〇四三 名無しの軍師
~~~荊州 新野~~~
「劉備軍は包囲の輪に入ったぞ。今だ!」
「呂曠! 呂翔! 側面から攻撃を仕掛けろ!」
『おう!!』
「いかん! 退け! 退くんじゃ!」
「だから罠だって言ったじゃないのよ!!」
「…………」
「ここは我らが抑えるゆえ、兄者は逃げられよ!
……と父は言いたそうにしています」
「言いなさいよ! 言えばいいじゃないの!」
「先輩! こっちッス! 自分の後をついてきてください!」
~~~新野城~~~
「いやーこてんぱんにやられてしもうたな!」
「本当にもう……毎度毎度そうだけど死ぬかと思ったわ。
どうにか城に逃げ込んだけど、
曹仁はじきに城に迫ってくるわよ。どうすんのよ」
「そこでじゃ張さん。どうしてわしらは弱いんじゃと思う?」
「なぞなぞやってる暇はないわよ!」
「いやいや、これが大切なことなんじゃ。
いいか、わしらが弱いのはな……。軍師がいないからじゃ!」
「あっそう。それで?」
「軍師を探すんじゃ! 軍師を迎えればこれで勝つる!」
「いま? これから? 軍師を? この新野で?
はあ…………。いっそのこと誰かこのバカ殺してくんないかしら」
「? なんか言ったか?
ほれほれ張さん、さっそく探しに行くぞ」
「……マジでこれから探す気なのね」
「灯台下暗しと言うじゃろ。
探してみればこの新野にいるかもしれんぞ」
「はいはい、がんばってね。
アタイはちょっといま籠城戦のこととかで忙しいから、
代わりに関羽でもつれてきなさいな」
「そうか。じゃあ行くぞ関さん!」
「…………」
~~~新野城~~~
「うんうん、やっぱり半壊してる南門が狙われるわよね。
そこはアタイが守るとして――」
「ただいまー、張さん。ねんがんの軍師をてにいれたぞ!」
「マジで!?」
「……ども、軍師です」
「あー。ええと、誰だか知らないけど悪かったわね。
このアンポンタンは後でアタイが殴っておくから、帰っていいわよ」
「いや……俺は単福って者だが、
任せてくれれば、曹仁を撃退して見せるよ」
「聞いたか張さん! 頼もしいじゃろ!
単さんは水鏡先生の紹介で、わしを訪ねてきてくれたそうじゃ」
「噂の水鏡先生の? それなら少しは使えそうね。
ふーん。ガタイはまあまあじゃない」
「……剣の心得も多少はある」
「どうせ人手が足りないんだから、
手伝ってくれるなら歓迎するわよ。
で、曹仁を撃退する策とやら、いちおう聞いてやろうじゃないの」
「籠城してもジリ貧に陥るだけだ。
……野戦を挑み、打ち破るしかない」
「や、野戦? 5千ぽっちの兵で、10万の曹仁軍に?」
「曹仁もそう思っているだろう。
……その虚をつき、逆手にとって見せる」
~~~新野 北部~~~
「は、八門金鎖の陣だと? 劉備軍が?」
「なんだそのパチモンなんたらと言うのは!」
「休・生・傷・杜・景・死・驚・開……八つの門を陣に築き、
敵を迎撃する複雑きわまりない陣形だ。
劉備や張飛がそんな陣立てを知っているとは思えん」
「だが現にパツキンなんたらの陣を敷いてるのだろう!?」
「ああ、どうせただの悪あがきだ。
兵法書からそのまま引き写しただけの付け焼刃に違いない。
呂曠、呂翔。
八門金鎖の陣は生門から入り、景門へ抜ければたやすく破れる。
5万の兵を率いて切り裂いてやれ!」
『おう!』
~~~新野 北部~~~
『そ、そんな……5万の兵がなぜ5千ぽっちの兵の中で
散り散りになってしまうのだ!?』
「敵将は迷子になって孤立したわよ! それッ!」
「隙ありッス!」
『ぐわああああッッ!!』
「……うまく行ったな」
「うまく行きすぎよ! 単福、アンタすごいじゃないの!」
「よーしよし!
この勢いで残る曹仁軍も蹴散らしてしまうんじゃ!」
「……その必要はない」
「へ?」
「もう済んでいる……」
~~~新野 北部~~~
「ご、5万の兵が壊滅だと!?
陳矯! 何がどうなってんだ!?」
「わ、私にもわからぬ……。ただ一つ言えることは、
あの八門金鎖の陣は悪あがきどころか、
練りに練られた必勝の策だったということだ」
「く、くそ! こうなったら俺が自ら突撃して蹴散らしてやる!」
「し、将軍! あれを!」
「…………」
「曹仁よ、逃げ出すなら今のうちだ!
三國無双の勇者・関羽ここにあり!」
「関羽が背後に現れただと!?」
「これは絶景かな。曹仁殿が泡を喰っていらっしゃる」
「単福殿の智謀はなんと見事なことであるか! 俺は感動したぞ!」
「廖化殿、泣くのは曹仁の首を獲ってからにいたそう」
「突っ込むぜ野郎ども!」
「将軍! ここは退くしかない!」
「劉備め……この屈辱、必ず晴らしてやるからな!!」
~~~新野 北部 曹操陣営~~~
「手酷くやられたようですね、はい。
予定を早めて助けに来てよかったです、はい」
「世話をかけたな李典! お前が来てくれなければ危なかったぞ!」
「つい昨日まではいつもの劉備軍であった。
張飛、関羽らの武勇に任せた突撃をくり返すばかりで、
容易に我らの策にかかった。
だがさっきの劉備軍はまるで別物だ!」
「誰かが知恵を貸したのでしょうね、はい。
丞相(曹操)は長雨で到着の遅れている
第二陣の夏侯惇将軍が合流するまで、
進撃は控えるように、とのことです、はい」
「くそ! 多くの兵を失っちまったからな!
無念だがそうするしかあるまい!
だが惇兄が加わったらこうはいかんぞ!
目にもの見せてやるからな!」
~~~許昌の都~~~
「ふむ。劉備君に軍師がついたと。
これまで彼に欠けていた要素をついに補ったのか。
それも曹仁君を破るなんてただ者ではない。
いったい誰を味方につけたのか興味深いね」
「名前だけはわかっています。単福という20代の若者だとか」
「単福? 何か引っかかるな……。
単という姓は仮名にもよく用いられる。
荊州で福という名の若者なら、徐福という者がおるな」
「徐福なら聞いたことがあるぞ。
友人の仇討ちに協力して投獄されたが、
助け出されて放浪しているヤツだ。
剣の使い手で頭も切れるという」
「脱獄者なら仮名を使っているのもうなずけるな」
「なかなかの傑物のようだね。
劉備君に預けておくのはもったいないな……」
「そうじゃ!
たしか徐福の母親は荊州ではなく都の近くに住んでおる。
母親を人質に取れば、きっと寝返るじゃろう」
「おいおい、人質だなんて乱暴なことはやめたまえ。
しかし、徐福君の御母堂が近くにいると聞いては黙っていられないね。
都にお迎えして、もてなして差し上げるんだ」
~~~新野城~~~
「なに、表さんが倒れたじゃと?」
「はい、襄陽の伊籍殿から連絡がありました。
曹操軍の侵攻や、兼ねてから頭を悩ませていた
後継者問題で心労が重なったようです。
持病もおありだったとか」
「そういえば長男と次男の取り巻きが激しく争ってたわよね。
殺しても死なないようなジジイだったけど、ああ見えて弱ってたのね」
「先日には重臣の黄祖さんも
孫権に討ち取られちまったからな。悪いことが続いとるわ。
お見舞いに行きたいところじゃが、
曹さんの軍がすぐそこにいるから離れられんのう」
「いや、それ以前に見舞いに行ったら
蔡瑁に殺されると思うッスよ……」
「…………ども」
「うん? どうした単さん、青い顔しとるけど大丈夫か?」
「お別れに来ました……」
「お別れ? 急になに言ってんのよアンタ。
なにこの手紙? 読めっての?
ふんふん。あちゃー……。こりゃお別れだわ……」
「なんじゃなんじゃ。わしにも手紙を見せい。
ふんふん。曹さんが単さんの母ちゃんをもてなしとるのか。
良かったな単さん! 母ちゃんは単さんに
わざわざ手紙を送ってくるほど喜んどるじゃないか。
――で、これの何がお別れなんじゃ?」
「………………」
「張飛は呆れて物が言えんようだな。
つまりな劉ちゃん、これは脅迫状だ。
単福の母上は預かっとるから、おとなしく寝返れってこった」
「あーあー、言われてみればそういう見方もあるのう」
「そういう見方しかないのよ!」
「……実は俺は脱獄者です。
単福というのも偽名で、本名は徐福と言います。
母には迷惑をかけてきました。
これ以上、苦労をかけたくありません……」
「おうおう、母ちゃんは大事にせんといかんもんな。
すぐに会ってくるんじゃ」
「短い間でしたがお世話になりました……」
「こっちこそ。アンタがいなかったら、
今頃アタイたちは曹仁の捕虜になってたわ」
「……俺なりに軍を指揮するための兵法をまとめて来ました。
よかったら参考にしてください。
でも、なるべく早く代わりの軍師を探すことをおすすめします……」
「じゃが単さんの、おっと徐さんの代わりになるほどの
軍師なんてそうは見つからんからな~」
「……俺くらいの才能なんて掃いて捨てるほどいますよ。
たとえば伏龍と呼ばれるあいつとか……」
「なに!? いま伏龍と言ったか?
その名は水鏡先生からも聞いとるぞ。すげえヤツなんじゃろ?」
「……たしかにすごいヤツですが、別の意味でもすごいヤツです。
でもあいつが人に仕えるなんてことありえるのかな……」
「よくわからんが、とにかく徐さんは
伏龍の居場所を知っとるのか? 教えとくれ!」
「……できれば俺から聞いたとは言わないでください。
あとでどんな仕返しをされることか……。
……あいつの名は諸葛亮、字は孔明。
もしあいつを軍師に迎えられれば、間違いなく天下が獲れますよ……」
~~~~~~~~~
かくして名無しの軍師は母のもとへ帰り、劉備はまたも軍師を失った。
はたして劉備は"伏龍"と呼ばれる男を迎えられるのか?
そして"伏龍"は窮地を脱する策を胸に秘めているのか?
次回 〇四四 三顧の礼
 




