第三章 新しい証言
連絡は、
正式なルートではなかった。
桐山の私用端末に、
短いメッセージが届いた。
「一度、話を聞いてほしい」
差出人の名前を見て、
桐山はわずかに眉を動かした。
当時、現場にいた警察官の一人。
報告書には、
ほとんど名前が残っていない人物だ。
役割が小さかったわけではない。
だが、判断を下した立場でもなかった。
だから、
語る場が与えられなかった。
沈黙は、
選択ではなく、
配置の結果だった。
⸻
指定された場所は、
庁舎から少し離れた喫茶店だった。
人目を避けるほどでもなく、
かといって、
誰かに聞かせたい話でもない。
男は、
桐山より少し若く見えた。
制服ではない。
警察も、
すでに辞めているらしい。
「今さら、
意味があるとは思っていません」
座るなり、
男はそう言った。
それは、
言い訳でも、
予防線でもなかった。
事実だった。
⸻
男の話は、
驚くほど地味だった。
銃を構えた瞬間の緊張。
上司の声。
周囲の視線。
ほんの一瞬、
判断が遅れたこと。
誰かが止めたわけでも、
命令を破ったわけでもない。
ただ、
迷いがあった。
「撃たなかった可能性が、
ゼロではなかった」
男は、
そう言った。
それ以上でも、
それ以下でもない。
桐山は、
黙って聞いた。
その言葉が、
どれほど扱いづらいかを
知っていたからだ。
⸻
「当時、
言えなかったのか」
桐山が尋ねると、
男は首を振った。
「言う場所が、
なかった」
報告書には、
選択肢は二つしかない。
適切か、
不適切か。
迷いは、
どちらにも属さない。
だから、
書かれなかった。
「言わなかったんじゃない。
書けなかった」
その言葉は、
言い訳には聞こえなかった。
制度の中では、
よくある話だ。
⸻
桐山は、
メモを取らなかった。
取る意味がない。
この証言は、
証拠にはならない。
記憶は曖昧で、
裏付けもない。
それでも、
嘘ではない。
だからこそ、
厄介だった。
正義を動かすには弱く、
疑念を消すには強すぎる。
「これを出しても、
何も変わらない」
男は、
自分で言った。
それでも、
黙ってはいられなかった。
沈黙が、
もう一度、
自分を縛ろうとしていたからだ。
⸻
店を出るとき、
男は言った。
「正しくなかった、
とは言いません」
「ただ、
正しかったとも、
言い切れない」
桐山は、
その言葉を、
心の中で繰り返した。
正しかったとも、
言い切れない。
それは、
制度が最も嫌う表現だ。
白でも黒でもない。
だが、
消せない。
⸻
庁舎に戻る途中、
桐山は考える。
この証言は、
どこにも行き場がない。
提出すれば、
「参考意見」として処理される。
記録には残るが、
判断には影響しない。
だが、
無かったことにもできない。
正義は、
こうして少しずつ、
重くなっていく。
動かないまま、
内部に澱を溜めて。
桐山は、
確信する。
動かざる正義は、
一つの判断で生まれるのではない。
語られなかった迷いが、
積み重なった結果だ。




