【エピローグ】再会の盤上
数年の歳月が流れ、光志はプロ棋士としてのキャリアを着実に積み上げていた。
この日、彼は日本ナショナルチームの一員として、東京・市ヶ谷にある国際棋院会館本院の「幽玄の間」に座する。
相手は、中国ナショナルチーム。国際親善団体戦の一局に臨むところだった。
対局前、光志は控室のベンチで、小さなパンダのキーホルダーを手にしていた。それは高校時代、林玥と交わした、ある“儀式”の名残だった。
「またそれ拭いてるんですか、光志さん」
若手棋士の多田が呆れたように言う。
「そいつ、もはや化石ですよ。てか、なんでそこまで大事にしてるんすか?」
「……これ、汚れてたら怒られそうだからな。あいつ、意外とそういうとこ厳しいし」
「ははっ、それ誰ですか? 古びたキーホルダーにそこまで気を使う人、初めて見たっすよ」
多田はからかい気味に笑いながら立ち去る。
光志は静かにキーホルダーを見つめた。
──あの日、駅のベンチで交わした言葉。
『預ける。再戦の日まで』
思えば、すべてはあのパンダから始まった気がする。
囲碁の面白さも、勝ち負けに振り回される苦しさも、そして……誰かと打ち合う楽しさも。
幻影ちゃん(ヒュー坊)と語り合った夜。
「論理じゃ説明できない一手に、人間の自由があるんです」
と、AIがどこか誇らしげに語った声も蘇る。
光志はそっと、キーホルダーをポケットにしまった。
そのとき、対局カードを見直していたスタッフが、ふと彼に声をかけた。
「林玥選手のこと、ご存じだったんですか?」
光志は小さく頷いた。
「……はい。ちょっとだけ……」
スタッフは驚いたように目を見開いたが、それ以上は聞かず、静かに頷いて去っていった。
控室の壁には、かつての高校囲碁大会の新聞記事の切り抜きが飾られていた。
『高校全国大会、光志の一撃が試合を決めた』
写真には、光志が碁石を打ち下ろす瞬間が写っている。
そして、その記事を眺める一人の女性
手に持つスマートフォンには、似つかわしくない古びた緑色のパンダのキーホルダーがぶら下がっている。
光志は立ち上がり、深く息を吸った。
「あの日の続きを打とう」
2人は、扉を開け、静かに会場へと足を踏み入れた。
盤上には、再会と新たな始まりが待っていた。
お・わ・り




