第八章 責任の所在
責任を探す作業は、
いつも静かに始まる。
声を荒げる者はいない。
詰問も、非難もない。
あるのは、
確認だけだ。
誰が判断したのか。
どの規定に基づいたのか。
承認は、
どこまで上がったのか。
そのすべてに、
答えは用意されている。
そして、
どの答えも、
間違っていない。
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現場は、
規定に従った。
上司は、
報告を受けた。
組織は、
手続きを踏んだ。
誰か一人が、
逸脱したわけではない。
だから、
誰か一人に
責任を帰すこともできない。
正義は、
分割され、
薄められ、
どこにも残らない。
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桐山は、
資料の流れを追う。
判断は、
段階的に積み上げられている。
一つひとつは、
合理的だ。
だが、
全体として見ると、
誰も全責任を負っていない。
これは、
失敗ではない。
制度の想定通りだ。
誰かが倒れないように、
責任は分散されている。
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「結果責任、
という考え方もあります」
誰かが言う。
だが、
それは続かなかった。
結果責任は、
この場では使われない。
なぜなら、
結果が「問題なし」と
整理されているからだ。
問題がなければ、
責任も発生しない。
正義は、
定義された問題しか扱わない。
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桐山は、
自分自身を含めて考える。
自分は、
どこにいたのか。
判断者か。
傍観者か。
制度の一部か。
どれも、
間違いではない。
だからこそ、
逃げ場がない。
責任は、
自分の外にあるようで、
どこにもない。
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会議が終わる頃、
誰かが言った。
「この件について、
責任の所在は
整理されています」
その言葉に、
嘘はない。
だが、
桐山は理解する。
責任が整理されるとき、
正義は固定される。
誰も悪くない。
誰も間違っていない。
だから、
何も変わらない。
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庁舎を出ると、
夕方の空気が
肌に触れた。
人々は、
それぞれの責任を背負って、
帰路につく。
家族。
仕事。
日常。
誰も、
この事件の責任を
意識しない。
それで、
社会は回っていく。
桐山は、
その流れの中で思う。
責任がないのではない。
責任を持つ場所が、
用意されていないのだ。




