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02 朝がまた来る



 星暦二〇一四年。

 かつて使用されていた西暦がその役目を終えても、いまだ人の歴史は終わらない。

 できることが増え、できないことが減り、できなくてもいいことが増え続けている。

 例えば、脳に埋め込まれたIVPPITER──製作者たちの頭文字をとってそう名づけられた──日本語話者の間では若干の揶揄も込めて「神」と通称されることもあるバイオチップによって、ただ考えるだけでおおよそ生活に必要な事柄はロボットによって処理されるようになった。

 掃除洗濯などの家事はおろか、車の運転もどこに何時、と指定すればそのとおりに運ばれるなど、娯楽以外の煩雑な物事は徹底的に効率化されたのだ。

 しかし、だが、真価は娯楽にこそ発揮される。

 特に食にまつわる能力はそれこそ神の御業といっても過言ではない。

 記憶している料理を食べたいと念じれば、視覚、嗅覚、触覚、味覚、栄養価、それぞれをすべて完璧に再現した料理を作り出すことができるのだ。

 さすがに料理によってはかかるコストが膨大なものになることもあるが、代価さえ支払えるならいつでもどこでも望むものが食べられるというのは、まさに最高の娯楽といえるだろう……。


 ……夢を見た。

 寝落ちで見た夢だったからか、酷い内容だった気がする。

 背中を反らせて体の硬直をほぐす。

 それでも足りない気がしたので、ストレッチを交えながら部屋を歩き回ってみた。

 よし。

 気を取り直して、やるべきことに意識を集中させる。

 ──検索。

 フランス北部の都市。

 違う。

 ギリシア神話に登場する女神。

 違う。

 アイルランド・スコットランド系の姓。

 違う。

 ──再検索。

 英語圏にいくつか存在する地名。

 違う。

 ユーカリの一種。

 違う。

 アイルランド・スコットランド系の姓。

 だから違うって!

 このところ毎日、思いつく限りのキーワードを何度も何度も検索窓に打ち込んでいく作業に没頭している。

 しかし、暗闇の中に浮かぶモニターには、おれの望む結果は映し出されていなかった。

 日々繰り返したことだ、わかっている。

 それはそうだ。

 思いつく単語なんてそうそう増えるわけがない。

 ……本当に存在しないのか。

 なぜ?

 どうして?

 いつから……最後に確認したのはいつだった?

 一週間前、一ヶ月前、半年前……そうだ、半年ぐらい前には確かに存在していたはずだ。

 この時、これが最後になるかもしれないとわかっていれば、迷わず確保しただろうに。

 それ以降は……だめだ、そこまで気にして生きていない。

 おぼろげな記憶に頼るなら、すでに半年以上も接触していないことになる。

 常にあるものだと思っていた。

 望めば手に入るものだと思っていた。

 わずかな対価ですぐ目の前に出てくるものだと思っていた。

 失って初めて気付く、という、よく聞くようなフレーズが脳裏をよぎる。

 それほど重要な存在だったのか。

 きっと、そうなのだろう。

 おれの、魂の奥底に刻み込まれた存在。

 そうでなければ、今この身を襲う喪失感には説明がつきそうにない。

 頭は重く。

 胸は締め付けられるようで。

 胃はキリキリと抗議の声をあげる。


「ああ……カレーが食べたい」


 抗議の声は、パソコンの駆動音とともにしばらく鳴り響いていた。

 



   ☆



 おれは今、大学の食堂にいる。

 目の前には代わり映えのしないB定食が鎮座しているが、まったく食欲がわいてこない。

 それでもエネルギー摂取のためには食べなければいけない。

 仕方がないのでミニうどんをすする。

 咀嚼して飲み込むが、味などほとんどわからなかった。

 思わず溜め息が漏れてしまう。

 要するにカレーが食べたいのである。


「おう、席の確保ごくろうさん。ってもう食ってんのか」


 軽薄な、意識してそうであろうと務めている声が聞こえた。

 イチロー、野崎一郎だ。

 無遠慮に前の席に座った爽やか系イケメンであるが、その実体は嗜虐趣味を持つ変態で、一見まともに見えるほど捻じ曲がった性根を持つ、おれの親友である。

 外ヅラのおかげで非常におモテになるのだが、浮いた噂は聞かない。

 巷ではすわロリコンか、いやさ男色家なのでは、などという風聞がまことしやかに囁かれているらしい。

 そうでないことは知っているが、訂正して回るのも噂を過熱させそうなので沈黙を守っている。

 つまりカレーが食いたいのだ。


「なんだ元気ないな、磯部揚げ食うか? 三皿持ってきたんだ」


 カレーは食べたいが、磯部揚げはいらない。

 食欲はないが、仕方がないのでから揚げを頬張る。

 ついでに言うとこいつは偏執的に磯辺揚げを愛する偏食家である。


「ここの磯辺揚げはギンギンに効いた海苔の風味がたまらないんだよな」


 ……おまえは風味についてなにもわかってない。

 おまえはあの海苔とカレーのアンサンブルを知らないからそんなことが言えるのだ。

 そんなうまそうに食う磯辺揚げは、しょせん未完成品でしかないというのに。

 あの缶入りのカレー粉があればおまえの目を覚ましてやれるのだろうか。

 そこに、埃を立てないように、かつ実現しうる最高速を維持して近づいてくる者がいる。

 そういえば、今日は久しぶりにレナも来ると言っていたのを思い出した。

 臼井レナ。

 我が家とは大学をはさんで反対側にある商店街に店を構える洋食屋のひとり娘で、この大学で「看板娘」といったらレナのことを指す、というぐらいには知名度と好感度を併せ持つ女神である。

 そんな女神はなぜかガキ大将気質をも備えており、そのせいかおれとイチローは周囲から舎弟と認識されているようだ。

 他にも舎弟認定されている男は何人も存在するが、それでも逆ハーレムなどと陰口を叩かれていないのはその気さくな、やもすると馴れ馴れしいとも採られかねない人柄によるのだろう。

 ちなみに、レナの実家である洋食屋のメニューからもカレーが消えているのは確認済みである。


「ごめん、馬場ちゃんと話してて遅れたー。……リッキー、そんなにおわん握り締めたらうどんこぼれちゃうよ」


 ……うどん。

 和のテイストをさりげなく溶かし込んだカレーうどん。

 正直カレーそばでいいじゃないかと思わせるカレー南蛮。

 そのチープさで時折心を揺さぶるカレーヌードル(インスタント)。

 それは必然の出会いだったカレードリア。

 カレーコロッケとコロッケカレーの悩ましきアンビバレンツ。

 創作者の発想に打ちひしがれるカレー麻婆。

 昼休みの友カレーパンも忘れてはいけない。

 ひと手間トマトを加えるだけで絶妙なマッチングとなるオムカレー。

 カルボナーラ風に仕立てたカレーパスタなどはえもいわれぬ至福だ。

 そしてやはりライス。

 カレーライスこそが原初にして究極。


「いっちゃん、リッキーどうしたの?」

「さあ……ここのところずっとこんな感じだ。臼井に心あたりはないか?」

「うーん、馬場ちゃんも『最近たるんどる!』って言ってたけど」


 ビーフ、ポーク、チキンとなんでもござれの万能さ。

 シンプルに肉とタマネギだけでも悪くない。

 肉のかわりにウインナーを入れてもお子様に喜ばれることうけあい。

 シーフードなら目にも楽しい。

 暑い夏にはナスやカボチャ、アスパラで夏野菜カレー。

 野菜は一緒に煮込んでもいいし、素揚げして後乗せでもうまい。

 そうだ、トッピングで楽しむのもいい。

 まず揚げ物は外せない。

 トンカツ。

 チキンカツ。

 メンチカツ。

 から揚げ。

 竜田揚げ。

 コロッケ。

 エビフライ。

 白身魚フライ。

 カキフライ。

 イカリングフライ。

 オニオンフライ。

 ガーリックフライ。

 各種天ぷらもいいだろう。

 そしてハンバーグ。

 ベーコン。

 ローストチキンにローストビーフ。

 ウインナー。

 炙りチャーシュー。

 春巻きなんかもいいかもしれない。

 ゆでたまご。

 半熟たまごや温泉たまご、生も目玉焼きも素晴らしい。

 チーズ。

 モッツァレラだろうがチェダーだろうが構わない。

 スモークチーズの風味もいい。

 納豆。

 豆腐。

 白髪ネギも面白い。

 砕いたポテトチップもアリだ。

 バニラアイスもコクが出る。

 ああ、隠し味も吟味しよう。

 ああ。


「な、なんで泣いてるの!?」


 ……ああ。

 言われて初めて気が付いた。

 眼の奥が苦しい。

 不快な耳鳴りが止まない。

 いつの間にか噛みしめていたあごが痛い。

 ふたりの顔がはっきり見えない。

 ……水が、頬を伝っている。


「……カレーが、食べたいです……」




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