一一九 皇帝弑逆
~~~蜀 成都の都~~~
「姜維は降格させたのに、敗北の原因を作った胡済はお咎め無しでいいの?」
「ええ。構いませんよ」
「おっ、出たな面白い配合」
「元はと言えば閻宇将軍が胡済将軍への伝達を間違えたのです。
閻宇将軍が減俸を名乗り出ている以上、胡済将軍に累を及ぼす必要はありません」
(閻宇は黄皓のお気に入りだ。わずかな減俸で処分をうやむやにし、
胡済に恩を売って仲間に引き込むつもりだろう)
「それにファッキン姜維の降格はヤツが自分から言い出したことだからな。
ファーーック!! 無能の姜維め! 降格ごときで許されると思うのか!?」
「まあまあ、姜維もがんばってるんだし大目に見てあげなよ。
それより呉では独裁者のチンコが斬られたって? 残酷なことするなあ」
「チンコではありません。独裁者だった故綝です。
成敗した皇帝の孫休は、孫綝を一族とは認めず、姓を「故」に改めさせたのです」
「どうせ成敗された時にチンコも切り刻まれたに決まっておるわ!」
「それで姜維はどうしてるの?
都に戻ってきてないようだけど」
「漢中に駐屯し魏の反転攻勢に備えています。
魏は司令官を陳泰から鍾会に交代し、これまでの専守防衛から、
蜀への侵攻へと方針を転換しつつあります」
「魏の侵攻かあ……。まあ姜維がいれば安心でしょ。
念のため張翼や廖化を漢中に送っておいて」
「さらに王含や馬邈に後方を固めさせれば万全でしょう」
「ふ~ん。誰だっけそいつら?
まあ任せるから好きにしといてよ」
(どさくさに紛れて自分の一派を昇進させたか。悪知恵ばかり回る連中だ)
(諸葛瞻という男、諸葛亮丞相の落胤を主張するからには大した人物かと思ったが、
なんということはない。ただの俗物であったわ)
(ああ。丞相の名をかさに着ただけの無能だ)
(私腹を肥やすだけで、黄皓のように横暴に振る舞っていないだけマシだがな)
「何をブツクサ言っているのだ! 陛下!!
ファッキンあやつらは謀叛を企んでいるようじゃ!
処刑してしまえ!」
「樊建や郤正がそんなこと企むわけないじゃん。
お前ら、黄皓の機嫌が悪いみたいだから今日は帰っていいよ」
「はっ! 失礼いたします」
~~~蜀 成都の都~~~
「陛下が以前と変わらず、誰にも惑わされていないのが救いだが、
このままでは先が思いやられるな……」
「董允殿や尹黙殿らお目付け役が没し、
費禕殿が悪霊に取り憑かれた降将に暗殺されて以来、
代わりの丞相も見つけられていない。
人材不足が深刻なのは軍事だけではない」
「人材不足だけならまだいい。
政治は陛下が面白半分に登用した黄皓と諸葛瞻が、
軍事は奴らのお気に入りの閻宇が壟断し、屋台骨を傾けている」
「元より陛下は自ら何かをなさる方ではない。
臣下さえ優秀ならば、問題なく国を治められるだろうが……」
「まず差し迫った問題は魏軍だ。
呉からの援軍は期待できないのか?」
「呉は独裁続きで傾けた国力を立て直しているさなかだ。
荊州方面を治める陸抗は、魏の羊祜と不可侵条約を結び、
兵を動かさないことで均衡を保っている。
援軍どころか外征に乗り出す力も無いだろう」
「全ては姜維の双肩に掛かっているということか……」
「わーっ! すいません、前が見えずにぶつかってしまいました!」
「いや、我々も話に夢中で不注意だった。
……それにしてもすごい書物の山を運んでいるな。
そんなのを抱えていては前が見えないのも無理はない。少し手伝おう」
「ありがとうございます!
実は最近、ぼくちんにも弟子ができまして、すごい才能の持ち主なんですよ!
読んだものを片っ端から吸収しまして、
真綿が水を吸うように、とはこのことかと驚いています」
「ほう、譙周殿にそこまで言わせるとは。
その書物の山も弟子のために用意したのですな。
名前はなんというのですか?」
「陳寿です。
このままいけば、それこそ歴史に名を残すほどの逸材に育つんじゃないかなあ……」
~~~魏 洛陽の都 宮廷~~~
「無謀です! あまりに無謀です!
はっきり申し上げて万に一つの勝機もありません!」
「決意は堅いでしょうが、どうか考え直してください」
「君達の言い分はわかるし感謝もしている。
だが僕は曹一族の長として、立たねばならないんだ!」
「世の中なにが起こるかわかりません。
今ここで全ての可能性を断つことに、賛成なんてできませんよ」
「僕が一族の最後の一人だとは限らない。
僕が斃れれば全てが終わるわけじゃない」
「……少なくとも、次の皇帝の候補でしょう曹奐様に、
陛下ほどの器量はありません。
あなたが死ねば曹一族は、魏は終わりです」
「だからと言って傀儡のまま指をくわえて見ていろと?
司馬昭の心は道行く誰もが知っている。
時機が満ちればいずれ僕を廃位し、魏を乗っ取るだろう」
「だからと言って逆に御自分から仕掛けるってのは、完全に自殺行為ですよ。
……正直この話も司馬昭には筒抜けでしょう。
それがわかってるから、陛下はまず俺らの自由を奪ってから決起を打ち明けた」
「しびれ薬に引っ掛かるとは不覚だ!
陛下がそこまで思い詰めていることに気づかなかったとは……」
「僕が決起したと知れば、君達は必ず手を貸してくれると思っていた。
だから先手を打って君達の動きを封じさせてもらった。
……君達を巻き込みたくなかった。だが僕の決意は聞いて欲しかったんだ」
「陛下……アンタは大馬鹿野郎だ!」
「司馬昭の首が獲れるなんて思ってないよ。
ただ僕は魏の皇帝として、独裁者に一矢報いたいだけだ。
……それじゃあ行ってくる」
「陛下ーーーッ!!」
~~~魏 洛陽の都~~~
「藪から棒に司馬昭様を出せだなどと、
いくら陛下の御言葉でも聞き入れかねます」
「斬られたくなければそこをどけ!
……いや、君はとっくに兵の後ろに隠れているか。
君ごときに用はない。司馬昭を呼べ。
曹髦が決闘を申し込むと言っているのだ!」
「やれやれ……。そうして応じない司馬昭様に恥をかかせようという魂胆か?
まるで児戯にも等しい浅はかな考えだ。覚えておきなさい。
一国の王たる者は、あなたのように自ら刃を振りかざしたりはしないものだ」
「君は項羽や光武帝を知らぬのか?
偉大なる曹操や、呉の孫権も自ら武器を取ったと聞く」
「これだから頭でっかちは困る。冥土の土産にこれも覚えておきなさい。
歴史は勝者が作るのだ。あなたの愚行はこう記されるだろう。
曹髦は錯乱し、皇后暗殺を企んだため誅殺された、と」
「なるほど。だがここに詰めかけた兵達はどうする?
全員を口封じするのか?
君や司馬昭直属の精鋭ばかりだ。殺すには骨が折れるしもったいないぞ」
「あ、あっしらを殺すつもりなんですかい?」
「こ、殺しはせぬ!
ええい、早くこの減らず口を黙らせろ!
成済、お前でいい。さっさとやれ!」
「ええっ!? へ、陛下をあっしが殺すんですか……?」
「こんな時のためにお前を飼ってやっていたのだろうが!
罪には問わぬからやれ! それとも渤海の東の果てにでも流されたいか?」
「や、やりますよ! やりますったら!
へ、へ、陛下! あっしを恨まないでくださいよ!!」
「成済と言ったな」
「へ、へい!!」
「覚えておこう。だから君達も僕の最期の姿を覚えておいてくれ……。
さあ、掛かってくるがいい!」
~~~魏 洛陽の都~~~
「陛下……どうか、どうか早まらずに……」
「おやおや、どうしたんだい陳泰君。
フラフラじゃないか。さては二日酔いだな」
「し、司馬昭! へ、陛下は無事であろうな!」
「これはこれは、叔父上まで深酒ですか?
少しはお年を考えてください」
「陛下は無事かと聞いている!」
「ヘイカ……?
ああ、あの皇后様を暗殺しようと企んだ不届き者ですか。
とっくに始末しましたよ」
「なっ………………!?」
「いやはや驚きました。
錯乱でもしたのか抜刀したまま宮廷に入ろうとしましたから、
衛兵と揉み合いになり相討ちになりましたよ。
成済とかいう優秀な衛兵でしたが、もったいないことをしたものです」
「くっ…………。
お前のことだ。現場には出ずに指示だけ下したのだろう。
陛下を殺させたのは賈充か? 今すぐここに連れてこい!
八つ裂きにしてやる!!」
「賈充なら闖入者に怯えて部屋に閉じこもってるよ。
何をそんなに怒っている? 不届き者を成敗しただけだ
皇后様が無事だったことを喜びたまえ」
「……報いは必ずあるぞ。覚えておけよ」
「はて、何の話だ?
そんなことより一刻も早く次の皇帝を決めなければならない。
錯乱しないような落ち着いた人物を選ばないとね。
叔父上にも手伝ってもらいますよ。
お言葉ですが、もう少し司馬一族としての自覚を持っていただきたい」
「……私はいつまでも魏の臣下だ」
「なるほど。貴重なご意見です。
ああ、それにしても厄介なことだ。
また頭痛の種が増えてしまったよ」
「………………」
~~~魏 蜀討伐軍~~~
「ほう、都でそんな事件が起こったのか。
興味深いがこちらには影響ない。粛々と準備を進めよう」
「はッ!」
「……鍾会に照会。
魏平と戴陵どこに存在?
益州攻めるに二人は不可欠」
「魏平と戴陵? そんな三下は遠征に必要ない。
遠征軍には組み込まず、留守居役にしておいた」
「二人の経験、豊富な体験。
蜀軍倒せる将軍二人。留守番させては足元お留守」
「なかよし倶楽部の二人が恋しいのか?
益州攻略の司令官は私だ。私の裁量で遠征軍を選んだ。
これ以上不平を唱えるなら、いくら同格のお前でも容赦しない」
「………………」
「そのくらいにしておけ。
味方同士で争っていても銭にはならないぞ」
「これつ は ようすをみている」
「鄧艾の副将には師纂を付ける。
外見はこんなだが頭の切れる男だ。魏平や戴陵などより使えるだろう。
師纂の意見をよく参考にするのだな」
「よろしく頼む」
「わかった鍾会。これからショータイム。
益州攻め入り上げるぜ勝鬨、敵襲退け暴れる時々。
来週討ち入り敵さんドキドキ、毎週ため息さんざ――」
「さあ、さっさと準備を進めろ!」
「………………」
~~~蜀 漢中~~~
「姜維! ついに魏軍が動いたぞ!
間違いなくこの戦いで益州を制圧するつもりだ!」
「とうとう来ましたね。
これが乾坤一擲の戦いとなるでしょう。作戦はありますか?」
「……剣閣で籠城する」
「剣閣!? 馬鹿な、漢中をみすみす魏にくれてやるのか!?」
「剣閣まで退けば後方の城に詰めている馬邈や王含、
永安を守る閻宇とも連携が取れる。
成都から援軍が出れば、彼らとの合流もたやすい」
「確かに魏軍は今までにない大軍です。漢中で支えきれるかは微妙な線ですが、
だからと言って少し消極的には過ぎませんか?」
「漢中に釘付けにされ、その間に後方に兵を回されれば成都が危険だ。
野戦を挑みもし敗れても、一気に成都まで抜かれる。
剣閣を中心に防衛線を築くのが次善の策だ」
「ホホホ。剣閣の背後は獣も通れぬ蜀の桟道。
いかな魏の精鋭といえども迂回はできませんね」
「……理にはかなっているな」
「蜀で最も優れた将は姜維さんです。
どの道、我々は従う他ありませんよ」
「私を信じてくれることに感謝する。
さあ、剣閣でただ魏軍にさよならを言う練習をしよう」
~~~~~~~~~
かくして曹髦は魏と一族に殉じた。
そして鍾会の尽きぬ野望は蜀に迫り、
姜維は最後の戦場に向かう。
次回 一二〇 蜀漢最後の戦い




