第三話 サバイバルと最初の出会い
「私は、私が書いた小説の世界に、転移してしまったんだ」
森の中に独り、私はそう呟いた。
頭の中は、今もまだ混乱している。
現実逃避したくて、この森が夢だったらと願っていたのに、現実は非情だ。
お腹は空いているし、ドレスはボロボロだし、足は痛いし……。
そもそも、公爵令嬢セレスティーナとしてこの世界で生きてきた三年間の記憶と、転移前の日本の社会人、”すずか”として生きてきた二十数年間の記憶が混ざり合い、時々どちらが本当の自分なのかわからなくなる。
「ああ、もう! こんなの無理ゲーすぎる…!」
私は地面にへたり込み、ボロボロになったドレスを掴んだ。シルクのなめらかな生地は、公爵令嬢として完璧に誂えられた一品だ。
(このドレス、オークションに出せば、かなりの金額になるんじゃ…? そしたら、当面の生活費にはなるはず…)
我ながら、突拍子のない発想に苦笑した。
とにかく、何か食べられるものを探さなければ。
私は重い腰を上げ、再び森の中を歩き始めた。
公爵令嬢として、セレスティーナは植物学や薬学も学んでいたはずだ。その知識があれば、食べられる木の実や薬草を見つけられるかもしれない。
私は目の前にあった、真っ赤な実をつけた木を見つめた。
(たしか…王立学園の授業で、この実は毒だって教わった気がする……でも私、この木の実を食べてる挿絵をどこかで見たような…?)
私が書いた小説は、細部まで作り込んでいた。食べ物一つとっても、どのような木の実をどんな状況で食べるか、細かく設定していたはずだ。
しかし、それがどの木の実だったか、全く思い出せない。
「う~ん、これは…やめておこう。もし毒だったら、一発でゲームオーバーじゃない…」
私はその実を諦め、さらに奥へと進む。すると、今度は地面に生えている、色鮮やかなキノコを見つけた。
(うっわ、何これ! めちゃくちゃカラフルで可愛い! 毒キノコっぽいけど、写真撮りたくなっちゃう!)
現代人としての感覚が勝り、思わずしゃがみ込んでスマホを探そうとしてしまう。手ぶらであることに気づき、我に返った。
そして、そのキノコをまじまじと見つめた。
(……え、これって、確か私が書いた小説に出てくる『幸運のキノコ』じゃん? 食べたら一時的に能力がアップする、みたいな設定にしたはず…)
記憶の断片が、また一つ蘇る。
(確か聖女アメリアが、パーティーで体調を崩したふりをするために、ちょっとだけかじって、でもその後に『能力アップ』の効果で王子の心を掴む、みたいな展開にしたような…)
記憶の中のアメリアは、可憐な笑顔で王子に寄り添っていた。その光景に、私は一瞬、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
(……やめておこう。もし毒だったら、能力アップする前に死んでしまうわ)
結局、何も食べられるものを見つけられず、私は疲労困憊で森の中をさまよった。
空腹、疲労、そして絶望感が、私の全身を蝕んでいく。もう、歩くことすら辛い。
「もうだめだ…」
そう呟き、地面に倒れ込もうとした、その時だった。
目の前が、突如として開けた。
鬱蒼とした森とは対照的に、そこには小さな広場があり、焚き火がパチパチと音を立てて燃えている。そして、その火に照らされた、一人の少年がいた。
少年は焚き火のそばに座り、何かを焼いている。
彼は、私が倒れ込むように広場に入ってくるのを見て、警戒するように立ち上がった。
「あんた、こんなところで何してるんだ?」
少年の声は、私と同じ言葉を話しているにもかかわらず、どこか硬く、よそよそしい。
「……道に、迷ってしまって…」
少年は、私のボロボロになったドレスを見つめ、眉をひそめた。都会の人間に対する、根深い警戒心を感じる。
少年は何も言わず、ただ私を観察していた。その視線に耐えきれず、私は焚き火の向こう側でしゃがみ込む。
その時、少年の手から、小さな丸いものが転がった。それは焚き火で焼かれた、黒く焦げ付いたジャガイモのようなものだった。少年は慌ててそれを拾い上げようとする。
その拍子に、彼の背負っていた小さな籠から、いくつかの木の実がこぼれ落ちた。
(あ! あれって、私が小説で『救いの実』って名付けた、食べられる木の実だ!)
また、記憶の断片が蘇った。
(あの実は美味しくて、栄養価も高い。主人公が森で飢え死にしそうになった時に、見つけて食べるんだっけ…)
私が小説で描いた通り、救いの実は、今、私の目の前に転がっていた。
私はそれを拾おうと手を伸ばしたが、少年が素早くそれを拾い上げてしまった。
少年は私の手元と、私の顔を交互に見つめる。
そして彼は何も言わず、拾い上げた木の実を、そっと私の方に差し出した。
「……食えよ」
彼の声は、ぶっきらぼうだったが、その瞳にはほんの少しの同情と、そして純粋な優しさが宿っていた。
私は、その少年の手から、熱い木の実を受け取った。
それは私が書いた小説の中で、主人公を救った、最初の希望だった。




