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19 悠人の誕生日と命日

 クリスマスが終わると、イルミネーションで彩られていた夜の町も一気に元の姿になった。大掃除や仕事納めに向けて忙しくなり、自然と心の余裕がなくなってくる。町を歩く人の足も、焦る気持ちと共に早歩きになっているようだ。

 喫茶&バー Ayameは二十八日に営業を終了し、年明けは八日から再開する事になっている。年末年始は家族で過ごす人が多く、椿や夏帆や和希もそれは同じだった。もちろん和希は、絢音が仕事でなければ実家に帰るかどうかすら分からなかったが…。ただ年齢的に、実家に帰ると必ずといっていいほど話題に上がる〝結婚話〟には、一応の終止符を打つことができた。心に決めた人がいる事や、それが十年前に出会った人で、その人のおかげで今を生きられている事を真剣に伝えたのだ。最初こそ絢音の年齢に驚いていたものの、命の恩人である事と、何より絢音の話をしている時の和希が本当に幸せそうだったため、両親はそれ以上何も言う事はなかった。バーのママと同じで、子供の幸せを何よりも大切にしたいという思いと同じだったのだ。

 年末年始を休みなく働いていた絢音は──まさか和希がそんな事を両親に話しているとは知らず──正月明けに三日間休みをもらって家でゴロゴロしていた。それを知った和希は、年明け早々に有給を取得して〝初詣に行きませんか〟と絢音を誘った。いくら正月が終わって世間が通常営業になったとしても、これが週末だったら絢音は断っていただろう。初詣が嫌なのではなく、人混みが嫌いだからだ。でも誘われたのは人が少ない平日、しかも既に有休を取ったあとだと聞いたら断ることはできない。それでも相手が雅哉だったら絶対に断っているわけで─…それはつまり、和希だからこそ〝計画的だわね〟と笑ってオッケーできたのだった。

 初詣は悠人が亡くなってから初めての事で、久しぶりに歩く境内の空気は体の中にたまっていた色々な〝負〟を浄化してくれる気がした。神聖な空気が体の中から満たされていく感覚に、絢音は来てよかった…と心からそう思った。お参りをして、自分たちや誠司たちのお守りを買い、お店用の干支の置物も買った。神社の近くに連なる様々な店でお昼を食べたりお土産を買ったりと、なかなか楽しい時間を過ごすことができた。

 そうしてまたいつもの日常が戻ってきて、一月はあっという間に終わってしまった。そして、二月の一大イベントである十四日、和希はその日が絢音にとってとても重要な日だと知ることになる──

 その日は、朝から絢音と連絡が取れなくなった。朝の電車にいないのは珍しくないが、メッセージを送っても既読にならないのだ。仕事が終わっても既読にならず、心配して電話を掛けたが、電源が切られているようで更に心配が募った。足早に誠司の店に行きいつもの席に目をやるが、案の定というべきか、絢音はいなかった。

「絢さん、まだ来てないんですか?」

「あー…そうだな」

 チラリと絢音が座る席を見てから誠司が言った。

「今日は朝から見かけないし、連絡も取れないんですけど…何かあったのかな…」

 心配する和希を見て、誠司とママが顔を見合わせた。無言の会話が視線だけで交わされる。ややあってママが小さく頷くと、誠司が〝分かった〟と頷いた。

「なぁ、和希。悪いんだけど、ちょっと頼まれてくれないか?」

「いいですけど…何を?」

「絢ねぇを迎えに行って欲しいんだ。多分、このままだと今日はここに来ないから」

「やっぱり、何かあったんですね…?」

「前に話しただろ、弟の悠人の事。今日は、あいつの命日なんだ。同時に誕生日でもある」

「──── !」

「絢ねぇは毎年この日、この時間に橋の上に行って花を手向けている。一本、一本…もし生きていたらっていう年齢の花をな。多分、ビールも一緒に飲んでるだろうから、フラフラしながら家に帰ると思う。だから、迎えに行ってここに連れてきて欲しいんだ」

「それはいいですけど─…でも、僕でいいんですか? 絢さんは僕が誠司さんから色々と聞いてるって知らないんですよね?」

「いいのよ」

 被せるように続いたのはママだった。

「和くんが迎えに行った時点で、私たちが話したって事くらいすぐに分かるから。それに、和くんなら絢ちゃんも素直になれると思うしね」

「…分かりました。それで橋っていうのは?」

「ここからすぐの橋よ。大通りを北に行って、左側に見えてくるわ」

「あと、今日の日替わりはハンバーグ定食だって言っといてくれ」

 誠司が、戻る理由の一つにでもなれば…と付け足した。

「分かりました。じゃぁ、行ってきます」

「えぇ、お願いね」

 〝頼んだ〟という二人の心の声を背中に受けて、和希は大通りを北に行った。しばらくして左側に橋が見えてくる。坂になった部分を歩いていくと、ちょうど橋の中央で欄干に両腕を掛けている絢音の姿が目に入った。

「絢さん…!」

 声をかけた時、ちょうど絢音が最後の花を川に投げ入れたところだった。片手にビールの缶を持って──酔っているのか──ゆっくりとこちらを向いた。

「あー…和くん…」

「絢さん、だ──」

 〝大丈夫ですか?〟と言いそうになって、思わず口をつぐんだ。いつだったかの、〝大丈夫という言葉は魔法の言葉じゃない〟と話していた事を思い出したからだ。

「今日の日替わりはハンバーグ定食だそうです」

「ハンバーグ定食! 良いねー」

 明るい声だったが、笑顔にいつもの明るさはなかった。

「…かなり飲んだんですか?」

「んー? そんなに飲んでないわよ。大体─…」

 そう言って、持っている缶を軽く揺らした。

「半分くらいかな」

「絢さんにとっての〝半分〟は、〝かなり〟ですよね?」

「ふふ、そうかも。やっぱり一年に一回飲むくらいじゃ、強くならないよねー」

「そういうのは強くならなくてもいいと思いますよ」

「でもさ、嗜む程度くらいに飲めたら楽しいじゃない?」

「だったら、その時は僕が付き合います」

「ほんと? じゃぁ、その時はお願いしようかなー」

 その口調が本気かどうかは分からないが、もしお酒を飲むことがあるなら、絶対に自分が一緒にいたい…と和希は思った。

「…今日が、悠人さんの命日だったんですね」

「…そう。悠人の事、全部聞いた?」

「はい」

「それ以外の事は?」

「全部、聞きました。ご両親の事とか悠人さんが亡くなった原因とか、それと…ストーカーの話も全部…」

「そっか…」

「すみません。本当は絢さんの口から聞くべきなのに─…」

「ううん」

 絢音は首を振った。

「誠司くんたちが話すならいい」

「本当に信用してますよね、誠司さんたちのこと」

「もちろん。誠司くんもママも、本当の家族みたいに思ってくれてる人だからね。それに、私にとって二人は最後の砦だし」

「最後の砦?」

「何があっても、どんな私でも受け入れてくれる人。それと、一人になりたくても絶対に一人にさせてくれない人─…っていうのかな。まぁ、それはそれで腹の立つ時もあるんだけど、結果としてはすごく救われてるんだよね。だから、そこにいてくれて良かったって思える」

「…なんか、羨ましいです。絢さんにそんな風に思われてるなんて…」

「いやいや─…負担でしかないでしょ、そんなの」

「どうしてですか?」

「だって、そう思われてたら裏切れないじゃない? 特に誠司くんは優しいからさ─…多分、未だに一人なのは私のせいだろうし」

「そんな事は──」

 〝ないと思う〟と言いかけたのを、絢音が首を振って否定した。

「あるんだなー、これが。ストーカーの件で、変な責任感じさせちゃったからさ…」

「責任…?」

「両親や悠人の事があったから、これ以上みんなに心配かけたくなくて黙ってたんだけど…。それが結果的に、〝気付けなかった〟って思わせたみたいなんだよね…。それ以来ずっと、私の事ばかり気にかけるようになって─…」

「だから彼女も作らない…?」

 絢音が頷いた。

「誠司くんって、ママに似て愛情深くて一途なところがあるからさ。誰かを好きになったら、その人の事で頭がいっぱいになるんだよ。それを自分でも自覚してるから、敢えて作らないようにしてるんだと思う」

「絢さんのちょっとした変化や危機にいち早く気付けるように…ってことですか…」

「すごいよね、人の事をそこまで考えられるって。でもそういう誠司くんたちだからこそ、私は安心してここにいられる…。──って、私もそれを分かって甘えてるんだからひどい人間なんだけど…」

 そう言うと、絢音は更にビールを一口飲んだ。

「絢さん…」

 〝そんな事はない〟と言ったところで、絢音自身の気持ちは変わらないだろう。だから心の中で願うしかなかった。

(どうか、そんな風に思わないでください…)

 ──と。

 絢音は携帯のメッセージアプリを開くと、悠人から送られてきた最後のメッセージ画面を表示させた。

 そこには絢音が送った〝まだ残業? 体には気を付けてね。それと、誕生日おめでとう〟というメッセージを受けて、〝ありがとう〟と送られてきていた。時間は夜中の零時過ぎ。それから十八時間後に再び、〝あーや、ありがとう〟のあと、〝ごめん〟という一言が追加されていた。

「最後のメールを送ってきた時、悠人はここにいた。こんなに近くにいたのに、全然、間に合わなかった…。泳げないわけじゃないし、これが夏だったら助かったのかも…って何度思った事か…。よりによって一年で一番寒い、それも自分の誕生日にこんな事するなんてさ…。無条件で祝ってあげられる日に死んじゃったら、祝ってあげられる日がないじゃない」

「それで、花が年齢の数なんですね」

「…まぁね。毎年同じ花だからつまらないだろうけど…」

「なんて花なんですか?」

「マーガレット」

「悠人さんの好きな花とか?」

「どうかなー。そういう話はした事ないから何が好きなのかは分からないけど、誕生日月の花のひとつで今時期に咲いてるものがマーガレットだったからさ。それに──」

 ──と言いかけて、絢音はそのあとの言葉を飲み込んだ。

「それに…?」

「…ううん、何でもない」

 絢音は小さく微笑んで首を振った。その笑みがどこか寂しそうで─…だけど言いたくないなら無理に聞きたくないため、敢えてそれ以上は聞かなかった。

「じゃぁ、来年はみんなでお祝いしませんか?」

「え…?」

「先にみんなでお祝いして、それからここに来るんです。その時は、僕もお酒に付き合いますから」

 何の迷いもなく〝誕生日だからみんなでお祝いしましょう〟という言葉に、絢音は一瞬、息をするのを忘れた。まさかそんな風に言われるとは思っていなかったからだ。亡くなれば誕生日なんて関係なくなってしまう。故人を偲ぶ…という事に重きを置くため、自分だけでも誕生日を祝ってあげたい…と思っていた絢音にとって、和希の言葉は新鮮だった。何か胸の中に温かいものが沁み込んでくる気がした。

「そっか…そういうのもありなんだ…」

 絢音は自然とそう言っていた。そして〝それでもいいんだ〟と思えた途端、深く息が吸えて体が軽くなったのを感じた。同時に鼓動が早くなり、その変化に和希が気付いた。

「しんどくないですか?」

「んー、しんどい…。なんかこの辺で心臓がバクバク言ってる…」

 絢音は走った後のような早い呼吸で、〝この辺〟と首元を押さえた。

「お酒が回ってきたみたいですね」

「私はもうしばらくここにいるから、和くんは帰っていいよ…」

「そんな状態で置いて帰れませんよ。──ってか、僕は迎えに来たんですけど?」

「あはは、そっかー」

 絢音は少し苦しそうに〝はぁ~…〟と息を吐くと、橋の欄干にもたれるように座り込んだ。和希も同じように座り込む。

「…悠人さんは、どういう人だったんですか?」

 〝知りたい〟という気持ちはもちろん、もっと絢音と話していたくてそう聞いた。

「んー…すごく優しくて、すごく可愛いかったわよー。あ、見る? 悠人の写真」

「はい、ぜひ」

「よーし、じゃぁ、見せてあげる。めちゃくちゃ可愛いから、覚悟しなさいよー」

 そう言いながら、携帯から写真を探す絢音。そして一枚をタップして表示させると、〝ほら〟とばかりに和希に見せた。

「どう、ヤバイでしょ?」

「え…ホントだ、ヤバイ──って、いつの写真ですか、これ」

 そこに表示されていたのは、誰かの足にしがみついて撮影者を見上げている幼児の顔だった。

「ふふふ、二歳くらいかなー。私が友達と遊びに行って帰ってきた時に、満面の笑顔で足にしがみついてきたのよね。もう、この見上げる顔がたまんないでしょ?」

「確かにめちゃくちゃ可愛いですけど──」

「ほら、これは入学式の時。ギリギリまでランドセルの色を水色にしようか緑にしようか悩んでてさ、でもなかなか決められなくて気付いたらどっちも売り切れ。仕方がないから紺色にしたんだけど、それがしばらく気に入らなくて、この顔よ。まぁ、こんな不機嫌顔も可愛いんだけどねー」

「ですね…」

「これは小三の時の運動会。徒競走で前を走ってた子が転んじゃってさ。そのまま走れば一位だったんだけど、途中まで走って突然止まったのよ。〝え、何?〟って思ったら、そのまま後ろを向いて逆走。すぐに立てなかったその子を助けて、一緒にゴールしたのがこの写真なの。二人ともいい顔してるでしょ?」

「確かに…」

「ちなみに、この転んだ子が誠司くん」

「え? え? そうなんですか!?」

「そう。誠司くんも可愛かったんだよねー」

 悠人の子供時代はともかく、その友達には何の関心も湧かなかったのだが。それが突然、知っている人の子供時代だと知らされたら、それはもう驚きと共に一気に親近感が湧いてくる。

「この頃からの付き合いだったんですね」

「これがキッカケで、二人は一気に仲良くなったの。そこに〝姉〟である私が、うまーく、しぜーんに入り込んだって感じ」

「本当に? 今の絢さんから想像するに、飛び込んだって感じだと思うんですけど?」

「あはは…バレたか」

「やっぱり」

「実は、二人が遊んでるところに〝私も混ぜろー〟って言って、無理やり参加してた」

「ははは、何か想像がつきます」

「だよねー。あ、それからこれは調理実習で作ったハンバーグを家で再現したところ。ちょうど私の誕生日だったから〝ハート型〟にしてくれたんだけど、最後の最後に割れちゃったから結構悔しがっててさ。でもまぁ、そのおかげで翌年も〝リベンジハンバーグ〟って事で作ってもらえたから、私的には得したんだけどね」

「いい思い出ですね」

「…うん、最高だった」

「──ちなみに、これっていつ撮ったんですか?」

「九月二十一日だけど。──どうして?」

「いえ、ちょっと気になったので…」

 まさか、この流れの中で〝絢音の誕生日が知りたかったから〟とは言い難い。──とは言え、同時にその事に気付かない絢音もどうなのかと思うが、それはそれで助かったという気持ちがあるのも正直なところだった。──が、ここで和希がはたと気付く。去年のその日は、〝一日デート〟をした日だと。

「絢さん、誕生日って過ぎてるじゃないですか!?」

「何言ってんの? 今二月よ?」

「いや、そうじゃなくて去年の──」

「あぁー、それは過ぎてるでしょ、去年だもの」

「いや、だからそうじゃなくて…誕生日のお祝いとかってしてませんでしたよね? え、ひょっとして僕が知らなかっただけで、何かやってました?」

「あー、しない、しない」

 絢音が手を振った。

「若い時ならまだしも、この歳になってわざわざ自分の年齢を再確認するためにそんなことしないって」

「でも──」

「それに、悠人がいなくなってからそういうのをお祝いする気分にもなれなかったしさ」

 そう言った絢音の顔は少し寂しげで、和希は言葉を飲み込んだ。おそらく、それが一番の理由だろうと分かったからだ。

 和希は話を戻す事にした。

「他は…?」

「…何が?」

「他にどんなエピソードがあるんですか、悠人さんの?」

「あー、えーっとね…」

 絢音が再び携帯の写真を選び始めた。

「あ、これこれ。これは小学校の修学旅行で買ったお土産」

 そこには、絢音を挟んで両側に悠人と誠司の三人が笑顔で写っていた。悠人は小刀、誠司は小拳銃を持っていて、それはもちろん、お土産用のおもちゃだ。

「〝ザ・男の子〟って感じのお土産ですね」

 惹かれる気持ちは分かるとばかりに答えれば…。

「そんな微笑ましいものじゃないから」

「…………?」

「このお土産、私用だったの」

「え…?」

「二人してさ、〝私をイメージしたお土産にしよう〟って言って、別々に選んだんだって。そしたらこれよ? よりによって二人ともがこれって…。〝被らなくてよかった〟とか言って笑ってる場合じゃないっつーの。小刀と小拳銃の二刀流って…十八歳の女子高生にどんなイメージ持ってんのよ。私は極道かよ…って、アッタマきたから、家族用に買ってきたお土産の饅頭に小刀突き刺して食べてやったわ」

「いやいや、それイメージ通りじゃないですか」

「そうよ。イメージを壊さない姉の優しさとでも言って」

「…ですね」

 ものは言いようだと、和希はおかしくて笑ってしまった。

「でも、寝る時になってこっそり渡してくれたの。合格祈願のお守りをね。それも二個よ?」

「二個?」

「誠司くんも買ってくれてたんだって」

「なるほど…二人とも優しいですね」

「うん…」

「──あ、因みに小拳銃の方のイメージはどうしたんですか?」

「あぁ、あれ? あれはね…誠司くんが中学になって髪を金髪に染めた時、後ろからこめかみに突きつけて、〝この綺麗な金髪が真っ赤に染まりたくなかったら黒に戻しな〟って脅しに使ってやったわ」

「えぇぇ…まさかの時間差攻撃…」

 ──とここでハッと思い出した。金髪にした経緯の話と、〝絢さんが可愛い〟と言った時に話していた、〝オレの頭に拳銃を突き付けてきた〟という誠司の発言。

(そうか、これだったのか…)

 ひょんな事から事実を知って、また可笑しくなってきた。

「そっ。もうその時の驚いた顔って言ったら…今思い出しても笑えてくる。結局、そのあと茶髪で落ち着いたけどねー」

「悠人さんは髪を染めたりとかはしなかったんですか?」

「あー…それはなかったなぁ。反抗期っていうのが来たのか来てないのか…。ただ、写真は撮らせてくれなくなった。まぁ、そんな気分でもなくなったからしょうがないけど」

「…それは、ご両親の事が原因ですか?」

 絢音は無言で頷いた。

「中学は、ほんとダメだった…。何とか撮れたのは卒業式の時だけ。──ほら、この顔見てよ。暗いでしょー?」

 そう言って見せたのは、絢音と悠人の二人が卒業式の看板の横で立って写っている写真だった。小学校の時とは正反対とも言える表情だ。

「これでも、当時に比べたらマシになった方よ。でも、高校に行くようになってからは、前みたいに笑うようになったし、大学も楽しんで通ってた。まぁ、写真はどの家でもそうだろうけど、友達同士で撮ることが増えて、私と撮るのは誕生日の時くらいになっちゃったけどね」

「じゃぁ、悠人さんと絢さんの誕生日の…年二回くらい?」

「そう。だからもうここからは、ケーキを前にして並んでる集合写真ばっかりでしょ?」

 携帯の写真一覧表では、確かにある時期から同じような集合写真ばかりだった。絢音は、その最後の一枚をタップした。

「最後の誕生日会はできなかったから、これは亡くなる一年前のものだけどね」

 いつもの店で、絢音や誠司、ママや常連客のみんなの真ん中で悠人が楽しそうに笑っている。幼い頃の面影も残っていて、優しい雰囲気はそのままだった。

 ただ、ここでふと思った。

「悠人さんの誕生日が二月って事は、この年の絢さんの誕生日の時は撮らなかったんですか?」

「その時は悠人の仕事がいつも以上に忙しかったりして、間に合わなかったのよ。だから、これが最後の集合写真になったってわけ」

「そうだったんですか…」

 〝最後の一年が最悪だったみたいだ〟

 和希はその言葉を思い出した。絢音の誕生日が九月で悠人の誕生日が二月。亡くなる五ヶ月前なら、〝まだ大丈夫〟という呪いの言葉に蝕まれていてもおかしくない。そう思うと、それ以上の言葉は出てこなかった。

 それからしばらくして、絢音が大きく息を吸うのが聞こえた。思わず横を見れば、絢音が空に向かって息を吐いたところだった。そして〝うん〟と頷いた。

「だいぶ落ち着いた。──ありがとね、和くん」

「…………?」

「久々に悠人の話ができて嬉しかった…。一人で思い出してると、楽しい時の思い出すら泣けてきちゃうからさ…」

「僕も悠人さんの話が聞けて嬉しかったですよ。なんて言うのかな…少しだけど、絢さんの思い出を共有できた感じがして。嬉しかったし、楽しかったです。だから、またいつでも話してください。僕も色々知りたいです、悠人さんの事…」

「和くん…」

 正直、悠人の事を知らない人に話しても悲しみが癒えるとは思っていなかった。自分にとっては大切な人でも、知らない人にとってはただの〝その他の人〟で、悲しみの温度が全く違うからだ。そんな人にどれだけ悲しくて辛いと言っても、自分の気持ちを分かってくれるほどの共感は得られない。故に虚しさが上乗せされるだけだと、話そうとも思わなかった。それなのに、和希に話している時はそんな事を思わなかった。楽しい思い出も腹が立った思い出も…溢れるように言葉が出てきた。話せる事が嬉しくて楽しくて、もっと聞いて欲しいと思ってしまう。十年という長い年月が悲しみを癒し、そう感じさせているだけなのかもしれないが、少なくとも和希の〝悠人を知りたい〟という思いが伝わってきたのは確かだった。

 絢音はもう一度〝ありがとう〟と言った。

「じゃぁ、帰りましょうか?」

「そうね」

 和希が先に立ち上がり、〝はい〟と手を差し出す。絢音はその手に何の疑問なく自分の手を重ねた。大きくて温かい手に強く引っ張られて立ち上がると、和希は手を放さずに歩き始めた。

「絢さん…」

「んー?」

「今年の絢さんの誕生日は、ちゃんとお祝いしましょうね」

「え…なに急に? そんなの全然いらないって──」

「僕がお祝いしたいんです。絢さんがこの世に生まれてきてくれた事が嬉しいから」

「いやいやいや、おかしいでしょ。それ言うの親だからね?」

「そんな事ないですよ。生まれてこなければ出会う事もないんですから。出会って良かったって思う人には、生まれて来てくれてありがとうって言いたくなるものです」

「だからってさー…」

「いいえ。もう決めました。今年は絶対に絢さんの誕生日をお祝いします」

 それはもう、生徒会長の演説で公約を宣言するかのような生き生きとした顔だった。真っすぐで淀みのない目が、それまで誕生日なんてどうでもいいと思っていた絢音の心に、聖水のような清らかな潤いを落とした。

 そんな時、急にブルっと体が震えた。

「うー、寒っ!」

「醒めてきましたね」

「お酒飲んでそのまま路上で寝て死んじゃう…って話は聞くじゃない? あれ、この寒い中でよく眠れるな…って思ってたけど、今ならよく分かるわ」

「僕が帰っていたら、きっとそうなってましたよ?」

「確かに…。いやでも、ほんと寒い…。これ、もう一回お酒飲んだら大丈夫なのかな」

「ダメです。お酒は寒さ対策じゃありません」

「…そっか」

「さぁ、帰りますよ」

「…分かった。じゃぁ、和くんちょっとこっち向いて─…」

「え、なんで──」

「スキあり!」

 そう言うと同時に、絢音は和希の首に冷たくなった両手をピトッと当てた。途端に和希の体が首元からキュッと縮こまる。

「────ッ!」

 声すら出ないその瞬間に不敵な笑みを浮かべた絢音は、そのままバッと振り返り走り出した。

「え…?」

「店まで競争ー。負けた方が今日のハンバーグ定食おごりねー」

「は!? え、ちょっ──」

 〝何言ってるんですか!〟と言う間もなく、ほぼ反射的に和希も走り出す。

(え、なんで…意外に早い─…ってか、やることが可愛すぎるんですけど!?)

 走る後姿でさえ愛しくて、和希の胸がお酒を飲んだ時のように早鐘を打っていた──


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