〇四五 伏龍の智謀
~~~荊州 新野 曹操軍~~~
「待たせたな曹仁。長雨のせいで合流が遅れちまったぜ」
「惇兄はあいかわらず雨男だな!」
「知らんのか? 貴人は雨とともにやって来ると言うのだぞ」
「はっはっはっ! 惇兄が貴人なら俺は大王様だな!」
「冗談はともかくとして、手痛い目に遭ったようだな。
だが劉備の参謀だった徐福も我々に降った。
あとは烏合の衆だ。さっさと片付けるぞ」
「おうよ! 出陣するぜお前ら!!」
~~~新野城~~~
「一時撤退していた曹仁軍に、第二陣の夏侯惇軍が合流しました。
あわせて7万の大軍が進撃してきています」
「さあ、獲物がやってきたわよ諸葛亮。
アンタのお手並み拝見といこうじゃないの!」
「貴様は何を言っている。まさか夏侯惇と戦うつもりなのか?」
「へ? 戦わんのか?」
「さては曹仁に勝っていい気になっているようだな。
はっきり言ってやろう。あれはまぐれだ。
貴様らが夏侯惇に、7万の大軍に勝てる道理はない」
「……天下の伏龍サマがずいぶんと勇敢なことじゃないの。
徐福は十倍の曹仁軍を破ったのよ。
こんなことなら徐福をむりやりにでも引き止めとくべきだったわ」
「ああ、八門金鎖の陣で曹仁を破ったのだったな。
徐福にあれを教えたのは余だ」
「そ、そうなのか?」
「その余が貴様らでは勝てぬと言っているのだ。納得したか?
わかったならさっさと逃げ支度をしろ」
「だがどこへ逃げるつもりだ? 落ち延びる心当たりなどないぞ」
「いちいち説明されねばわからんのか。
少しは己の頭を使ったらどうだ。
――劉表が死にかけているのだろう?
今ならその隙をつき、たやすく荊州を手に入れられるではないか」
「ち、ちょっと待て亮さん。
表さんから荊州を奪うなんて、そんな恩知らずな真似はできんぞ!」
「……そうなると貴様を皇帝にしてやる計画が5年は遅れるな」
「ぐふっ。……いやいや、やっぱり駄目じゃ!
5年遅れてもかまわん!
表さんから荊州を奪わずに、曹さんから逃げ切る策を立ててくれ」
「まあいい、綺麗事を吐くのは貴様の数少ない美徳の一つだからな。
さいわい第二案も目的地は同じだ。
まずは襄陽に向かう。さっさと準備しろ」
~~~新野 南部 劉備軍~~~
「劉備様! ご無事でしたか……」
「おお、表さんの長男だけど
弟との後継者争いで劣勢に立たされとる劉琦さんじゃないか」
「ご紹介ありがとうございます。
――実は、先ほど父が亡くなったようです」
「なんですって!?
……でも『ようです』って何よ。はっきりしなさいよね」
「私も一報を受けて襄陽に駆けつけたのですが、
弟の肩を持つ蔡瑁の兵に追い返されてしまったのです」
「劉表殿が亡くなったのをいいことに、
強引に弟君に跡を継がせようとしているんですね」
「お、教えてください!
私はこれからどうすればいいんでしょうか……」
「クックックッ。劉姓の人間は無能ばかりのようだな。
劉琦とやら。貴様は高望みしているだけだ。己が身をわきまえろ」
「た、高望みと言われますと?」
「貴様にはもとより荊州を治める器量はない。
ならば身の丈にあった役どころを求めたらどうだ。
たとえば孫権が黄祖を討ったのち、
空白地となっている江夏。
江夏の太守くらいならば、貴様程度でも務まるだろう?」
「な、なるほど!
まずは江夏に逃れ、情勢を見極めたいと思います。
ご助言ありがとうございました!」
「へえ、あいかわらず口は悪いけど助言してあげるなんて、
お優しいじゃないのさ」
「馬鹿め。これも一手の布石だ」
「フセキ? よくわからんが、それにしてもどうしようかな亮さん。
表さんが死んじまったなら、
いまさら襄陽に向かってもしかたないし……」
「馬鹿は馬鹿らしく黙っていろ。目的地は依然として変わらぬ。
襄陽で曹操の追っ手から逃げ切るための道具を集めるのだ」
~~~新野 南部 曹操軍~~~
「急報です。荊州の劉表が死にました、はい。
跡を継いだ劉琮は我々に恭順の意を示しています、はい」
「ほう、それは面倒が省けるな。
で、逃げ出した劉備はどうしている?」
「劉表を弔いたいと面会を求めましたが、
すげなく追い返されました、はい。
ですが、劉備を慕って多くの民が集まりました。その数およそ十万。
民と合流した劉備軍はさらに南下しているそうです、はい」
「十万の民が劉備に合流しただと!?
あの野郎、そんなに人望があったのか!」
「……というよりも、誰かが民を扇動したようだ。
曹操軍は荊州の民を皆殺しにするつもりだとな」
「根も葉もないことを言いやがって! だが厄介だな!
劉備を追うにしても、それだけ民を引き連れていたら邪魔になるぞ!」
「しかしそのぶん移動速度は落ちているだろう。
騎兵で急行して、うまく劉備軍だけを叩くんだ。急ぐぞ曹仁!」
~~~襄陽 南部 劉備軍~~~
「見てみい亮さん! わしを慕ってこんなに多くの民がついてきたぞ!
わしの人気も捨てたもんじゃないのう!」
「貴様の目は節穴か。愚民どもの顔を見てみろ。
貴様を慕ってついてきた連中ならば、
なぜ全員が死んだ魚のような目をしている?」
「た、たしかに……アタイも変だと思ってたんだけど」
「愚民どもは曹操に殺されるのが怖くて、荊州から逃げ出しただけだ。
そこに貴様が通りかかったから、
連戦連敗の最弱劉備軍でもいないよりはマシだと、
これ幸いと合流したに過ぎぬ」
「ワ、ワタシも噂を聞いたアル。
曹操軍は民を根絶やしにして、
荊州全土を焼き尽くすつもりアルと」
「妙じゃなあ。曹さんはおっかない人だけど、
民にそこまで残酷なことはせんぞ」
「フン。簡単なことだ。その噂は余が弟を使って流したのだ」
「ほう。なんでそんなことをしたか理由はわからんが、
諸葛均は大したものだな」
「否。あの愚弟は民を扇動することだけしかできぬのだ。
なぜなら余がそれだけはできるように教え込んだのだからな。
おかげで余の庵に近づこうという愚か者はいなくなった」
「そ、そう。アンタの弟に生まれなくてよかったわ」
「余が徐州にいた頃にも、曹操が大虐殺をしていると噂を流した。
今回はその前例があったからさらに容易なことだ」
「あっはっはっ。あれは諸葛亮殿のしわざだったのですか。
虐殺の事実などなかったのに不思議なことだと思っていましたよ」
「で、でも亮さん。
扇動してこんなに多くの民を集めてどうするつもりなんじゃ?
おかげで行軍速度が落ちて、いつ夏侯惇に追いつかれるか、
わしゃヒヤヒヤしとるぞ」
「後方の趙雲から急報です! 夏侯惇の騎兵隊が追いつきました!」
「言わんこっちゃないわよ諸葛亮! 今度はどうすんのよ!?」
「劉備、貴様は愚民どもを盾にして全速力で江夏まで逃げろ。
関羽を向かわせて船は調達してある。江夏の劉琦も迎えに来させる。
急げ。そのための愚民の群れだ」
「お、おう…………」
「あ、アンタってヤツはそれで民を集めたのね……。
でも劉備を逃がすにはそれしかないか……。
わかったわよ! アタイと趙雲が時間を稼ぐわ!
民でもなんでも盾にしてアンタらは逃げなさい!」
~~~襄陽 南部 曹操軍~~~
「惇兄! ただでさえ狭い道が民で埋め尽くされちまってるぞ!
これじゃあ騎兵は使えねえ!」
「やってくれたな劉備め……。
なにが義の人だ! 民を犠牲に逃げることがてめえの正義か!」
「後続の部隊も次々と到着している。
かくなる上は大軍でじわじわと包囲するぞ」
「ダンナ! 俺っちの部隊が民を交通整理して道を空ける。
ダンナ方は少数精鋭で劉備を追うんだ!」
「おう、任せたぞ!」
~~~襄陽 南部 劉備軍~~~
「なによ諸葛亮! アンタまだこんなとこにいたの。
死にたくなかったらさっさと逃げなさいよ」
「護衛ならいる。杞憂だ」
「御主人様は死なないです。私が守るです」
「ふーん。小娘をずいぶん頼りにしてるじゃないのさ」
「この者には人の殺し方だけを教え込んだ。
余に仇なす輩はことごとく肉塊に変える」
「肉塊に変えてやるです」
「……そ、そう。ともかくここは危険よ。
やり方は気に喰わないけど、
アンタが劉備を守るために策を立てたのはわかったわ。
劉備にはアンタの力が必要よ。
敵はアタイが食い止めたげるから下がりなさい」
「当然だ。貴様ごときに言われるまでもない。
だが、慈悲深い余は下がる前に助言を与えてやる。感謝しろ」
「なによ。殴られる前に言いなさい」
「ここから南に三里。吊り橋がある」
「………………それだけ!?
橋を落とせとか、大軍でも一人ずつしか進めないから有利に戦えるとか、
劉備を吊り橋の向こうに逃がすからお前が時間を稼げとか、
他にもなんか言うことあるでしょ?」
「クックックッ……。言うまでもなくわかっているではないか。
貴様は烏合の衆の劉備軍の中でも多少は見所があるな」
「…………褒め言葉だと受け取っとくわ。
こっからはアタイの仕事よ。さっさと逃げなさい。
劉備を、ついでにアンタも守ったげるわ!」
~~~~~~~~~
かくして曹操の追撃の手は劉備に届いた。
しかし張飛が孤軍奮闘し、諸葛亮は暗躍し、それを迎え撃たんとする。
そして勝敗の鍵は、趙雲子龍の手に委ねられようとしていた。
次回 〇四六 長坂の戦い
 




