第二十一話 海風の街と新たな盟友
王都から伸びる街道を数日歩いた二人は、海風の匂いを嗅ぎつけた。その匂いは、王都の土埃や喧騒とは全く異なる、自由で清々しいものだった。森と丘を越え、ついに海へと続く道にたどり着く。地平線の向こうには雄大な海が広がり、その手前には活気ある港町が見えた。
「…あそこが、港町レヴェリアだ」
レオンが地図を広げながらそう言った。旅の疲れと、新たな場所への期待が混じり合った声だった。
私も港町をじっと見つめる。私の知る物語には、レヴェリアという港町は登場しなかった。これは、この世界の『物語』が、私の知るものとは異なる方向に進んでいる証拠だった。
街に足を踏み入れると、通りには魚介類を売る露店や、船乗りが集まる酒場がひしめき合っていた。身分を隠すため、公爵令嬢としての華やかなドレスではなく簡素なワンピースを、レオンは騎士の鎧ではなく動きやすい革の装束を身に着けている。
広場に立つ少女──まだ幼いが瞳には強い意志が宿っていた──が住民に向かって声を上げていた。
「…皆さん。このままでは、いけません! 港を支配する商会の横暴に、私たちはいつまで苦しめられるのですか!?」
震える声に、信念が込められている。しかし、住民たちは首を横に振る。
「…仕方ないよ。私たちは、弱いんだ」
「あの商会には、逆らえない…」
少女は悔しそうに目を伏せる。抗おうとするも、力がない。
私はレオンに視線を向けた。
「…レオンさん。彼女を助けてあげましょう」
レオンは頷く。
私たちは少女に近づき、声をかける。
「もしよろしければ、私たちも、あなたたちの力になれませんか?」
少女は驚き、警戒の眼差しを向ける。
「…あなたたちは……?」
「ただの旅人です。でも、あなたと同じように、抗おうとしている者です」
沈黙が続く。少女は少し迷った様子で口を開く。
「……私はリリィ。この町を商会の手から取り戻したい」
彼女の語る町の現実は重かった。独占、借金漬け、労働という名の束縛。自由の港は、鎖に縛られた檻に変わっていた。
私は深く息を吸い込み、告げる。
「リリィ。私は、虚無の秘術を持っています。あなたたちの鎖を断ち切ることができるかもしれません」
「虚無の……秘術……?」
リリィは、私の言葉に半信半疑だった。
そこで私は、彼女が今欲しい答えを引き出すことにした。
「リリィ。私が持っているのは、ただの魔法じゃないわ」
レオンは、周囲を警戒するため、少し離れて立っている。その間に、私はリリィにだけ聞こえるよう、声を潜めて話す。
「これは、『物語』の力を、無に帰す秘術。この街を支配する商会の『物語』を、私たちが新しく書き換えるための、唯一の力よ」
リリィの瞳に、疑いの色が残る。
「そんな、物語を書き換えるなんて……」
私は、彼女の言葉を遮った。
「そうよ!信じられないわね? でも…あなたは今、この街の商会が築いた『独占』の物語に苦しんでいる。そして、その『物語』は、この秘術の前では無力なの」
リリィの表情が、はっと変わる。
私は、彼女の視線から逃げずに続けた。
「私は、この街を笑顔にするための『物語』を書きたい。それが私の、そしてあなたの希望になる。だから…私を信じて」
リリィは、小さく震える声で言った。
「……信じます。私、あなたを信じます」
彼女が信じたのは、魔法の力ではない。
それだけは確かだった──。
*
数日後──。
商会の『力』の源、すなわち経営者が持つ魔力が込められた『契約書』を突き止め、独占の根源を断ち切るため、私たちは商会の倉庫に忍び込んだ。
倉庫の奥、埃をかぶった木箱の山に紛れて、厳重に鍵のかけられた鉄の箱があった。リリィが軽やかな身のこなしで周囲を警戒し、レオンが静かに箱の鍵を外す。緊張で心臓が早鐘を打つ。
箱を開けると、そこには古びた羊皮紙が収められていた。
それが『契約書』だ。
私は、震える手で契約書を手に取る。
契約書に魔力を込めた『虚無の秘術』を向ける。
「虚無を識り、存在を否定し、我が意志のままに、すべてを無形化せよ!」
呪文を唱えると同時に、私の掌から、漆黒の光が放たれた。光は契約書を包み込み、ゆっくりと、その存在を消し去っていく。
契約書が完全に消え去ると同時に、私の脳裏に、一つの幻影が蘇る。
それは、パソコンの画面に向かい、小説を執筆していた、転生前の私、すずかの姿だった。画面には、悪役令嬢セレスティーナに与える『秘術』の描写が書かれている。
『虚無の秘術は、相手の存在を無形化する。そして、相手の『物語』の力を、自らの『物語』の力に、吸収する』
幻影は一瞬で消え、私ははっと我に返った。
「…お嬢様、何があったのですか?」
レオンが、心配そうに私に問いかけた。
私は、幻影のことが気になりながらも、平静を装う。
「…いえ、なんでもないわ。これで、この商会の独占は、終わりよ」
リリィは黙って私を見つめた。その瞳には、私の『虚無の秘術』が生み出した、一瞬の光の残像が焼き付いている。
リリィは光を見上げ、瞳を輝かせる。
「……あなたなら、本当に世界を変えられるかも……」
私は微笑み、光を掌に収めた。
「ええ。私たちは、ここから始めるの!」
静かな倉庫を出ると、海の匂いを乗せた夜風が、私たちの頬を優しく撫でた。波の音が遠くから届き、まるで私たちの旅を祝福しているかのようだ。
新たな秘術の力と、その先に続く未知の『物語』
希望に満ちた潮風と共に、新たな旅が始まった――。




