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 お坊さんの凛とした経を唱える声が響き渡る中、四十九日はしめやかに執り行われた。胸の奥まで経が響き、妙に耳に衝くような感じがして息苦しさを覚えた。酸素が薄くなっているわけじゃないはずだ。山の上でもないし、まわりで苦しそうにしているのは誰ひとりとしていやしない。


 ここは、辛抱するしかない。そんなこと容易くできるはずだ。

 そのはずなのに、グルグルと目眩を感じて目を開けてはいられなくなった。無理なのか、ダメなのか。こんなことははじめてだ。


 そのうち、お坊さんの読む経が文字がユラユラあたりを飛び交い、まるで魔物と化して襲い掛かってきた。ありえない、そんなはずはない。これは幻覚に違いない。辛抱だ、もう少しの辛抱だ。冷や汗を垂らしながらもグッと堪え、なんとか辛抱し苦痛の数十分を取り繕うことができた。そのあとはなんの問題もなく墓参りも済ませ、会食の席では父の昔話に花が咲き懐かしい気分で楽しく過ごすことができた。


 ただ、ちょっと気になる言葉を耳にした気がした。献杯の挨拶のときのことだ。


「父も弟も喜んでいることと思います」

 と兄貴の口が動いた。聞き間違いだったかもしれないが、そんな言葉を耳は捉えた。聞き間違いに違いない。だって、ここにいるのだから。気のせいだ。


 いや、いないのか……。基弥は、項垂れて頭を揺すった。まさか、そんなこと……。


 基弥は、胸が詰まる思いで、あれやこれやと考えを巡らせてはかぶりを振り、そうじゃないだの違うだのと独り言を呟いた。


 あっという間に時が過ぎていく。


 なぜか、ほんの数分の出来事のように感じていた。二、三時間は経過していたはずだった。そうでなきゃ、皆が帰り支度するはずがない。まるで、VTRを早送りしているような不思議な感覚。一気に人がいなくなる。みんないなくなる。


 いなくなると家の中に静寂が訪れ、なんともいえないくらいの沈んだ気持ちがやってくる。寂しさが込み上げてくる。父とお別れだからか? それだけか? なにか違う気がする。そのなにかがわからない。もちろん、父とはお別れだ。父の遺骨は墓に入り、間違いなく父の魂は安らかな眠りについたはずだ。けど、なにかが……。基弥は、かぶりを振り項垂れた。


 父がいないという感情が、変な気持ちにさせているだけなんだ。きっと、そうなんだと自分に言い聞かせた。もう、逢えないから。父と逢えないから、こんな気持ちになってしまったんだ。


 そう強く思っていたら、心の中にもうひとつの思いが込み上げていた。


 父は、魂となった父は、どこにも行ったりしない。ここにいるんだ。そうだよ、いるはずだよ。魂となった父は、きっといつでもこの家に戻ってこられるはずだ。墓に入ったはずの父は、すぐ横で微笑みながら「大丈夫だよ」と頷いている。そのはずだ。


 お別れだと言いながら、すぐそばにいるだなんて、なんだか矛盾しているがそう思えた。


 笑顔の父は永遠に不滅だ。

 生前の父を思い出す「大丈夫」という言葉。


 どんなに病気が身体を蝕んでいたとしても、我慢強い父は「大丈夫」という言葉をよく使っていた。我慢なんてしなくていいのに。病院の先生だって言っていた。


「すぐに救急車呼んでくれていいんですよ」って。


 父は、その言葉に笑っていたけど、きっとそのときも苦しかったんだ。

きっと、笑顔の向こう側では、暗い顔をしていたのかもしれない。


 酸素マスク越しに一生懸命話してくれていたけど、無理をしていたのかもしれない。そうじゃなければ、ここに、父の姿があっていいはずだ。今となっては、どうしようもないことだけれど……。


 最後まで、気遣って心配させまいとしていたのかもしれないと思うと、心がギュッとなる。


「父ちゃん……」


 やっぱり、もう一度、話がしたい。

 父は、天国へ行けたのだろうか?

 あんな優しい父が天国行きのチケットもらえないはずがない。

 そう、大丈夫だ。天国で笑っているはずだ。


 基弥は父の口癖がうつったみたいだと、ふっと心が和んで微笑んだ。父の思い出は数え切れないほどある。もう、新たな思い出は作ることができやしないけど、父の残してくれた遺品とともに違った思い出を作ろうと心に誓っていた。


 ひとつ溜め息を洩らすと、肩の力が抜け、急に眠気が襲ってきた。ほとんど寝ていなかったから当然と言えば当然なのだが。いや、寝ていたような気もする。


 どっちだったろう。おかしいな、記憶が曖昧だ。

 だが、眠い。それだけは確かだ。

 おや? 声が、聞こえる?


 「早く、こっちへ……」


 誰かが呼んでいる。


 その声のせいなのか、変な魔法にかかったみたいに、ウトウト舟を漕ぎながら、畳の部屋へ崩れるように夢の世界へと誘われていった。


 父との楽しい思い出の夢の特別チケットを手にして夢の国へ旅立っていった。本当にそうなのかどうかわからないけど。


 心の底から湧き上がる思いを抱きながら、どこかへ吸い寄せられていった。


「ゆ・う・き……ゆうき……」


 また、声が風に乗ってやってきた。聞き覚えのあるような、ないような声が。


 心が疼く。どうしようもなく、気が狂いそうなくらいに心が疼く。

 まったく「僕は、基弥だって言ったじゃないかぁ」



***



 可愛そうな基弥。成仏できずに彷徨っているのね、ずっと。父を追いかけるように亡くなったのに気づいていないなんて。でも、この記憶がもしかしたら基弥を助けることになりそうね。もちろん、優希を助けることにも繋がるはず。


 ゴマが隣で、すべてを理解しているかのような目を向けてきて「アジャもきっと救われるさ」と呟いた。


 アジャ? どういうこと?


 ゴマはなにも言っていないというように素知らぬ顔をして肩に乗ってきた。


「いくぞ」とゴマに促され、ゴマの言葉の真意を聞くことができなかった。

 

 いったい、なにを隠しているっていうの?


 コトリは、基弥のあとを必死で追いかけていった。離れまいと真剣な面持ちで基弥の記憶の流れに乗って追いかけていった。


 その間も、ゴマは誰かと話しているような感じがしていた。なによ、内緒話なんてしないでよ。教えてよ。隠し事なんてしないでよ。ふん、いいわよ。わかっているわよ。きっと、なにか言えない事情でもあるんでしょ。絶対、あとで教えてよね。


 とにかく、今は、基弥の記憶を追いかけなきゃ。



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