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20 お花見とトラウマの男

 三月の中旬から、テレビでは桜の開花予想が始まった。連日、桜のつぼみを写真に撮っては〝この状態ではまだまだですね〟と気象予報士が紹介している。視聴者も最初は体感温度と変わり映えのない写真を見て〝当たり前だ〟とスルーしていたが、暖かさを実感してくるようになると、〝今日の桜の様子はどうかな〟と次第に関心が出てくるようになった。人は一年に二週間ほどしか咲かない桜でも、〝ここに桜がある〟というのは覚えているもので─…忙しい通勤途中でも、なぜかふと桜の木に目をやってしまうようになる。そして、その木が日に日にほんのりとピンクがかってくると、暖かい陽気と相まって気持ちが弾んでくるのだ。そして〝今日か明日にでも…〟と気象予報士の言う通り、例年より二日遅れて開花宣言が発表された。それは、絢音が毎月必ず休みを希望する二十五日だった。

 午前中に自分の用事を済ませた絢音は、昼食を食べに誠司の店にやってきた。

「あー、お腹すいた…」

「お、ちょうど良かった」

 店に入った直後そう言われ、〝何が?〟と思うや否や今度は夏帆が続いた。

「来てますよー」

「来てる…って、誰が?」

 そう言って夏帆が指差した方向を見れば──

「え、和くん…?」

「こんにちは」

「こんにちは…はいいけど、仕事は?」

 いつもの席に向かいながら〝珍しく休み?〟と目で問いかけた。

「休みました」

「休んだ? なに、何かあったの?」

 〝病気だったらここには来ないし…〟と思ったところで、夏帆が水とおしぼりを持ってきた。

「有給を使ったそうですよ。絢音さんと一緒に過ごすために」

「え、それだけのために?」

「それだけ…って、僕にとっては有意義な使い方ですよ?」

「ここでダラダラ過ごす事が?」

「絢さんと一緒に過ごす事が、です」

 和希はハッキリと訂正した。

「んー…」

「どうして黙っちゃうんですか…」

「いや、だってさ──」

 ──と言いかけた時だった。扉が鐘の音と共に開いて、少し高めの可愛らしい声が飛んできた。

「え、和希くんがいる…!?」

「おー、椿」

「いらっしゃい、椿ちゃん。有給取ったんですって、川上さん」

 夏帆が少し声を落として付け足せば、その言葉に椿の顔が〝ぱぁ…〟と輝いた。そして嬉しそうに、いつかの時と同じ席に座った。

「とうとう有給取ったんだぁ、和希くん」

「まぁ、うん─…」

「そっかそっか。有意義な使い方だねー」

「椿ちゃんまで有意義って─…ここでダラダラ過ごすだけよ?」

「分かってないなぁ、絢姉さんは」

「なにが?」

「重要なのは過ごし方じゃなくて、誰と一緒に過ごすかよ?」

 椿の言葉に、和希が〝その通りです〟と頷いた。

「んーー…」

「あ、また黙った…」

「いやいや…うん、まぁ、和くんがそれでいいならいいけどね…」

 与えられた有給をどう使おうがそれは自由なわけで─…ゆえに絢音がどうこう言う事でもないのだと、それ以上は言うのをやめた。

「じゃぁ、お昼は何にしますか? 僕もこれからなんです」

「それで〝ちょうど良い〟だったんだ?」

 和希が頷いた。

「じゃぁ、えっと…ピザにしようかな。ドリンクはアイスティーで」

「僕も同じものをお願いします」

「私も同じのにする。ドリンクはアイスコーヒーで」

「ピザが三つとアイスティーとアイスコーヒーが一つずつ…と」

 夏帆が言いながら三枚の伝票を記入してから、改めて誠司にオーダーを通した。

「それはそうと…椿ちゃん、仕事は?」

 これまた、平日のこの時間には来ない椿に絢音が聞いた。

「今日は事前準備のためにお休みしたの」

 そう言って、絢音と夏帆に指先を見せた。

「あー、ネイルか…」

「この時期って、いつも桜よね?」

 夏帆が持ってきた水とおしぼりを置きながら言った。

「毎年悩むんだけど、テレビで毎日のように桜の話を聞いてるとこうなっちゃうんだよねぇ」

「あー、それなんか分かるかも。僕も毎日テレビで桜の話を聞いてると、〝桜、まだかな…〟って気になってきて──」

「それ私も。しかも、ちょうど今日、開花宣言が発表されましたしね」

 和希の反応に夏帆が同意した。更に絢音が続く。

「開花宣言か…。満開はいつになるんだろ…」

「一週間か十日くらいですかね」

 独り言のようにつぶやいた絢音の疑問に答えつつ、ふとある事を思い出した和希。そのタイミングは、椿と夏帆がハッと顔を見合わせたのと同じだった。

「絢さん─…」

「うん?」

「あの、お花──」

「「お花見!!」」

「「え?」」

 椿と夏帆が発した言葉が和希のそれとシンクロして、それに驚いた和希と絢音の言葉もシンクロした。同じ言葉だと分かった椿と夏帆は、〝あ、どうぞ〟とその先の言葉を和希に譲った。和希は改めて絢音の方に向き直った。

「絢さん、お花見しに行きませんか?」

「お花見?」

「桜は好きだって言ってたので─…」

「あー、言ったね」

「人が多いので、それが嫌だって言われたらそれまでなんですけど…」

(確かに人混みは嫌いだけど…。この真っ直ぐ見つめてくるワンコのような目ってさ─…)

 断ると、今感じている胸の痛みが違う痛みになるのは間違いないわけで…。

「分かった。でも──」

 一瞬、和希はもちろん、椿と夏帆も顔を見合わせ手を叩きそうな勢いだったが、〝でも〟と続いて笑顔が消えた。

「で、でも…?」

「満開時期と二人の休みが合えばね」

「それって…日にちが限られてきません?」

「限られるねー」

「満開時期と休みって事は、必然的に来週の週末ですけど─…絢さんの休みはどうなんですか?」

「私は──…」

 言いながら手帳に挟んである勤務表を見てみれば、ちょうど夜勤明けの次の日が休みになっていた。

「あら、偶然…」

「え、もしかして──」

「休みだった」

「やった」

 小さくガッツポーズをして喜ぶ和希と同時に、椿と夏帆も顔を見合わせて喜んだ。

「ねぇねぇ、じゃぁ、どこの桜を見に行く?」

 まるで自分の事のように椿が身を乗り出した。

「どこって─…絢さんはどこが良いですか?」

 和希が絢音にふる。

「私は─…」

「思い切って、ドライブがてら県外に行っちゃったら? それで他のデートスポットも回っちゃったりしてさ。おすすめの場所なら、私がお客さんに聞いてみてあげるし──」

「はいはい、ストップ、椿ちゃん」

 夏帆が口を抑えそうな勢いで止めた。

「ここは私たちが出しゃばるとこじゃないでしょ〜?」

 そう言われて、椿がはたと我に返った。

「ごめん、つい─…」

「気持ちは分かるけどね、私も同じだから」

「…だね。分かった。じゃぁ、ここからは黙っとく」

 〝だから和希くんどうぞ〟と、軽く手で合図した。それを受けて、和希が再び質問した。

「どこか見たい桜ってありますか?」

「どこの…っていうのはないけど、近場がいいかな」

「近場…」

「近場なら、隣町の桜望(おうみ)川でいいんじゃないか? ほい、絢ねぇのアイスティーと、二人分のピザな」

 誠司が出来上がったピザとアイスティーをそれぞれの前に出して言った。

「ありがと」

「ありがとうございます」

 次いで、椿の分を手渡す。

「ありがと、誠司にぃ」

「この辺では有名だろ、桜望川の桜並木って」

「…確かに。両岸四キロずつの桜並木が続いてるんですよね」

「往復で八キロ…」

 和希の〝両岸四キロずつ〟という言葉に、ピザを食べようとしていた絢音の手が止まった。そこで夏帆が援護する。

「あの桜並木、別名〝しあわせ桜並木〟っていうの知ってます?」

「しあわせ桜並木?」

 〝知らない〟と絢音が首を振った。和希も誠司も知らないという顔だが、椿は知っているようだった。ただあえて口は閉じていたが。

「真ん中にある橋が〝あわせ橋〟って言って、両岸にいる人をそこで会わせたり、反対側の桜並木を繋ぎ合わせるっていう意味でつけられたんです。それで四キロの〝ヨン〟を〝シ〟って読んで、〝四合わせ〟…つまり〝しあわせ桜並木〟って言ってるみたいですよ」

「「「へぇーーー!」」」

 絢音と和希と誠司が目を丸くして〝初めて聞いた〟と感心した。

「それに、桜並木の両端にはそれぞれ〝北桜望駅〟と〝南桜望駅〟があるから、片側の桜並木を抜けたらそのまま電車に乗って帰ることができるんです」

「なるほど、それ便利ね」

 往復しなくても良いという点で、絢音が少し乗り気になった。

「でも、おすすめはね──」

 椿が黙っていられないと、その後を続けた。

「二キロ歩いたら、あわせ橋を渡って反対側の桜並木を歩くの。距離は四キロで済むし、あわせ橋を通ったことで〝しあわせ桜並木〟を歩いた事になるでしょう?」

「なるほど。──それ良いですね、絢さん?」

「そうね。四キロでその恩恵に預かれるなら行ってもいいかも」

 その返事に、椿と夏帆がお互いに小さなガッツポーズをした。

「じゃぁ、来週の土曜日、電車で行きましょう」

「オーケー、分かった」

 とりあえず約束ができた事で、みんなはピザを食べ始めた。時間と最初にどっちの駅を利用するかという話は、食べながら進めていった。


 そうして迎えた翌週の週末。予定していた土曜日は、絢音が出掛けるには珍しく晴天に恵まれた。二日前は雨と風が強く、せっかく咲いた桜が散らないか…と和希は絢音のいない店から外を眺めていたのだが…。

「良かったです、そんなに散ってなくて」

 遠い方の南桜望駅を降りた和希は、桜並木を歩きながらホッと胸を撫で下ろした。

「咲いたばっかりだからね。これが満開を過ぎてたら、結構散ってたかも」

「ですね」

 満開の週末とあって、想像以上に人がごった返していた。並木道の片側には色んな屋台が出ていて、そこで買おうと立ち止まる人で更に前に進めなくなる。一方通行でもないため、対向する人とすれ違うのも一苦労だ。和希はこの人混みの中、フードを被った人がいないかを確認しながら、絢音と離れないよう手を繋いだ。それはとても自然の流れで、絢音も〝手…〟と意識する事なく普通に和希の手に安心していた。

「最初に何が食べたいですか?」

「もう、なんでも。朝食べてこなかったから、お腹ぺこぺこ」

「僕もです」

 実は誠司から〝朝食は抜いて行け〟と言われていたのだ。

「とりあえず、目の前にあるたこ焼きにしない?」

「そうですね。二つ頼みます?」

「ひとつで。半分ずつした方が──」

「種類が食べられる、ですね」

「その通り」

「分かりました。じゃぁ──…たこ焼きひとつください」

 繋いだ手を離してお金を出すと、〝ありがとうございますー!〟と元気な声とたこ焼きひとつ、そして何かのカードとシールを渡された。混雑しているためすぐには確認できず、和希はまた絢音の手を引っ張って、少しスペースのある場所へと移動した。

「絢さん、先にどうぞ」

「いいの?」

 和希は〝はい〟と頷いた。絢音が食べている間、和希はさっき貰ったカードとシールを確かめた。カードには十個の桜の木の名前が、シールには〝しとやか〟と書かれていた。カードの上の説明には、〝桜の花言葉〟と書いてある。

「花言葉のシールみたいですね」

「花言葉?」

「全部貼ったら何かあるってわけでもないみたいですけど─…どうします?」

「いいんじゃない? 時間もあるし〝桜〟〝花言葉〟で調べてみて」

「分かりました。」

 和希は携帯を取り出すと、言われた通りその二つの単語で調べてみた。すると──

「すごい、一覧で出てくるサイトがありました」

「あ、じゃぁそれ、スクショ撮っておいてね」

「あぁ、そうですね」

 言われて、忘れないようすぐにスクショを撮った。

「それでえっと…〝しとやか〟は〝八重桜〟ですね」

「八重桜──…ってどんな桜だっけ?」

「…っと、ちょっと待ってください」

 今度は〝八重桜〟で画像検索をして絢音に見せた。

「あー、はいはい。見たことある、こういうモコモコした感じのね。──じゃぁ、八重桜のところにそのシールを貼っちゃおうか」

「はい。──貼りました」

「じゃぁ、こっちもいいよ。半分、どうぞ」

「いただきます」

 携帯をポケットにしまい、絢音から渡された半分のたこ焼きを食べ始めた。

「うん! お腹が空いてるから余計に美味しく感じますね」

「空腹の時はひもじくて不幸でもさ、食べる時は何を食べても幸せに感じられるんだから、裏を返せば空腹って幸せな事なのかもしれないよね」

「うーん…それは分かるような気もしないでもないですけど、空腹は裏を返しても空腹だと思いますよ。それに、飢餓は怖いって前に言ってませんでした?」

 ゆえに〝空腹は幸せじゃない〟と言うと、絢音は〝あは、そうだった〟と笑った。そしてまた手を繋いで歩き出した。

「桜って、どうしてこんなに惹かれると思う?」

 〝ほんと綺麗だなぁ〟と桜を見ながら絢音が聞いた。

「色はもちろんですけど、咲いてから散るまでが短いから、その儚さ…ですかね」

「それさ、セミにも思う?」

「え?」

 思わぬ質問に、絢音の顔を凝視した。

「セミって──…」

「一週間だよ? 七年くらい暗い土の中にいて、地上に出て華やかな世界を知ったのに一週間で死ぬって、桜より儚くない? なのに全然、惹かれないよね」

「そ、それは─…」

「ま、うるさいし夏の暑さもあの鳴き声で倍増されるから嫌われちゃうか…」

 最後は一人納得する姿に、和希は〝絢さんらしい…〟と笑ってしまった。

「あ、でも…他の花との違いはあるんじゃないですか?」

「違い?」

「葉より花の方が多いから、視覚的に花束を見ているのと同じっていうか、花だけを堪能できるから、その綺麗さに感動する─…みたいな」

「あー、なるほど。葉の少なさね。確かに、花が散ってから葉桜になるもんね。うん、それはあるかも」

「良かった」

 納得できたところで、絢音は次の屋台に目がいった。

「次、あれ食べよ?」

 指さしたのはフランクフルトだった。

「いいですね。さすがにコレはひとり─…?」

「一本で」

「ですよね。分かりました」

 和希がフランクフルトを二本買うと、今度はシールが二枚ついてきた。シールはあとにする事にして、二人は歩きながら食べ始めた。そしてまた話し始める。

「この時期になるとさ、あ、あそこの家の庭に桜がある…って気付くんだけど─…」

「あー、ありますね。僕もたまに見る事がありますよ。庭に桜か、いいなぁ…って思いながら通り過ぎたりします」

「そう。私もいいなぁ…って思うんだけど、よくよく考えてみたら、〝いいな〟って思うのって一年間のうちの二週間くらいなんだよね。それ以外は葉っぱか木だけだと思うと、なんか寂しくない?」

「あ、確かに…」

「しかも、桜の木って毛虫とかいっぱいいるから、庭の木としてはデメリットが多いんだよ。そう思ったらさ、うん、桜は見にくるものだな…って改めて思う」

「なるほど。家で独り占めもいいですけど、こうやってここに来れば、色んな食べ物もありますしね」

「そうね。花より団子派は、それが最大のメリットだわ」

「あ、ちょうどその団子がありますよ」

「おー、食べよ。王道の三色団子」

「いいですねー」

 そうして今度は三色団子を買い、また別のシールを貰った。三色団子はその色味もあって、思わず二人で桜と一緒に写真を撮った。

 次はどこからかバーベキューのいい匂いがしてきた。

「この陽気だからバーベキューは最高だよね」

「片付けがなければ、ですよね?」

「正解〜。あと酔っ払いとカラオケは勘弁してほしい」

「そういえば、イベント日には仕事を入れるって言ってましたけど、職場のお花見とか忘年会とかはどうしてるんですか?」

「もちろん、働くよー」

「その時もですか?」

「だって、お酒飲めないしさ。しかもお酒飲めない人って、運転手要員として見みられがちじゃない? あれも納得いかないし。何より酔っ払いは歌とかも要請してくるからね」

「じゃぁ、今まで一度もそういうのには出て─…?」

「ない事も、ない。そういうのに出たくない人が増えてくると勤務希望が被っちゃうから、どうしても出てる回数が少ない私がそういうのに行く事になったりするのよ」

「その時はどうするんですか? 運転手を引き受けたり、歌とかも歌ったりするんですか?」

「まさか。車はね、もう最初から出さない事にした。何も言えない新人じゃないから、〝飲むやつは電車かタクシーで帰れ〟って言ったし」

「本当に!?」

「もちろん。たまに来たやつが真顔でそう言ったから、それからみんな電車かタクシーで帰るようになって、他の人に感謝されたよ」

「あはは、さすが絢さん。──あ、じゃぁ、歌は?」

「最初は拒否してたんだけど、なんかお酒飲んでる人だけが楽しい思いしてるのがバカバカしくなって、ある時、フッと吹っ切れた」

「歌ったんですか!?」

「そう。バカになればいいやって」

「え、バカになれば…?」

「お酒も飲んでないけど、恥ずかしさのメーターを振り切っちゃってさ。〝歌が下手だからって文句言うなよー〟って宣言してから、ノリのいい歌を歌う事にしたの。そしたらなんかもう、すごく楽しくてねー」

「そうなんだ…。僕も一緒に歌ってみたいな、絢さんと」

 〝歌を聞いてみたい〟と言われることはあるが──しかも興味本位で──そうではなく、〝一緒に歌いたい〟と言われたからか、絢音はいつものような〝嫌だ〟という思いにはならなかった。

「一緒に歌ってくれるならいいよー」

「え、ほんとですか!?」

「和くんとなら一緒に歌っても楽しそうだし」

「じゃぁ、いつかカラオケに行きましょう」

「そうね、いつかね」

「はい! ──あ、でも、ノリのいい曲っていうのは正解ですよ」

「なにが?」

「歌が苦手な人は、ゆっくりした曲より速い曲の方が上手く聞こえるんです」

「え、そうなの?」

 和希が頷いた。

「ゆっくりな曲って音程を取るのが難しいのと、ごまかしが効かないんですよね。シンプルだからこそ、難しいというか──」

「中華のチャーハンと同じだ…」

「え…?」

「ほら、よくいうじゃない。チャーハンが美味しい店は、その他の料理も美味しいって。基本でシンプルな味付けだからこそ、一番難しいって」

 そこで和希が笑った。

「え、違う?」

「いえ…。いえ、そうじゃなくて─…例えが食べ物になったから、やっぱり団子派だと思って…」

「でも分かりやすいでしょ」

「はい、まぁそうですね」

「でもそうするとさ、バラードって歌のうまさが露呈するってわけだ」

「そうですね。それは言えると思います」

「私、頭をガンガン振り回すような歌って苦手でさ─…上手いのか下手なのかよく分からないんだよね。でもああいう人がたまにバラード曲を作って歌うと、めちゃくちゃ良かったりしてちょっと感動する時がある。ちゃんとした歌に聞こえるっていうか、歌上手いじゃん…って分かるくらい、本当の歌として認識するみたいな」

「確かに、ロッカーが作るバラードってすごくいいのありますよね。あ、あと…本当の歌として聞こえると言えば、僕は声でそう感じる時がありますよ」

「声?」

「外国の人が母国の言葉を喋ってる時はあまり感じないんですけど、その人が片言でも日本語を喋った時に、あぁ、こういう声なんだって──」

「あー! 分かる!!」

 〝それね!〟と、絢音が指を差した。

「ほんとですか!?」

「ほんと、ほんと。あれ、なんでなんだろうね?」

「聞きなれた言葉だから、耳にスッと入ってくるんですかね」

「かもね。ほんと不思議」

 歩きながらまた他愛もない話で盛り上がり、気付けば桜もまともに見ないまま〝あわせ橋〟まで来ていた。橋の真ん中ほどでは写真を撮る人も多く、二人も順番を待って写真を撮った。橋を渡り切ったところではレザーを使った小物が売っていた。

「食べ物だけじゃなく、こういうのも買ってみる?」

「そうですね。どれがいいですか?」

「実用的なもの」

 即答に和希がクスッと笑った。

「絢さんらしいですね」

「実用的じゃないと使わないからね」

「確かに。でも、桜にちなんだものがいいですね。ここに来た記念に」

「桜の花だと、男の人は使いにくいんじゃない?」

「そうですね…」

「じゃぁ、これなんかどうですか? これなら〝花〟には見えないので男性でも使いやすいですよ?」

 二人の会話を聞いていた女性の店主が勧めたのは、桜の花弁の形をしたレザーキーホルダーだった。更に、

「五枚集まって初めて桜の形になるので、家族とか仲のいい人とお揃いで持つのもお勧めなんです」

「五枚…」

「私と和くんと、あと誠司くんとママ─…で四人。あと一人は?」

「あと一人は──…いや、でも夏帆さんと椿さんにもあげたいですよね」

「だよね…。──あ、じゃぁさ、ママは桜の花のキーホルダーにして、それ以外がこの花弁でいいんじゃない? ママなら花のキーホルダーも喜んで使うから」

「そうですね。じゃぁ、この花と花弁のキーホルダーを五個ください」

「ありがとうございます!」

「──ってか、お姉さん、商売上手ね」

 絢音が女性店主を褒めると、〝それが仕事ですから〟と笑った。シールも六枚付いてきた。

「ちょっと次に行く前に、お手洗い行ってくるわ。和くんは?」

「僕は大丈夫です」

「じゃぁ、花言葉を調べてシールでも貼って待ってて」

「分かりました」

 絢音が離れると、和希はその場で携帯のスクショを開き花言葉を調べ始めた。

 ソメイヨシノは〝高貴〟

 枝垂れ桜は〝ごまかし〟

 大島桜は〝心の美しさ〟

 冬桜は〝冷静〟

 山桜は〝高尚〟

 江戸彼岸は〝心の平安〟

 黄桜は〝優れた美人〟

 河津桜は〝思いを託します〟

 寒緋桜は〝気まぐれ〟

 ──と、全ての花言葉が埋まった。

(すごい…半分しか歩いてないのに全部埋まってしまった…)

 やることがなくなってしまった和希は、他に何か調べる花がないかと考えた。これと言って思いつく花はないが、椿のネイルや絢音といる時に聞いた花の名前は…と記憶を辿ると、ふと悠人に手向けていた花の名前が浮かんだ。

(確か、マーガレットだったよな…)

 和希は携帯の検索欄に〝マーガレット〟〝花言葉〟と入れた。検索して出てきたタイトルの中には〝色や本数によっては別れを表す〟というのがあった。

(そう言えば、バラや向日葵も色や本数によって意味が違ったな…)

 少し気になってそれをタップすると、全体的には〝恋占い〟とか〝心に秘めた愛〟〝真実の愛〟という、とても良い意味が書いてあった。

(本数は…?)

 ずっと下の方にスクロールしていくと、気を付けたほうがいい本数というのに、十六本と十七本があった。

(十六本は〝不安な愛〟で、十七本は〝絶望の愛〟…か)

 ひとつサイトを戻って、他のタイトルも見てみると、その中に気になる言葉を見つけ、和希はドキッとした。そこをタップすると──

(十五本は〝ごめんなさい〟……)

 絢音が手向けたのは、生きていたら…という年齢の数だ。だから十五本ではないのだが、和希は何故かこれが絢音の本心ではないかと思った。そう思った瞬間、誠司と絢音の言葉が脳裏に蘇った。


 〝看護師として悠人を救えなかった自分を責め、償いの意味で看護師を続けようとしていたんだと思う〟


 〝そういう話はした事ないから何が好きなのかは分からないけど、誕生日月の花のひとつで今時期に咲いてるものがマーガレットだったからさ。それに─〟


(それに─…のあと、飲み込んだ言葉が〝謝罪の意味も込めて…〟だったら…)

 和希はもう、ここでそれを確信した。

(絢さんは今もずっと自分を責めているんだ…)

 分かったところで、それはどうしようもない事だった。どんな言葉もきっと絢音には響かない。こういう時の〝大丈夫〟とか〝絶対〟という言葉は軽々しく、〝もう自分を責めなくていい〟とか〝悠人さんは責めてないです〟なんて言葉はもっと軽々しいのだ。絢音の気持ちを救える言葉は、おそらく──自分も含め──誰も持っていないだろうと思った。それが和希は悲しく、そして悔しかった。


「お待たせー」

 絢音の変わらない明るい声が聞こえ、和希は咄嗟に携帯を閉じた。振り返ると、絢音が串に刺さったいちごを両手に持って人混みから現れたところだった。

「いちご?」

「そっ。いちご飴」

「あー、いつだったかテレビのニュースで見ました」

「私もテレビで見て気になってさ、さっき見つけたから買ってみた。──はい」

 絢音が右手のいちご飴を差し出した。

「ありがとうございます」

 和希がいちご飴を受け取ると、絢音が空いた手で携帯を取り出した。そしてカメラを立ち上げ動画のボタンを押した。

「え、撮るんですか?」

「もちろん。──ほら、食べてみて」

「…あ、はい」

 〝なんで動画?〟と思いつつも、楽しそうな絢音の表情を見ればそんな疑問はどうでもよくなる。和希は一番上に刺さっているいちご飴を、丸々一個口に入れた。周りの飴がパリパリと崩れ、次いで飴の甘みとジュースのように広がるいちごの果汁が口の中を満たした。

「んー! 美味しいです!」

「ほんと?」

「はい。──あ、じゃぁ次は僕が撮るので、絢さん食べてみてください」

「分かった」

 絢音は持っていた携帯をそのまま和希に渡した。

「はい、じゃぁ…どうぞ」

「いただきまーす」

 和希と同じく一口でいちごを頬張った絢音。数秒後──

「んん! 美味しい!」

 意外だと驚いた顔が、すぐに幸せそうな笑顔に変わった。画面越しで見ても、和希の顔が自然と笑顔に変わる。

「はい、終了〜」

 絢音は和希の方に回り込んで〝中止〟のボタンを押すと、その携帯を手に取った。

「でも、どうして動画なんですか?」

「実はさ─…」

 そう言って、絢音はある動画を再生して見せた。それは夏祭りの商店街とアキラが映っているものだった。

「アキラくん、この日初めてりんご飴を食べたの」

「え、そうなんですか!?」

「小さい頃から食べたかったんだけど、父親の雅哉が買ってくれなくて─…で、私と一緒に食べたいって言って買ったんだけどさ──」

 それ以上は説明も不要だと、動画を見てもらうことにした。アキラが一口食べて、その微妙な表情の変化と、絢音の質問に対する反応、そして〝オレが期待しすぎたのか!?〟とキレたところで和希が吹き出した。

「も、もしかして…このいちご飴もそうなるんじゃないかと思って動画にしたんですか?」

 和希が笑いを堪えながらそう言った。

「そうよ。でも、予想に反して美味しかったから、普通の動画になっちゃったけど」

「それはそれでいいですけどね。──あ、その動画、僕の方にも送ってくださいね」

「え、アキラくんの?」

「違いますよ。僕と絢さんの──…って、またからかいましたね?」

 絢音はイタズラっぽく笑うと、二個目のいちごを口に入れた。

「絢さん──」

「分かってる、分かってるって。ちゃんと送るから」

 絢音は楽しそうにメッセージアプリを立ち上げると、和希のところにその動画を送った。

「はい、完了ー」

 数秒後、和希の携帯が〝ヴィヴィ〟と鳴って、和希もそれを確かめた。

「良かった…」

 少しホッとした顔に、絢音はクスッと笑った。

「じゃぁー…次、行こう」

「…ですね」

 二人はまた北桜望駅に向かって桜並木を歩き始めた。

 行き交う人の中には、マスク姿の人も多かった。この時期にマスクをする理由は大抵ひとつだ。

「和くんは花粉症じゃない?」

「僕は違いますね。絢さんは?」

「長いお付き合いをさせていただいてますよ、望んでないけど」

 その言い方には〝ウンザリ〟という気持ちがこもっていて、和希はクスッと笑ってしまった。

「でも、マスクは付けないんですね?」

「邪魔だからね。冬ならまだしも、これくらいの気温だと暑いし」

「じゃぁ、今は薬だけ?」

「そう。早めに飲んでるから症状が軽く済んでるの。だから桜は好きだけど、花粉の季節は大っ嫌い」

 絢音は〝大っ嫌い〟というところに力を込めた。

「大変だって言いますもんね」

「花粉症じゃない人の〝共感〟は嬉しくないなー」

「えぇー…」

 〝そんなぁ…〟という表情に、今度は絢音が笑った。

「ちなみに、誠司くんと夏帆ちゃんも花粉症だから」

「椿さんは…?」

「和くん側の人」

「そうなんですか…」

「よくテレビのニュースでさ、何人に一人が花粉症だって言ってるじゃない? いつだったかは、四人に一人が花粉症って言ってた時があって、〝絶対ウソだ!〟って三人でツッコんだことがあったよ」

「じゃぁ、三人に一人…?」

「私の感覚でいうと二人に一人ね」

「え、そんなに!?」

「国がどうやってその数字を出してるか分からないけど、もし病院で通院している人とか診断名がついた人だけを数えてるなら、絶対少ないでしょ。市販薬で済ませてる人もいれば、〝自分は絶対に花粉症じゃない〟って言い張って認めない人もいるし。そういう人も数に入れれば、絶対にもっと多くなるはず。和くんも実はこっち側って可能性は…?」

「ないです。ないですよ、本当に。薬も飲んでないし、ほら、鼻だってスースーですから」

 そう言って、和希は何度か鼻で呼吸した。そんな仕草に絢音が笑う。

「え、もしかしてまた…?」

「ううん、そうじゃないけど。羨ましいな…と思ってさ。私なんか、物心ついた時には花粉症だったから、花粉症じゃないって人に言ったことないし。それにこの時期は薬漬けの毎日だしさ──」

「薬漬けって…いやいや、その言い方はやめましょうよ。違うイメージになるから──」

「そう? でも間違ってないよ?」

「そうですけど─…うん、そうなんですけどね。じゃぁ、せめて外で言うのはやめましょう」

「んー…」

「なんで悩むんですか…」

 それはもう、わざとそう言ってるというのが分かって、和希も笑ってしまった。

「そもそも花粉がなくなれば、こんなこと言わなくて済むんだけどねー」

「それはまぁ、そうですけど…」

「まぁ、いいや。とりあえず、和くんがこっち側に来た時は盛大にお祝いしてあげる」

「いやいや、その歓迎はいらないですって」

「でも花粉症デビューすると、嫌でもみんなに歓迎されるよ。そして仲間意識が生まれる。まぁ、得になるような事は何もないんだけどね。──あ、ほら、次はあれ!」

 話しながら、ちょうど目に入って指を差したのは焼きそばだった。

「いや、でもちょっと待って…。お好み焼きも食べたいな…」

「ひとつずつ買って、二人で分けます?」

「いいね。──じゃぁ、私はあれを買ってくるわ」

 指を差したのは、二つ隣でドリンクを売っている屋台だった。

「じゃぁ、買ったらそっちの脇道の方に行ってください」

「了解ー」

 絢音と和希は再び二手に分かれた。そしてそれぞれの目的のものを買うと、和希が言った通り桜並木から少し脇道に入る方へと移動した。少し歩いたところでタイミングよくベンチが空いたため、二人はそこに座って飲み物と食べ物を交換した。

「「いただきまーす」」

 ここにきてようやく、二人は桜を眺めながらゆっくりと食べることができた。

「そうだ、これ─…」

 食べ終わったタイミングで思い出した和希が、花言葉のカードを見せた。

「え、もう全部埋まったの?」

「十一枚貰って、一枚余らせてコンプリートです」

「すごっ…。え、すごくない? 普通はもっと同じシールが被って埋まらないのに─…」

「そうなんですよ。だから、僕もびっくりしました」

「そっか…。じゃぁ、これはもういらないね」

 それは、いちご飴の分と飲み物の分のシールだった。

「これもですね」

 和希も、さっき貰ったシールを見せた。余った分も入れれば七枚だ。

「しょうがない。誠司くんたちのお土産にしよう」

「いやいや、誠司さんたちもいらないですって」

「記念のお裾分け」

「あはは…物はいいようですね」

 そうして三十分ほどのんびりと他愛もない話をしながら過ごした二人は、そろそろ帰ろうか…と腰を上げた。思ったよりお腹もいっぱいになり、残りの並木道は、花に気を取られてはぐれないよう、手を繋いでゆっくりと歩いて行った。途中、何度か花のアップを撮ったり、人が途切れた瞬間に二人で写真を撮ったりしながら…。

 桜並木を抜けると、駅までの道が人の列のようになっていた。駅から出てくる人も多いが、同じように入っていく人も多い。大抵この駅で乗り降りするため停滞することはないのだが、駅の入り口周辺からは混雑するようになった。一列になって改札口を抜けた後は、和希がはぐれないよう手を伸ばした。絢音もその手を取り並んで歩く。ただ人の流れの中で、誰もが前後に並んで進む形になっていった。階段を登り、ようやく駅のホームに辿り着く。それでも人は押し寄せてきて、少しでも空いている場所を探して移動しているうちに、二人は最後尾の車両近くまで流されていた。

「大丈夫ですか、絢さん?」

 和希が少し後ろを向いて聞いた。

「大丈夫。色んな意味で和くんが防波堤になってるから」

「ほんとに?」

「ほんと、ほんと。視界は遮られるけど、こういう人が多いところでは逆に安心できるし」

 それはきっと、トラウマの姿をした人がいたとしても見なくて済む、という事だろうと思った。和希は繋いだ手を少しだけ強く握った。

「じゃぁ、僕の背中だけ見ていてください」

「それはつまんない」

「つまんないって──」

 フッと笑ったところで、ホームに電車が来るというアナウンスが流れた。一分もしないうちに電車が滑り込んでくる。スピードが徐々に緩んで静かに止まると、乗降口付近の両脇に自然と人が集まりだした。扉が開き最初の数人が弾かれるように降りてくれば、あとは流れるように出てくる。両脇で待っている人は、その流れが切れるのを見極めようと車内に視線を向けていた。そしてその流れが切れた瞬間、今度は飛び込むように乗り込んでいった。後ろの人もそれに続き、ようやく密着していた体が緩み始めた。和希の前も動き始め、その足を動かそうとしたその時だった。

 ドン──

 突然、後ろから体がぶつかる衝撃があって、和希は一歩大きく足を動かされた。おそらく、後ろにいた人たちの〝早くしないと乗れない…〟という焦りが波のように伝わり、絢音まで押されてぶつかったのだろう。

「…っと、大丈夫ですか、絢さん?」

 そう言って振り返った直後、周りから息を呑むような音と悲鳴が上がり、一瞬にして人がザッと引いた。何が起こったのか分からなかったが、人がいなくなった空間に、フードを被った男が何かを呟きながら中腰で震えるように立っていたのを目にしたのと、後ろから右腕をギュッと掴まれる感覚に気付いたのはほぼ同時だった。

「絢さ──…!」

 咄嗟に絢音の視界を遮ろうと体を動かそうとしたその時、絢音の体がズッ…と下にずり落ちた。慌てて腕に力を入れて支えたが、同時に自分の心臓の音で周りの音が聞こえなくなるくらいの衝撃を目にした。絢音の右脇腹には、ナイフが突き刺さっていたのだ。

「絢さん…!? 絢さん…!!」

「…か…かず…く─…」

「絢さん! 絢さん…しっかり─…い、今、救急車呼びますから──…」

 和希はゆっくりとしゃがみ込むと、片手で絢音の体を支えながら、震えるもう片方の手で携帯を出し必死に電話の番号を押した──


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