第十六話 館潜入・聖女アメリア対峙
私たちは一度ミナの家に帰り、身支度を整えてから、再び闇夜の王都へと足を踏み入れた。王都は、夜になっても衛兵の巡回によって静けさが保たれている。街路を歩く人々の顔には、疲れと、かすかな恐怖の色が浮かんでいた。
聖女アメリアの館は、貴族街の中でも最も高い場所に建っていた。白い大理石でできた館は、月明かりに照らされ、まるで神殿のように輝いている。しかし、その輝きは、私にとって偽善と欺瞞の象徴だった。
私たちは、館の裏口に身を潜めた。
レオンが私に最後の指示を出す。
「この裏口には、魔術師団が設置した、魔力の探知機がある。お嬢様の秘術が、感知されないように、慎重に進んでください」
私は頷き、深く息を吸った。
大丈夫。私は一人じゃない。レオンさんがいる。そして、フィンくんがミナの家で待っていてくれる……。
私は秘術の書を胸に抱きしめ、心の中で空間転移の呪文を唱えた。
「空間を識り、境界を歪め、我が意志のままに道を拓け」
掌に浮かんだ淡い光を裏口の扉に放つと、扉の空間が歪み、私たちは館の中へと転移した。館の中は静まり返り、豪華な調度品が並ぶ。壁には聖女アメリアの肖像画が飾られ、そこには清らかな笑みを浮かべた彼女が写っていた。
この笑顔の裏に、どれほどの闇が隠されているんだろう……。
私は憎しみにも似た感情を抱きながら、レオンがくれた地図を頼りに執務室へ向かった。扉の前には二人の衛兵が立ち、微動だにしない。
(……おかしい。衛兵が、まるで人形のようだ……)
秘術の書を読み、私はその正体を見破った。これは聖女アメリアが持つ、人の心を操る『魅了の魔法』の一種だった…。相手の心を完全に支配し、意思のままに操る力を持つ魔法だ。私は衛兵に気づかれないよう、念話でレオンに状況を伝えた。
「レオンさん。衛兵は、眠っているわけではありません。聖女アメリアの『魅了の魔法』によって、操られているようです」
すぐに返事が届いた。
「やはり、そうでしたか……。お嬢様。その魔法は、聖女アメリアの『力』の中心です。彼女の魔力は、館全体に及んでいます。慎重に進んでください」
私は頷き、衛兵の横を慎重に通り過ぎた。執務室の扉を開けると、そこには聖女アメリアが一人で座っていた。机に向かい、何かを書き記している。
聖女アメリアは、いつも王子と一緒に行動していたはず……。
なぜ一人なんだろう……?
その時、私の脳裏に一つのプロットが蘇った。私が書いた小説の最終章──聖女アメリアは王子を裏切り、その力を奪い、この国の支配者となるという結末だった。
「(……まさか……!)」
私の心臓は激しく脈打つ。聖女アメリアはすでに、王子を裏切る準備を始め、王子を陥れるための『証拠』を集めている。
私は彼女の背後に回り込み、書類を覗き込む。そこには、公爵家の財産の詳細な記録と、王子の不正を告発するための膨大な証拠があった。最上部にはこう記されていた。
『王子エリックの謀略に関する報告書』
私は手を伸ばしたその時、声が響いた。」
「……誰?」
彼女は振り返り、私に視線を向けた。その瞳はもはや慈愛に満ちたものではなく、私を凌駕する闇を宿していた。
「あなた……。誰かしら?」
私は言葉を失い、ただ立ち尽くす。
聖女アメリアの視線が私を貫く。
「…あなた、セレスティーナ・フォン・アーヴェル、公爵令嬢ね」
慈愛に満ちた声ではなく、冷たく鋭い刃物のように私の心を切り裂く。私は言葉を失ったまま見つめるしかなかった。
彼女は椅子から立ち、私に歩み寄る。
「不思議だわ。あなたから、私の『力』と同じ、強大な魔力を感じる。でも、それは私の『力』とは少し違う…」
手を伸ばされ、咄嗟に後ずさる。
「あなたも、私と同じ、この世界の『イレギュラー』なのかしら?」
私は動揺した。
「もしかして、私と同じ、転移者……?」
思わずこぼれた私の言葉に、聖女アメリアは満足そうに頷く。
「やはりね。私は、この世界の『ヒロイン』として、この物語に転移したわ。そして、この世界の『物語』を、ハッピーエンドに書き換えるために、この世界にやってきた」
「……あなたも、私と同じ……」
「ええ。でも、私たちの『ハッピーエンド』は、少し違うようね」
聖女アメリアは冷たい視線で告げる。
「私が目指す『ハッピーエンド』は、この国を争いのない、平和な『聖女の国』として、私が支配すること。そして、そのために王子や貴族といった争いの火種をすべて取り除くこと」
私は背筋が凍った。
彼女の言う『ハッピーエンド』は、私が目指すものと全く違う……。
「そして、そのために、私は、あなたが必要なの」
そう言って、手を差し伸べる聖女アメリア。
「あなたの『秘術』の力と、私の『魅了の魔法』を融合させれば、私たちはこの国を、一瞬にして平和な国にすることができる」
私は決して手を取らなかった。
「……いいえ。私は、あなたの『ハッピーエンド』には、乗れません」
怒りと悲しみが彼女の瞳に浮かぶ。
「なぜ? 私たちは、同じ目的を持っているはずなのに……」
「私たちは、同じ目的を持っていません。あなたが目指すのは、あなた一人のための『ハッピーエンド』。私が目指すのは、みんなのための『ハッピーエンド』だから」
私は秘術の書を抱きしめ、黒い光を放つ。
「光を喰らいし、闇の御子よ。我が願いに応え、その姿を無形化せよ」
聖女アメリアの光を飲み込み、私の体は自由を取り戻す。
「……まさか、あなた、そんな『秘術』まで使えるなんて……」
私は微笑む。
「これが、私が持つ、本当の『力』です。そして、私は、この力を使って、あなたを、そして、王子を、この世界の『物語』から消し去ります」
「何を言っているの……!?」
「いいえ。私は、この物語の『悪役令嬢』として、この物語を、ハッピーエンドに書き換えます。そして、そのために、あなたたちの存在は、不要なの」
私は書類を手に取り、レオンに念話する。
「レオンさん。証拠は、手に入れました」
「分かりました。お嬢様。脱出ルートを確保します。すぐに、裏口へと向かってください」
私は頷き、聖女アメリアの執務室から静かに立ち去った。
物語は、新たな展開を迎えた。私が想像していたよりも、ずっと複雑で、そして面白いものになるだろう。




