〇四六 長坂の戦い
~~~長坂~~~
「自分としたことが不覚ッス。劉備先輩を見失ったッス……。
他のみんなも散り散りになって逃げてるみたいッスね」
「そこのお前! 名のある武将と見たぞ!
首を取って手柄にしてやる!」
「あ、孫乾先輩がいるッス。おーい孫乾センパーイ!」
「ぎゃああああああ!!」
「おお趙雲、無事でしたか。
劉備様がどちらに行かれたか見ていませんか?」
「面目ない。自分も探してるところッス……」
「孫乾! 趙雲!
劉備様の奥方が若君を抱いて
あっちへ逃げていったのを見た者がいるそうアル」
「若君が! わかったッス。助けに行くッス!」
「おっと、待ちな。俺は夏侯惇の弟・夏侯恩だ!
劉備の妻と息子だと? 見逃すわけにはいかんな!」
「そういえば張飛先輩が向こうで
奮戦してるって敵の兵士たちが噂してたッス」
「ぐはああああああッ!!」
「もしかすると劉備様の退路を守るために
戦っているのかもしれませんね」
「なるほど! 奥方と若君を助けたら、自分もそっちに向かうッス」
「お、おい趙雲。
アナタがいま片手間に倒した相手、すごい剣を持ってるアル」
「これは……そういえば聞いたことがあるッスよ。
夏侯惇の弟は曹操に気に入られてて、
名剣を与えられたとかなんとか。たしか青釭の剣と言ったッス」
「そいつはもうけたアルな!」
「ウスッ。この剣で血路を切り開くッスよ!」
「我々は敗残兵と合流しながら逃げます。
趙雲には若君たちを頼みましたよ」
~~~長坂 曹操軍~~~
「チッ……。
曹仁の兄貴と合流したのはいいが、大混乱してるじゃねえか」
「劉備は民を煙幕にして逃げているようだな。
彼にそんな頭があるとは思えない。
徐福もいないのに誰が知恵を付けたのだろうな」
「それも民を盾にするなんざ
義の人として売っている劉備にしては、らしくない策だ。
意外と厄介な野郎が味方してるのかもしれんぞ」
「賈詡! 劉備の妻と息子を発見したと一報があったぞ。
俺はそっちに向かうから軍を頼む!」
「はりきってるな張繍は。
……賈詡、俺もちょっと離れるから後を任せるぜ」
「どちらへ行かれるのですかな?」
「劉備に知恵をつけた野郎は、必ずこの戦場のどこかに潜んでいる。
そして裏で手を打って、この混乱を助長させてるんだ。
そうでもないと、五千ぽっちの劉備軍に
ここまでかき回されるわけがねえ」
「慧眼だな。小生もそう思う。
……だが危険な相手だぞ。くれぐれも気をつけられよ」
「あんたらしくもない心配はやめてくれ。
性根の悪い奴が優しくすると、そいつはすぐに死ぬのが相場だ。
早死にするぜ?」
「なるほど。肝に銘じておこう」
~~~長坂 趙雲~~~
「ほっほっほっほっほっ」
「あっはっはっはっはっ」
「…………なにをしてるんスか糜竺先輩」
「見ての通り、はりつけにした糜竺様に当たらないよう、
ギリギリのところに短剣を投げる遊びをしています」
「あっはっはっ。いいところに来てくれたね趙雲。
もう笑うしかなくて困っていたよ」
「……死にかけてる時くらいもっと焦ったほうがいいッスよ」
「おや? ワタクシの遊びの邪魔をなさるおつもりですか?
そんな悪い子にはおしおきが必要ですねえええ!」
「糜竺先輩の大物っぷりには驚かされるッス。
どうしたら先輩はあわてるんスか?」
「ぎえええええええっ!!」
「いえいえ、これでも冷や汗をかいていますよ。
さすがにあわてました」
「あれで冷や汗で済むなんてやっぱりすごいッス!
――おや、誰か向かってくるッス! 気をつけてください」
「あなたはたしか、劉備様の家臣の方ですね。
我々は敵ではありません」
「劉表様の家臣だった王威と伊籍だ。
劉表様の跡を継いだドラ息子があっさり
曹操に降伏したのが不満で、お前らについて来たんだが――。
いや、そんなことよりこれを見てくれ」
「若君!!」
「やはり劉備様の御子息でしたか。
先ほど、瀕死の御婦人に託されました。御婦人は残念ながら……」
「そうッスか……。若君だけでも無事でよかったッス……」
「見つけたぞ! 劉備のガキはそこか!」
「くそっ、ここは俺に任せて逃げろ!」
「邪魔だ!」
「ぐわあああっ!!」
「王威先輩! 傷は浅いでッス! しっかりするッスよ!」
「ぎゃああああ!! ば、馬鹿な……」
「き、気休めはよせ。これは深手だ。
お、俺のことはいい……。早く劉備殿のもとへ……」
「センパーーイ!!
……先輩の遺志は自分が継ぐッス。絶対に若君は守りぬくッスよ!」
「劉備様は東へ向かっているようです。
我々では若君を守れません。頼みましたよ趙雲」
「ウスッ!」
~~~長坂 曹操軍~~~
「あの男はいったい何者だ?
百万にもなろうという我が軍の中を、まるで無人の野を行くようだ」
「兵士たちの話によると、趙雲というらしい」
「あれが趙雲か。公孫瓚のもとにいた男だな。
武勇に優れているとは聞いたがこれほどとは……」
「お、おい。まさか戦う気か?
あいつに何人の名のある将が斬られてると思ってんだ」
「劉備軍を撃破しろという命令を受けている。
それに武人の端くれとして、
あれほどの猛者とは手合わせをしてみたい」
「そ、そうか。劉備軍は十分に撃破してやっただろうから、
命令には十分応えたろ。
俺はあいつと戦うのはごめん被るぜ」
「承知した。ならば軍は任せたぞ。
――趙雲! 俺と戦え!」
「劉備センパーイ! 困った。
どこもかしこも敵だらけで道に迷ったッスよ……」
「ぐわあああ! ふ、不覚……ッ!」
「こ、高覧を振り返りもせずに……!
な、なんなんだあいつは……」
「こうなったら誰か捕まえて、
道案内させるしかないッスかね……」
「待てい!」
「!?」
「戦場は命のやり取りをする場……。友を失うのもまたさだめ。
だがこの想い、人それを『復讐』という」
「何者ッスか!」
「お前たちに名乗る名はない! トルネードキック!」
「ちょうどいい所に来たッス。ちょっと道案内して欲しいッス」
「! こ、こいつ俺の攻撃をかわしたばかりか、
同時に反撃してきた……ッ」
「アンタ強いッスね。
自分の槍を受け止めたのは今夜初めてッスよ。
じゃあ剣ならどうッスか?」
「くっ! 俺が防戦一方だと!? だが見切ったぁッ!
お前の弱点はその無意識にかばっている腹だ!
さては古傷が――」
「あんまり大声出さないで欲しいッス。若君が怖がるッス」
「まさか赤子を胸に抱いたまま戦っていたとはな……」
「あれ? やめるッスか?
アンタとはもっと手合わせしたいッスのに」
「この張郃、赤子に向ける刃は持たぬ」
「……張郃先輩ッスね。その名前、覚えておくッス」
「次に会った時はその首いただく。さらばだ! トォッ!」
~~~長坂 曹操軍~~~
「劉備軍は夏侯惇将軍らによって撃破されました。
しかし肝心の劉備の行方はわかりません。
また敵将の趙雲によって、多くの将が討ち取られたようです」
「張繍君や高覧君がやられたそうだね。
とんだ隠し玉を持っていたものだ」
「東の長坂の吊り橋に張飛が陣取り、
我が軍の侵攻を食い止めているそうだ。
おそらくその先に劉備がいるのだろう」
「そうとわかればこっちのものだ! 吊り橋を目指すぞ!」
「あせらなくてももう夏侯惇君を向かわせているよ。
……だけど張飛君が孤軍奮闘しているという
情報が入ってからずいぶん経つ。なにか悪い予感がするね」
~~~長坂 吊り橋~~~
「アタイの目の黒いうちはここを通しゃしないわよ!!!」
「うおおっ!?
じ、地面が崩れ――うわああぁぁぁぁぁぁぁ……」
「ち、張飛の咆哮で崖が崩れたぞ!
夏侯傑が谷底に落ちちまった……」
「そんな馬鹿なことがあるものか。単に足場がもろかっただけだ」
「この吊り橋ではどうしても一対一になる。
張飛を一対一で破るのは不可能に近いな」
「矢を射かけて、万が一吊り橋を支える綱を
切ってしまったら、我らも渡れなくなる。
クックックッ……厄介なことだ」
「てめえらいつまでグズグズしてやがる!
これ以上張飛に構うな!」
「おお、夏侯惇将軍。丞相から迂回しろという命令が出ましたか?」
「違う! 張飛はおとりだ!
劉備はこの先になんていやしねえ。
別の針路を取ってやがった!」
「チッ。まんまと張飛にいっぱい食わされたな」
「…………マジで?」
「……張飛も知らなかったみたいですな」
「これも諸葛亮のしわざね! ああ、そうよ!
アンタは吊り橋があるって言っただけだもんね!
勝手に解釈して糞真面目に吊り橋を守ってたのはアタイよね!
全部アタイの先走りよ! でも殺す! 諸葛亮殺す!」
「な、なんかむちゃくちゃ怒り狂ってるぞ。
とにかくあいつは相手にしなくていいんだよな。
じゃあさっさと引き上げて――。んん? なんだお前は?」
「サーセン。ちょっと道開けてくださいッス」
「ぐわああああっ!」
「て、敵だ! 敵がまぎれ込んでいたぞ!」
「張飛先輩! 無事でよかったッス!」
「あぁん? いいところに来たわね趙雲。
諸葛亮を殺す手伝いをしなさいよ」
「そ、それはいくら先輩の頼みでもちょっと……。
そ、そうだ、若君を助けたッス。早く劉備先輩にお渡しするッスよ」
「そうね。劉備と合流しないことには諸葛亮を殺せないもんね。
さっさとこんなところからはおさらばするわよ!」
「逃がすな! 追えッ!」
「フン、しつこい男は嫌われるわよ」
「吊り橋を落とされたか……。
まあいい、劉備の居場所はつかんでいる。追うぞてめえら!」
~~~長坂 劉備~~~
「とうとうわしの居場所がバレてしもうたようじゃな。
敵がどんどん増えとるぞ」
「せっかく諸葛亮が時間を稼いでくれたのに、
劉ちゃんの馬が遅いから追いつかれるんじゃ」
「わはは。馬が遅いんじゃない、わしの騎乗が下手なんじゃ。
遅いなんて言ったら的盧さんがへそを曲げちまうぞ」
「劉備か。こうして敵味方に分かれて戦場で会うとは不思議な縁だな。
だが手加減はしない。宴の始まりだ!」
「劉備はそこか! 覚悟しやがれ!」
「わわわ、青州黄巾軍じゃ! 誰か迎撃してくれい!」
「迎撃しようにも将がおらんぞ。
たぶんこの中で一番強いのは劉ちゃんだ。
一番マシなのがって意味だけどな」
「わしには軍師だけじゃのうて将も足りないんじゃのう……」
「そんなことはない!
兄者を救うためなら我はどこへなりと駆けつける!
……と、父がいれば言ったことでしょう」
「か、関平さん!」
「お迎えに上がりました。この先に父が船団を用意して待っています。
後は我々にお任せください!」
「関羽将軍に比べたらちぃとばかし頼りないでしょうが、
我慢しておくんなせえ」
「美しい兄弟愛だよなあ! 行くぞみんな!」
「劉備殿には拙者がお供いたす。さあ、こちらへ」
「わはは。勘違いしとったぞ。
今のわしには将もたくさんいるんじゃなあ……」
「雑魚が増えようが関羽がいなければどうということはない!
どけ!」
「おっと、ここは通さねえぜ。
んん? 誰かと思えば黄巾賊の手長猿じゃねえか。
まだ生きてやがったのか」
「そういうお前はハゲか。手長猿はお前の主人のほうだろう」
「俺の名前を略すな! それにあいにくだったな。
俺の主人はヘタレの劉備じゃなくてかっちょいい関羽のほうだぜ!」
「たいした忠誠心だな。お前は長く生きすぎた。ここで死ね」
「長く生きすぎてんのはお互い様だろうが!」
「どうしたハゲ! 腕が落ちたな!」
「ちっきしょう……! 盗賊暮らしの長かった俺と、
仮にも曹操軍にいたヤツとじゃ鍛え方が違うか……。
ぐわああああっ!!」
「昔のよしみだ。苦しまずに死ね。次は劉備、お前の――」
「やっと追いついたッスよ! 劉備センパーーイ!」
「ぎゃああああああ!!」
「おお、龍さん!
盛り上がってた一騎討ちを片手間にブチ壊しながら
登場なんてさすがじゃな!」
「そんなことより若君を助けてきたッスよ。
でも残念ながら奥方は……」
「そうか。あいつは駄目じゃったか……。
だが龍さんが無事でよかったぞ。
わしのガキなんかのために危険な目にあわせて済まんかったのう」
「先輩…………」
「そんなことより諸葛亮はどこ!?
あのウチワ馬鹿を出しなさいよ!」
「ち、張さんもおったんか。亮さんなら別行動じゃ。
どっかから戦場をかき乱すとか言っとったが……」
「あっそう。じゃあ帰ってきたら殺すわ」
「追い詰めたぞ劉備!」
「しつっこいわね! アタイのケツをいつまで拝む気よ!
ほら劉備、さっさと関羽のとこまで走るわよ!」
~~~長坂 高台~~~
「ようやく船に乗ったか。他の者もだいたい収容できたようだな。
クックックッ。まったく世話の焼けることだ」
「高笑い中すみませんです御主人様、敵です」
「ここにいたか黒幕サンよ……。
一見てんでばらばらに逃げ回ってるように見える民衆の中に、
部下をまぎれ込ませて操ってたようだな。
あるいは俺たちの追撃を邪魔させ、
あるいは迷う劉備の部下どもを先導させってな。
そんなことをするためには戦場を俯瞰できる位置にいるはずだ。
たとえばこんな高台にな」
「ほう、よく見抜いたな曹純。褒めてやろう」
「……俺のことまでご存知ってわけか。
誰だか知らねえが、生かしておいたら大きな災いになる。
死んでもらうぜ」
「クックックッ。陳腐な言葉だ。
お返しに余も陳腐な言葉をくれてやる。死ね」
「はいです。殺すです」
「おっと、周りをよく見るんだな!
あんたらはすっかり包囲されてるぜ」
「……愚かな」
「なに?」
「つくづく愚かな。
曹純よ、貴様程度の小物まで知っている余が、
貴様程度の小物の考えを読めぬと思ったか?」
「なっ!? 包囲部隊が全滅しているだと……ッ」
「死ね」
「ぐあああああっ!!
こ、この男は……曹操、様の、障壁に……な……る」
「殺したです」
「フン。小物にしてはよくやったほうだな。
曹……なんと言ったかなこの者は。
もう忘れてしまった」
「曹純です。
用が済んだら即忘れるなんてあいかわらず薄情ですね、御主人様」
「死人に興味はない」
「生きてる人にも興味が無いくせに。
ところで曹純の包囲部隊を殲滅した私に
お褒めの言葉はないんですか?」
「こんな楽な仕事で報酬を求めるのか? 恥を知れ」
「そうです。馬謖は恥を知るです」
「黙れ小娘」
「黙るです長っ鼻」
「うるさい。死ね」
『嫌です』
~~~~~~~~~
かくして劉備は九死に一生を得た。
しかし曹操の勝利は動かず、中原統一はいまや目の前へと迫っていた。
残る強敵は、孫権ただ一人。
次回 〇四七 柴桑会議
 




