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17 和希に近付く元カノ <2>

 翌日から、和希は朝も夜も絢音に会えない日が四日間続いた。朝会えないのは勤務的に〝たまたま〟だったが、夜まで会えないのには理由があった。──結花だ。

 結花は、絢音が花束をもらった翌日から和希と一緒に店に来るようになった。絢音は絢音で、〝元カノが店に来たら教えて欲しい〟と誠司に頼んでいたため、連絡を受けた日は店に行くのをやめていたのだ。ただ理由はそれだけではなかった。絢音の方にも〝元カノが店に来た〟という連絡を受ける前から、〝行けない理由〟ができていたのだ。それが湊の存在だった。〝この前の植え込みに入っていった猫の写真が撮れたから〟とか、友達を連れてきて〝テーブルが回る中華の店に行こう〟とか─…偶然から始まった出会いは、次第に約束するようにまでなっていた。それが四日目以降もずっと続いている。

 湊と過ごす時間は意外にも楽しかった。年齢も誠司とひとつしか違わないからか、話は合うし会話も続く。店に結花がいるという状況も重なれば、いい時間潰しにもなっていたのだが…。

 絢音は次第に既視感を覚えるようになっていた。会話や仕草、別れた後の疲労感─…色んなところに何かが引っ掛かってきたのだ。

 ある早出の出勤日──

 仕事が終わって十六時半過ぎに駅に着いた絢音は、湊との約束もなかったため久々に誠司の店に寄った。扉を開けて鐘が鳴ると、反射的に〝いらっしゃいませー〟の声が響くが、一週間以上ぶりに顔を出した絢音を目にして、二人とも〝いら──〟で声が途切れた。──と次の瞬間、

「絢ねぇ!」

「絢音さん!」

「ただいまー」

 誠司と夏帆のテンションとは違い、絢音の口調は毎日来ている時と変わらないものだった。

「いやいや─…いやいや、普通すぎるだろ」

「なにが?」

「一週間以上前ですよ、絢音さんが来たのって」

 いつもの席に着くと同時に、夏帆がそう言って水とおしぼりをカウンターに置いた。

「マスターに聞いたら、夜は毎日あの元カノが来てるって言うじゃないですか。しかも絢音さん、夜だけじゃなく朝とか夕方にも来なくなって─…私もそうですけど、みんな会いたがってるんですよ?」

「私も来たいとは思ってるんだけどさー…」

「遠慮してるんですか、元カノに?」

「遠慮っていうほどものじゃないけど─…若い者同士、よりを戻すかもしれないならそういう時間も──」

「ないです!」

 珍しく夏帆がカウンターをバンッと叩いて言った。

「絢音さんが〝絶対〟って言葉が嫌いなのは知ってますけど、敢えて言います。絶対にそれはないですからね!」

「いや別に、絶対って言葉が嫌いなわけじゃなくて、軽々しく使われるのが嫌いってだけで──」

「どっちでもいいです」

「え…ってか、なんで夏帆ちゃんが怒ってんの?」

「怒ってるわけじゃないです。単純に嫌なんです。この席に絢音さん以外の人が座るのが。それに店内を見渡した時に、この場所には絢音さんと川上さんがいて欲しいし、マスターと絢音さんの変わらないやりとりも見ていたいんです。ここには私の大好きな日常があるんですよ。それが今壊れてるから嫌なんです」

「あー…そっか…。なんか、ごめんね…」

「あ、いえ…まぁ、絢音さんが悪いわけじゃないんですけど…。なんか、私の方こそすみません…」

 絢音に謝られて、夏帆もハッといつもの冷静な自分に戻った。

「でも、ありがとう。そういう毎日を好きでいてくれて。大した話もせずに、ダラダラ過ごしてんのにねー。誠司くんとだって、しょうもないやりとりしかしてないのに──」

「しょうもないって言うな。──ほら、紅茶でいいか?」

 夏帆と話している間に、誠司が温かい紅茶をいれて出した。

「ありがと。──ま、私もそういう変わらない毎日が好きなんだけどねー」

 そう言って、フ〜っと息を吹きかけてからそっと飲んだ。

「じゃぁ、早く戻ってきてください。川上さんだってそう思ってますよ?」

「んーー…でも今はちょっと無理なんだなぁ…」

「元カノがいるからですか? もしそうなら──」

「それだけじゃなくて、こっち側の事情がねぇ…」

「絢音さんの…?」

 絢音は〝そう〟と頷いた。夏帆は〝知ってます?〟と誠司に視線で問いかけたが、誠司は小さく首を振った。そして、その先を聞いた。

「事情ってなんだよ?」

「色々と約束してるからさ、湊さんと─…」

「湊さん? ──って誰だよ?」

 初めて聞く、しかも男と思われる名前に誠司が眉を寄せた。

「湊─…パスタ男よ」

「パスタ──…はぁ!?」

 名前と共に誠司がつけた名称も付け足せば、夏帆も彼の事を聞いていたのか〝バラの人…!?〟と呟いた。

「え、ちょっと待て…パスタ男と約束してるってどういう事だ? あのお礼の食事で終わったんじゃないのか!?」

「んー…終わったと思ったんだけど─…なぜか終わらなかったんだよね」

「いやいやいや、どういう事だよ? 何がどうなってそうなった? 今更、新しい人との付き合いが増えるとか面倒だってよく言ってただろ」

 〝道案内をしたお礼で食事をご馳走になった〟という短い説明で済むのは、あの日で〝終わり〟だと思ったからだ。それが一週間以上経っても続いているなら話は別だった。

「まさか、イケメンでスポーツカーに乗ってるからっていう理由じゃないよな?」

「なにその理由。それこそまさかでしょ。──ってか、あれイケメン?」

「いや、見てないオレに聞くなよ」

「じゃぁ、なんでイケメンとかスポーツカーに乗ってるって知ってんのよ?」

「元カノだ。あの花束をもらった日─…絢ねぇが、駅前でパスタ男と楽しそうに話して車に乗り込むのを見たって…」

 そう言われて、〝あぁ、だからか〟と思った。

「それで、〝今、誰とどこにいる?〟だったんだ?」

 〝誰かと一緒にいる〟という事はもちろん、余分な言葉が一切ない質問が来たから不思議だったのだ。

「そりゃそうだろ。どんな男だったか聞いたら、三十代半ばでイケメンでスポーツカーに乗ってるって─…オレが知る限り絢ねぇの交友関係にそんなやついないからな」

「三十代半ば…?」

 ふと引っ掛かって声に出していた。

「なんだ、違うのか?」

「あー…ううん、違わない。三十五って言ってたから」

「おぉ、ドンピシャだな」

(確かに、ドンピシャね…)

 絢音は思った。

「──で、そのパスタ男に道案内した経緯は?」

「あぁ、えっと──…最初は〝喫茶店を探してるんだけど…〟って声を掛けられたのよ。単純に喫茶店を探してるだけならここに連れてこようと思ったんだけど、どうも友達と待ち合わせしてたみたいでさ。しかも喫茶店の名前が分からないって言うんだよね」

「友達と待ち合わせしてたんなら電話すればいいだろ?」

「それが、急いでてメッセージのやり取りをした携帯を家に忘れてきたんだって」

「マジか、どんだけ抜けてんだよ。今は財布より携帯重視だろ」

「しかも、友達の連絡先は覚えてないし、私みたいにアドレス帳を併用してるわけでもないからどうにもならないわけよ」

「…だな。それで?」

「喫茶店の名前を聞いた時のイメージとか、名前で連想したものとかないのかって聞いたら、映画のタイトルに似てたって──」

「あー、喫茶パールか…」

「え、なんで分かったの?」

「絢ねぇが道案内できる範囲の喫茶店で、映画みたいって言ったらそこしかないだろ」

「えー…すごい。お見事、誠司くん」

 絢音が軽く手を叩けば、

「心のこもってない拍手はただの雑音だからな?」

 誠司が〝そんなものはいらん〟と手を払った。

「それで、うまく説明できたのか?」

 勉強でもそうだが、知っているから説明できるとは限らない。特に方向音痴の人間が、そうでない人に分かりやすく〝東西南北〟を使うなんてほぼ無理な話だった。案の定、

「だから直接〝案内〟したんでしょうが」

 ──と返ってきた。

「ははは、まぁ、そうだよな」

「でも、それでちゃんと時間内に着けたから助かったって」

「それでお礼の食事か…。じゃぁ、その時に連絡先の交換でもしたんだな?」

「その時はまだしてない」

「は? じゃぁ、どうやって待ち合わせしたんだよ?」

「偶然」

「偶然!?」

「駅の南口を出たら、猫が入っていくのを見かけたみたいで─…植え込みの中を覗き込んでたんだよね、湊さんが。さすがに昨日会った人の事は覚えてたから声を掛けたんだけど。そこからお礼をしたいって言われて─…って感じ」

「へぇ…偶然ね…」

「あとは─…私が猫好きだって話したから撮れた写真を見せてくれたり、友達を誘って中華のお店に行ったりするようになったのが今の状況かな」

「それでもまだ他に約束があるのか…」

「んー、なんか色々とねー」

「まさか、そのパスタ男の事が気に入ってるとかじゃないよな?」

 絢音の行動が今までとは全く違うため、そこが心配で聞いてみた。すると──

「気に入ってるというよりは、気になるんだよねぇ…」

(あの既視感が…)

 絢音は心の中で付け足した。それが湊を思い出すような表情だったから、夏帆が慌てて話を変えた。

「か、川上さんはどうするんですか? 絢音さんが来なくなってからどんどん元気がなくなってるんですよ?」

「そうなんだよな。あいつもなんか責任感じてるし──」

「え、どうして和くんが責任感じてんのよ?」

「元カノが、その席を譲らないんだよ」

 誠司が〝その席〟と、絢音が座っている場所を顎でしゃくった。

「違う席やテーブル席を勧めても〝ここがいい〟の一点張りだ。和希もそれが原因で絢ねぇが来ないと思ってるから、何とかしようとは思ってるみたいなんだけど、実際できないから自分を責めてんだろ」

「そんなの感じなくていいのに…」

「そう思うなら戻ってこいよ」

「そうですよ。マスターも、絢音さんが食べない日替わりは作り甲斐がないって愚痴ってるんですから」

「え、そうなの?」

「いや、別に愚痴ってるわけじゃ──」

「美味しいって言って食べる姿を見て安心したいみたいですよ」

「なにそれ? もしかして私の味覚を味見の最終確認にしてんの?」

「なんでそうなるんだよ。──ってか自分の味覚に自信がなきゃ店やってねーわ」

「あはは、だよねー」

「──ったく」

 久々に聞く二人のやり取りに、夏帆が嬉しそうに笑った。

「…ところで、彼女っていつも何時くらいに来る?」

 聞かれて時計を見た誠司。時間は十七時過ぎだった。

「和希といっしょに来るなら、あと一時間後くらいだな」

「そっか。じゃぁ、その頃には帰らないと──」

 ──と言ったところで絢音の携帯が鳴った。相手は和希だった。

「もっしもーし」

 絢音が弾むような声で電話に出た。

『絢さん!?』

「その驚き、誰にかけたつもりだったの?」

『え…?』

 出るとは思っていなかったのか、それとも久々に声が聞けたからなのか、第一声の驚き方に絢音は可笑しくて笑ってしまった。

「あはは、うそうそ。久し──」

『絢さん、今どこにいますか?』

 何を慌てているのか、絢音の〝久しぶりだねー〟の挨拶を遮ってそう聞いてきた。

「誠司くんの店にいるけど?」

『良かった…。じゃぁ、今すぐ行くので奥の個室にいてください』

「個室?」

 〝何で?〟と、そのオウム返しと共に誠司を見れば、なぜか携帯を貸せと催促された。絢音がわけも分からず携帯を渡すと、

「今日はいないのか?」

『早く終わったので、まだ来てないみたいです』

「よし、分かった。じゃぁ、急いで来い」

『はい』

 ──と、誠司の声しか聞こえていない絢音には何の事を言っているのか分からない会話で終了してしまった。

「ちょっと、誠司──」

「いいから、いいから。とりあえず、絢ねぇは奥の個室に移動しろ。すぐに和希が来るから」

 〝そう言うや否や、ほら〟と携帯も返され奥の個室に移動させられてしまった。

 何が何だか分からない絢音。唯一分かるのは〝もうすぐ和希が来る〟という事だけだ。

(まぁ、久々に和くんに会えるならいっか…)

 あまり深く考えず、和希が来るまでなんとはなしに時間を過ごしていると、それから五分ほどで和希がやってきた。

 誠司との会話もそこそこに、個室に向かってくる足音。目の前の引き戸が開いて、そこに現れたのは肩で息をしている和希だった。駅から走ってきたのだろう。その表情には〝やっと会えた〟という安堵と嬉しさが混じっていた。

「絢さん…! 良かった…」

「…ってか、何で個室?」

「あ…すみません、それは──」

「最近、元カノが駅で待ってるんだと」

 代わりに答えたのは、水といつものビールを持ってきた誠司だった。

「待ち伏せって事?」

「そういう事だな」

「へぇ…意外に積極的なのね、彼女」

「そんな感心している場合じゃないですよ」

 渡された水を一気飲みしてから和希が言った。

「彼女がいる事で絢さんには会えなくなるし、あまりここに連れてきたくなくても、絶対ここがいいって譲らないんです。昔はあんな風じゃなかったのに──」

「それで、彼女がいない間に個室に避難ってわけか」

「そうです」

「どうやったら絢ねぇと会えるか…って考えて、早く仕事を終えれば待ち伏せにも引っかからないし、その時に絢ねぇが店に来てたらそのまま個室に避難しようって話してたんだよな」

「──とはいえ、結花が一人で店に来る可能性もあるんですけど…」

「じゃぁ、バレないようにここで過ごすってことね」

「はい!」

 嬉しそうな和希の返事に、絢音も何だか嬉しくなった。

 その後、和希が言った通り結花が一人でやってきた。いつもの電車に乗っていなかったからか、先に一人で来たようだ。

 結花は店から何度も和希の携帯にメッセージを送ったが、返事どころか〝既読〟にさえならない事に少々苛立ちを覚えていた。当然というべきか、和希の携帯はマナーモードにして音が出ないようにしてあり、メッセージは送られてくるたびトップ画面に表示されるのを二人が見ていた。それでもメッセージではなく電話がかかって来た時は、絢音との時間を邪魔されたくなかったため、不在着信になったと同時に電源を切った。

 その間、絢音と和希はいつもより楽しい時間を過ごしていた。すぐ近くにいる人物にバレないよう、声を潜めての会話。緊張感のある時間は、どこかミッションでもこなす感覚で楽しかったのだ。

(あぁ、やっぱり和くんと一緒にいると楽しいなぁ)

 ──と絢音が思えば、

(あぁ、やっぱり絢さんが好きだなぁ…)

 ──と和希は改めて実感していた。

 そして和希の携帯の電源を切ってからしばらくすると、結花は諦めたように帰っていったのだった──


 久々に和希と過ごしたあとも、絢音はずっと考えていた。あの既視感は何からくるのだろうか──…と。

 あまりにも気になりすぎて、気が付くと携帯のメッセージアプリを開き湊の名前を見ていることが多くなった。最近は毎日のようにメッセージのやり取りがあるため、画面を開くと湊の名前が一番上にある。名前の横の画像は湊の顔が使われていて、その顔を見ていると何か分かりそうな気がするのだ。

 そんな事を考えながら湊と何度目かの食事をしていた時、絢音はようやくそれが何なのか分かった気がした。食事に出かけた時に、ある人物と絢音の座る位置が湊のそれと全く同じだったのだ。絢音はその日、タイミングを見計らって初めて湊とのツーショット写真を撮った。その後、寄りたいところがあるからと駅の北口で別れた絢音は、湊の車が見えなくなったのを確認してから携帯のメッセージアプリを開いた。タップしたのは〝雅哉〟だった。

【この人知ってる?】

 ──というメッセージと共にさっき撮った写真を送ると、返事はすぐに返ってきた。

【湊、オレの後輩。若く見えるけど、誠司と同じくらいだぞ。──ってか、なんでアヤと一緒にいるんだ?】

 最初の一言で、〝やっぱり〟と思った。絢音はしばらく考えると、一言だけ返した。

【あとで電話する】

 そして、誠司にもメッセージを送った。

【和くんの元カノの写真を撮って送って】

 ──と。


 〝ヴィヴィ〟

 バイブ音が鳴った。

 カウンターの客にハイボールを出していた誠司が、ポケットから携帯を出す。ロック画面に表示された通知は絢音からのメッセージで、その短い文章に〝はぁ?〟と顔が歪んだ。すぐにどういう事かと返信したが、返ってきたのは〝ツーショットでもいいから、とにかく早く〟とだけだった。それ以上の理由は待っていても返ってこない。

(いったい何なんだ急に…?)

 意味が分からない…としばし携帯を見つめていると、二人だけで過ごす居心地の悪さに助けを求めようとした和希がその様子に気付いた。

「どうしたんですか、誠司さん?」

 誠司がハッと顔を上げた。

「あー…いや、な──」

 〝何でもない〟と言おうとしたが、はたと考えて言うのをやめた。雅哉やアキラの要求ならまだしも、絢音の要求には意味が分からなくても〝理由〟は必ずある。他愛もない話ではなく〝とにかく早く〟と言うくらいだから、それは尚更だ。──となると写真を撮る事は必須なのだが、いかんせん喫茶店の昼間と違い今は静かすぎる。隠し撮りをしようものなら、そのシャッター音ですぐに気付かれてしまうため、ここはもう公に行動するしかないだろう。

 誠司は手に持っている携帯を軽く上げて見せた。

「二人の写真、撮ってやろうかと思ってな」

「え…?」

「いやー、せっかく十年ぶりに再会したんだし、記念に一枚くらい撮ってもいいだろ」

「記念って──」

「良いじゃない!」

 〝何で今更…?〟と全く乗り気でない和希とは正反対で、結花の顔がパッと輝いた。

「撮ろうよ、和希。二人の写真って十年前の物しかないし、ね?」

「……………」

 嬉しそうな結花の笑顔はともかく、理解できないのは誠司の笑顔だ。訝しげに〝どういう事ですか?〟と視線を送ると、結花の目を盗んで一瞬だけ申し訳なさそうな顔をした。それを見た和希が、心の中で小さな溜息をつく。

「ほら和希、笑って」

 撮られる気満々の結花が、和希にくっついて携帯を構える誠司の方に笑顔を向けた。

「おー、良いねー。和希も笑え、ほら」

 誠司の声掛けに、和希も応える。若干ひきつった笑顔にはなるが、人には気付かれない程度だ。

「はい、チーズ」

 シャッター音の直後、和希の笑顔が分かりすぎるくらいスッと消えた。

「これお前に送るから、あとは結花ちゃんに送ってやれ、な?」

 誠司はそう言って和希に送ると、次いで二人に気付かれないよう本命の絢音に送った。

 返事は〝待ってました〟とばかりにすぐに返ってきた。

【ありがと。作り笑いの和くんにもよろしくー】

 ──だった。

 言われて改めて写真を見れば、

(確かに、作り笑いだな…)

 ──と思う。

 和希の気持ちを考えれば当然とも言える表情なのだが、パッと見そうは見えなかったのだ。それに絢音が気付くとは、さすが職業柄と言うべきか。もしくは別の観察眼によるものなのか…。

(──にしても、〝よろしくー〟って言えるかよ?)

 絢音からの要求だという事はもちろん、絢音に送ったなんて言えるはずもなく、相変わらずの絢音の鈍感さに、誠司は深い溜息をついたのだった。


 誠司から写真を受け取った絢音は、雅哉に電話を掛けた。

 〝あとで電話する〟

 ──と言っていたからか、三回目のコール直前で雅哉が出た。いや、これは雅哉のルールのひとつかもしれない。

「珍しいな、アヤがオレに電話するなんて。ひょっとして──」

「話があるの」

 〝もしもし〟の挨拶もなく始まった雅哉のペースを、ぶった斬るように絢音が言った。

「おぉ、付き合ってっていう話なら──」

「今から駅前のカラオケボックスに来れる?」

「あぁ。何だ、オレの愛の歌でも──」

「どれくらいで来れそう?」

「あー、今駅近くの店で飲んでるから──」

「分かった。じゃぁ、ホールで待ってるから」

 〝すぐに来て〟という言葉を匂わせると、絢音はとっとと電話を切った。

 雅哉の電話は、最近のセールス電話と同じで本題までが長い。相手のペースで受け答えしていると、こちらの要件がいつまで経っても話せないのだ。故に相手が話し始めた途端、容赦なく話を被せていくのが一番ストレスもなく短時間で終わらせることができる方法だった。

 絢音は、すぐに駅構内を突っ切って南口へと向かった。カラオケボックスに着いたのは、電話を切ってから約五分後。──にも関わらず、既に雅哉が来ていて受付まで済ませていた。

「早いわね」

「デートで遅刻なんて、そんな情けない事できるか?」

「そもそもデートじゃないんだけど?」

「アヤから誘ってくれたんだからデートだろ」

「相変わらずの自己中思想…それが面倒だっていうのよ。──で、部屋は?」

「一番奥の部屋だ」

 案内するように先に歩き、一番奥の部屋のドアを開けた雅哉は、絢音の後に続いて部屋に入った。L字型のソファの角に絢音が座れば、膝を直角につき合わせる形で雅哉も座った。

「それで? 話が先かオレの歌が──」

「話だけよ」

「じゃぁ、ようやくオレと付き合う気に──」

「〝後輩くん〟の事を教えてほしいの」

 電話の時と同様、全く関係ない雅哉の話を切った。

「おいおい…まさか、あいつに興味があるのか? オレじゃなく?」

「そういう興味はどっちともない。──それより、後輩くんは何をやってる人?」

「何って─…ホストだろ?」

「ホスト…」

 〝知らなかったのか?〟という目をしたが、絢音は〝やっぱりそっち方面か〟と納得すると同時に、メッセージアプリのアイコンが〝自分の顔写真〟だったことにも納得した。

「──となると、問題は私に近付いてきた理由ね」

「近付いてきた? どういう事だ?」

 雅哉がようやく本題に食いついた。

「二週間くらい前に道を聞かれて案内したんだけど──」

「は? また聞かれたのか!?」

「はいはい、また聞かれたのよ。ついでに言うと、その後輩くん、急いでいて携帯を家に忘れたそうよ」

「あいつが? あり得ないな」

「ホストだって聞いた今なら、嘘だって分かるけどね。その時は後輩くんの言う事を信じて案内したわけよ。待ち合わせの時間に間に合ったし、そこまでは〝あぁ、良かった〟で済んだんだけど──」

「数日後に偶然また会った、か?」

「翌日にね。偶然だと思ったけど──」

「計画的だな」

「今思えばね。お礼をしたいからって言われて最初は断ったけど、結局夕食をご馳走してもらった。そしたら──」

「それ以降、何度も会って誘われた、と?」

「やっぱり、行動パターンが一緒ね」

「まぁ、後輩だからな」

「それどういう意味?」

「いや、だから…あいつに女の口説き方を教えたのオレだし」

「はい?」

 類は友を呼ぶ…ではないけれど、一緒に行動していた後輩が似てきただけなのかと思っていたが、どうやらそういう意味ではないらしいと気付いた絢音。

「もしかして…後輩ってそっち関係の後輩なの!? 学校の後輩とかじゃなく!?」

「あぁ。因みに、あいつは後輩の一人。他にもまだいるから気を付けろよ、アヤ」

「気を付けろよ、じゃないわよ。なに、迷惑な人間増やしてくれてんのよ」

「迷惑な人間って…あれでもその特技を活かして仕事に就いてるんだからいいだろ。まぁ、アヤに手を出したのは許さないけどな」

 微妙に論点がズレてくる会話に、絢音は大きな溜息をついた。

「とにかく、後輩くんの言動に既視感があったから気になって付き合ってたけど、それが雅哉だって分かった瞬間、ウラがあるなって思ったのよ」

「純粋に自分に惚れた、とは思わないのか?」

「この年で? バカじゃないの」

「オレは純粋に惚れてるけどなー」

「その妄想は家でやってくれる?」

「家での妄想と夢は飽きるくらい見てるよ」

「はぁ? キモいんだけど?」

「──ってか、真面目な話。本気でアヤの事を好きなやつが現れたらどうするつもりなんだ?」

「どう─…するって…」

 〝どうもしない〟と言うはずが、ふと和希の顔が浮かび、思わず出た言葉にハッとした。

「そ、そういう話をしてるんじゃないから。──いい? その後輩くんが、私に近付いてきた理由を調べてほしいの。あと、この人」

 少しでも間が開くと雅哉の無駄口からペースを乱されるため、話しながら自分の携帯に写真を表示させ雅哉に見せた。

「そっちにも送るから、この女の人の事も調べてみて」

「アヤ、お前…」

「何よ?」

「もしかして、嫉妬か?」

「はぁ?」

「この女が和希の彼女かどうか──」

「彼女じゃない。元カノよ」

「元カノ!? ──って事は奪い合いか?」

「あー、もう!」

 どうやったって前に進まない会話に、絢音は目の前のテーブルに両手をバンッと叩きつけた。

「おいおい、元カノが現れたからってイライラすんなよ」

「イラついてるのは、あんたに対してよ!」

「オレ?」

 〝なんで?〟と言わんばかりのすっとぼけた顔が、更に絢音をイラつかせた。そんな様子に、雅哉はフッと笑った。

「冗談だよ、冗談。ペースを崩すと、アヤの本音が見えるからさー。可愛くてつい、な?」

「うっさいわ、黙れ」

「分かったって。──で、その元カノを調べる理由は?」

 これ以上余計なことを言うのは得策じゃないと思ったのか、ようやくまともな質問が返ってきた。絢音は軽く目を閉じると、イラついた気持ちを落ち着かせる為、ゆっくりと深呼吸をしてから説明を始めた。

「後輩くんに道を聞かれたのは、元カノが初めて誠司くんの店に来た日よ。それから毎日のように二人で店に来るんだけど、逆に私は後輩くんに誘われて店に行けない日が続いてる。まるではかったかのようなタイミングでね」

「つまり、元カノとあいつが現れたのが同時期だから、何か関係があるんじゃないか…ってことか」

「そういう事。それに、元カノは後輩くんの年齢を当ててる」

「年齢?」

「私と後輩くんが話しているのを見かけて、彼女、誠司くんたちに〝三十代半ば〟って言ったんだって。日が沈んで街灯の光しかない状況でよ?」

「ほぅ…」

「道を聞かれた時に身近で見た私は三十代だな…って思ったけど、パッと見、最初は二十代に見えた。それがあの街灯の明るさで少し離れたところから見て〝三十代半ば〟っておかしいでしょ」

「確かに」

「あと、バラの花言葉も気になる」

「花言葉?」

「赤いバラの花言葉は知ってる?」

「そりゃ有名だからな。情熱とか愛情だろ」

「そう。さすがに私もそれは知ってる。じゃぁ、ピンクや白の花言葉は?」

「ピンクや白…? さぁ、知らないな」

「彼女、私が後輩くんからもらった花束を見て、すぐに花言葉を言ったのよ。よっぽど花言葉が好きで覚えてるのか、それとも──」

「そういう事を気にする環境の中にいる─…か」

「そっ」

 〝ふーん〟と自分の携帯に送られた写真をしばらく見ていた雅哉は、ある事に気付いた。

「ここって、いつもアヤが座ってる場所だよな?」

「あー…それね。初めて元カノが店に来た日は私の方が遅くて、先にそこに座ってたのよ。それ以来、元カノの定位置になってるわ。和くんは気を使って違う席に移動しようとしたけど、元カノはそこが気に入ったみたい」

「アヤが元カノに会ったのもその日が初めてなのか?」

「違うわよ。初めて会ったのはハロウィンの日だから、その時から遡れば半月くらい前ね。店で使う氷や炭酸水が足りなくなって、和くんと二人でコンビニに行った時に、たまたま」

「その時、店の名前やいつもその店にいるとか言ったのか?」

「私は言ってない。和くんは分からないけど」

「なんで分からないんだ?」

「だって、私は先に帰ったから」

「和希が〝先に帰ってくれ〟って言ったのか?」

「まさか、和くんが言うわけないでしょ? むしろ〝一緒に帰る〟って言いかけたわよ、私が気を使って〝先に帰ってるから〟って言ったら」

「なのに置いて帰ったのか、和希を?」

「十年ぶりの再会なのよ? 話す事も色々あるだろうし──」

「イヤイヤ…」

 同時に〝おいおい〟と雅哉は心の中でツッコんだ。そしてもう一度言う。

「イヤイヤ、違うだろ。──ってか、同窓会か? 〝懐かしいー、久しぶりー〟って言うような関係か、元カレ、元カノって?」

「まぁ、確かに和くんはちょっと複雑そうな顔してたけど──」

「そりゃそうだろ」

「でも別に嫌いになって別れたわけじゃないみたいだし、そこまで気まずくなる雰囲気じゃないと思うけど?」

 絢音の言葉に、今度は雅哉が溜息を付いた。

(第三者が気まずくなって捌けるのは分かるが、この場合、元カノと一緒にいたくなかったのは和希の方だろ。しかも元カノと再会してアヤに気を使われるなんて最悪だ。なんで気付かないんだ、和希が自分の事を好きだって事に? 子供の嘘を見抜くくらい簡単だぞ、あいつの言葉や態度は)

 そのくらい和希の言動や反応は、真っ直ぐで正直で素直なのだ。──にも拘らず、絢音に気付かれないとは…。

(恋愛というベクトルが自分に向かないと、こうまで鈍感なのか? ──あぁ、なんか和希が気の毒に思えてきたぞ、オレは…)

 雅哉はもう一度〝はぁ〜〟と息を吐くと、

「とにかく、だ」

 ──と両手で膝を叩いた。

「和希が言わないにしても、その半月でアヤが座ってた場所を特定したのは間違いないだろ」

「じゃぁ、やっぱりワザと?」

 雅哉は〝あぁ〟と頷いた。

「よし、分かった。二人の事を調べてみるよ」

「ありがと。こっちももうしばらく誠司くんの店に行くのは諦めて、後輩くんに付き合うわ」

「気を付けろよ、オレが教えたテクニックだからな」

「大丈夫よ。これでオチるなら、とっくに雅哉にオチてるでしょ。それに、強烈な免疫と拒否反応があるから心配いらないわ」

「そうか、なら安心──」

 ──と言いかけたところで、思い切り自分も拒否されていることが分かりハッとした。

「おぃ、アヤ──」

 気付いた時には既に遅く、絢音は〝じゃ、よろしくー〟と手を振って部屋を出て行ったところだった。

 部屋にポツンと残された雅哉。

(くそ〜、相変わらず厳しいなぁ。──ま、でもそういう所も好きなんだけどな、オレは)

 どんなにキツイ言葉を言われてもそう思えるのは、絢音が元気で笑っているからだろう。

 雅哉は絢音の怒った顔や笑っている顔、思わず見せる素の表情を思い出しながらフッと笑って天井を仰ぎ見た。


 絢音が、しばらく誠司の店に行くのは諦めて湊に付き合うと言ってから四日目。

 出勤前のいつもの時間──十七時過ぎ──に、キャバ嬢の椿が怪訝そうな顔で店にやってきた。

 それは喫茶店と夜のバーの開店準備が重なる時刻で、普通なら顔を合わせることのない客層が僅かな時間だけ混じり合う時間だ。喫茶店に初めてきた人なら、この椿を目にして彼女と同じような顔をするだろう。

「…あら、どうしたの椿ちゃん。何か悩み事?」

 〝いらっしゃい〟と口を開きかけたものの、椿の顔を見てママがそう聞いた。

「うんー…どこで見たのか思い出せなくてぇ…」

 カウンターのいつもの席──扉に一番近い席──に座り頬杖をついた椿は、かすかに残る記憶を思い出そうと空を見つめた。

「何が思い出せないの?」

「男の人…。さっき、絢姉さんと一緒に楽しそうに歩いてたのを見たから──」

「あぁ…身長が絢ねぇより頭ひとつ分くらい高くてイケメン、スポーツカーに乗った三十歳半ばの男だろ?」

「身長とイケメンは当たってるけど、年齢は二十代じゃないかな」

「二十代…?」

 椿が〝うん〟と頷いた。

「まぁ、近くで見ていないからハッキリは分からないけどね。──っていうか、知ってるの、誠司にぃ?」

「いや、オレが聞いているのは三十五歳の男の事だ」

「三十五歳の人もいるの!? ひょっとして絢姉さん、モテ期…?」

「さぁな。でも本人にその気がないだけで、絢ねぇを好きになるやつは結構いるからな、男女問わず」

「だよね~。私もその一人だし」

「──で、その男が誰なのか思い出せないのか?」

「そうなのよ…。どこかで見た気がするんだけど、〝見た気がする〟っていうだけで、それ以外の〝どこで〟とか〝どういう状況〟とか、全く思い出せなくて…。だから、記憶を辿れないのよねぇ。直接絢姉さんに聞こうかな…」

「それはやめとけ」

「どうして?」

「最近、その三十五歳の男と頻繁に会ってんだ」

「え!? え、そうなの!? ──って事は、その人が彼氏!?」

「いや、まだそれはない…と思う」

「まだ…?」

「一週間くらい前に会った時は、その男と色々約束してるって言ってただけだからな。ただ〝気になる〟とは言ってたから──」

「絢姉さんが!?」

 誠司が〝あぁ〟と納得できない顔で頷いた。

「え、でもさ…その人と絢姉さんはどうやって知り合ったの?」

「絢ねぇの話では、〝道を聞かれて案内した〟らしい。ただそのあと偶然会って、お礼に食事をごちそうになって、そこから色々と約束してるみたいだ」

「ねぇ、それって──…」

「…やっぱ、そう思うか?」

 椿が言おうとしたことが分かって、誠司が聞いた。

「だって…よくあるパターンじゃない?」

「そうなんだよな…」

「三十五歳だか二十代だか知らないですけど、私は絶対に認めないですけどね」

 〝オレもナンパだと思うんだけどな…〟と心の中で言った誠司の間を、会計作業から戻ってきた夏帆が少しイラっとした口調で言った。その態度には二人とも〝やばっ…〟と思ったが、言っている事は同感で…。

「まぁでも…絢姉さんには、あの可愛い和希くんがいるから大丈夫でしょ」

「〝可愛い和希くん〟って…お前より年上だからな、あいつは」

「えー、いいじゃん。実際、可愛いしー」

「やめろって。──ってか、あいつも絢ねぇに会えなくて凹んでんだ」

「え、どうして? そんなのどんどん連絡とって会えばいいじゃん。和希くん好きなんでしょ、絢姉さんの事?」

「あー、そりゃまぁな…」

「だったら、その今の彼氏から絢姉さんを奪い返さなきゃ! 私も絢姉さんには和希くんがいいと思うしー」

「まだ〝彼氏〟かどうかも分からないけどな それに、和希にはあの元カノが──」

「え、元カノ!? 何それ!?」

 たとえ学校で五分後にテストがあっても、金欠で今月ピンチに陥っていても、こういう話題の前ではどうでもよくなる人というのは多い。特に不倫、浮気、元カレ、元カノの修羅場とか…それはもう、一波乱ありそうな予感がするワードは大好物だ。かく言う椿もその若さと職業柄、その手のワードで前のめりになった。

「和希くんの元カノがなに? ひょっとして、元カノとよりを戻したとか!?」

「いや、それはない。──ってか、少なくとも和希にその気持ちはないからな」

「まぁ、そうだよねぇ。和希くんが好きなのは絢姉さんだし。──って事は、元カノにはその気が?」

「あー…かもな。ここに来る時も、元カノが駅で和希の帰りを待ってるらしいし」

「えぇ! 待ち伏せ!?」

「だから、ここのところ毎日二人でやってくる」

 それを聞いて、椿は少し眉を寄せた。

「ねぇ…ひょっとして、絢姉さんが来ないのは〝彼氏〟じゃなくてそのせいなんじゃないの?」

「…多分な。色々忙しくて来れないとは言ってるけど、おそらく気を使ってんだろ」

「気を使うって?」

「よりを戻すつもりなら応援するって言ったから」

「はぁ? 誰が、いつ、どこで?」

「絢ねぇが、元カノと初めて会った日、和希にここで」

 質問された通り、誠司も単語で返した。

「な…なに言っちゃってんの、絢姉さんは!? そんなこと、和希くんは一ミリも思ってないって分かってないの!?」

「分かってないんだよなぁ、これが。ちゃんと言葉でも言ったのに、まるで聞いていないっていうか、信じてないっていうか…」

「どれだけ鈍感なの、絢姉さんって…」

 椿が呆れたように言った。そして思わず呟く。

「可哀想な和希くん…」

「…同感だな」

 二人は顔を合わせ、共感するように数回軽く頷いた。

「…でもさぁ、待ち伏せするって、その元カノも積極的っていうか、ちょっと怖くない?」

「やっぱ、そう思うか?」

「んー…なんか独占欲が強そうっていうか、好きな人に彼女がいても略奪しちゃえ…みたいな?」

 椿は〝そういう人はちょっとねー…〟というような顔をしたが、ついさっき自分が〝今の彼氏から絢姉さんを奪い返さなきゃ〟と言った事は忘れているようだ。

「そもそも、〝元カノ〟って言ったのは誰なの?」

「誰とは?」

「だからぁ、和希くんが紹介する時に〝元カノです〟って言ったのか、元カノが自分から言ったのか、って事よ?」

「あー…絢ねぇたちが初めて会った時は知らねーけど、ここに来た時は自分から言ってたな」

「──って事は、絢姉さんの時も自分から言ってるわね、きっと」

「まぁ、和希がわざわざ言うとは思えないしな」

「嫉妬させたいなら別だけど…普通は好きな人に知られたくないものでしょ? 変に気を使われたりするのも嫌だから」

「〝よりを戻す気があるなら応援する〟とか、最悪だろ」

「ほんと、それ。──でも自分から言ったって事は、完全に宣戦布告ね」

「宣戦布告…か」

 言われて思い返してみれば確かにそんな行動だったな、と誠司は思った。

 この店に初めてきた時、真っ先に座ったのは絢音の席だった。それが偶然なのか、それともそこに絢音が座ると知っていたからなのかは分からない。ただ、和希が別の場所に座ろうと言っても〝ここがいい〟と譲らなかったのを見ると、後者の可能性が高いだろう。──となると、二人がこの店に来ている事を知っていて、何度か目撃していることになる。そして、絢音を牽制するために毎日この店に来ているのだとしたら──

(〝多分〟じゃなく、確実に和希を狙ってるってことか…)

 そう結論づけた途端、誠司は〝厄介だな〟と溜息をついた。同時に、椿もネイルを見ながら溜息をつく。

「あーぁ、和希くんの元カノ、一度でいいから見たかったなぁ…」

「見てどうするよ?」

「どうもしないけど、どんな人なのか興味あるじゃない? 宣戦布告した人がどういう感じの人なのかなぁって。話してみれば、その中身だって分かるし。これでもヤバイ人なのかどうか見抜く自信はあるわよ、私」

「まぁ…それだけ人と関わってればな」

「人を見る目が養えるのも、その仕事の良いところよ。ねぇ、椿ちゃん?」

 バーとして本格始動する前の準備がひと段落したママが、二人の会話に入ってきた。

「ママはどう思う、和希くんの元カノ?」

「んー…そうねぇ…」

 ママはカウンターに片手を置いて、元カノを思い出そうと顔を上げた。

「ヤバイ人っていうよりは、ただ焦ってるだけのように見えるかしら」

「焦ってる…?」

 繰り返しながら、〝そんな感じなの?〟と誠司に視線で問いかけたが、返ってきたのは〝さぁ…?〟と首を傾げるジェスチャーだけだった。

「そんな事より時間よ、椿ちゃん」

「え、もう!?」

 言われて時計をみれば、時刻はもうすぐ十七時半になろうとしていた。

「えー、もっと話したかったなぁ…」

「毎回それ言うけど、だからって今より早く来るって考えはないよな?」

「んふふ〜、バレたか」

 椿はチロっと舌を出した。

「でも、みんなと話したいのはホントよ。すっごく楽しいから」

「だったら、ここで働いたらいいんじゃない? お給料は今より下がるけど、常連さんもみんな良い人たちばかりだし、楽しいわよ?」

「んー、それすっごい魅力〜。でもあと五年くらいは無理かなぁ」

「じゃぁ、辞めたらここにいらっしゃいな」

「いいの、ホントに?」

「もちろんよ」

「やったぁ。次の就職先、決まっちゃった」

 本気かどうかは分からないが、現実的にキャバ嬢という仕事に限界があるのは事実なわけで…。少なくとも次の就職先の候補ができた事は、将来への安心材料になっただろう。華やかな笑顔が、より一層輝いていた。

「ふふ。じゃぁそういう事でね。お仕事、頑張って」

「はーい。じゃぁ、行ってきま──」

 ──と言いかけて、椿はふと思いついた。

「誠司にぃ?」

「あぁ?」

「次に元カノが来たらさ、写真撮って送ってくれない?」

「あー、分かった、分かった。ほら、早く行かないと遅れるぞ?」

「はーい、じゃぁねー」

 軽く手を上げ出ていく椿に、誠司も手を上げて見送った。

(写真か─…)

 〝また撮るのか?〟と思ったところで、

(いやいや─…そういやこの前撮ったじゃねーか)

 ──と思い出し、早速その写真を椿に送った。

 一方、道中で写真を受け取った椿は、和希の横に写る笑顔の元カノを目にして足が止まった。

(この人って──…)

 いつかの時と同じく、直感的に〝見たことがある…〟と感じたのだ。そして同時に、椿の脳裏に絢音と一緒にいた男の顔が浮かびハッとした。

(あの時の…二人…?)

 ただ、一度しか見ていないため自信がない。

(確かめなきゃ…)

 椿は情報を得るため、急いでタクシーを捕まえ仕事へと向かった──


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