2
「うぅーーー」
胸を押し上げ上気させた顔で呻き声をあげている。基弥は……あいつの中にいる……。ゴマは、目を光らせ、優希の胸元を見透かすようにじっとみつめた。ゴマは、心の中で念じた。コトリ、起きろ……早く、起きろと、念じた。キケンだ、キケンが迫っている。あいつを、優希を守れ。基弥から守れ。基弥を確保するんだ。
優希の唸り声を耳にしたのか、ゴマの声が届いたのかわからないが、眠い目を擦り身体をゆっくり持ち上げるコトリ。
「なぁにぃ……、なんなの?」
寝ぼけ眼で右を見、左を見、また右を見る。からくり人形が暗闇の中、首を振っているみたいだった。コトリは、まだ、頭がボーっとしているのかもしれない。可愛い顔立ちのはずなのに、トロンとした目をしたブサイクな顔をしていた。コトリの顔が暗闇に吸い込まれていく。どうやら紫色の月は、雲に隠れてしまったようだ。
優希が十六歳、コトリが八歳、仲のいい兄妹だと想像できる。兄のことが大好きな可愛い妹だと誰も疑うものはいないだろう。いつも一緒の部屋で並んで寝る姿が目に浮かぶ。いつもの光景だ、それは変わりない。優希が呻いている以外は、なにも変りはない。
「うぅーーー」
暗い部屋に、苦しそうな声音が響く。獣さながらの心の叫びがあたりを包む。ゴマは、耳を塞ぎたかった。だが、塞げない。猫とはどうにも、勝手が悪い。今は、そんなことを言っている場合ではない。すぐに、考えを振り払い優希とコトリに目線を向ける。
コトリは、ブルッと振るえたかと思うと、パッと大きく目を見開いた。
「お兄ちゃん?」
「う、うぅーーー」
「ねぇ、ねぇ、お兄ちゃん」
コトリは、優希のすぐ脇にいき、肩を揺すりお越しにかかった。何かピンとくるものがあるのか、目を見開きコトリは激しく優希を揺さぶる。それでも優希は目を開けない。
早く起こさなくてはいけないとばかり、コトリは揺する手を緩めることはない。優希の身体になにか別のオーラが取り込もうとしているのが薄っすら見える。ゴマは、目の色を変え、牙を見せた。間違いなく、優希を取り込もうとしているオーラが見える。早く、早くしろコトリ。急ぐんだ。
コトリもきっとオーラが見えているはずだ。目の動きがオーラを追っているのが、ゴマにもわかった。時間の猶予はない。優希を助けなければ……今は、コトリに任せるしかない。急げと、コトリに目で訴えかける。
コトリの目の色が一瞬変わった。黒い瞳から碧い瞳へ。いったいコトリはなにものなのだろうかと、その瞳を見たものは口を揃えて言うだろう。今は、その瞳の変化を見ているものはゴマ以外いない。問題はない。念のため、ゴマはあたりを窺った。問題はない、大丈夫だ。
「お兄ちゃん、起きて、起きてってば」
コトリは、優希の胸をバンと平手で強打する。攻撃的な目覚まし時計のごとく容赦なく、優希が目を覚ますまでバシバシ叩く。これで、起きなかったら化け物だってくらいバシバシ叩く。叩くたびに、ゴマは目をパチクリして顔だけ振るわせる。
コトリに向かって死んじまうぞ、おいと、前足を振って見せた。
優希の胸を叩くたびに、火花が散っているかのような火の粉が舞った。見ていられないと、一歩踏み出そうとしたが、すぐにゴマは足を止めた。
「や、やめろ、おい、やめろ!」
優希は、飛び起きてむせ返り、攻撃的な目覚まし時計と化したコトリの頭を叩いた。
「痛っ!」
コトリは、優希が繰り出す拳の一撃に非常事態宣言を知らせるサイレンと化した。大粒の涙を流し、サイレンは鳴り響く。頭にコツリとした程度のはずだったのに。ゴマは、大音量を避けるため伏せた格好に耳を折り曲げた。やはり、大音量は避けられなかった。うるさくてたまらない。それでも、優希の目覚めにホッと胸を撫で下ろした。
優希は、慌てふためきコトリの口を押さえてサイレンを止めようとしていた。それでも、サイレンは、鳴り止まない。少し音量が下がりはしたものの、周りに知らせるには十分な音量だった。先ほどまでの結界のようなものは、消え去っているようだ。大音量のサイレンを聞きつけ階段を上がってくるものがいる。
「なに騒いでいるの!」
早速、優希とコトリの母が飛んできた。本当に空を飛んできたわけじゃなく、階段をドタドタと駆け上がってきていた。
当たり前だ。誰も人が空を飛ぶなんてこと思うやつはいない。
「優希、コトリ、何時だと思っているの!」
母のイライラ度は、大音量の声音ですぐにふり幅マックスだとわかる。よっぽどコトリのサイレンよりうるさい。近所迷惑だ。まあ、近所は寝静まっているようだが。
優希は、間髪要れずに「ごめんなさい」と謝っている。コトリも、イライラ鬼母と化した母にビックリしたのかサイレンをピタリと止め、目から零れた涙を拭きキョトンとした顔をしていた。優希は、そんなコトリの頭を押さえるように謝らせていた。
「どうしたっていうの? こんな時間に」
母の怒りも、優希の機転で少し落ち着きを取り戻したようだ。
「ごめんなさい。つい、コトリの頭を殴っちゃって……、ゴメン」
「そう、もう、いいから寝なさい。わかったわね」
「うん」
優希の顔が少し和らいでいくのがわかる。ゴマもホッとした。
「おやすみ」
優しい声音に戻った母は、寝床へと戻っていった。
優希は、コトリに、タオルケットをかけつつ「ごめんな」と囁いていた。
「お兄ちゃん、コトリね……」
「どうした?」
「お兄ちゃんを助けてあげるね」
「え?」
「えへへ、ちょっとの辛抱だよ。だから、寝よっか」
「コトリ――」
「しっ! なんにも言っちゃダメ」
優希は、なにも言わないでタオルケットをかぶりすぐに寝息をたて始めていた。コトリの魔法が効いたのかもしれない。
コトリも、もう寝息をたてている。寝言なのか寝たふりをしているのか、なにやらごにょごにょと呟きを洩らしていた。
「うまくいくかなぁ……頑張んなきゃ」と。
ゴマもゆっくり瞼を下ろし、前足を枕にして眠りについた。
基弥を取り逃がしてしまったが、まあ、仕方がない。まだ、はじまったばかりだ。とりあえず、優希は大丈夫そうだし大目にみてやろう。




