〇一一 玉璽のゆくえ
~~~譙~~~
「ここが曹操殿の故郷であるか。ようやくたどり着いたな」
「ここまで来られたのは君と王匡君のおかげだよ」
「私はともかく、王匡の犠牲のおかげであろう。
まさか呂布に出くわすとは思わなかった。
王匡が足止めを買って出てくれなければ、全滅していただろうな」
「曹操! 無事だったか。
董卓軍にやられたと聞いたが、どうやら首はつながっているようだな」
「曹洪も無事か! 俺に代わりよく殿を守ってくれた!」
「手酷くやられたようだな。だがもう心配はいらん。
兵は集めたし、俺たちが殿に指一本触れさせはせん。
さあ、すぐに董卓の首級を挙げに行こう!」
「君たちは相変わらずだね。安心したよ。
でも焦ることはない。準備を整えてから再起を図ろう。
この敗戦で僕らに決定的に足りない物がわかった。
まずはそれを集めるのさ」
「ああ、俺にも身にしみてわかったぞ!
金だ! 金が足りないんだ!
金さえあれば兵も集まる。外交も有利に進むし、
官位だってもらえる」
「違う、米だ。あんたたちに足りないのは米だよ」
「……失礼だが、君は誰だい?」
「王匡の下にいた韓浩だ。
王匡が呂布に捕らえられる前、
曹操殿の力になるようにと命じられた」
「やはり王匡は捕らえられたのか……」
「そんなことより米だ。米さえあれば金も兵も民も集まる。
屯田策を行い、他国よりも大量の米を確保すれば、
常に優勢に戦えるだろう」
「……金も米も兵も大事だ。
だがもっと大事な物がある。それは人だよ。
君たちが頼りにならないと言ってるんじゃない。
君たちのように頼りになる人材をもっともっと集めるんだ」
~~~揚州~~~
「……袁術、なんのつもりだ?」
「見ればわかるザンしょ? 袁遺には死んでもらうザンス。
揚州刺史の座はユーにはもったいないザンス」
「わかった。お前に刺史の座を譲ろう」
「おんや~? ずいぶんあっさり降参するザンスね?」
「戦ではお前や袁紹には勝てないからな。
だが袁術、強すぎる欲望は身を滅ぼすぞ。
人間は寝床と本さえあれば幸せに生きられるのだ。
お前たちは分不相応なものを求めている」
「ミーに説教とはいい度胸ザンス! 死ぬがいいザンス!」
「私はただの学者上がりだぞ。
放っておいたところで、お前に害は及ぼさん」
「ユーは腐っても袁家の人間ザンス。
ユーにその気がなくても、ユーを担ぎ上げようとするヤツが
出てきたら厄介ザンス」
「……これも袁家に生まれた宿命か。
わかった、殺すがいい。
だが一つだけ願いを聞いてくれ。
読みさしの本を、私の棺の中に入れてくれないか?」
「ごちゃごちゃうるさいザンス! 早く殺すザンス!!」
(名門・袁家も、この男たちによって絶やされるのか……)
~~~東郡~~~
「り、劉岱殿……。こ、これはいったいなんの真似ですかな?」
「知れたことを! お前を殺して東郡を乗っ取ってやる!」
「そ、そんな……。
我々は董卓追討軍として一緒に戦った同志ではありませんか!」
「同志? はっはっはっ。これだから名士は頭が悪い!
今は乱世であるぞ。弱肉強食は世の習いだ。
袁遺も袁術に殺されたばかりではないか!」
「そ、それならばおとなしく東郡を明け渡しますから、
どうかお見逃しを――」
「それはならん!
お前ら名士は実力はないくせに名声だけはあるからな。
お前を生かしておいたら、力を蓄えて復讐してくるかもしれん」
「け、決してそのようなことは――うわあああああああ!!」
「はっはっはっ! これで東郡は俺様の物だーーッ!」
~~~洛陽の都 宮殿跡地~~~
「宮殿も元通りとはいかねェが、ちったぁマシになったな。
こんなら陛下が戻ってきても、雨風くらいはしのげんだろ」
「はい。旦那様の心づくしに陛下も喜ばれることでしょう。
……ところで、お言葉ではございますが、
旦那様は今後はいかがなされるおつもりですか?」
「とりあえずは長沙に戻ろうと思う。
区星の野郎を適当に片付けちまったからな。
あの後どうなったか心配だしよ」
「董卓様に勝手に任命された官職ですから
放っておいてもよろしいのですが……。
責任感の強い旦那様は、職務をまっとうされるのですな。
流石でございます」
「艦長! ちょっとこっちに来てくれねえか」
「どうした? おめェが青い顔するなんて珍しいじゃねェか」
「いや、それがよ……崩れた井戸を直してたら、
中からこんな物が見つかっちまったんだ」
「これは……玉璽じゃねェか!!
陛下が使う印鑑、つまり皇帝の証だ。
韓当、とんでもねェ物を拾いやがったな」
「誰かが賊に奪われないように、井戸へ隠したんだろうな。
見なかったことにして埋め直しちまいましょうか?」
「バカ野郎! これは陛下の持ち物だ。
オレたちが勝手にうっちゃっちまっていい物じゃねェよ。
それにもし悪用されたらとんでもねェことになっちまうぜ。
長安まで攻め上がって、陛下にお返ししてェところだが、
オレたちの戦力じゃ無理な話だ。
しかたねェ、当分はオレが預かるとしよう」
「そうと決まりましたら、
おかしな噂が立つ前にすぐに洛陽を離れましょう」
「ああ。とっとと長沙に引き上げるぜ。
程普、悪ィが通り道になる荊州の領主サマに、
通行の許可を得てきてくんな」
「もしお断わりされてしまいましたら、いかがなさいますかな?」
「そんときゃあ、宣戦布告してきてくんな」
「かしこまりました」
~~~荊州 襄陽~~~
「ええ、かまいませんよ。
荊州の兵は道を空けますから、どうぞお通り下さい。
孫堅さんにもよろしくお伝え下さい」
「快いご返事をありがとうございます。主人も喜ぶことでしょう。
それでは失礼致します」
「……蔡瑁さん、蒯越さん。今のお話、どう思いますか?」
「いい機会だ。孫堅を騙し討ちにしちまおう。
あんな物騒なヤツが長沙なんて近くにいやがったら、
枕を高くして寝られないぞ」
「孫堅といえば謀略を好む男ですが、話自体に裏は無さそうですな。
後は殿の御心づもり次第です」
「わかりました。
それではいつも通り、黄祖さんに任せましょう」
~~~荊州 北部~~~
「通るたびに思うんだがよ、荊州ってなァいい土地だな。
広いし、豊かだし、民も穏やかだ。
いつかここを領地にしてえもんだ」
「旦那様、誰の耳があるとも限りません。
滅多なことをおっしゃられますな」
「……他人の土地を通りながらいい気なものだな。
だがあの孫堅という男、ただの放言だけでは
済まされない雰囲気を持っている。
いつか本当に荊州を脅かす日が来るだろう。
劉表様が存在を危ぶまれるのももっともだ」
「細かいことはよくわからねえが、
要は孫堅を殺しちまえばいいんだろ? 腕が鳴るぜ!」
「黙れ……射程だ……」
「わかりました。射ち方、用意!」
「…………………………射よ!!」
「死ね孫堅!!」
「ぐあぁッッッ!?」
「旦那様ッ!!」
「チッ……やってくれたな劉表」
「くそおっ! ただでは済まさんぞ! 襲撃者を探せ!」
「やめろ、無駄だ。劉表の噂は聞いている。
襲撃者を捕まえたって、尻尾をつかませやしねェよ。
深追いしてこれ以上、犠牲を出すな……」
「旦那様! しっかりなさってください!」
「いや……急所に当たっちまってらァ。もう助からねえよ……。
長沙にゃあ息子が、孫策がいる。
孫策と兄弟みてェに育った周瑜もいるんだ。
後はアイツらに任せな……」
「何を弱気なことを。孫策様も周瑜もまだ14歳だ。
艦長がいなけりゃ駄目だろうが!」
「けっ。弱気なことを言ってんのはどっちだよ。
孫策を頼んだぜ……。……もっとも、アイツもオレみてえに
つまんねェ死に方しそうな性格してるがな……」
「だ、旦那様ぁぁぁぁッ!!!」
~~~長沙~~~
「…………」
「…………」
「おかわいそうに。突然の訃報に言葉も無いようでございます」
「無理もねえ。俺たちだってまだ現実感がねえんだ。
艦長が……あの艦長が死んじまったなんてよ」
「………………ま、しかたねェわな」
「…………は? いま、なんとおっしゃられましたかな」
「だからしかたねェって言ったんだ。
親父は死んだ! もういねェ!
だったら次のことを考えようや」
「な、なんと…………」
「おい周瑜。おめえは江南の情勢に詳しかったな」
「ああ。この長沙にいる間、付近の情報を集めた」
「このあたりでいま、一番困ってる領主は誰だ?」
「フッ。困っている、とは孫策らしい表現だ。
そうだな、困っているといえば袁術だな。
董卓追討軍を離れてから、彼は中央の戦乱を避け、江東に移った。
袁遺から揚州を奪ったが、土地勘のない所に来て、
さぞかし困っていることだろう」
「だったら話は早ェや。オレらは袁術に降るぞ」
「そ、孫策様。
わ、私どもにもわかるようにお話いただけませんか」
「なんでえまだるっこしいな。
だからよォ。ええと。つまり、だ。
……めんどくせェや。周瑜、説明しろ」
「やれやれ孫策はいつもそうだ。――つまり、こういうことです。
今の私たちは弱い。西に劉表、北に大河、
南に異民族を抱え身動きすら取れません。
ならば東に目を向け、困っている方に恩を売り、
その間に力を蓄えるのです」
「つーこった。すまねェなみんな。オレはまだ弱い!
でもよ、14歳のオレは弱いが、たとえば五年後、
19歳のオレはそうとは限らねェぜ。もうしばらく、
オレがみんなを率いられるくらいになるまで、我慢してくれ。
それまでは、袁術の下で働こうや」
「待とう! 俺はいつまでも待つぞ!
孫策新艦長とともに戦える日をな!」
「なんと、なんと旦那様。孫策様は、そして周瑜は、
これほどの思慮深さを身につけておられたのですか……」
~~~~~~~~~
かくして江東の虎・孫堅は死んだ。
だが虎の遺伝子を継ぐ男は、静かにその牙を研いでいた。
一方その頃、北方でも風雲は急を告げようとしていた……。
次回 〇一二 界橋の戦い




