いた補給も滞りがちで、
その、や、やはり進軍はすこし難しいかと……」
「奇遇なことに敵味方そろってともに動けない、というわけか」
「なにを悠長なことをぬかしているか!
すくなくとも荊州水軍は戦えるのだろう?」
「悠長にしていてすまないね王朗君」
「じ、丞相に言ったわけではありません!」
「張允君、君たちがのんびりしているから
僕が怒られてしまったじゃないか」
「し、正直スマンカッタ。
め、命令とあらば我ら荊州水軍だけでもすぐに――」
「やめたまえ。貴殿らが戦いを急ぎ、もし敗れたら、
いよいよ我々の進退がきわまってしまう」
「じ、実は……水軍の鍛錬の遅れの代わりというわけではないですが、
耳寄りな話を仕入れました。
孫権を裏切りたいという重臣からの使者が来ているのです」
「なんじゃと。そういうことは早く言わんか!」
「ま、まだ真偽の程が定かではないものですから」
「とにかく連れてきなさい。真贋は我々が見極める」
「それと孫権君のところにいた華歆君を呼びたまえ。
すこし面白くなってきたじゃないか」
~~~襄陽~~~
「――というわけで、こ、黄蓋将軍は
孫権や周瑜に反発し、謀叛を決意されました。
お、お許しをいただければ、重臣の首や兵糧を手土産に、
こ、降伏いたします」
「ふむ。興味深い話だね。華歆君はどう思うかな」
「黄蓋や程普ら旧臣と、周喩ら新参の間に
確執があるのは御存知の通りです。
そして闞沢は、このように口下手な男。
弁の立つ者ではなく彼を使者としなければいけなかったことからも、
黄蓋の苦労がしのばれますな」
「しかし、もしこれが周瑜の仕掛けた罠であれば、一大事です」
「だが罠だったとして、
我々の懐に入ってくるのは黄蓋の船が一艘きりだ。
それで何ができる? とりあえず話に乗ってみて損はないぞ」
「……我が水軍は軍船が河を埋め尽くすようにひしめき合っている。
そこに火薬を満載した船が突っ込めば、
ただの一艘でも十分に脅威となるだろう」
「おやおや皇族サマは屋根の下にばかりいるから、
気候のことを御存知ないようじゃ。
この時季の風向きは常に孫権軍にとっての逆風。
すなわち火を放てば焼け死ぬのは孫権軍のほうじゃ」
「降伏か、罠か、どちらに転んでも
小生らが大打撃を被ることはあるまい」
(……戯志才や郭嘉なら、
いや、都に残した荀彧君がいればなんと言っただろう)
「丞相?」
「……決まりだね。どうせ戦線は膠着しているんだ。
このままにらみ合っていてもらちが明かない。
黄蓋君の降伏が真贋どちらであれ、これで戦況は動く。
それなら乗らない手はないだろう」
「………………」
~~~柴桑 孫権軍~~~
「ですから、この戦はわたくしめや韓当様ら、
古参の者に任せてください。
周瑜様には後詰めをお願いいたします」
「あなたも頑固な人だ。
歩調を合わせて攻めなければ、曹操軍を破ることなどできはしない」
「だから俺たちが突破口を開いてやるから、
その後から斬り込んでこいって言ってんだよ。
協力しないわけじゃねえ。
死地に挑むのは俺たちだけで十分だと言ってんだ」
「とかなんとか言ってさー。
要するにオレらを信用してねえだけじゃないデスかー?
ジジイはすっ込んでろよ。もう若者の時代なんだよ」
「……そこまで言われてはわしも黙ってはいられん。
我々は亡き孫堅艦長の時代からの老臣だ!
その覚悟の程がわからんのか!」
「みなさん落ち着かれよ。
怒鳴り合っていても議論は収束しません」
「甘寧、お前が口を出すと話がややこしくなる。下がっていろ」
「……いつもながら、おいどんらは孫策どんの代から仕えたから、
どっちに肩入れすればいいかわからんでごわす。なあ周泰どん」
「ああ……」
(程普も周瑜もたがいを認め合ってるし、
たがいを死なせたくないと思ってるから始末が悪ウィッシュ。
まあぶっちゃけ実際に仲が悪いんだからあ、
黄蓋の寝返りに説得力が増して結果オーライなんスけども)
「こうして味方同士で罵り合っていてもしかたあるまい。
張紘殿の意見を聞こうではないか!」
「張紘なら視察に出ておる」
「そ、そうであったか……」
「……なんじゃなんじゃお前たちは!
張紘には意見を求めるのに、ワシの意見は必要ないのか!?」
「け、決してそういうわけでは――」
「だいたいお前たちはじゃな!
さっきから聞いておればくどくどくどくどくどくどくどくど――」
(これだから張昭に誰も聞かねェんだよ……)
「孫権殿! こっそりどこに行かれるつもりですか!?」
「便所だよ」
「…………ちゃんと手は洗うのですぞ!」
~~~柴桑 厠~~~
「で、手はずは整ったんか?」
「ええ。真実であれ罠であれ、
曹操は黄蓋殿の降伏を受け入れる気になりました」
「あとは風ッスね。ぶっちゃけどうするつもりスか諸葛亮さんは。
ガチで東南の風を吹かせられるんスか?」
「余に不可能はない」
「……あと十日もすれば、この時季でも東南の風が吹くことがある。
だが十日も待つ余裕はない。
一両日中には作戦を決行せねばならん。できるのか?」
「二度は言わぬ」
「お前ら御主人様を信用するです」
「……その前にどうしてご婦人が男便所に平然といるんスかね」
「お前らを信用してないからです」
「信用してないのに信用を求めるんスかあ?」
「ともかくやれるっつーんだから、任せるしかねェだろ。
やれなかったら、雁首そろえて討ち死にするだけだ。
なあ諸葛亮センセ?」
「貴様らを道連れにあの世へ行くのは御免だ。
望むときに望むだけの東南の風をくれてやろう……」
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かくして全ての条件は整った。
黄蓋の埋伏の毒、闞沢の嘘、そして諸葛亮の東南の風。
いよいよ孫権軍の逆襲が始まるのか?
次回 〇四九 赤壁の戦い




