〇四一 北へ
~~~并州~~~
「逆賊め!
この馬超の正義に熱く燃える槍を受け止められると思ったか!」
「ぐおわああああっ!!」
「若、お見事だ」
「フン、呂布の再来などと言うから
どれほどの物か楽しみにしていたが、ただの雑魚だったぞ。
これでは呂布も噂ほどではないな!」
(郭援が噂ほどではなかっただけだろうな)
「この勢いをかって袁煕、袁尚の首を挙げる! ついて参れ!」
「いいえ若、それは曹操の役目だ。
我らの働きは郭援を討つだけで十分。そうだろう杜畿殿?」
「んー。まあ、そりゃそうだな」
「なんと歯がゆいことだ!
中途半端にしか戦えず馬超の槍は哭いているぞ!」
「物足りないならあちらで敵の残党に味方が囲まれています。
それを救出しましょう」
「わかった! うおおおおっ! 馬超がいま行くぞ!」
(あれだけ出陣を渋っていたのに、
それにしてもこの男ノリノリですね。
――馬騰が退き、馬超の代になったいま、
彼が我々に従い続けるのか不安ですね……)
~~~青州~~~
「ま、待て! 見逃してくれれば褒美を与えるぞ。
悪い話じゃないだろう? なあ?」
「見苦しいなアンタ。死んどけよ」
「ぎゃあああああっ!!!」
「袁譚は討ち取った! 命が惜しい奴は降伏しな!」
「こ、こ、こ、降伏しよう!
私は今すぐ降伏するぞ! 降伏するとも!」
「アンタはもっと見苦しいな。
殺してえとこだけど、降伏する奴を斬るのも――」
「うぎぇぇぇぇぇっ!!」
「なんと見苦しい男だ! 地獄に落ちるがいい!!」
「………………」
「ん? どうかしたか曹純?」
「いや。手間が省けた」
~~~幽州~~~
「………………」
「兄ちゃんしっかりしろ!
郭援も袁譚のバカ兄貴も殺されて、曹操軍が迫ってるんだ!」
「わ、私の、必勝の策が、あっさりと……」
「兄ちゃん! 次の策は!?
…………なんもないの!? マジで!?」
「……どうやらここらが潮時だな。
俺は曹操に降るから、後はよろしく」
「な!? こ、この薄情者め!
お前なんかこっちから願い下げだバーカバーカ!
ええい、呂曠! 呂翔!
兄ちゃんをつれてオレたちも逃げるぞ!」
「………………」
「…………あ、あれ? 呂曠? 呂翔?
ま、まさかあいつらも寝返ったのか!?
くそう! どうすりゃいいんだ!?」
「閣下! 曹操軍はもはや目の前です。
一刻も早くお逃げください!」
「に、逃げたいのはやまやまだけど、
兄ちゃんがこんな状態でどうすりゃ――」」
「………………蹋頓」
「え?」
「蹋頓。キット、守ッテ、クレル」
「烏丸族の王の蹋頓を頼ればいいんだね?
わかった、蹋頓の所へ逃げよう。
まさか曹操も万里の長城を越えてまで追ってこないもんね……」
「ヒャッハー! 袁尚ちゃん、年貢の納め時でちゅよーwwwww」
「許攸か! 裏切り者がよくもおめおめと顔を出せたものだな!」
「裏切り者?なにそれおいしい?
そーら、ぼくがかんがえた超人たちよ!
袁尚たちを皆殺しにしちゃいなちゃ~~いwwwww」
「………………」
「………………あ、あれ?
み、みんなどこに行ったのかな? かな?」
「……どうやらその性格のおかげで、
曹操軍の中でも嫌われていたようだな。
年貢の納め時はお前のほうだ!」
「なん……だ……と? ち、ちょっと待って! タンマ!
ちょwwww 痛いwwww
死ぬこれwwwww てか死んだwwwww」
「七三バカの始末は済んだか?
ご苦労だったな。お礼に皆殺しにしてやろう!」
「袁尚閣下! ここは俺が引き受けます!」
「……お前の閣下とやらはとうの昔に逃げ去ったようだぞ」
「そうか。それはよかった。
ならば後は、父と同じように主君に殉じるだけだ。
沮授が一子・沮鵠が参る!」
「あの沮授の子か! いい覚悟だ! 来い!」
~~~幽州~~~
『袁煕、袁尚は万里の長城を越え、
烏丸族のもとへ落ち延びたようです』
「袁熙は烏丸王の蹋頓とは以前から交流を結んでいた。
追い詰められてなりふり構わず異民族を頼ったのだろう」
「長城の向こう側か。
それはまた随分と遠くまで逃げたものだね」
「ひっひっひっ。それだけ殿が怖いんじゃろう」
「もう中原へ戻ってくることはないだろう。
我々も引き上げようぞ」
「うん? 王朗君は一足先に帰りたいのかい?
それじゃあ誰かに送らせてあげるよ」
「え? と、殿は引き上げないのですか?」
「もちろん。ここまで来て袁煕君たちの顔も見ないで帰れるもんか。
それに烏丸族にも挨拶しておかないとね」
「し、秦の始皇帝でさえ烏丸に備え万里の長城を築き、
それより北へと行こうとはしなかった……。
そ、それなのに殿は……」
「簡単な話だ。我が殿は始皇帝よりも上だということだ。
万里の長城など越えるべき壁にすぎぬ」
「さすが、始皇帝より上らしい僕を殺そうとした
賈詡君は良いことを言うね」
「ぐ」
「おっ。聞いたか諸君? 賈詡君が絶句したよ。これは珍しい。
これだけでもはるばる北までやって来た甲斐があったね」
「烏丸族と戦うならば、情報が必要です。
黒山賊が交流を結んでいたはずですから、つれて参りましょう」
「――ああ、蹋頓なら知っている。敵に回したら手強い相手だ」
「勝算はあるのか?」
「奴らは険しい山岳地帯を、まるで平地のように騎馬で疾走できる。
まずは足止めすることが肝心だ。その役目は我々に任せてもらおう。
なに、交流があったといっても経済的な理由でだ。
遠慮をするつもりはない」
「あの蹋頓が相手とはヒゲが鳴るわ!」
「ガオォォォーーーーン!!」
「み、耳が……」
「ふむ、頼もしい限りだね。
それじゃあ先陣は張燕君たちにお願いするとしよう」
~~~烏丸~~~
「むうううん!!」
「ぐああああっ!」
「うおおりゃああああ!!」
「うおおおおおおぉぉぉん!」
「な、なんという男だ!
あ、あの二人をあっさり片付けてしまうとは……ッ!?」
「次はお前か!」
「黒山の同志を残し、俺までここで死ぬわけにはいかん!
退け! 退けーい!」
「逃がすかあッ!!」
「待てい!」
「!?」
「文化の光届かぬ北の果て、恐れを知らぬ男あり。
人それを野蛮と言う」
「何者だてめえ!」
「お前たちに名乗る名はない! サンライズボンバー!」
「一人で突っ走るな張郃!」
「俺様の鉄鎖を喰らえ仮面野郎!」
「ぐっ! なんという重い一撃だ……」
「敵はそいつだけではない、囲まれるぞ!」
「もう遅い。包囲は成ったぞ。者ども掛かれ!」
「張郃君たちを殺させはしないよ。合図を送りたまえ」
「突撃の合図だ! ヤローども蹋頓の背後を襲え!」
「ほほう。包囲されたのは俺様の方だったか。
ならばこれ以上の戦いは無用。退くぞ!」
「チッ! マジで丘をものともせずに騎馬で駆け上がりやがる。
とても追いつけねーぞ」
「話には聞いていたが、見ると聞くとでは大違いだね。
あれでは張遼君でも追いつけはしない。
しかたない、策を練り直して――」
「殿! あ、あれを!」
「…………」
「あ、あいつ蹋頓の真ん前に立ちふさがって何をする気だ?」
「やめるんだ郭嘉君!」
「なんだこのヒョロヒョロした男は? 死にたいのか!」
「…………」
「こ、こいつ丸腰のくせに全く動じていない。何か罠があるのか?
ええい、矢を放て!」
「…………」
(! 矢を何発か浴びても一歩も動かんだと?
こ、こいつは人か魔か……。
このまま正面から突っ込んでもいいものか……)
「止まったな」
「ぐわあっ!? こ、この一瞬の迷いが……命取りか……」
「郭嘉のダンナ!
た、たしかに一瞬でも動きを止めてくれりゃ、
討ち取ってみせるって言ったけどよ。
こんな無茶するとは思ってなかったぜ!」
「御苦労……」
「お、おいしっかりしろダンナ!」
「郭嘉君……。早く手当てをするんだ!」
「む。曹操殿、周囲を見られよ。これは……」
「いつの間にか包囲されていますね、はい」
「馬鹿な! 蹋頓の部下は逃げ散ったのにどこからこんな大軍が……」
「これは烏丸の軍だけじゃねえ! 北方の異民族の連合軍だ!
こんな混成軍を率いられるヤツといえば、一人しかいねえ……」
「ご名答。張燕。久しぶり」
「やはりお前か!
曹操、この男は閻柔といい、
各地の異民族と深いつながりを持つ男だ」
「君が閻柔君か。名前は常々うかがっているよ。
こんな物騒な大軍をつれていったい何の用かな」
「蹋頓。遺言。預かった。代わり。伝える」
「蹋頓の遺言だと? なんだそれは。さっさとしゃべれ!」
「蹋頓。自分の死。予測。だから。
自分の首。手土産。曹操。帰れ」
「ふむ。烏丸の王である自分の首を差し出すから、
それで満足して引き上げろと言うんだね。
しかし僕たちは袁煕君たちを追って、はるばる訪ねてきたんだ。
蹋頓君の首をもらっただけでは帰れないよ」
「袁煕。袁尚。いない。追い返した。
公孫康。逃げた」
「袁煕たちは公孫康のもとへと逃げたのじゃな?」
「そうか。それならこれ以上の戦いは無意味だね」
「帰れ。早く。さもなくば。包囲。殲滅」
「お前、俺たちを脅すつもりか!?」
「逆。包囲。される。我々。
殲滅。される。我々。曹操。伏兵。用意」
「そう、よく気づいたね。
すでに君たちは僕の伏兵に包囲されている。
帰れ、さもなくば我々を殺しそれを手土産に帰れ、というわけか。
気に入ったよ閻柔君。
君のその覚悟に免じて、ここは兵を引くとしよう」
「感謝」
「ただし、君たちが今後もし、
僕やその眷属に弓引くことがあれば――。
僕は何度でもここに舞い戻ってくる。
それだけは覚えておいてくれたまえ」
「承知。曹操。恐ろしい。知っている。我々。逆らわない」
「なに、敵対さえしなければ、よき隣人でありたいと思っているよ。
それじゃあ閻柔君、他の諸君にもよろしく頼む」
「さらば」
「――引き上げましたな。
まったく、一時はどうなることかと思いました」
「そ、それにしても、いつの間に伏兵を用意していたのですか。
さすがは殿だ!」
「伏兵だって?
そんなものが用意してあれば、郭嘉君を負傷させたものか!」
「へ?」
「閻柔君は僕を買いかぶってくれたのさ。
いもしない伏兵を恐れて兵を引いたのか、
それとも、僕たちを殺して報復を受けることを恐れ、
伏兵が怖いという逃げる口実を作ったのか、
そこまではわからないけどね」
「郭嘉は都に帰す手はずを整えた。我々は袁煕を追おう」
「いや、それには及ばない。公孫康君は目端の利く人だからね。
きっと、僕たちの代わりに手を下してくれることだろう」
「どういうことだそりゃ?」
「僕たちも郭嘉君といっしょに都に帰ろう、という話さ。
諸君、長旅ご苦労さん」
「?? お、おう……」
~~~遼東~~~
「お、おいお前! 公孫康!
俺たちをこんな目にあわせてどうなるかわかってるのか?」
「どうなるのですか?」
「お、俺は名族の後継者だぞ! パパの、袁紹の息子なんだぞ!」
「ははは。それはすごい。
ではではそういうわけで、そろそろ覚悟はよろしいでしょうか?」
「や、やめろ! 殺してやる! 殺してやるぞ!」
「どうぞどうぞ。両手両足縛られたその状態から
殺せるのでしたら、どうぞご自由に」
「くそ! 殺せ! 誰かこいつを殺せ!
兄ちゃん! 助けて兄ちゃん!」
「アハハハハハハハハ。アハハハハハハハハ」
「ははは。兄上は一足先に旅立たれたようですな」
(息子め、あの鬼畜っぷりはいったい誰に似たのやら……)
「わーんわーん。怖いよ! やだよ!
この部屋寒いよ! 毛布が欲しいよ!」
「よしよし。首と胴が離れたらもう寒くありませんからね」
(それにしても晩飯はまだだろうか……)
~~~許都~~~
「…………」
「…………」
「…………」
「諸君はみな、僕と同年輩か、それとも年上だ。
そんななかで郭嘉は、飛び抜けて若かった」
「…………」
「品行方正な男ではなかった。人の模範になる男でもなかった。
でも、とても頼りになる男だった。
中華統一がなった暁には、僕は郭嘉に後を任せるつもりだったんだ」
「…………」
「郭嘉は不治の病に侵され、
烏丸の討伐が最期の戦いになるとわかっていた。
だから一命を賭して、蹋頓を討ってくれたんだ。
無理をしなければ、戦いには出られなくても
もう少し長生きできたものを、僕のために命を投げ出してくれたのさ。
そんな彼のことを忘れられるものか!」
「…………」
「惜しいよ。痛ましいよ。悲しいよ、郭嘉……。
また忘れられない人が増えてしまった。
でも僕らは前に進まなくてはいけない。
去っていったみんなも、それを望んでいるだろうからね」
「おう、その通りだ!」
「では報告を聞こう。
公孫康君は読み通り、
袁煕君たちの首を送ってきてくれたね」
「はい。恭順の証として、大量の貢物とともに
袁煕、袁尚兄弟の首が届けられました」
「公孫康君の目の黒いうちは、僕らに逆らおうとは考えないだろう。
じゃあ次に、孫策君が急死して跡を継いだ孫権君はどうしているかな」
「江夏の黄祖を攻めているぞ。
父と兄の仇だからはりきっておるぞ」
「それは好機じゃ。手薄になった孫権の本拠地を襲ってしまおう」
「たったいま郭嘉の葬儀が終わったばかりなのに、
他人の不幸に乗じるなんてさすが程昱君だね」
「それはあまり賢い選択ではないぞ。
孫権にはむしろ恩を売るべきだぞ」
「フン、孫権の間諜の言葉に耳を貸す必要はないぞ。
程昱殿の言うとおり、この隙を見逃す手はない!」
「あはは。そう結論を急がれるな。
我々は――といっても私は従軍してませんが。
あはは――大規模な遠征を終えたばかりです。
今すぐに長江を攻め下る余裕はありませんよ」
「ああ。兵糧も十分じゃない。
袁紹との戦いで、烏巣を焼き払わなければ
飢え死にしていたのを忘れたか」
「それに大河を渡るなら軍船も必要です、はい。
もちろん水軍もですね、はい」
「大きな溜め池を作り、そこで軍船の建造と水軍の鍛錬をしている。
もうすこし時間が欲しいところだな」
「それ以前に、孫権の背後を襲うには
揚州を渡らなくてはいかぬ。
袁術の残党が跋扈していたはずだが、
今はどうなっているのかな」
「揚州の平定に向かわせた劉馥殿は、
空き城に目をつけ、そこを拠点にしようとしています。
次第に人が集まり始め、袁術の残党たちも
警戒して何度か攻め寄せたのですが、
そのたびに撃退されて、今では劉馥殿に従う素振りを見せているとか」
「あ、あれっぽっちの兵で残党を撃退しているのか」
「それなら下手に手出しはせず、
劉馥君に任せきりにしたほうが良さそうだね」
「ならばどこを攻めればいい? 漢中か?
それとも北に戻って公孫康を討つか?」
「あはは。わざわざ遠出してまで
敵を作りに行くことはないでしょう。そんなに焦らないでください」
「荀彧、さっきからお前は遠征に反対してばかりだな!
なにか他に考えがあるのか!」
「それはもちろんです。
私はみなさんと違って都に残っていましたから、
策を練る時間はたくさんありましたからね。
我が軍のとるべき最良の道をお教えしてあげますよ」
「それは大きく出たね。軍師様の案をうかがおうじゃないか」
「はい! 我が軍は――荊州を攻めましょう!」
「荊州!」
「荊州はいいですよ。船があります。操舵に長けた水軍もいます。
これをそっくりいただいてしまえば、
わざわざ我々が新しく水軍をこしらえる必要はありません。
戦に慣れていない彼らは、
大軍で攻め寄せれば、すぐに降伏するでしょう。
荊州の人馬と兵糧をそっくりいただいてしまい、
それを使って孫権を攻めるのです」
「なるほど。自前の水軍を持つ荊州をおさえれば、
孫権君とも互角以上に戦えるだろうね。
遠征続きで疲れている兵士たちも温存できるし、いいことずくめだ。
それになんといっても、荊州は人材の宝庫だ。
いずれは荊州を手にしたいと僕もかねがね思っていたよ」
「それでは殿!」
「うん、僕たちは荊州を攻める。
そのための準備を整えてくれたまえ」
~~~~~~~~~
かくして名族の血脈は北の大地で果てた。
北方の統一を成し遂げた曹操の次なる目標は荊州。
荊州の命運は? そして日の出の勢いの曹操を止める者は現れるのか?
次回 〇四二 髀肉の嘆




