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 気づくと暗闇が待っていた。今のは? やっぱり夢なのか……。

 アジャは、左右に小刻みに震えだし断末魔の声を張りあげた。暗闇さえもその声に、逃げ出そうと振るえ上がっていたかに見えた。


「基弥、もう、終わりにしよう。な、頼むから……」

「嫌だ、もう嫌だ。やめてくれ、頼むから……おいらは、基弥なんかじゃない。基弥なんか知らない、知るもんか」


 アジャは、倒れている基弥を一瞬見た。助けを求めるような目つきで訴えかける。目の前にいるのは、逢いたがっていた父ではないか。ならば、素直に胸に飛び込んでしまえばいいではないか。でも、できない。アジャは、頭を抱え込み獣のように吠えた。


「基弥、おまえは、アジャではない。基弥の自責の念が作り出した哀れな分身だ。もういいだろう。十分苦しんだではないか。大丈夫だ。まだ、間に合う。大丈夫だ」

「そうよ、私だって恨んでなんかいないんだから」

「ウソだ。ウソに決まっている。コトリも父ちゃんも……うぉぉぉーーーーーーー」


 暗闇に叫び声が広がった。アジャは、父を見てコトリを見て、そして、倒れている基弥を見た。全部亡き者にしてしまったほうがいいんだ。絶対そのほうがいいんだ。あそこにいる二人は幻覚だ。まやかしだ。そんな哀れな目で見るな。やめろ、やめろ、やめろぉーーーーーー。みんな、消えたほうがいいって思っているに違いない。この魂が悪さをするんだ。魂ごと消えちまえば、同じことが起こりうるはずがない。きっと、繰り返す。この魂がいれば、忌々しいことが繰り返される。コトリを死なせてしまったように。父を手遅れにしてしまったように。悪循環に陥るだけだ。ならば、この魂を無に帰すしかない。生まれ変わることなどあってはいけないのだ。だからこそ、優希も滅するしかない。それで、すべてが救われる。


「ダメ! ちゃんとその目で見て、耳で聞かなきゃダメ!」


 コトリの叫び声に顔を上げる。ふん、なにを見ろというんだ。なにを聞けというんだ。今更……。わかりきっていることじゃないか。足元に倒れている基弥を見据える。


 ん? なんだ? 泣き声かぁ?

 突然、ブローチから目映い光が放射状に広がった。

 ブローチからの光は、映像を暗闇に向けて上映していた。

 皆、泣いている。知っている顔がそこにいる。


「母ちゃん、兄貴」

 泣いている。みんな泣いている。

「基弥、ありがとうね」

「ゆっくり眠ってね」

 優しい言葉が、棺に眠る基弥に投げかけられている。

「おいらは、おいらは……」


 目元からキラリと一滴の涙が零れ落ちた。目が潤んで映像がぼやける。血の気のない青白い顔で眠る基弥が目に焼きついて放れない。

 信じられないと左右に振りながら、口をパクパクし涙を流す。


「ほら、おいで。大丈夫だから……」

 優しげな言葉に、心が洗われていく。アジャは、自分の手が透き通っていることに気がついた。こ、これは……。


「今頃、父ちゃんと一緒にいるよな、きっと。コトリも迎えに来てくれているかもしれないよな」


 そんな声も聞こえてきた。嬉しい声だ。そんなこと……。実際、目の前に父もコトリもいる。しかも優しい声で。


「おいら、おいらは……間違っていたの、か……」

 ブローチの光が一段と強く輝き始める。光は闇を照らし、あたりの景色を映し出す。だが、しかし、すべてを照らすには力が足りないようだった。


 あとひとつ珠が足りない。


「基弥、基弥、お父さんに逢えた? 一緒に笑っているの?」


 声がどこからか基弥のもとへと届けられる。足元に倒れている基弥に、いや、自分にかけられた声だ。アジャは、身体が軽くなり倒れている基弥へと重なろうとしゃがみ込む。それと同時に映像は薄れていった。



***



 アジャの身体は透き通っていき、基弥の身体に水を注ぎいれるかの如く流れ込んでいった。これで、すべてが終わる。そうよね。

 コトリは、基弥の父を見た。足元にはゴマもいる。


 いつの間に。ゴマったら……。上目遣いでゴマはみつめ返してきた。わかっているわよ、ゴマがいなかったらうまくいかなかったわよ。


 あれ? 待って、ブローチの珠、あとひとつ足りなかったんじゃ、なかったっけ?


「ねぇ、ゴマ、ブローチの――」


 言いかけた言葉に重ねるようにしてゴマが「大丈夫、心配ない」とニヤリと微笑みを浮かべた。

ふと、コトリの脳裏にある言葉が蘇ってきた。


『お嫁さんにしてね、約束だよ』と。

 なんで、こんなときに思い出すのよ。ただひとり、コトリはポッと頬を赤らめていた。



***



「基弥、起きなさい。基弥、ほら、コトリが待っているぞ」

 かがり火の灯りに目を眇め、顔を上げるとそこでみつめていたのは、紛れもない父その人だった。目じりの垂れ下がった微笑みを浮かべ優しげな瞳が懐かしい。


「あとのことは頼んだぞ、コトリ」

「はい……お父様」


 チーーーーーン。


 鈴の響きが心地よい目覚めを呼び起こして瞼を開けた。でも、ボケッと天井をみつめた。


 ここは、家だよな。瞳に映る景色は、いつもの家の景色のようだ。そうだ、この木目調の天井は間違いない。


「あれ? 父ちゃんは? コトリは?」

「おはよう。父さん、基弥」


 頭上から声が聞こえた。母の声だ。

 ん? 今、確かに『父さん』と言ったよなぁ。天国へ旅立ったはずだ。


 ぼんやりする頭に一気に覚めてパッと起き上がり、仏壇に目を向ける。やっぱり仏壇はあった。しかも、二つの位牌がしっかり立っている。


 倉重剛志と倉重基弥の位牌が。

 隣で手を合わせている母には、自分の姿は見えてはいないのだろう。なんだか、締め付けられるような気持ち悪さが心を貫いた。


「ごめんな、母ちゃん……」

 瞳が潤み始め、ポタリと涙が畳に落ちた。しかし、涙は弾けなかった。一粒の小さな珠となり淡い光を帯びながらコロコロと足下を転がっていく。

 最後の珠だった。


 基弥は、転がる珠を目で追いかけていくと、誰かの足に辿り着く。綺麗なかわいらしい足だった。目線をゆっくり上へとあげていく。


 目線の先にいたのは、ショートカットの唇がぷっくりとした碧い瞳の女性だった。


「コトリ……」

 口からスッと自然にその名が飛び出した。


 ニコリと微笑むコトリは、ゆっくり頷き足下の淡い光を帯びた珠を拾い上げ、こちらへと差し出した。


「そろそろ、行くとするか」

 コトリの横には、もうひとり笑顔の父の姿があった。基弥は、父の笑顔にボロボロと涙を流してただ頷くだけしかできなかった。


「お父様、ありがとうございました。これでやっと帰れそうです」

「いやいや、私はたいした事はしていない。役に立てたのかどうか……」

「大丈夫です。これで、やり直せます。あのときの続きを……」


 基弥は、コトリの言葉に『えっ?』と思いつつ、父の笑顔を焼き付けた。父の笑顔を見るとなんとなく切ない気持ちになった。笑顔を作ることができなかった。これで父と逢えるのは最後なんだ。二度と逢うことはできないのだろうと思えた。


「基弥、これはお別れではないよ。はじまりなんだ。そのことだけは忘れるんじゃないぞ」


 基弥は顔を上げ、父をまじまじと見た。はじまりかぁ。そうだよな。そう思わなくちゃいけないな。


「父ちゃん、ありがとうな」

 父は、頷き微笑んだ。

「じゃ、行きましょう。あなたの行くべき場所へ」

 コトリも微笑みを浮かべ、手を差し出した。それと同時に、五芒星のブローチが空へと浮かび輝き出した。基弥は、光るブローチを見上げ頷いた。


「コトリ、行こう」

「うん」


 基弥はコトリと手を繋ぎ、ブローチの後を追いかけるように飛び立った。ふと下に目を向けると、父が手を振っているのが見えた。「大丈夫だ」という声が聞こえてきた気がした。そうさ、これでいいんだ。大丈夫なんだ。


 チーン。

 鈴がひとつ小さく鳴った。


「頑張れよ、基弥」

 父の声が胸に深く刻まれた。


 基弥は、コトリの手の温もりを感じながら、どことなく懐かしい思いに駆られていた。コトリもまた、同じ思いを感じていたに違いない。コトリはそんな顔をしていた。



***



 目の前に大きな穴がぽっかり開いていた。底は見えない。とてつもない深い穴。


「私は、ここまで。あとは、ここを抜けるだけだから。ブローチだけは落とさないようにね」


 基弥は、大きく頷くとコトリをギュッと抱きしめた。そのとき目頭が熱くなるのを感じた。不思議と心が安らぐ。


 コトリは、照れた感じで身体を押し突き放して俯き「バカ」と呟いた。唇を震わせて涙を堪えているのだろうということがわかる。

滲む瞳を拭いコトリは微笑みかけ「早く行かなきゃ」とだけ照れくさそうに口にした。


 基弥も微笑み、手を軽く振ると踵を返して大きな口を開けた穴を見下ろす。が、また、振り返り「また逢えるよな」とコトリをみつめた。頷くコトリ。その頷きにホッと息をつき穴へと目を向け飛び立った。


「じゃな、コトリ」


 穴に入ると、エレベーターが急降下したみたいにスゥーとする変な気持ち悪さに捕らわれた。まるで胃が持ち上がって口から吐き出しそうな気持ち悪さだ。本当に飛び込んで正解だったのかと疑問すら湧き上がる。けど、コトリがウソを言うはずがない。これで、すべてがうまくいく。大丈夫だ、そのはずだ。そうだろ。父の面影を思い出し、大丈夫だという言葉を呑み込んだ。しばらくの辛抱だ。ガンバレと自分にエールを送る。


 どこからか「優希、優希」と呼ぶ声がする。なにも見えない真っ暗闇だけど、どこか温かな目で見守られているような長いトンネル。いつしか気持ち悪さも消え去っていた。いったいどこまで落ちて行くのだろうか。闇、闇、闇だ。


 まさかとは思うが……この先は……地獄?


 まさか、それはないだろう。だって、少しばかりだけれども温もりを感じるもの。だが、不安は拭えない。そう思うと気のせいなのかもしれないが、落下速度がスピードを増した気がした。気がおかしくなりそうなくらいのスピードで急降下していく。普通、失神するぞ。けど、冷静な自分がいた。


 本当に、このまま落ちていっていいものなのだろうか? どこまで落ちていったらいいのだろうか?


 基弥は、這い上がろうともがいてみた。そんなことをしても無駄だとわかっているが、もがいてみた。必死に、上へ上へとバタバタ手足を動かし暗いトンネルを這い出そうとしてみた。もちろん、無駄な足掻きだ。浮き上がることなどない。逆にスピードを増し急降下していく気さえした。


「父ちゃん……コトリ……」


 真っ暗闇に向けて叫ぶ。

 ダメだ、終わりだ。いや、大丈夫だ。いや、やっぱりダメかも……。

 そう思った矢先に、光を感じた。上ではなく、下に光を感じた。

 不思議に思い、顔を下に向けたそのとき、目を貫く真っ白な光の眩しさに、思わず瞼を閉じた。あまりにもの眩しさに言葉とも言えないなにかを叫んだ。


 頭の中が真っ白になっていく。

 ザブンと水の中から這い出した気がした。

 水の音が耳元でゴボゴボと鳴ったと思ったら、風の音を耳にした。


 心地よいリズムがあたりを包む。温かくて柔らかくて安らぎが心を満たす。

どこからか、優しげな声が語りかけてくる。


 人の気配を間近に感じた。見えはしないのに、確かに温もりある人肌を感じた。


 心臓の鼓動を感じた。

 消毒液のような匂いも感じた。

 シーツのツルツルした触感を感じた。

 もしかして……。


 目映いばかりの光る世界を感じた。元気な誰かの産声を聞いた。そして、喜びの声を聞いた。


「元気な男の子ですよ」


 生まれた……誰が?

 温かく柔らかな布に包まれるような感触。耳元で囁かれるこそばゆい柔らかな声。


「ゆうき、あなたは、ゆうきよ」

 姿は見えないが、触れる手の温もりがホッとさせてくれる。


「そうか、僕は、ゆうき。ゆうきって言うんだ」

 そう思った瞬間、なにかが弾けて飛んだ。


 優希は、そっと時間をかけて瞼を開き、そこがどこだか気がついた。

 病院だ。


 でも、なぜ?


 必死に、状況を整理しようと頭をフル回転して考えてみた。後頭部がズキリと疼いた。


「優希、優希、わかる」

 綺麗な女性が、優希と呼んでくる。脳の回路がいたるところへと信号を伝達しようと高速で走りぬける。


 優希? 


 この目の前の女性は……。


「優希、ほら、コトリもいるわよ」

 コトリと呼ばれた小さな女の子が顔を出す。どこかで、逢ったことがあるような、モヤモヤとした感じが胸の奥で渦を巻く。


 どうにも、頭がはっきりしない。


 優希? 僕の名前だよな……。でも、僕は……。違う名前だったような? 

 あれ? 思い出せない。

 えっと、確か。

 どこか遠くに行っていたような……。わからない。

 なにがどうなっている? そうだ、僕は生まれた。優しく見守られて生まれてきた。


 優希は、女性の顔を見て、コトリのほうを見る。繰り返し、繰り返し二人の顔を交互に見続ける。なにがどうなっている? 必死に状況を把握しようと考えてみた。


 病院だろ。この女性は……。うーん、コトリ……かぁ。何度も繰り返し考えを巡らせる。


 モヤモヤした霧が少しずつ晴れていく気がした。


「大丈夫? 優希。わかる、お母さんよ。ほんとにごめんなさい。私のせいでこんな目にあって……」


 ポロリと涙が手の甲に落ちてきた。温かい涙だ。母……なのか。母?   そ、そうだよな。じっとみつめるとそうだとわかる。


「母ちゃん」

「そう、そうよ」

 目元の涙を手で拭い、母は頷いている。

「お兄ちゃん……」

「コトリ」


 霧は、一気に晴れ青空が見えていく。

 あの空を掴めるような、手が届くような気がする。晴れやかだった。


「優希」

「母ちゃん」

 不安そうな母の顔がそこにある。

「ホントに大丈夫?」

「うん」

「そう」

「ここ……病院だよね」

「そうよ」

「僕……なんで……」


 優希は、後頭部の疼きとともにあることを思い出した。晴れやかだった気持ちがどこからか暗雲を引き連れてきた。

母の運転する車の助手席に座り、どこかへ向かおうとしている光景が目に浮かぶ。


 次の瞬間、軽自動車が助手席側に……。


 クラクションをけたたましく鳴らしながら、急ブレーキが悲鳴をあげる。

悲鳴とともに、ポケットからブローチが空を舞う。珠が光をおびてひとつひとつ弾け飛びどこかへ遠のいていった。五つの珠が、消え去ったのを確かに見た。


 真っ赤に染まった空の彼方に消えるのを見開いた目で見た。

 闇が襲い掛かり目を瞑る。


「わぁー!」

「優希、ほら、優希、大丈夫よ。優希」

 母が抱きしめ、そっと頭を撫でてくれた。

「お父さんもすぐ来るからね。もう、大丈夫よ。ほんとにごめんなさい……」


 優希は温かいぬくもりに、ふと、なにかを思い出しかけた。だが、それがなんだったのかは結局思い出すことはなかった。とてつもない、夢を見ていたような。夢じゃないような。遠いどこかへ旅に出ていたような……。


 心の奥底が少しばかり疼く気がしたが、少しずつ穏やかになっていく。事故の記憶も薄らいでいった。


 そのとき、コトリが、耳元で呟いた。


「よかった。間にあって。これでやっと元通りだね」

「えっ?」

「なんでもないよ」


 コトリの笑顔に、優希は笑顔を返した。妙にすっきりとした心地がしていた。



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