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第十一話 追われる者たち

 路地裏の湿った空気が、肺に重くのしかかった。私は息を切らして、背後の喧騒が遠ざかるまで必死に走った。フィンもまた、私の手を強く握り、必死に足を動かしていた。私たちはまるで獣から逃げるように、路地の奥へと身を隠した。


 人気のない薄暗い路地の片隅に身を潜める──。


「(本当に……逃げ切れた?)」


 私は自分の掌を見つめたけれど、そこには何の痕跡も残っていなかった。私たちは王子に見つかってしまったのだ…。もうこの街に長居することはできない。


「フィンくん、大丈夫? 怪我はない?」


 私はフィンの顔をのぞき込んだ。

 彼は不思議そうな顔をして、首を横に振った。


「……大丈夫だ。セレスティーナは、すごいな」


 なんだかむず痒い…。私はただの腐女子。すごいことなんて何もない。それでもこの少年は、私を信じてくれている。その期待に、私は応えなければならない。


「ありがとう、フィンくん。でも、今は、誰にも見つからないように、この路地を抜けよう。このままじゃ、本当に衛兵に捕まっちゃうから」


 私たちは再び立ち上がり、路地の奥へと進んでいった。路地裏には湿ったゴミや動物の排泄物の匂いが充満している。昼間の煌びやかな街並みとは全く違う、もう一つの街の顔がそこにはあった。


 私たちはゴミ箱の陰に隠れながら、人通りが途絶えるのを待った。

 その間にも王子の捜索隊が、私たちがいた広場へと向かっていくのが見えた。私はフードをさらに深く被り、フィンの手を強く握りしめた。


 路地を抜け、人気のない裏通りへと出た。

 そこは街の貧しい人々が住む下町だった。


 薄汚れた建物が立ち並び、子供たちが泥まみれになって遊んでいる。貴族の令嬢だったセレスティーナの記憶には、このような場所はなかった。私はこの光景に、ある種の違和感を感じた。


「(どこに行けばいいんだろう……? 宿は、もう危ない。かといって、野宿なんて……)」


 私は、途方に暮れていた。

 その時、私の目に一つの小さな看板が飛び込んできた。


『ミナの家 安宿』


 その看板は、今にも倒れそうな、古い家の前にかかっていた。なぜか直感的に、この家に入らなければならない、と感じた。


 家の扉を叩く。

 扉を開けたのは年老いた一人の女性だった。

 彼女の顔には、深い皺が刻まれているが、その瞳は優しく、そして聡明な光を宿していた。


 しばらくの間、彼女は、私とフィンの姿をじっと見つめていた。


「……お嬢様?」


 彼女の声は、震えていた。


「(なんで、私のことを……?)」


 フィンが私の顔を見た。

 彼女は「ささ、どうぞ…」と言い、私を家の中へと招き入れようとした、けど──。


「セレスティーナ?」


 戸惑っている私を見て、フィンが、私の手を強くひっぱった。


「フィンくん…」


 私はフィンを見て、年老いたこの女性を見て──またフィンを見た。

 フィンの顔に緊張も不安もない。

 私は自分の直観を信じることにした。


 *


 家の中は、狭いながらも清潔に保たれていた。

 私たちは暖炉のそばに座り、温かいお茶を振る舞われた。フィンはお茶を一口飲むと、安心したように息をついた。


「お嬢様……。セレスティーナ様では、ございませんか?」


 彼女の声は、確信に満ちていた。

 私は、もう隠すことはできないと観念し、フードを外した。


 彼女は私の顔を見て、静かに涙を流した。


「……ミナ……?」


 私の口から、思わず、その名前がこぼれた。

 彼女は、公爵家で私の世話をしてくれていた、昔の侍女だった。


(そうだ…ミナ。いつも私の身の回りの世話をしてくれていた。わがままばかり言っていた私を、それでも見捨てずにいてくれたのは、彼女だけだった……)


 私の頭の中で、セレスティーナの記憶が鮮明に蘇る。

 ミナは、私の手を優しく握りしめた。


「お嬢様……。なぜ、このようなお姿で……。やはり、王子の陰謀だったのですね……」


 彼女の言葉に、私は驚きを隠せなかった。


「どうして、それを……?」


 ミナは、静かに語り始めた。


「お嬢様が王都を追放された後、公爵様は、ご自身で不正の調査を始めました。しかし、王子の手が、すでに公爵家全体に及んでいたのです。公爵様はご自身が捕まることを予期し、私にお嬢様を助けるための資金と、情報源を託しました」


 ミナはそう言って、私に一つの小さな袋を渡した。

 中には金貨と、小さなメモが入っていた。


「……お父様……」


 私は胸が熱くなるのを感じた。


 私が書いた小説では、セレスティーナの父親は娘の不正に失望し、彼女を見捨てたことになっていた。しかし現実のこの世界では、彼は娘の無実を信じ、娘を助けるために密かに動いていたのだ。


(また、私の記憶と、現実が違う……)


 自分の書いた物語が、この世界の真実を完全に反映していないことを、改めて痛感させられる。


 ミナは、静かに続けた。


「お嬢様が王都にいることは、すでに知られています。特にあの広場での出来事……」


 そして更に、深刻な顔でこう言った。


「王子が、どこでそのことを知ったのかは分かりませんが、お嬢様が使った魔法を、公爵家に伝わる『秘術』だと考えたようです。その秘術を何としてでも手に入れようと、お嬢様を追っています」


「え…」


(……秘術? そんなもの、書いた覚えはない…!)


 私が書いた「呪文」は、ただの思いつきで適当に作ったものだ。それがなぜか実在する「秘術」として認識されている。


「お嬢様……?」


 私が黙り込んでしまったので、ミナが心配そうに声をかけた。


「私は、この世界の真実をすべて知りたいの。そしてこの物語をハッピーエン──」


 私は言葉を飲み込んだ。

 これじゃあ、まるで中二病だ……。

 だけど、ミナは静かに頷いた。


「……承知いたしました。わたくしも、お嬢様のお力になれるよう、できる限りのことをさせていただきます」


 彼女はそう言って、深々と頭を下げた。


 私は、ミナの家でしばらくの間、身を潜めることにした。

 この街の裏側には、私が知らない、もう一つの真実が隠されている。

 私は、その真実をすべて知り、この世界の運命を私の手で書き換える。

 それが、私の新しい物語の始まりなのだ!


(ふいに視線を感じて目をやると、ミナが心配そうに私を見つめていた…)


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