表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

【第3局】初めての大会


会場の体育館には、盤の数だけ、白と黒の小宇宙が並んでいる。

地方開催とはいえ、意外と参加ペアは多い。畳敷きの一角では、囲碁とは関係なさそうな将棋部が、なぜか観戦席でワイワイ盛り上がっている。


「駒落ちしないだけでマシだろ」

「いや、囲碁はパスできるからズルい!」


騒がしい。ルールすら違うのに、なぜ彼らはここにいるのか。

それよりも気になるのは、主催スタッフに紛れてやたら高そうな三脚を立て、碁盤を上から覗き込む老人だ。棋譜取りのようだが、ノートには判読不能の達筆で“幽玄”とか“厚み”とか書き込まれている。


「……いるよね、どこにでも、ああいう人」

光志が小声でつぶやいた。


「多分、アレが一番強いタイプだと思う」

「いや、たぶん“囲碁語りは好きだけど勝率は微妙”タイプ」

「……リアル」


二人の控えめな会話の横では、対局時計が“カチッ、カチッ”と規則正しく鳴っていた。普段の静かな部室と違い、ここの空気は少し乾いていて、落ち着かない。


***

ペア碁――正式には「ペア囲碁」とも呼ばれる。

ルールは単純で、男女ペアで交互に打ち進め、相談や話し合いは禁止。互いの読みと呼吸、信頼が試される。しかし仲が良ければ勝てるというものでもない。


光志とユエは、序盤から順調だった。

光志の成長は目覚ましかった。AIで学んだ変則布石や、判断の早さ、そしてなにより「考えた手を、責任を持って打つ姿勢」が身についていた。


「光志、そこ」

「打つよ」


ユエの目線に応える形で、黒石が盤に吸い込まれる。

その連携は、見ている者の目にも心地よかった。


光志のポンコツぶりは健在だが……

 ――右と左を間違えそうになったり、昼食のパンにカレーパンを重ねて持っていたり――が顔を出すたび、ユエはため息をついた。


「……この国の炭水化物、過剰すぎない?」

「愛だよ。糖質という名の応援」

「バランスの問題」


だが、こと囲碁に関しては、文句が出ることは減っていた。

そして、彼らは勝ち進み、ついに決勝に駒を進めた。


 ***

 決勝の控室。


「ユエ?」

 光志がユエの様子を見に行くと、彼女は静かに窓の外を見ていた。

「……来るとは思わなかった」


その視線の先――そこには、スーツ姿の大人に囲まれながら、どこか余裕を纏ったペアが入場してきた。

二人は、中国のナショナルユースの一員だった。特に男子の方――魯 ルー・ファンは、ユエのかつての同期。

彼の目は、ユエを一目見るなり、驚いたように見開かれた。


「まさか……君が、"こんなところ"にいるなんて」

「……たまたま。別に。あなたは、観光でしょ?」

「はは、日本の地方大会。暇つぶしにはちょうどいいよ」


ユエの拳が、わずかに震えた。


魯の女ペア――沈 シェン・シンは、笑みを浮かべながら言う。

「ユエ、あなたがこんなところで試合してるなんて。昔は、もっと上を目指してたのに……」


光志が思わず口を挟んだ。

「なんか会話が失礼じゃない?」


魯は、ちらりと光志を見て、興味なさそうに言った。

「君、彼女のパートナー? ふうん……まあ、がんばって」

その言い方は、明らかに「勝負にならない」と言っていた。


ユエは言い返さなかった。

 ――かつて、自分も同じように思っていたからだ。


 ***

 決勝戦。盤を挟んで、再会と対峙が交差する。


序盤、相手は隙のない布石を展開してきた。ユエは対応するが、ほんのわずかな“読みの深さ”の差が、じわじわと効いてくる。


光志も喰らいつくが、相手はプロを目指すレベル。形勢は徐々に傾いていく。


(……差が、開いてる)


ユエは静かに思った。自分が日本に来る直前までは、魯と互角だったはず。だが、今は違う。どこかで“伸び悩んでいる”自分に気づいていた。


(やっぱり、私の決断は――)


 そんな諦めが芽を出しかけたときだった。


「打つよ」

 光志が、ぽつりと言った。


盤の中央――絶妙なタイミングで打ち込まれた“切り”。

ありえないようなタイミングだった。だが、盤面全体を読み切ったうえでの、生きる可能性を作る一手。


「え……?」

魯が思わず声を漏らす。


審判席にいた棋譜取りの老人が、筆を止めた。周囲もざわつく。


「なんで……そこで、その手?」

ユエが困惑をにじませながら見つめる。

光志は、照れ笑いを浮かべた。


「え、なんとなく?」

「“なんとなく”でそんな手、打つな」


しかし――その後のユエは、わずかに乗り遅れた。

調子を合わせきれず、細かい読み違いが出た。終局後の形勢判断では、相手の半目勝ちだった。


終局の鐘が鳴る。

光志は盤をじっと見つめていた。


「……ごめん、僕がミスった」

「……違う。むしろ、私が……」


魯が、席を立ちながら言った。

「光志くん。君のあの手、ユエが一番よく覚えてると思う」


「え?」

「今の君たちは、噛み合ってなかった。でも、あの一手は、面白かった」


そして、彼はユエに向き直る。

「ユエ、お前、前より表情が柔らかくなったな。そういう囲碁も、悪くないんじゃないか?」


そう言い残して、彼らは去っていった。


 ***

 帰り道。バス停のベンチに二人で並んで座る。


「……あのとき、どうして、あの手を?」

ユエが、ぽつりと尋ねた。


「え? なんとなく、っていうか……AIなら絶対打たないけど、“面白そうだな”って思って」

「……」

「怒ってる?」

「……ううん。私、あなたの囲碁が“つまらなくなった”って思ってた。でも……」


そこでユエは、ほんの少しだけ、口元をゆるめた。


"つまらない囲碁を打つようになってたのは……私の方だったかも……"


ユエは少しだけ頬を赤らめて、そっぽを向いた。


光志は、笑いながら言った。

「ユエさ、今、俺の事“好き”って言った?」

「はぁ?言ってない。まだ“嫌いじゃない”の段階」

「だって、顔が赤くなっているから……なるほど、なるほど……昇段には程遠いな」

「じゃあ、光志も努力しなさい」


囲碁の実力も、感情も、きっとまだ噛み合ってない。

けれど、同じ十九路盤に座り、打ちたいと思える。

そんな気持ちが、ふたりのあいだに、生まれはじめていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ