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動かざる正義  作者: ふぁい(phi)


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9/12

第九章 動かないという選択

選択肢がないわけではなかった。


桐山は、

それを一番よく分かっている。


制度の隙間。

裁量の余地。

言葉の選び方ひとつで、

流れを変えられる瞬間は、

確かに存在していた。


ただし、

それは常に

「公式ではない場所」にある。


会議の後。

文書が回る前。

誰も記録を取らない時間。


正義は、

そういうところでしか

動き始めない。



桐山は、

その場に立ったことがある。


過去、

同じような局面で、

一歩踏み出すこともできた。


だが、

踏み出さなかった。


理由は、

いくつもあった。


確証がない。

波紋が大きすぎる。

自分が引き受けるには重い。


どれも、

嘘ではない。


だからこそ、

選ばれた。


動かないという選択は、

いつも合理的だ。



もし、

ここで動かせば。


再調査の指示。

追加の検証。

外部への説明。


そのすべてが、

自分の名前と結びつく。


結果が出なければ、

「なぜ今さら」という

問いだけが残る。


組織は、

そういう人間を

長く覚えている。


良くも、

悪くも。



桐山は、

自分が臆病だとは思わない。


ただ、

制度の重さを知っている。


一度揺らせば、

戻らないものがある。


信頼。

前例。

説明可能性。


正義を動かすということは、

それらを

一時的にでも手放すということだ。


その覚悟を、

誰が引き受けるのか。



若手弁護士の顔が、

脳裏をよぎる。


彼は、

まだ制度の外にいる。


だから、

動かそうとする。


だが、

中に入れば、

見える景色は変わる。


桐山も、

かつては同じだった。


動かない判断を

選び続けるうちに、

それが「普通」になった。


正義は、

一度止まると、

止まったままでも

違和感がなくなる。



その夜、

桐山は自宅で、

何も書かれていない

メモ用紙を前にしていた。


書こうと思えば、

書ける。


疑念。

構造的な問題。

再検討の必要性。


だが、

それを書いた瞬間、

自分はもう

後戻りできない。


書かないことも、

また一つの選択だ。


誰にも咎められず、

誰も傷つかない。


少なくとも、

表面上は。



桐山は、

ペンを置いた。


動かないという選択を、

自覚的に選んだ。


それは、

逃げではない。


だが、

誇れるものでもない。


正義は、

今日も動かなかった。


そして、

動かなかった理由を、

誰も記録しない。


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