第十七話 嵐の夜、迫り来る王子の影
聖女アメリアの執務室を後にした私は、手に握った『王子エリックの謀略に関する報告書』を確かめながら、静かに廊下を進んでいた。背後には、意識を失って倒れている聖女アメリア。私が放った秘術は、彼女の『魅了の魔法』を一時的に無効化するものであり、命に別状はないはずだ。しかし、彼女の放った言葉は、私の心に重くのしかかっていた。
『運命の糸』
私たちは、本当にこの世界の『物語』に縛られているのだろうか?
私が書いた小説のプロットと、この世界の現実は、すでに大きくかけ離れている。聖女アメリアが持つ『魅了の魔法』も、王子が公爵家を陥れた真の目的も、私が知る物語には存在しなかった。この世界は、私が思うよりもずっと複雑で、そして、奥深い闇を抱えている。
私は、レオンが指定した脱出ルートをたどるべく、館の裏口へと向かった。念話で彼の存在を確認する。
「レオンさん、私は裏口に向かっています」
「了解しました、お嬢様。私もそちらに向かいます。衛兵の巡回が激しくなっています、くれぐれもご注意を」
彼の声は緊張に満ちていた。館の窓から外を覗くと、先ほどまでの静けさが嘘のように、衛兵たちの慌ただしい声が響き、松明の光が至る所を照らしていた。
(王子は、私が聖女アメリアの館に潜入したことを、すでに知ったのか……!)
私の予想よりも早く、王子は行動を起こしていた。おそらく、聖女アメリアと私が接触したことを、何らかの手段で感知したのだろう。私は足早に廊下を進んだ。
その時だった。
私の目の前に、突然、一人の男が現れた。高貴な身なりをしたその顔には、見覚えがあった。
「……王子……エリック」
私は思わず彼の名前を口にしていた。
王子エリックは冷たく微笑む。
「おやおや、まさか、こんな場所で君に会えるとはね、セレスティーナ。君が聖女アメリアの館に潜入したと聞いて、急いで駆けつけたんだよ。君を、私の手で捕らえたくてね」
彼の瞳は捕食者のように鋭く光っていた。私は手に持った『報告書』を隠すように背中へ回す。王子はその動きに気づき、いやらしく笑った。
「その手に持っているのは、何かな? まさか、聖女アメリアが公爵家を調べ上げた『証拠』かな?」
(……なぜ、それを……?)
王子は満足そうに頷いた。
「聖女アメリアは私を裏切るつもりだった。君の『秘術』と、彼女の『魅了の魔法』を融合させて、この国を支配しようと企んでいたのだから。君もその証拠を手に入れて、彼女の野望を阻止しようとしていたんだろう? おや、奇遇だね。私も、同じ目的を持っていたんだよ」
彼の言葉は私の心を揺さぶった。だが、その声音には嘘くささが漂い、信じられなかった。
「君が手にしている『報告書』は、私にとって邪魔なものだ。だから、悪いが、ここで君を始末させてもらう」
王子は手を向ける。掌から放たれたまばゆい光が迫り、私は咄嗟に秘術の書を開いた。
「我を守りし、光の盾よ。我が願いに応え、その姿を具現化せよ」
透明な光の壁が王子の光を受け止め、二つの力が衝突し、衝撃波が廊下を震わせた。私は必死に堪える。
「まさか、君が私の攻撃を防ぐとはな……。やはり公爵家の『秘術』は恐ろしい力だ」
王子は驚きと興奮を入り混ぜた目で私を見つめた。
「なぜ、そこまでして、私を……!?」
私の問いに、彼は微笑んだ。
「君の『秘術』の力は、聖女アメリアの『魅了の魔法』を打ち消すことができる。私はその力を手に入れるために、君を捕らえなければならない」
その瞳には狂気の光が宿っていた。
「……王子も、この世界の『イレギュラー』なの?」
私の言葉に、王子の微笑が消えた。
「なぜ、そんなことを知っている……!?」
私は確信する。彼もまた、この世界の『物語』の外から来た存在なのだ。
「王子も、この世界の『物語』をハッピーエンドに書き換えようとしているのでしょう? でも、あなたの『ハッピーエンド』は、この国のすべてを、あなたの手中に収めること。それは、本当のハッピーエンドではありません!」
「黙れ! 私が目指すのは、この国を、私の手で正しい方向へ導くことだ! 君のような邪魔な存在は必要ない!」
再び王子の攻撃が襲いかかる。嵐のような力を防ぎきれずにいたその時──。
「お嬢様! 私がお嬢様を、お守りします!」
背後から声が響いた。振り返ると、レオンが駆けつけていた。彼は私を庇うように前へ出る。
「レオン……? なぜ、ここに……!?」
「お嬢様を一人で危険な目に遭わせるわけにはいきません。私はお嬢様の『騎士』として、お嬢様を最後までお守りします」
彼の言葉に胸が熱くなる。私は一人ではなかった。フィンが、レオンが、そばにいてくれる。
秘術の書を抱きしめ、王子を見据えた。
「王子。あなたの『物語』は、ここで、終わらせます」
掌から魔力を放とうとしたその瞬間、王子の背後から一つの影が現れた。巨大な剣を手にしたその影は、フードに顔を隠し、ゆっくりと私を見た。
その瞳には、私と同じ、そして私を凌駕する歪んだ闇が宿っていた。
「…お前か。この世界の『物語』を乱す、もう一人の『イレギュラー』は」
低く、どこか悲しげな声が響く。
私たちの物語は、今、新たな局面を迎えようとしていた。




