一〇〇 泣いて馬謖を斬る
~~~街亭~~~
「フン。ここが街亭か。……ただの山があるだけの土地ではないか。
本当にこんな所に魏軍が攻めてくるのか?」
「諸葛亮丞相はそう言ってたじゃねえか。
丞相の言葉が外れたところは見たことねえぜ。なあ句扶!」
「おうよ! 丞相の言うことを信じてりゃあ間違いはねえぜ」
「浅はかな……」
「あんだと?」
「これだから無学な者は困る。
上の指示に従うだけではなく、機に応じて策を立てるのが将たる者の務めだ。
よし、我が軍はあの山上に陣取るぞ!」
「待った待った! 俺の見たところ、
魏軍の侵攻を防ぐにゃあ、街道を封鎖した方がいいと思うぜ」
「王平の言う通りだ。この狭い道に関所を設けて
何重にも封鎖しちまえば、どんな大軍でも通れやしねえ」
「フン。孫子も知らぬ者の考えることはその程度か。
『高きによって低きを視るは勢い既に破竹』と孫子の兵法にもあるのだ」
「ソンシ? 誰だそりゃ。この前言ってたコウシの仲間かなんかか?
……なあ大将。いくらしゃべれるくらい頭のいい牛でもよ、しょせんは牛の言葉だ。
それをあんまり信じるのはどうかと思うぜ」
「だから子牛ではなく孔子だ! 孔子も孫子も人だ!
孫権が古の大軍師・孫子の末裔を名乗っていることくらい
聞いたことがあるだろう!」
「おいおい、孫権ってのは呉の大将だよな。
いくら同盟を結んでるつってもよ、
敵の大将の爺様かなんかの言葉を信じるのはおかしくねえか?」
「黙れ黙れ! お前らと話しているのは時間の無駄だ!
私は山上に陣取る。お前らは手勢で街道を固めるなり好きにすればいい!」
「…………ま、大将はアンタだ。好きにしてくんな」
「私が山上からの逆落としで魏軍をさんざんに打ち破る様を楽しみにしておけ!
はっはっはっはっはっ…………」
~~~街亭 魏軍~~~
(むう……。蜀軍め、まさかすでに街亭を抑えていたとはな。
さすがに諸葛亮は動きが早い!)
「でもよ、なんだありゃ? てっきり街道を固めてると思ったら、
道はほっぽり出してほとんどの兵が山に布陣してやがるぜ」
(ちょっと申儀! 声を潜めなさいよ!
麓にいる蜀軍に見つかっちゃうでしょ!)
「あんな小勢に見つかった所で怖くもなんともねーよ。
おい、早く張郃サンに連絡して山を包囲しちまおうぜ。
水の手を絶っちまえばこっちのもんだ」
(あ、ああ。申儀の言う通りだ。すぐに連絡しよう)
~~~街亭 山上~~~
「な、なに!? 山を包囲されただと!?
麓にいた王平どもは何をしていたのだ!」
「チース。聞こえっかお山の大将? こういうのなんつーんだっけ?
お前らは完全に包囲されてるー。おとなしく投降しろー。
ってヤツ?」
「麓にいた小勢は撃退した。お前たちは孤立しているぞ!」
「その山に水源が無いのは確認済みよ。
あっはっはっ。何日持ちこたえられるかしらねえ?」
「お、おのれ……。
今こそ孫子の言葉の正しさを証明する時だ!
魏軍を逆落としで殲滅してやる! 行くぞ!」
「待てい!」
「な、なに!?」
「古人の言葉の意味も知らず墓穴を掘る愚か者よ。
生兵法は怪我の元という言葉も知るがいい!
人、それを『無学』と言う」
「な、何者だ!」
「お前たちに名乗る名はない! 今だ!!」
「うおおっ! し、四方八方から伏兵が現れた……」
「確かに山上からの逆落としの勢いは脅威となる。
だが奇襲は側面からの攻撃にはかえって脆いものだ。
お前の大好きな孫子には書いていなかったかな?」
「く、くそ! なんとかして包囲を突破するんだ!
さっさと退路を見つけろーーッ!!」
~~~街亭 蜀軍~~~
「……フン。馬謖の馬鹿はしくじったか」
「魏軍の動きは確かに早かった。俺らが街道を固める前に襲撃されちまったぜ。
もっとも固めてたところで、俺らの小勢じゃ踏み潰されて終わりだったと思うけどよ。
魏延や高翔が来てくれなきゃ逃げ切ることもできなかったろうな」
「礼には及ばぬ。
馬謖殿が山上に陣取った時点で勝負ありといったところだったな。
――だが、見捨てるわけには行かない」
「あたぼうよ! なんとかして救出し、戦線を立て直すんだ」
「どうやら、そいつも難しそうだぜ」
「おう句扶、馬謖の陣の様子はどうだった?」
「水の手を絶たれ、士気は地に落ちてんな。
日に日に魏へ降伏する者も増えてるぜ。
あと数日もすれば、敵の包囲を突破する余力も無くなるだろうよ」
「ならば早い方がいい。
我々が魏軍を襲い、馬謖殿も出撃させれば挟撃の形となる。
いったん列柳城へ引き上げ、善後策を練るといたそう」
「おうよ! そんじゃあちょっくら馬謖の大将にも連絡してくるぜ。
王平らは出撃の準備を進めといてくんな」
~~~列柳城付近 蜀軍~~~
「はあ、ひい、ふう。み、水をもっとくれ……」
「手持ちはさっきので終わりだ。列柳城に着いてからたらふく飲みな」
「わ、私は大将であるぞ! な、なんだその口の利き方は!」
「無いものは無いつってんだ。敗軍の将が偉そうにしてんじゃねえよ」
「ぐぬぬ……」
「む!? 気をつけられよ。列柳城の様子が妙だ」
「わっはっはっ! のこのこやって来たな負け犬どもめ。
城は本官らがいただいたぞ!」
「あ、あれは曹真の副将の……。ど、どうするのだ!?」
「……俺らにゃ城攻めするだけの戦力は残ってねえ。
退却し本隊と合流するぞ!」
「ま、待て。水はどうした? 私の水はどうするのだ」
「知るかそんなもん! さっさと逃げるんだよ!」
「待てええい! まとめて逮捕だ!!」
~~~蜀 天水~~~
「街亭、列柳城は魏軍の手に落ち、馬謖らは敗走。
曹真と張郃はかさにかかって余の本陣に迫っていると。なるほど」
「じ、丞相! 街亭を抑えられては
もはや我々の基本的戦略は根幹から崩れたも同然です!
かくなる上は総退却するしかありません!」
「貴様の言う通りだ。とっとと退却を始めろ」
「…………え?」
「なんだその怪訝な顔は」
「い、いえ。これは失礼いたしました。
てっきり私の言葉など否定されるものと思っていましたもので――」
「余は真実を口にしておるだけだ。
貴様の言葉とて百万遍に一度くらいは真実を言い当てられよう」
「ま、まことに失礼いたしました! ――た、退却の準備を進めるぞ!」
「諸葛亮先輩、殿軍は自分に任せるッスよ!」
「こっちから逆に仕掛けて、出鼻をくじいてやろうで」
「そ、それでしたら箕谷に進出して
敵の背後を窺う素振りを見せて牽制しましょう!
……あれ? 箕谷でしたっけ? それとも谷箕ですっけ?」
「どちらでもいい。参ろう」
「関興、張苞、星彩は馬謖らと合流し、無事に逃がせ。
張郃軍は一撃を加えれば無理をせず引き上げるだろう」
「あいよ!」
「………………」
「みんなも気をつけてよ!」
「張翼は剣閣への道を整備し、退路を確保しろ。
馬岱は列柳城の郭淮を牽制してこい」
「はッ、ただちに!」
「はいな」
「魏軍が総追撃にかかる前に
天水・南安・安定から可能な限りの官民を益州へ移す。
街亭を足がかりに長安を奪ってやろうと思っていたが、
馬鹿のせいで目算が狂った。
多少なりとも土産が得られるよう余のために努力しろ」
~~~魏 曹真軍~~~
「ヒャッハー! 蜀軍は皆殺しだああっ!」
「待て蘇顒! ……この地形は伏兵に適している。周囲に気を配れ」
「はあっ? 蜀軍は大敗したんだ。こんな所にいるわきゃねーだろ。
ぐずぐずしてたら手柄を他の連中に取られちまうぜ。なあ万政?」
「第一回選択希望選手……蘇顒! 追撃高校!」
「その通りだ! 行くぜ野郎ども!」
「おーっと、ここから先には通さないッスよ!」
「ふんぎゃああああああ!!」
「そ、蘇顒! や、やはり伏兵がいたか」
「第二回選択希望選手……万政! 報復大学!」
「ウチの旦那の話聞いてへんのか? 通さへん言うてるやろ!」
「う、うわああっ!」
「だ、大丈夫か万政! しっかりしろ。矢で兜を弾かれただけだ」
「今のは警告や。まだやる気やったら、今度は喉笛貫くで」
「だ、第三回選択希望選手……費瑤! 進撃薬品!」
「ば、馬鹿を言うな! ここでは道が狭くて兵力差を活かせん。
無念だが退却するぞ!」
「……ひ、引き上げてくれましたな。
これで追撃の手も緩んでくれるといいのですが」
「ここを待ち伏せ場所に選んだ鄧芝殿の作戦勝ちだな」
「ととととんでもない!
趙雲ご夫妻ならどこで待ち伏せようとも勝てたでしょう!」
「せやな。ウチの旦那は無敵やから。
でも鄧芝はんのおかげで楽できたのは確かや」
「ウス。逃げていった連中が援軍を連れて来る前に、早く次の地点に行くッスよ」
「…………む? 誰かこっちに向かってくるようです」
「ひいっ、ひいっ、こ、ここまで逃げればさすがにあいつも―って。
ち、ち、ち、趙雲!?」
「なんや魏の将かいな。誰かに追われとるん?」
「逃げ足の速いやっちゃなあ! いいかげん堪忍せえ――って雲緑やないか」
「げげっ!! ば、馬岱に追いつかれた……。
う、後ろに馬岱。前に趙雲。
…………ええい、こっちだ!」
「無駄や」
「ぎゃあああああああっ!!」
「…………そら趙雲はんと比べたらわてでもそうするやろうけど。
なんや、気分悪いわ」
「馬岱先輩は郭淮の相手を任されてたッスよね? ここにいるってことは――」
「ああ、郭淮は曹真と合流しようとしとる。
合流されたら厄介や。早いとこ逃げるで」
~~~蜀 漢中~~~
「……………………」
「余は余の不明を恥じよう。貴様に街亭を任せた余が愚かであった」
「じ、丞相――」
「猿でもできる任務だと?
嘆かわしい。まったく嘆かわしいことだ。
よもや貴様が猿以下の無能であったとはな。
これはそれすらも見抜けなかった余の失態だ」
「丞相、責任は馬謖の暴走を止められなかった俺らにもあるぜ! なあ句扶」
「あたぼうよ!」
「黙れ。三下の三下に責任を取らせるほど余は愚昧ではない。
余は丞相の位を返上する」
「じ、丞相! 蜀にはあなたをおいて
丞相が務まる人材はおりませぬぞ。お考え直しくだされ!」
「当然だ。余の代わりが務まるものなど過去にも三千世界にも未来永劫おらぬ」
「そ、そういう話ではなくてですな……」
「丞相! かくなる上はこの馬謖も覚悟を決めています!
どうぞ私の首をお取りください!」
「………………はあ?」
「へ?」
「貴様はどこまで身の程知らずなのだ。
街亭を奪われた責任を感じているのか?
案ずるな。馬鹿が馬鹿をさらして馬鹿な真似をしただけだと、誰もが思っている。
だから責任は余にあるのだと、何度言えば
猿以下の貴様の脳味噌でも理解が及ぶのだ?」
「わ、わ、私は…………」
「死にたければ黄月英にでも頼め。余は忙しい」
「………………こ、小娘。いや、げ、月英」
「断るです。私も忙しいです」
「わ、わたしはいったいどうすれば…………」
「ただいま戻りましたッス!」
「おお、趙雲将軍! よくぞご無事で戻られた」
「魏軍の三下にやられるほどウチの亭主はおいぼれてへんで」
「将軍が殿軍を引き受けてくださったおかげで、
我々も無事に退却できました。助かりましたぞ!」
「将軍の働きには丞相も感服されている。
ついては将軍には恩賞を送りたい」
「恩賞? ちょっと待つッスよ。
今回の戦は負け戦じゃないスか。
それなのに自分だけ褒美なんて受け取れないッスよ。
自分に渡すお金があるなら、将兵の冬支度のためにでも使って欲しいッス」
「さすがは趙雲将軍です! なんとキョケンなお考えでしょう!」
「ああ、謙虚なお考えだ」
「フン、貴様の金だ。好きに使うがいい」
「将軍の温かい心尽くしで、敗戦の疲れも憂いも吹き飛んでしまいやしたなあ」
「はいはい、呉班さんの言う通りですね」
「まったく呉班の言う通りだな」
(…………だ、誰も私のことなど気にしてもいない。
こ、これではまるで蜀に私の居場所など無いようではないか!
この俊英・馬謖になんたる扱いだ。かくなる上は――)
~~~蜀 漢中~~~
「や、夜分遅く申し訳ありません丞相!」
「右将軍だ」
「は?」
「余は敗戦の責任を取り丞相から降格すると言ったであろう。
だがこの世には余の代わりに丞相が務まる者などおらぬ。
だから丞相の座は空位に留め、
余は右将軍あたりに異動しこれまでと同等の権力を持つ。
そのあたりが落としどころであろう。今後は右将軍と呼べ」
「…………わ、わかりました。
それで将軍! 先ほど馬謖が陣中から脱走を図り、番兵に斬られたそうです!」
「そんなことでわざわざ夜更けに余に注進に参ったのか?
下らぬ。明日で良い明日で」
「も、申し訳ありません。
…………そ、それで番兵は斬った後に相手が馬謖だと気づき、
泣いて謝罪に出向いたのですが、処遇はいかがいたしましょうか」
「褒めてつかわせ。
おおかた馬鹿は蜀に居場所が無いのならと魏へ寝返ろうとしたのだろう。
その番兵とやらは反逆者を斬っただけだ。せいぜい褒めてやれ」
「…………承知しました」
~~~~~~~~~
かくして泣いて馬謖は斬られた。
撤退を余儀なくされた蜀軍だが、北伐の道は断たれたわけではない。
諸葛亮は早くも第二次北伐への構想を練っていた。
次回 一〇一 陳倉の戦い




