一〇七 魏延の心
~~~蜀 成都~~~
「へ? 諸葛亮が死んだ?
マジで? ってかあいつってそもそも死ぬの? 人間だったの?」
「うおおおおおおおおおおん!!」
「し、譙周殿、急に大声を上げないでくだされ。
最近どうも心臓が悪くて――」
「じ、じ、じ、丞相! いまぼくちんが参りますぞおおおお!」
「……譙周のヤツ、走って漢中まで行くつもりかな。
あいつ、諸葛亮に面白半分に抜擢されて恩を感じてたからなあ」
「それにしても丞相が亡くなられるとは……。
北伐軍はどうなったのだ。丞相がおられなければ戦えまい」
「おじさんが調べたところでは総退却にかかってますね。
丞相は死ぬ前に退却の準備を進めてたそうで。無駄にならなくて良かったですねえ。
あ、本当に死んじゃったほうが大変か」
「それにしても本当にあの丞相が亡くなられたのだろうか。
確かに漢中から常に放たれていた凶々しい気は消えているが……。
喝! 丞相の霊を降ろしてみればわかるな。早速準備に掛かろう」
「・-・--・--・-・・・・-・・・・・-(手伝おう)」
「おいおい、みんな落ち着いてよ。
諸葛亮が死んだらもうバラバラになってるじゃん。
こんなことじゃ数年で国が滅びちゃうよ」
「とりあえず北伐軍の様子をおじさんが見てきますよ。
これ有給になりますよね? え? ならない?
じゃあやっぱり遠慮して――」
「いいからさっさと行ってこんか!!」
~~~蜀 漢中 北伐軍~~~
「丞相が本当に亡くなっていたことはもう魏軍にも知れ渡っているだろう。
背後への警戒を怠るなよ!」
「しつけえな。その話は何度も聞いたぜすっとこどっこい!」
「なんだと? いやしくも私は丞相の側近中の側近として後継を任された身だ。
私の言葉は丞相の言葉だと思うがいい!」
「はあっ? いつからてめえが丞相の後継者になったってんだ。
寝言は寝て言いやがれべらぼうめ!」
「二人とも落ち着きなはれ。今は仲間割れしとる場合じゃあらへん」
「だが楊儀の増長が目に余るのも確かだ。
側に魏延が控えているから、他に誰も表立って反抗はしないが……」
「………………」
「もし楊儀を怒らせて魏延を暴走させれば、止められる者はおりません。
残念だが我々では魏延に敵わない……」
「姜維なら互角に戦えるだろうが、あいつは全軍の指揮に忙しい。
それにあいつに万一のことがあればそれこそ一大事だ」
「ええ。丞相の後釜を誰かが継ぐとすれば、それは姜維でしょうからね」
「ええ、軍師や総大将になれるのは姜維さんくらいでしょうからね」
「鄧芝さんの言う通りですね。
ここは一つ、あっしの顔に免じて楊儀さんを勘弁してやってくださいな」
(あいつらめ……。また固まって私の悪口を言い合っておるな。
だが私の頭脳と魏延の武勇だけが、蜀の屋台骨となりうるのだ。
あいつら凡俗には何もできまい。
私の天下がついにやってきたのだ……)
「………………」
~~~五丈原 魏軍~~~
「そうですか……。諸葛亮様はやはり亡くなられていたのですね。
今からでも遅くありません。私が弔問に――」
「今さら追いつけるものか! 木像と声真似に騙され、不覚をとった。
口さがない者どもは『死せる孔明生ける仲達を走らす』とはやし立てておるぞ!」
「ははは。私も死人とは戦えませんからね。
いえいえ、そもそも私ごとき非才が、
亡くなられているとはいえ諸葛亮様に勝てるはずが――」
「待て。まだ打つ手はある。句安を呼べ」
「はいはい。何の御用でしょうか。
蜀の内情でしたら洗いざらいお教えしやしたけど」
「話はもういい。この書状を楊儀に届けよ」
「は? ヨウギと言いやすと……あの、蜀の楊儀で?
いやいやいやいや! 蜀軍の中に潜り込めと言うんですか!?
殺されてしまいやす!」
「楊儀の顔も蜀軍の配置もよく知っているお前にしかできない任務だ。やれ。
私も鬼ではない。何もそのツラのまま行けとは言わぬ」
「辛憲英、化粧をしてあげなさい」
「はいお父様。頬紅とファンデーション、それにカツラに付けまつ毛で……。
できました。鏡を御覧ください」
「こ、これがあっし……?」
「それで少なくとも句安だとは気づかれないだろう。行きなさい」
~~~蜀 北伐軍~~~
「むふ。むふふふふふ。
蜀よりも魏のほうが私の価値を良くわかっているではないか!
そうとも、私がその気になれば蜀軍を牛耳ることなどたやすいのだ!」
「しーっ! こ、声が大きいでやんす!」
「おお、すまんすまん。
それで、魏の申し出た条件に間違いはないな?
刺史の座に大金、それに住居に宝物etc……」
「へい。間違いないでやんす。
蜀の北伐軍の大半をごっそり引き抜けば、必ずお支払いするでやんす」
「我が世の春が来た! 見ているがいい凡俗どもめ!
私の頭脳がいま、天下へと羽ばたくのだ!!」
「――――――」
~~~蜀 北伐軍~~~
「てめえ血迷ったか楊儀!!」
「私は冷静だ。そして常識的な判断を下したにすぎん。
私の頭脳を正当に評価する者に力を貸すだけだ!」
「馬鹿なことを! お前はただ欲にかられただけだ!
魏はお前の汚い欲望をそそのかしただけに過ぎん!」
「フハハハハハハ! 負け犬どもが吠えおって。
ギヱン、こやつらを蹴散らせ!」
「ガオォォォォォォン!!」
「チッ! 相変わらず馬鹿強えな!」
「お、俺たちでは歯が立たないか!」
「馬鈞博士の装備に私が改良を加えたのだ。
もはやギヱンは人間の敵う代物ではないのだよ。
ハッハッハッハッハッ! 私を倒せる者がいるものか!」
「ここにおるで!」
「なっ!?」
「! オォォォォォン!!」
「クソッ! 弾かれてもうた!」
「お、おお……でかしたぞギヱン。
ふ、ふははははは! わ、私の発明したSTフィールドの防御力を見たか!」
「あかん……。不意打ちに失敗したら終わりや。
正面から魏延はんには勝てへん」
「ふわっはっはっはっ! 私に逆らう愚か者どもめ。
お前らを皆殺しにしてやれば、兵卒どもはおとなしく私に従うだろう。
やれ、ギヱン!!」
「ウォォォォォォォォォォオ!!」
「待て」
「き、姜維さん! ここに来てはいけません!
あなたが倒れたら誰が蜀を守るのですか!」
「…………フハハ」
「!?」
「フハハハハハハハ。魏延よ。何をしておる」
「こ、これは丞相の声!?」
「そうか! 姜維にはまだ丞相の声帯模写の術が掛かってんだ!」
「余の声を、恐ろしさを忘れたか?
その小指の爪の如き脳味噌で考えてもみよ。
余と楊儀と、どちらに従うべきかをな」
「グゥゥゥゥゥゥゥム……」
「ま、惑わされるなギヱン! あれは姜維だ!
丞相、いや諸葛亮ではない!!」
「ガゥゥゥゥゥ…………」
「フン。獣は獣なりに迷うか。
ならばこうも問おう。魏延、貴様はいつまで楊儀の如き小者に従うのだ?
貴様ほどの豪の者が、なぜ楊儀にへりくだる? 貴様に心は無いのか」
「じ、人造人間に心などあるものか!
ギヱンは私と馬鈞博士が造り上げた生体兵器だ!
私に従うだけの人形だ!」
「そんなことはあらへん!
魏延はんはわてらの戦友や! 無数の戦をともに駆け抜けた仲間やで!」
「その通りだ! 楊儀、てめえみてえなコンコンチキとは違え!
魏延は仲間だ!」
「同意」
「………………」
「ふ、ふははははは! 笑わせるな!
ギヱンはスイッチ一つで思いのままに操れるガラクタ人形だ。
体内には爆薬も仕掛けてある。その仮初めの命も私の手中にあるのだ!」
「…………私も人形だったです」
「げ、月英殿」
「でも人形の私にも心はあるです。御主人様に何度も逆らったです。
魏延、お前も私と同じです。心がないなら暴走なんかしないはずです。
お前にも、心はあるです」
「………………」
「ええい! いつまでも世迷い言を!!
こうなったらギヱンをお前らの中心で自爆させてやる!
S2地雷にはお前らをまとめて吹き飛ばすだけの威力があるぞおおっ!!」
「ち、血迷ったのですか!? 魏は魏延が欲しいのです。
魏延が死ねば、魏はあなたを受け入れなんかしない!」
「わかっていないのはお前たちのほうだ!
私の頭脳があればギヱン程度の発明品などいくらでも産み出せる。
魏が真に欲しているのは私の頭脳なのだよおおっ!!」
「駄目だ。 楊儀の頭の中は虚栄心で満ち満ちている。
かくなる上は、我が奥義で自分もろとも奴らを土耳古まで吹っ飛ばして――」
「………………マテ」
「!? そ、その声は……魏延?」
「…………オレ。ミンナ。マモル。オレハ」
「ぎ、ギヱン!? ば、馬鹿な! お前に言語能力など備わっているはずが――」
「オレハニンギョウジャナイ」
「は、離せ! な、何をするつもりだ!!
う、うわああああっ! は、離すな! た、谷底へ落ちてしまう!
ま、まず私を地面へ着地させてから、それから離せ!」
「ミンナ。アリガト」
「う、うわあああああああああああっ!!!!!」
「魏延ーーーーーッッ!!」
「おお……。楊儀を抱えて谷底へ身を躍らせ、そのまま自爆を…………」
「馬鹿が……。楊儀と相討ちなんかしやがって……」
「魏延は楊儀に逆らえないようプログラムされていた。
自爆に巻き込む形でしか、楊儀の支配を逃れるすべは無かったのだろう……」
「丞相に魏延……。我々はかけがえのない仲間を失ってしまいました」
「丞相に続いて魏延まで……。ちきしょう。俺たちはこれからどうすりゃいいんだ」
「……廖化よ。嘆いている暇はない」
「うおおっ! ま、まだ丞相の声なのかお前は」
「我らは前に進むしかないのだ。誰を失おうとも、ただ前へと」
「…………ああ、それが残されたわてらの使命やで」
(…………だが、僕はついて行けるだろうか?
丞相のいない世界のスピードに…………)
~~~~~~~~~
かくして楊儀の野望は潰えた。
諸葛亮と魏延、国を支えた二人の柱石を失い、蜀は滅亡への道を歩み始める。
一方、北の果て、遼東では新たな野望が頭をもたげようとしていた。
次回 一〇八 公孫淵の野望




