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優希はなぜか目が覚めてしまった。時計の針は、まだ、四時を少し回ったばかり。不思議と眠気は感じない。隣でコトリが寝息をたてているのを見ると、なんとなく、ホッとする。微笑みかけたそのとき、優希は、サッと窓へと顔を向けた。なにか、いた気がした。窓の外に、動く影を見た気がした。


ほんの少しだけ開いた窓の外のベランダから、誰かが覗いていたような……と首を傾げる。なんだか、目が完全に冴えてきてしまったなぁ。優希は、窓へと身体を向けかけて一瞬動きを止めすぐに、赤ん坊のようにハイハイする格好で窓へと向かった。

 

窓の隙間からくる風が気持ちよかった。外には、やっぱり、誰もいやしない。隙間からベランダの右側からゆっくりと左側へとターンしていくが、空っぽのプランターが隅のほうに重ねて置かれているだけだった。

ふぅーとひとつ息を吐いた。まだ、空は星が瞬いている。


「え?」

 

思わず、優希は声に出してしまった。いつもと違う月が浮かんでいた。紫色の不気味な丸い月が浮かんでいた。


今日は、満月だったろうか? 


いや、そんなこと問題じゃない。なぜ? という疑問だけが優希の頭を支配していた。ありえない……。どうしても、紫色の月から目を離せない。優希は目の奥にチクリと痛みを感じた。


月のせいなのだろうか?

 

とめどなく涙が溢れてくる。悲しくないのに、嬉しくもないのにとめどなく涙が溢れてくる。感動などもしていない。なにかが、確実に入ってきたと優希は確信した。目から月の光とともに怪しげななにかがこっそり入ってきたに違いない。そんなの勝手な想像だ。と、そのとき、胸が強く締め付けられた。


息が、できない。


後ろに寝ているコトリへとなんとか振り返り「助けて」と叫びたかったが『た』の字も出てこなかった。口を動かすが、喉からは一文字もでてきやしない。起きてくれ、頼むから……。心の叫びもコトリには届かないことを知ると、また、涙が溢れ出した。届かないとわかっていながら必死に手を差し伸べる。涙がポロリと一粒頬を伝った。ふと瞳に不思議なものが映り込んだ。

 

なんだ、あれは?


涙越しに見えるコトリの姿にキラリとする銀の糸のようなものが、優希には見て取れた。

 

まるで、コトリを縛り付けているように見える銀の糸。コトリもまた、なにものかに、動きを止められているのかもしれない。

 

なんてことだ。これは、これは現実であるはずがない。だがしかし……。

 

優希は自分の胸を見た。やはり、月の光に反射する銀の糸のようなものがあるではないか。解きようにも、手足が痺れてきて解くことも叶わなかった。目も霞んできた。酸欠のせいか、頭も重い。もうダメかもしれない。そのままうつ伏せに倒れこんだ。痛みもすでに感じられない。意識が遠のく中、見覚えのない映像が入り込んできた。いや、頭の中から湧いてきたといったほうがいいかもしれない。



***



「ねぇねぇ、遊ぼう」

「ん?」

「基弥くん、遊ぼうよ」

 

え? 基弥だって? 


「僕は、優希だよ」

「違うよ、基弥くんだよ」

 

そうなのか? そうか、そうなんだね。「僕は、基弥、なんだね」と納得してしまった。なぜかわからないけど、催眠術にでもかかったみたいにそう思えてならなかった。

 

基弥は、どこを見るでもなく遠くをみつめた。自分でも空を見ているのか木々を見ているのかはっきりしない。自分が自分でないような不思議な感覚もする。上の空とはこういうことをいうのだろうか。


「どうしたの?」

「え? なに?」

「もう、つまんないよ。遊ぼうよ」

 

コトリの膨れっ面に笑みを浮かべ、コトリの頭を軽く撫でた。


「もう、子供扱いしないでよぉ」と膨らんだほっぺたをもっと膨らます。けど、目は嬉しそうに笑っているように見えた。それに、コトリは間違いなく子供だ。まあ、大人に見られたいって気持ちもわからないでもないが。おませさんだからなしかたがない。そんなコトリが可愛らしい。


「あ、猫……」

 

基弥はコトリの足下を指差し「可愛いやつ」と微笑んだ。弾むように草むらから飛んできてコトリの足下にじゃれ付いていた。サバトラの猫だった。


「ほんとだ。かわいいーーーーー」

 

喉の奥まで見せて大口を開きはしゃぐコトリ。腹を見せて転げまわる猫を「コチョコチョ」と口にしながら撫で回すコトリ。ときたま、コトリの手にちょこんとネコパンチも繰り出している。もちろん爪など立てていない。妙に人に慣れた猫だな。ふと、猫の手の裏側にハート型の模様が見えて、愛らしく感じさせた。コトリもそのネコパンチに、大げさなくらいキャキャ言っている。ついていけないテンションだなと苦笑いを浮かべ、コトリに倣えとばかりに基弥も猫の頭を撫でようと手を伸ばした。猫はというと後退りしようと首を引っ込め逃げようとする。だが、すぐ後ろにあるコトリの足に阻まれてつっかえてしまっていた。それでも、基弥の手から逃げようと右に左にと小さな頭を動かし避けようとする。


「なんだよ、もう」

「基弥はダメなんだよね」

 

コトリは猫に微笑み、基弥に勝ったとVサインを向けてきた。ムッとしたが、すぐにあれっと思った。なにかが引っ掛かる。自分の両手を眺めてみるがなんの変わりもない。あたりまえだ。じゃなんだろう、なんか違和感のようなものが頭を掠めていく。いったい……。寒気を感じたわけじゃないのにブルッと身体が勝手に震えた。

(ボクは、基弥なんだっけ?)

 

こんな疑問が生まれるなんて変だよなと思いつつ、コトリを見た。


「なあ、コトリ、ボクは……優希だよな」

「え? なにそれ、基弥でしょ。さっきもそんなこと言っておかしいよ」

 

え? おかしい? そうだよな、変だよな。優希? 誰だ、それ? どうしてそんな名前が出てきたんだろうか。不思議だ。基弥は空を見上げ口を閉じ、頭の中を整理しようと考えることに集中した。空は、青空だ。なのに、紫色の丸い月が目に映った。雷でも打たれたような衝撃が身体に感じブルッと震えた。脳にもチクリと刺激を感じた。いや、心臓だろうか。足の裏かもしれない。なんだか、感覚がおかしい。どこが痛いのか、痺れたのかよくわからない。そう思ったとたん、記憶が弾けた。


「そうだ、そうなんだ、僕は、基弥だ」

 

頭の中で誰かが囁くのを聞いた。『基弥だ』と今は、はっきり言える。


「ユウキってだぁれ?」

「え? 優希がどうしったって? 誰だよ、それ」

「えーーー。今、基弥が言ったんじゃない。バーカ」

「なんだよ、バカって言うな」

「ふん、バカだから、バカでしょ」

 

基弥はギュッと口を閉じて尖らせた。

 

コトリは背を向けてしまった。基弥も面白くない。猫も相手にしてくれないし、七つ池でもいこうかと歩き始めた。


「ねぇ、ゴマにしよっか」

「え?」

 

コトリの言葉に足を止めたが意味がよくわからなかった。


ゴマ? なんのこと? ゴマ団子はないし、ゴマ塩もない。ゴマが食べたいのか、コトリは?

 

コトリに向き直ったとき、すぐに意味がわかった。コトリは猫を両手で持ち上げて見せ付けていた。


「この子の名前、ゴマにしよっか」


ブラブラした猫の足と、キョトンとした顔が可愛くて思わずニコリとしてしまう。コトリは別に不貞腐れていたわけじゃなさそうだ。面白がっていただけかもしれない。


「えへへ、ゴマさんだよ」

 

コトリは満面の笑みを浮かべて話してくる。ゴマと名付けられた猫はコトリに抱かれたまま足をぶらつかせている。まったく抵抗していない。まるで、親猫に銜えられた子猫同然だ。

 

基弥はじっとゴマをみつめた。


「ゴマか、いいかもな。ちっちゃくて、色もゴマみたいだもんな」

「でしょ、でしょ」

 

コトリは、ゴマを押し付けるように「はい」と渡してきた。さっきは、逃げようとしていたのに、ゴマはなぜか、かん高い声で鳴き抱いていいよと言ってくれている気がした。ギュッとゴマを抱くと、ゴマも目を閉じ擦り寄ってきた。可愛いやつだ。基弥は鼻の頭でゴマの鼻筋に擦り付け「ゴマさん」と呟いた。なにを考えているのか、突然、コトリも猫のように擦り寄ってきた。基弥は身体が強張って、ただただ、どぎまぎするしかなかった。顔が妙に熱くなってくる。

 

ゴマなら平気なことでも、コトリだとちょっと違う。心臓が暴れだしてなんだか、苦しい。


「えへへ」

 

コトリの愛らしい笑みとまん丸まなこにドキッとしてしまう。


「いつも、一緒だよ」

 

こんな言葉言われたら、ついにやけてしまう。子供だと侮ってはいけない。小さくても女なのだ、きっと。


「ねぇねぇ、七つ池いこう」

 

コトリはゴマを攫うように抱きかかえ、急に走り出していってしまった。基弥は、すぐに追いかけることができなかった。なんだよ、急に。七つ池だなんてと心が萎んでしまう。どんどん、遠ざかるコトリ。

 

基弥は急に足が竦み、力が抜けていくのを感じた。冷たい風が吹きぬけていく。ポツポツと雨も降ってきた。いつのまにか、空は黒い雲の蓋で覆われている。耳鳴りもしてきた。


「基弥、基弥……、おまえは、基弥だ。なにもかも、捨てちまえ。早く、そ

いつを奪って復活しようじゃないか」


「……」

 

わかっているよ、「基弥だって」さっきから言っているじゃないか。おかしなこと言うなよ。まるでその言い方は別人だとでも言っているようじゃないか。それにおまえは誰なんだよ。ふと思った。もしかして、自分の声なのではないだろうかと。心の声?

 

耳を塞ぎかぶりを振る。


心の奥まで踏み込んでくる地響きのような声に基弥は震えた。意味がわからない。なにを言っているのだろうか。頭の中に粘土でも詰め込まれたような圧迫感。右手も左手も指先から痺れが伝わって腕へと登っていく。じんわり額から汗も浮かぶ。なにもかも奪われてしまうのではないかと気持ちが揺らぐ。基弥は錘を付けられたかのように重くなった瞼をゆっくりと閉じていった。


「お兄ちゃん!」

 

突然、コトリの声が鼓膜を刺激する。拡声器で叫ばれたような大音量。閉じた瞼を思いっきり開く。耳がおかしくなりそうで頭を左右に振った。コトリの声は、繰り返し、繰り返し耳を攻撃してくる。また、雷のような衝撃を受け身体が硬直した。脳が揺れるような気持ち悪さに吐き気がする。心拍数が、ズンズンと突き上げてきた。


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