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beautiful scars

作者: Léger


最近にも思えるあの夏の日、約半年前の、梅雨が止んだ後も続いた鈍よりとした薄い群青の空


彼は突然、とても不自然に現れた


鎖で縛られた犬小屋と同じ意味しか持たない家に、生きる私はいないと思っていた


だからこそ表向き学校に通いながら時間を潰すことは少なからず私の安らぎとなった


この時代のある程度裕福な家庭は、他の家との均一化もしくはその上を図って、まるでそれが民の義務で―棒人間になるための第一歩とは知らずして―あるかのように、女子は洋裁学校へ通わされた


放課後、家出の時間は長ければ長いほど寿命を延ばす如く効果的であったので、私は校舎裏の事務室の窓の下、庭を遠目に、漆喰の壁に寄りかかって、時々不注意に過ごした


その日は雨が降ったせいで灰色の石畳にたくさん水溜りが出来ていて、私は座り込むのを断念し、不本意ながら下校した


隣に誰もいないことを確認することで、ほっと息をつき安心するなどという現象は、私に日々付いて回るもので、一人きりの帰り道でもまた、癖になりつつあった


ここでも私は時間の過ぎ行く速さを考査し、学校から見て北へ続く道を―豪邸が多く佇む平凡な道を―自分の足でゆっくりと辿っていた


いつも道しか見ず―つまり下を向いて、如何にも不幸な者の足取りで―豪華で地域での権力の見せつけとしか思えない家々には目も向けないのに、その日は足までも止まった


ある古いアパートのような横長の家だった


外壁はタビーで仕上げられているようだが、かび防止のために上塗りされた白い塗料が剥げ、かび諸共下地の色が出てきている


まさにアメリカでいわれる"オールデスト・ハウス"そのものだった


しかし、目が、足が共に止まったのは、絶対に、その周りから浮いた存在の家のせいではなかった


最初に香ってきたのは少し青臭く、それでいて甘い花の匂いだった


近くに花屋は見当たらない、どこかの庭で栽培しているのだろうか


花々に同情と共感を常に覚えていた私は、強い匂いの主が何なのか、その答えに珍しく興味をそそられ惹かれた


ジャスミンにしては甘すぎるし、薔薇と比べると引け目を感じる


目に映ったのは玄関の正面だけだったので、私は何か見落としたのでは、と三歩ほど後退してみた


すると、家の裏にはそれと同じくらい年を重ねていそうな、古い小屋があった


小屋と家の間、音をたてて、炎が燃えていた


降雨のために地面が濡れているせいで、規模は狭く、静かに炎は揺れていた


物体が燃焼し続けるのを直に自分の目で見るのが初めてだった私は、赤すぎると思うほど綺麗な灯火を目の当たりに怯んだが、次の一瞬、息を飲まずしてそこに留まってはいられなかった


地の上に窮屈そうに広がる、皇后とした薄い光の膜の中へ、白く薄く平たいものを形あるものにするために織り重ね、結合させた、俗にいう花が投下された


花弁の深部に隠し持った実を守るように、身重く、生えてきた姿を崩さずして逆に、頭から火の中に飛び込むかのように、花は落ちた


太陽と同じ赤の火が、花の白さを飲み込み、奪い、熔かすようにして茶黒く染め上げた


その一つの完全な燃焼を終えないうちに、ある白い手が花を投げ入れ、その行いが次へ次へと繰り返し続いた


私はその光景を奇妙に思いながら、白い手の元を目で辿り、ようやくそこに立つ人物といえる人影まで行き着いた


少年だった、自分と同じ歳の数か、もしくは少し年上の、若い人だった


けれども少年が持つ表情―あるいは仮面か―には、無邪気さや若さゆえの無謀さ、知人の若者たちが持つのに相応しい全てが、欠けてみえた


取って代わってそこにあったのは、冷淡で、何も考えていないと見せかけるようながらんどうな、少年には似つかわしくない―老人の持つ、時の織り成す凄み、心労と苦痛と、作り笑いの連続に疲れ切ってしまった―表情の空虚さだった


こうして回想してみると、ちゃんと表情以外の記憶も残っているようだったが、そのときは自分の中に何かしらの感情を探すばかりで、彼が初対面の人間であることを忘れていた


表情を除いたときの彼は、鈍色の清楚なシャツを着ていた、という微かなものだった


分かるはずもない心情に揺さぶられたかのように、それはとても悲しい色に思えた


アイロンがなされていないせいか、輪郭がゆらゆらと緩く、しわくちゃで、使用人が毎朝家族皆の服を整えてくれることを当たり前に思っていた、自分に疑問を抱いた


今以上に何も自分はいらないはずだ、満ち足りている、過度なのかもしれないほど、平和な環境に溺れてしまうほど


それは日常的に私が批判してきた、否定してきたことだった


十分と感じるのは、求める必要がある前に、すでに用意されたものがあるからで、決して私欲で求め動いているわけではない


手元にあるもののほとんどが、努力なしで手に入り、また喜びをあげるほど欲しいものではなかった


私は目の前の光景を眺めながら、自らの置かされた環境の不変さと貴さから、義務的に、その足で家へ帰ろうと思った


今まで私は温かい日差しの中で易々と生きてこられたが、あの少年は、一昔前の父のような―勝利を手にしても尚、戦争を経験した者が見せる心身の重さを、再現していた


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