第五話 都市へ向かう旅
フィンが話してくれた内容は、私にとってあまりにも衝撃的だった。
この森の奥にある、彼の住む小さな集落。そこに王都から騎士が派遣され、食料の補給路を断ち切っているという。その行為が、集落全体を飢餓の危機に追い込んでいると、フィンは震える声で語った。
私は彼の話を聞きながら、背筋に冷たいものが走るのを感じた。公爵令嬢セレスティーナとして過ごした三年間、私は常に温かいベッドで眠り、美味しい食事を摂っていた。飢えや寒さ、貧困といった現実とは無縁の、あまりにも恵まれた日々だった。この世界の貧しさなど、私が書いた小説の中の出来事だとしか思っていなかった。
それが今、目の前で現実として存在している。フィンが住む集落の人々が、飢えで苦しんでいる。その理由は、私が書いた小説のプロットと驚くほど酷似していた。
(私が書いた小説では、悪役令嬢であるセレスティーナが、自分の父親の政敵を失脚させるために、その領地を飢えさせたんだ……。でも、この世界では、その悪行を王子が仕組んでいるってこと……?)
私は、自分の記憶と現実を照らし合わせる。
セレスティーナの父親は、イリス王国の公爵として、この地方の貧しい人々の生活を支援していた。王子エリックは、その行いを自分の人気を高めるための邪魔だと考え、父親を政敵として排除しようと画策したのだ。
手はじめに、父親が支援していた集落の食料を断ち切った。
この行為は、私の書いた小説では、悪役令嬢セレスティーナの陰謀として描かれていた。だけど現実にこの世界で起こっていることは、王子エリックと聖女アメリアによる、冷酷で狡猾な策略だったのだ。
「まさか、私が書いた物語が、こんなにも現実と乖離しているなんて……」
だからあんな人気のない森に、私を置き去りにすることが出来たんだ…。
私の手は震え、背筋に冷たいものが走る。
ひょっとすると……?
”私を亡き者にする”そんなお膳立てまであったのかもしれない…。
小説は私にとっての「娯楽」だった。登場人物の感情や、物語の展開を、面白おかしく、そして過度に単純化して描いていた。
例えば、悪役の動機を「権力欲」の一言で片付けたり、正義の味方の行動を「善意」の一言で納得させていた。
しかし、この世界の現実はもっと複雑で、そして冷酷だ。
権力争いは、一つの家族、一つの集落、そして一つの命さえも、平気で犠牲にする。
私は現実という名の「困難な事実」を突きつけられた。
この世界は、私が書いた物語通りには動いていない。
私は、この世界の真実を、自分の目で確かめ、自分で物語を紡ぎ直さなければならない。
そうでなければ、フィンや、彼の集落の人々、そして、もしかしたらこの世界全体が、私が書いた物語の単純な結末に巻き込まれてしまうかもしれない。
「すまない、セレスティーナ……」
フィンが、私の顔をじっと見つめ、そう言った。
「俺たちのせいで、あんたまでこんな目に……」
彼の小さな肩が、不安と自責の念で震えている。
私は、その小さな肩を、そっと抱き寄せた。
「違うよ。フィンくんは何も悪くない。これは、この世界が抱えている問題なの」
私の言葉に、フィンは顔を上げた。
「……でも、あんたはもう、公爵令嬢じゃない。俺たちと一緒にいても、いいことなんて何もないぞ」
「それでもいいの」
私は、迷うことなく言った。
公爵令嬢としての地位も、華やかな生活も、すべて失ってしまった。でも、その代わりに私は、この世界で本当に大切なものを見つけた気がする。
それは、目の前で不安そうに私を見つめる、フィンの瞳だった。
私は、決意を固めた。
「フィンくん、私と一緒に、街に行こう」
フィンは驚いたように私を見つめた。
「街?なんで?」
「だって、このままじゃ、フィンくんたち、ご飯が食べられないでしょ?それに街に行けば、この状況を作り出したあの王子と聖女に、仕返しができるかもしれないから!」
私の言葉は、力強く、迷いがなかった。
フィンは、私の瞳に、見慣れない光を見つけたのかもしれない。
それは、お嬢様としての優雅さでも、転移者としての混乱でもない。
この世界で、自分の力で生きていこうとする、私自身の強い意志の光だった。
翌朝、私たちは街へ向かって歩き始めた。
フィンは、小さな背中に食料の入った籠を背負い、私は破れたドレスを気にすることなく、彼の隣を歩いた。
行く手には、王都の騎士たちがいるかもしれない。
王子エリックと聖女アメリアが、どんな罠を仕掛けてくるかわからない。
それでも私はこの旅を、自分の力で進んでいかなければならない。
これが、私が書く、私だけの物語の、本当の始まりなのだから。




