【第2局】小さな部の再生
囲碁部が、公式に「再始動」した。
といっても、部員は二人。顧問は、定年まであと半年の岩田先生。生物の先生で、囲碁の知識はほぼゼロ。
「囲碁って、将棋と違って角がないんだよねえ。あ、駒じゃなくて石か……石ね、はいはい」
――そんな調子である。
「囲碁、好きなんですよね?」と尋ねたら、
「嫌いじゃない。あと半年だしな」
という意味不明の返事が返ってきた。
そんなわけで、僕たちは晴れて“仮”ではない囲碁部として、活動できるようになった。しかも、新年度予算で、なぜか部費もついた。部員が二人しかいないことがバレてなかったんだと思う。
そのおかげで――
「……ついに、買っちゃいましたよ」
僕は誇らしげに箱を掲げた。
「最新AI囲碁ソフト、バージョン9.2。プロ推薦、棋力九段設定可、戦型分析付き!」
ユエは興味なさそうに古い雑誌をめくっていた。
「AIに、勝ちたいの?」
「いや、勝てるとは思ってないけど……対局を見てると勉強になるし、変な癖にも気づけるし。あとは単純に、打ちたいときに打てて楽しいし」
そう言いながらソフトを起動すると、盤面がすっと表示される。整然とした十九路盤に、テンプレートの声が響いた。
「こんにちは。囲碁AI“碁脳”です。今日も一手一手、積み重ねましょう」
どこか人間味のある声だった。さすがプロ仕様。
「AIは……便利だよね」
ユエがぼそっと呟いた。聞こえたか聞こえなかったか分からないくらいの音量だった。
それから数週間、僕はAIとの対局に没頭した。
序盤の定石、序中盤のヨセ、布石に至るまで、ソフトは一手ごとに評価値を示しながら、最適解を打ってくる。
負け続けた。でも、打つたびに視界が開けていく感じがあった。
ああ、この手は打っちゃダメなんだ。
ああ、ここの“切り”は読みが甘かったんだ。
打てば打つほど、強くなっていく感覚があった。
……けれど。
なぜか、盤に向かう心が、少しずつ冷えていくのを感じていた。
「……林さん、一局どう?」
「やだ」
「え、即答!?」
「だって、あなた最近つまんないもん」
「つま……何が!?」
「そのまんま。AIみたいに打つようになった」
それを言われた瞬間、ちくりと胸に刺さった。
彼女は雑誌を閉じ、机に手を置いた。
「効率的で、失点が少なくて、でも面白くない。前のあなたの囲碁、ヘタだったけど、変だったけど、なんか……なんか、あった」
「“なんか”って」
「……よく分からないけど」
そう言ってユエは立ち上がり、棚の前へ向かった。最近、彼女は部室にある古い囲碁雑誌や漫画を片っ端から読んでいる。
白黒のページに書かれた「三村九段、今期初勝利」の文字を、ユエは指でなぞった。
「昔の日本の棋士、手が遅いけど、粘り強い。ムダ手ばっかだけど……気迫がある……」
「……そういうの、嫌いじゃないんだ?」
「別に。資料として興味あるだけ」
――あまのじゃく認定で乙……
そんな中、いつものように囲碁盤を拭いていると、岩田先生が突然現れた。
「君たち、ペア碁って知ってるかね」
「ペア碁?」
「男女ペアで交互に打つルールだよ。大会、来月あるって。出てみたらどうだ?」
「マジですか!? 出ます、出ます!」
光志は即答し、ユエの顔を振り返った。
「ね? ね? 林さん!」
ユエはしばらく無言だったが、やがてぼそっと答えた。
「……あなたとペアじゃぁ、勝てそうにないけど、逃げているように見られるのも嫌。」
「ってことは……出るってこと?」
「仮に、ね」
AIよりも冷静な声で、返事が返ってきた。
だけど――
その目の奥には、少しだけ、興味の火が灯っているようにも見えた。