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17 和希に近付く元カノ <1>

(やっぱり好きだな…)

 花弥木駅に電車が止まる直前、窓から見えた景色に絢音は改めてそう思った。夏の間は不思議なくらい目に入らない景色が、この時期になると一直線に伸びる黄色い世界がパッと目に入ってくる。それは、氷と炭酸水を買いに行ったコンビニがある通りのイチョウ並木だ。昼間はもちろんだが、日が沈んだ中でも街灯によるライトアップでその色は鮮やかに見える。仕事に行く時は最後尾の車両、帰りは先頭の車両に乗っているのも、ギリギリこのホームから見えるからだった。

 電車を降り改札口を抜けて南口に出た絢音は、このイチョウ並木の道を通るかどうか少し迷っていた。今の景色もいいが、一番好きなのは落ち葉が絨毯のように道を覆い隠す時期なのだ。

(やっぱりここはグッと我慢して、一番好きな景色になるまで待つか…)

 その時の感動を楽しみたくて、いつもの商店街に入ろうとしたその時だった。

「すみません…」

 横から声が聞こえ反射的に振り向くと、二十代─…いや、もしくは三十代くらいの男性がそこにいた。身長は絢音より高いが、少し様子を伺うように前屈みになっているため目線は同じくらいだ。スーツほど堅苦しくなく、だけど〝キメている感〟がある。毎日お手入れしているような綺麗な肌に、整えられた眉毛と髪型。顔もいわゆる〝イケメン〟だが、絢音には全く関係のない情報だった。

「今、喫茶店を探してるんですけど─…」

「喫茶店…?」

 目的の喫茶店があるのか、それともただ単に喫茶店に入りたいだけなのか…。後者なら誠司の店に連れて行けばいいのだが。

「友達と待ち合わせをしてるんですけど、場所が分からなくて…」

(前者だったか…)

 自分の分かるところならいいけれど─…とその先を聞いた。

「喫茶店の名前は分かりますか?」

「それが…急いでいて、メッセージのやり取りをした携帯を家に忘れてきてしまったんです…」

(名前も覚えてない、携帯も持ってない…って、それツーアウト…)

 そう思いつつ、最後の可能性に賭けてみる。

「友達の連絡先って──」

 言いかけたところで首を振った。

「…ですよね」

(はい、スリーアウト…)

 最悪、携帯と身分証明書さえ持っていればなんとかなる世の中。アドレス帳を併用している絢音とは違い、ほとんどの人は携帯一本だ。今は自宅の電話番号さえ覚えてないという人もいるのに、親友や友達の電話番号を覚えているわけがない。

「なにか特徴があったりとか、近くに目印になるような建物があるとか─…覚えていることってあります?」

「あー…南口っていう事と駅の近くだって言ってたのは覚えてるんですけど…」

「んー、さすがにそれだけでは─…」

「そうですよね…」

「他に名前のイメージとかは? こんな響きだったとか、名前で連想したとか──」

「あぁ! そういえば、映画みたいだな…って思ったのは覚えてますね」

「映画…」

「映画のタイトルを半分にした感じというか、喫茶店の名前に何かを付けると映画のタイトルだな、って…」

「何かをつける…」

「えっと…ナバ…ナーバス…バーナス…バナー…バーナー…あぁ、いや違うな。えっと、ハバ…バーバー…ハー ──」

 そんな感じという言葉を並び替えて口に出していた時、それは突然降りてきた。

「ハーバー! ハーバーだ!」

 そして次の瞬間には二人して叫んでいた。

「「パール・ハーバー!!」」

 お互い指をさすところまで同じで、思わず笑ってしまった。

「喫茶・パールね。分かった、ちょっと待って─…」

 絢音はそう言うと、頭の中でパールの道順を思い浮かべた。

(えっと…確かパールはあそこだったわよね。あそこからあそこを曲がって、更にあそこを曲がるとあの通りに出て─…ってことは、あの通りから二本目…いや三本目を曲がるとあの景色になって──…あれ、違うか…? え、じゃぁ、やっぱり二本目──)

「あ、あの、お姉さん…?」

 次第に目を閉じて指だけが小さく動くものの、〝あれ?〟というのが丸わかりの仕草に、男性が心配になって声をかけた。

「あー…ごめんね。喫茶・パールは知ってるのよ。知ってるんだけど──…」

 どうしようかな…と思ったところで、面倒くさがり屋の性格がニョキっと顔を出す。

「説明がめんど──…自信がないからそこまで案内するわ」

「今、面倒って言いかけたんじゃ──」

「気にしない、気にしない」

 一度二人で笑い合ったら、なんだか一気に言葉遣いも砕けてしまった。

「その方が手っ取り早いし、正確なんだからいいでしょ。──こっちよ、ついてきて」

 その時ちょうど目の前の信号が青に変わり、絢音はすぐ近くの、だけど少し入り組んだところにあるその場所へと向かった。そのわずかな時間で分かったのは、男性の名前は湊優希、三十五歳…ということだった。


 一方その頃──

 誠司の店に、初めて見る客が来店した。軽くカールした髪を後ろで緩く結び、横から後ろにかけての後れ毛が、ふんわりとウエーブして空気中に浮いている。落ち着いたピンクの口紅とスモーキーピンクのニットは彼女にぴったりで、暖かそうな白のAラインのスカートと、ブーツに合わせたキャメル色のコートが柔らかな雰囲気を少しだけキュッと引き締めていた。可愛いけれど、少し大人感がある感じだ。

「いらっしゃいませ。営業時間が六時までですがよろしいですか?」

 夏帆の言葉に、コートのポケットから携帯を取り出し時間を確かめる。六時まで、あと二十分ほどだ。少し考えたが、女性は〝はい〟と答えた。

「空いている席にどうぞ」

 夏帆はそう言うと、彼女が座る席を確認しつつ水とおしぼりの用意を始めた。彼女はテーブル席に目をやることなく、カウンターの方へ歩いて行った。そして座ったのは、一番奥の席──いつも絢音が座る席──だった。カウンター席は店が混んでいる時やバーの時間に使われる事が多く、正直、カウンターに座るとは思っていなかった。しかも絢音の座る席は滅多に座らない場所なのだ。一瞬、誠司と夏帆の目が合ったが、珍しい…と思うだけで、それ以上は何も思わなかった。

「ご注文はお決まりですか?」

 水とおしぼりを置きながら言った。女性は見ていたメニュー表を閉じた。

「ホットをお願いします」

「かしこまりました。──ホット、ワンです」

「了解ー」

 誠司が返事をし、ホットコーヒーを準備する。コーヒーを注いだカップとスプーンをソーサーにのせると、夏帆を通さずカウンターから直接出した。

「お待たせしました。ミルクと砂糖はこちらからどうぞ」

 カウンターに置いてあるミルクと砂糖を指し示したが、女性は軽く頭を下げただけでどちらも使わなかった。フ〜っと息を吹きかけ、そっと一口飲む。ここで女性は顔を上げて店内を見渡した。

「落ち着いた雰囲気で素敵なお店ですよね」

 女性が誠司に言った。

「ありがとうございます。古いので好みは分かれますけどね」

「私は好きですよ、なんだか居心地が良くて。通いたくなるのも分かる気がします」

「気に入ってもらえて良かったです」

 ──そう言ったが、最後の言葉が引っ掛かった。

(通いたくのも分かる…って事は常連客の知り合いか…?)

 だとしたら一体誰の─…と思ったところで、ママが厨房から顔を出した。

「ねぇ、誠司。今日の日替わりってなに作るの?」

「あぁ…今日は親──」

「えっ!?」

 驚きの声が被さって反射的に二人が振り向くと、女性の視線はママに向けられていた。初めて店に来たのだ。ママを見るのも初めてだが、〝そういう人〟を見ること自体初めてという表情だった。

「あら、綺麗な方…。あ…ごめんなさいね、驚かせちゃって。私は、このあと七時からのバーでママをやってるの」

「あ…そうなんですか…。すみません、私こそ変に驚いちゃって─…」

「あらいいのよ。みんな最初はそうだから、気にしないで。──それで、日替わりは?」

 ママが誠司の方に向き直り話を戻した。

「鶏肉が余ってたから親子丼にするつもりだけど」

「じゃぁ、筑前煮も付けてあげてちょうだい。たくさん作ったから」

「分かった」

「それと、唐揚げはどうする? 鶏肉が被っちゃうでしょう?」

「あー、そうだな。とりあえず今日はいいだろ。欲しいって言ってから揚げても」

「そうね。──あ、夏帆ちゃんは? 持って帰る、筑前煮?」

 今度は、テーブルを片付けて戻ってきた夏帆に聞いた。

「あ、いただきます! ママの筑前煮ってちょっと甘めで好きなんですよね〜」

「あら、嬉しいわ。じゃぁ、すぐ用意するわね」

 ママは嬉しそうに厨房へ戻って行った。

「いいのか、夏帆ちゃん? あれ絶対一人じゃ食い切らないくらい渡されるぞ?」

「大丈夫ですよ。その時は、主食として食べるので」

「主食って──」

 〝マジか〟と笑った時だった。扉の鐘が鳴って入ってきたのは和希だった。

「こんばんは」

「おー、お疲れー」

「おつ──」

「え、和希…!?」

 夏帆の言葉とほぼ同時に聞こえたのは、〝ガタッ〟と椅子が動く音と女性の声。発したのが和希の名前だったため、三人が一斉に〝え?〟と彼女の方を振り向いた。直後──

「結花…!?」

「「えぇ!?」」

 和希の口から出たのが名字ではなく、下の名前──しかも呼び捨て──だった事に誠司と夏帆が二度驚く。

「どうしてここに…?」

(しかもそこは絢さんの席─…)

 そう思っても、そこが予約席でも専用の席でもないため口には出せない。そう思う事もただのわがままだと分かっているが、それでもその席に絢音以外の誰かが座っているというのが嫌だった。

「すごい、偶然! 私はこの通りを歩いていて素敵な店だなぁ…って思って入ったんだけど─…和希こそどうして?」

「僕は─…」

(そんな事より、結花をあの席から移動させないと絢さんが─…)

 〝もうすぐ来てしまう〟という焦りの方が強く、その後の言葉が続かなかった。その様子に気付き、誠司がその間を違う質問で埋めた。

「…知り合いだったのか、和希?」

「あ…はい、あの…大学時代の──」

「後輩で元カノ…なんです」

(元カノ…?)

 和希の言葉を遮って少し照れたように言ったその言葉に、夏帆が眉を寄せた。

「元カノって──…あぁ! ハロウィンのコンビニで会ったっていう──」

「あー! そう、そうです! え…どうして知ってるんですか!?」

「いやまぁ…あの日は忙しくて買い物を頼んだ時で、帰ってきてからそういう話になったから─…」

「えー、そうだったんですか。そっか…和希、話してたんだ…」

 そう言って結花はチラリと和希の方を見た。一見、驚きから納得したように見える表情だったが、夏帆にはどこか嬉しそうに見えていて胸がざわついた。

「あ、ねぇ、和希もこっちに座ったら?」

 結花が隣の席をすすめた。そこは和希がいつも座る場所だ。

「あぁ、いや僕は──」

 そこに座ったら確実に結花は動かない。それは避けたいと、テーブル席にでも促そうかとしたその時──

「ただいまー」

 無事に、喫茶パールに案内し終えた絢音が帰ってきた。自動応答のように〝おかえりー〟と返ってくるかと思いきや、誠司と和希と夏帆が驚いたように無言のまま振り向いたから、絢音も〝え?〟と動きが止まった。

「な、なに──」

「絢さん─…」

「絢ねぇ…」

「絢音さん…」

「…早瀬さん?」

「…ん?」

 最後の呼び名と声に〝誰?〟と視線を動かすと、誠司の向こう側に立ってこっちを見ている女性と目が合った。そこはいつも自分が座っている場所で、

(お客さんがいたのか、珍しい…)

 ──と思ったのも束の間、

(あれ、でもさっき私の名前を呼んだような──…ってか、誰?)

 ──と再び同じ疑問が頭に浮かんだ。その表情から察知したのは誠司だった。

「あー…すみません。絢ねぇは人の名前と顔を覚えるのが苦手で──」

(特に仕事以外で自分に関係ない人の事は…)

 ──と心の中で付け足した。あの日〝清楚系で─…〟と言ったにもかかわらず、もう顔も覚えていないという時点で、絢音にとっては〝関係ない〟事だったのだ。

「あー、そうなんですね。あの、先月コンビニで会った──」

「コンビニ…?」

「ハロウィンの日に──」

「和希の元カノだ」

 これが一番分かりやすいだろうと誠司に言われて、ようやくその言葉が埋もれていた記憶の鍵を開けたようにバッと蘇ってきた。

「あー、はいはい。あの時の──」

「はい、結花─…片桐結花です」

「片桐さんね…」

「いいお店だなって思って入ったら、和希が来たから〝すごい偶然!〟って思って──」

「結花─…」

 話を切りたかった和希が、店の時計をチラリと見て割って入った。

「店、もう終わりなんだ。だからまた別の日にでも──」

「あ…だったら、今から違うお店に行かない?」

「え…?」

「この前といい今日といい、偶然だけどせっかく会えたんだし─…色々と懐かしい話も──」

「ごめん、結花」

 絢音と会えない時ならまだしも、会える時には一秒でも長く一緒にいたい。だから別の日に会う約束をしてでも、今はその席から離れて欲しかったのだ。

「僕はいつもここで夕食を食べる事にしてるんだ」

「でもお店は終わりだって─…」

「そうなんだけど─…僕は許可をもらってて──」

「許可…って、誰に?」

「誰っていうか─…常連客に限定されてる事で──」

「じゃぁ、私も常連客になるわ。それならこの時間にいても良いって事でしょう?」

「あ、いやそれは──」

「もー、良いんじゃない? 彼女も一緒にご飯食べれば」

「は…絢ねぇ!?」

「絢さん!?」

「絢音さん!?」

 〝なに言ってるんだ!?〟というそれぞれの視線に絢音が驚いた。

「な、なに─…」

「なにって絢ねぇ──」

「別に材料が足らないわけじゃないんでしょ? だったらもう、みんな座ってさ─…ほらほら…」

 店に来たのになかなか座れず、結花も引く様子が見られない。全く知らない人ならまだしも、和希の元カノとなったら誠司も〝ダメ〟とは言えないだろう。ならばもう、一緒に食べればいいと言うしかないではないか──と促したのだが。絢音は単純に早く座りたかっただけで、〝元カノ〟という不安要素をここに留めておきたくない、という誠司と和希と夏帆の三人の気持ちには気付いていなかった。

 絢音はさっさとカウンターの真ん中に座った。続いて迷いながら和希がその隣に座ろうとしたのだが、結花から声が掛かったのと絢音にも言われたため、仕方なくいつもの席に座る事になった。カウンター内にいる誠司には、その不満そうな顔がよく見えた。

(…ったく、絢ねぇのやつ余計な事を─…)

 溜息をつきながら絢音を見れば、夏帆に〝もう上がりじゃない?〟と話し掛けていた。夏帆は最後に帰った客の食器を片付けると帰り支度を始めたのだが、ママから筑前煮を渡されると今の状況を説明し、それを冷蔵庫にしまった。そして再び店内に戻ってくると、絢音の隣に座った。

「あれ、どうしたの夏帆ちゃん?」

「私もマスターのご飯、食べていきます」

「え…なに、もしかしてまた何か悩んでるの?」

「悩みはないですけど、気になる事があるので…」

「気になる事…?」

 〝なにそれ?〟という目を向ける絢音に、夏帆は少し呆れ気味に〝ちょっと…〟と言っただけにとどめた。

「──で、今日の日替わりは?」

 絢音が誠司に聞いた。

「今日は親子丼と、親父の筑前煮」

「親子丼と筑前煮かー。どっちも久しぶり」

「久しぶりだから、作りすぎちゃったのよ」

 ママがカウンター内に出てきて言った。

「じゃぁ、作り過ぎなかったら日替わりには付かなかった?」

「付かなかったわね」

「じゃ、今日はラッキーだ」

「ふふ、そうね」

 ママと絢音が笑って話している時に、誠司はいつものビールと枝豆を和希に出した。ついでに鶏肉が被っていることから唐揚げをどうするか聞くと、今日は〝要らない〟と返ってきた。それを聞いて、誠司が親子丼を作り始める。いつもならこの時間は絢音と話ができるのだが、今日は席が離れていて話ができない。結花は楽しそうに話し掛けてくるが、コンビニの時と同様、内容があまり頭に入って来なかった。一方、絢音は夏帆とママの三人で楽しそうに話していた。思いたくないが、〝夏帆がいなければ…〟という気持ちがどうしても頭をもたげてくる。

 誠司が四人分の親子丼を作り終えると、ママが小鉢によそった筑前煮を盆にのせて絢音と夏帆に、誠司が和希と結花に出した。

 それぞれが〝いただきます〟と言って食べ始める。絢音も夏帆も結花も〝美味しい〟と顔をほころばせた。和希も美味しいと思ったが、隣にいるのが絢音だったらもっと美味しく感じただろうと思うと残念でならなかった。

 結局、この日は絢音とまともに話すことができないまま終わってしまった。


 翌朝の通勤時は、いつもと変わらぬ光景だった。

 〝コンビニでも店でも偶然に会うなら、やっぱり何か縁があるんじゃない?〟と絢音に言われたが、〝偶然は人を勘違いさせるって言ってませんでした?〟と返して笑えるくらいには、その短い時間で和希の気持ちも復活していた。

(夜はまた絢さんと一緒に過ごせる…)

 加良須野駅で降りた和希は、そう考えるだけで夜が楽しみでしょうがなかった。もちろん、絢音もいつもの毎日が戻ると思っていた。


 仕事を終えた絢音が花弥木駅を出ると、男性が植え込みの中を覗き込んでいるのが目に入った。街灯だけの薄暗い中でも、この小綺麗な格好でキメた感じの男性には、さすがに見覚えがある。

「湊さん…?」

 普段なら──単純に覚えていないため──素通りするところだが、昨日の今日だからか、珍しく絢音が声を掛けた。湊は〝え…?〟と振り返った。

「あれ、早瀬さん…!」

「どうしたの、こんなところで。何かなくした?」

「いや、猫が入っていくのを見かけて─…」

「え、猫!?」

 絢音も思わず植え込みを覗き込んだ。

「でも、もうどこかに行ったみたいで見当たらないんですよね…」

「あー…そうなんだ、残念」

「もしかして、猫好き…?」

「好きを通り越して大好き。犬派の人は〝ツンデレが苦手だとか、感情が分かりにくい〟って言うけど──」

「いやいや、すっごく分かりますよね。目は口ほどに物を言う…じゃないけど、すごい感情が出てるなって思いますよ」

「でしょー。目を見ればちゃんと感情が見えるんだよね。耳とか尻尾の動きでも分かるし、あのフォルムも、もう最高」

「分かる、曲線美ですよね」

「あぁ、それね!」

 〝曲線美〟と表現する人も珍しいが、それはそれでピッタリな気がして笑ってしまった。

「あ…そうだ、早瀬さん。これから時間ってありますか?」

「時間って…どれくらい?」

「いやあのー…食事でもどうかなって…」

「あー、そういう─…」

「昨日の事もあるし、お礼をさせて欲しいなって…」

「いいって、そんなの。すぐ近くだったし──」

「いや、でも俺が気になるっていうか、何かしないと気が済まないんですよ。実際、ほんとに助かったし─…」

「んー…」

(ここはどう答えるべきか…)

 ──と悩んでいると、

「じゃぁ、気になって眠れなくなる俺を助けると思って─…っていうのは?」

「なにそれ」

 〝俺を助けると思って〟の使い方がおかしくて、思わず笑ってしまった。

「更に助けてたら、既にお礼じゃないよね?」

「ん? …あ、そっか。え、じゃぁどう言えばいいんだ…?」

 本気で悩んでいるような顔に、絢音は呆れたように笑った。

「あぁ、もう分かった。食事だけね」

「ほんとに!?」

 絢音が頷いた。

「その代わり、ちょっと連絡だけさせて」

「もちろん」

 絢音は携帯を取り出すと、

【今日の夕飯は外で食べる事になったから、和くんが店に来たら伝えといて】

 ──というメッセージと共に〝ごめん〟というスタンプを誠司に送った。

「これでよし、っと」

「じゃぁ、何が食べたいとかありますか?」

「好き嫌いはないからなんでもいいけど、ひとつ条件がある」

「え、なになに…?」

「気取らなくていい店」

「気取─…」

 意外な条件だったのか、湊は一瞬の間があって〝あはは〟と笑った。

「なに、おかしい?」

「いや…珍しいと思って」

「そう?」

「だって普通は〝オシャレなところ〟とか〝高級なところ〟とか希望しませんか?」

「あなた…普段、どんな人を誘ってんの?」

「どんなって─…」

「まぁ、私には関係ないからいいけど─…付き合うなら、普段からそういうところを希望しない人にしなさいよ?」

「それって、早瀬さんだったらいいって事ですか?」

「話聞いてた? 私は関係ないって言ったでしょ?」

「でも条件的には合ってるじゃないですか」

「だったら、〝高級寿司店に連れてって〟って言うよ?」

「いいですよ。俺、ちょうどいい店知ってるし──」

「いやいや、ウソだって。お寿司なら回るお寿司で十分」

「〝お礼〟でそれはさすがに…ですよ」

「そう?」

「じゃぁ、何かのコース料理とかは?」

「気取ってる」

「えぇー?」

「もっと大衆向けでいいんだって」

「大衆ってことは─…中華?」

「あー、いいね。ラーメンに餃子とか──」

「ラーメンって…。せめて、テーブルが回るようなところで──」

「そういうところは五・六人くらいで行かないと。少しずつ色んな種類が食べられるのがいいんだから」

「んー…だとしたら無難にパスタは? 少し車で走るけど─…」

「パスタか…。そうね、フォークだけどパスタなら許せる」

「え、逆になにが許せないんですか?」

「ナイフとフォーク」

「ナイ─…」

 単語のようにポンッと返ってきたのが面白くて、また湊が笑った。

「早瀬さんって面白いですね」

「よく言われる。自覚ないけど」

「そういうところですよ、きっと。計算してないから面白くて楽しくて─…そこが可愛いなぁ…って思うのかも」

「最後のは意味が分からないけど──…とりあえず、お腹空いたからパスタ屋さん案内してくれる?」

「分かりました。じゃぁ、ここで待っていてください。車、回してきます」

「了解ー」

 昨日初めて会った相手なのに、ここまで警戒せず話せるというのが絢音自身とても不思議だった。しかも、車にも乗ろうとしているのだ。

(まぁでも、ご飯食べれば終わりだしね…)

 絢音はそう思うと、しばらくして目の前に止まった車に乗り込んだ──


 誠司が絢音からのメッセージを受け取った頃、和希は既に店にいて絢音が来るのを今か今かと待っていた。仕事で会えない時は何度もあったが、目の前にいるのにまともに話せないというのはなかなか堪える。ゆえに、今日を楽しみにしているというのも見ているだけで伝わってくるのだが…。

(マジか…。よりによってなんで今日なんだよ…)

「どうしたんですか、誠司さん?」

 携帯を見て動作が止まった誠司に気付き、和希が声を掛けた。

「あ、あぁ、それが─…メシいらないって」

「………?」

「絢ねぇが─…」

「え…!?」

「外で食べることにしたらしい」

「外って─…一人でですか?」

「いや、それは書いてない。誰かと行くともなんとも。ただ絢ねぇが外で食べるって滅多にないからな…」

「誰かに誘われたんですかね、職場の人とか──…」

 自分でそう言った直後、ふと映画を見に行った時に会った検査技師の事を思い出して胸が少しざわついた。もちろん誠司はその存在を知らないため、単純に看護師仲間の事だと思ったのだが。

「相談に乗って欲しいとでも言われたのならありえるかもな…」

 滅多に外食しないからこそ、その可能性ならありうる─…という結論だった。

「じゃぁ…今日は来ないんですかね…」

 さっきまでの楽しみにしていた表情とは打って変わって、遠足が中止になった子供のようにシュンとしていた。

「〝来ない〟とは書いてないから、食い終わった後に来る可能性はあるかも、だけど─…」

「……………」

(もし本当に相談に乗ってるのだとしたら、〝何時に来るんだ?〟って急かすようなこともしたくないし─…)

「まぁ、あまり期待しない方がいいかもな…」

「…ですよね」

「とりあえず、お前もメシ食っとけ。酒ならオレも付き合ってやるし」

 敢えて明るくそう言うと、和希も〝分かりました〟とビールのおかわりを頼んだ。それから三十分ほど楽しく話していたのだが、カランと鐘が鳴って扉の方を見た二人は、入って来た人物を目にして〝え…〟と一瞬、声を失った。

「こんばんは」

「あー…いらっしゃいませ─…」

「結花…」

 〝私も常連客になる〟とは言ったが、まさか本当にそのつもりで結花が店に来るとは思っていなかった。しかも、当然のように絢音の場所に座ったのだ。

(これは、絢ねぇがいなくて正解だったとも言えるけど─…)

(まさか、これから結花が毎日来るなんて事は──…)

 そう思っても直接本人に聞くわけにもいかず、誠司と和希は〝どうする?〟とお互いの目を見て問いかけていた。──が、当然それ以上の会話はできないのだが。

「飲み物は…?」

「えっと…レモン酎ハイ…と、あと唐揚げもお願いします」

「レモン酎ハイと唐揚げですね。少々、お待ちください」

 誠司は既に軽く揚げてある唐揚げを仕上げるため、厨房へ入って行った。ややあって、二度揚げの油の音が聞こえてくる。和希は正直、もうなにを話していいか分からなかった。絢音となら毎日会っても話す事があるのに、結花とは昨日一日話しただけで話すことがなくなっていたのだ。大学の時はなにを話していたっけ…と振り返っても、過ぎ去った年月のせいか本当に思い出せなかった。

「ごめん、ちょっとお手洗いに─…」

「あ、うん…」

 和希が、居心地の悪さにそう言って席を立ち数歩離れた時だった。

「あ、ねぇ、和希」

「うん?」

「連絡先、交換しない?」

「え…?」

「別れてから、いつの間にか連絡先が消えちゃってたでしょ?」

「あー…会社辞めた時に、色々整理したから──」

「でもまたこうやって会えたし、元カノだけど、友達としてなら交換するのもアリじゃない?」

「あー…」

 明らかに嫌いな相手なら断ることもできるが、〝友達として〟と言われるとどうも断りづらくなる。少し考えたが、和希は〝そうだね〟と答えた。

「じゃぁ、携帯借りていい? トイレに行ってる間に私がやっておくから」

「あー…うん、分かった」

 和希は上着の内ポケットから携帯を出すと、それを結花に渡してからトイレへ行った。しばらくして戻ってくると、〝交換終了〜〟と携帯を返された。メッセージアプリには〝結花〟という名前で、〝久しぶり〜〟というスタンプが押されていた。

「はい、お待たせ」

 和希が席につくのとほぼ同時に、誠司が注文の品を結花の目の前に出した。

「いただきます」

 結花が最初に一口レモン酎ハイを飲み、ついで唐揚げを食べた。

「んー、やっぱり酎ハイには揚げ物ですよね〜」

「確かに。でもうまいからって、飲み過ぎには注意ですよ」

「ふふ…マスターって優しいんですね」

「え、そうかな?」

「だって店としては飲み過ぎた方がいいじゃないですか、売上的に」

「あー…」

(優しいっていうか、ウィンウィンなんだけどな。体壊して来なくなるより、健康に飲んで長く来てもらえる方がよっぽどいい。それに何より、そういう飲み方する酔っ払いが嫌いだからな、絢ねぇは…)

 ──と和希だけならそう言っているところだが、今回は相手が結花のため言うのはやめた。

「でも優しいって言ったら、あの人も優しそうだったなぁ。車のドアとか開けてあげてたし─…」

 結花がふと思い出したように言った。

「あの人?」

 誠司が聞き返す。

「早瀬さんと一緒にいた男の人ですよ」

「は…?」

「絢さんと一緒って!?」

 二人の驚きように、結花は少し意外な顔をした。

「え…早瀬さんの彼氏さん─…じゃないんですか、あの人って──」

「いやいや、絢ねぇに彼氏はいない。──ってか、いつ、どこで見た?」

 普通の客に対する言葉遣いはどこへやら、そっちの方が重要だと答えを迫った。

「今日ここに来る時に駅前で楽しそうに話してるのを見かけて─…それから車に乗って行っちゃいました」

 結花の言葉に、誠司と和希がバッと顔を見合わせた。

「それが食事の相──」

「結花、相手はどんな人だった!?」

 遮るように聞いたのは、誠司が言いかけた言葉と和希が思った事と同じだったからだ。

「え、なにどうしたの和希まで──」

「いいから、どんな人だった!?」

「どんなって─…年齢は三十代半ばで──」

「三十代半ば…」

 年齢を繰り返して、思い浮かべた検査技師とは違う人だと思った。

「背は早瀬さんより頭ひとつ分くらい高かったかな。スポーツカー乗っててね、顔もイケメンだったし、身だしなみも整ってたからてっきりデートだと思ったんだけど─…」

「デート…」

 ついこの間までは心踊るくらいの言葉だったのに、今では大きな石に押し潰されているような気持ちだった。

「すごくお似合いだったんだけどな…」

 〝残念〟という言葉が聞こえてきそうな口調に、和希は少しイラッとした。

「お似合いだからいいってものじゃないよ」

「え…?」

「あ、いや─…」

 思わず言ってしまったことに、和希は顔を背けた。

「とりあえず、オレが知る限りそういう男はいないな」

(…ってか、そもそも絢ねぇが好む相手じゃない。しかも和希の時はともかく、男の車に二人きりで乗るなんてあり得ないだろ。それともオレが知らないだけで、心を許すくらい長い付き合いのやつがいたって事なのか?)

 それはそれで喜ぶべき事なのだが、自分が知らなかったという点では寂しくも悔しくもあり複雑な気持ちだった。あとはもう〝騙されていないだろうか〟という心配が大きい。

 誠司は携帯を取り出すと、絢音にメッセージを送った。

【今、誰とどこにいる?】

 しばらく画面を注視していたが、既読にはならなかった。ならば電話を─…と受話器のマークに指が動いた瞬間、メッセージの隣に既読の表示がついた。そして待つこと数十秒後。

【昨日知り合った人とパスタを食べにきてる】

「はぁ!?」

 あまりの驚きように、誠司の声が店内に響いた。店の客もママも一斉に誠司の方を向く。──が、誠司は気にならなかった。そんな場合ではないからだ。

「ど、どうしたんですか、誠司さん!?」

 和希が思わず立ち上がった。

「昨日って─…」

「え、昨日…?」

(いやいや…昨日知り合ったばっかのやつと車に乗り込むって─…あり得ないだろ…!?)

「誠司さん…!」

 驚きと理解できない状況にフリーズした誠司は、急かす和希の声でハッと我に返った。

「あ…ぁ、悪い…。昨日だ──…相手は昨日知り合ったやつだ…」

「え…!? 昨日知り合ったばかり!? それで車に…!?」

「あり得ないだろ…? いくら鈍感でも、そういう警戒心だけは持ってるはずだ…」

 そう言われ、絢音の過去を聞いていた和希もその通りだと思った。

「もしかして無理矢理って事は──」

「でも本当にそんな感じじゃなかったわよ?」

 和希の言葉に被せるように、結花が言った。

「二人とも楽しそうに話してたし、その男の人が早瀬さんから離れたあと、車で戻ってきてから乗り込んでたもの。嫌なら男の人がいなくなった時に帰っちゃえばいいだけし、それを車が来るまで待ってたって事は、普通に考えて早瀬さんは乗るつもりで待ってたって事でしょう?」

「…………」

「…………」

 その時の様子が結花の言う通りなら、確かに無理矢理とは言えない。むしろ、自ら選んで乗り込んだ形だ。だけど、誠司と和希は納得できなかった。特に絢音の事を誰よりも知っている誠司には、理解できない事だった。そんな時、再び絢音からメッセージが届いた。

【ご飯食べるだけだから大丈夫、心配しないで。また帰る時に連絡するから】

 絢音も絢音で、誠司が心配しているというのは分かっているのだ。誠司はひとつため息を付くと、〝分かった〟と一言だけ返して携帯をしまった。

「誠司さん…?」

「…メシ食うだけだから心配するなってさ。帰る時は連絡するって」

「そう、ですか…」

 絢音から心配するなと言われ、それを受けた誠司も何も言わず携帯をしまった以上、和希もそう言うしかなかった。

「ねぇ、ちょっと─…どうしてそんなに心配してるの、和希もマスターも? 早瀬さん、大人よ? なにで知り合ったかは分からないけど、友達の紹介だったり仕事関係で知り合って、その人と意気投合したりしたら食事くらい行っても不思議じゃないと思うけど…」

 たとえそれが昨日知り合った人だとしても…という口調に、

「そういう人じゃないんだ、絢さんは…」

 和希はそう言って残りのビールを飲み干した。そんな言葉と態度に、結花は胸の痛みと共に少しの腹立たしさを覚えた。

 それから一時間半が経っても絢音からの連絡はなかった。一回目の連絡で〝パスタを食べに来てる〟という事は、その時点で既に店に入っていたことになる。そこから遅くても一時間もあれば食事は終えているはずで─…待つ側からすれば連絡があってもいいと思っていたのが、なぜか更に三十分経っても連絡がない。さすがに心配もピークに達し、誠司が携帯を取り出した時だった。毎回、毎回──…どこかで見ているんじゃないかと思うようなタイミングで、メッセージアプリの音が鳴った。音に反射して和希も顔を上げる。メッセージを開くと、〝今から帰る〟と一言だけだった。


 誠司にメッセージを送ってから十分ほどして、絢音は〝ここでいい〟と言って車から降りた。時間も時間だけに何度か〝家まで送る〟と言われたが、それは頑なに断った。店の前まで…と言う事もできたが、自分の行きつけの店を教えるのも避けたくて、最初に車に乗った駅の入り口で降ろしてもらう事にしたのだ。絢音は車が去るのを見届けてから、商店街に入り誠司の店へと向かった。歩いているうちに、それまで感じなかった疲れがどっと押し寄せてきた。普段は持たないものを持っているからだろうか。一気に重さを感じるようになったのだ。

(なんだろ、この疲れ…この感じ知ってる気がするんだけど──…)

 それが何かと探ろうとしたが、考える力もないくらい頭が重くなってきたから諦める事にした。

 店に着いたのは二十一時を回ったころだった。

「ただいまー…」

 扉を開けると同時に鐘の音と絢音の声が被った。

「絢ねぇ! ──って、え!?」

「絢さ…ん!?」

 誠司の驚きも、疑問形になった和希の声も、ママの言葉が理由だった。

「あらまぁ、どうしたの、その花束…!」

 絢音はピンクのバラの花束を持っていたのだ。

「もらった…」

「もらったって誰──」

「パスタ男か!?」

 ママの質問を遮って誠司が聞いた。その名称に、絢音が〝あはは〟と笑った。

「パスタ男って─…うん、まぁ、そうだけど。──ママ、これ店に飾っといて」

「いいの? ──って絢ちゃんに聞くのもなんだけど、立派な花束よ?」

「分かってるでしょ、私が花に興味ないって。持って帰ったって枯らしちゃうだけだし、そもそも家に花瓶なんてないから」

「まぁ、そうだけど─…」

 言いながら、絢音が差し出した花束を受け取った。

「──で、そのパスタ男は誰なんだ? どういう経緯で食事する事になったんだよ?」

 ちゃんと説明しろよ、と誠司が言った。

「あー…まぁ、簡単に言うと…昨日、道案内したのよ」

「道案内?」

「そっ。──で今日はそのお礼って事で、食事をご馳走になったの」

「花束は?」

「お礼でしょ」

「いやいや…食事は分かるけど、更に花束って普通はないだろ」

「そう…?」

「〝そう?〟って──」

「その人、早瀬さんに好意を持ってると思いますよ?」

 その声に、絢音は初めてその存在に気が付いた。

「い──…っと、ないない、そんな意図なんて…」

 思わず〝いたんだ〟と言いそうになって、言葉を変えた。

「だって、ピンクのバラの花言葉は〝感謝〟だけど、白いバラの花言葉は〝相思相愛〟で──…片思いの人が相手に贈るなら〝相思相愛になりたい〟って意味があるんですよ?」

 そう言われて絢音は〝白?〟と眉を寄せた。改めて見てみると、確かにピンクのバラに混じって一本だけ白いバラがあった。

「ほんとだ…白いバラがある…」

「ほんとだって─…気付いてなかったのかよ?」

「うん、気付かなかった…。初めて生えた白髪なら気付くけどねー」

「なんで白髪の話になるんだよ?」

「コントラストの問題よ。黒髪の中に白髪が一本だけって目立つでしょ? それと同じ。真っ白な花の中に赤が一本だけとか、真っ赤な花の中に白が一本だけとかなら気付くけど、こういう淡いピンクの中に白って─…興味のない人間には同化しちゃって見えないって」

 真面目に説明したものの、まさかバラのコントラストを白髪に例えられるとは─…と一瞬みんな呆気にとられたが、次の瞬間には吹き出していた。

「せっかくのバラも、絢ねぇの前じゃ白髪と同じかよ」

「同じじゃないわよ。バラはなくても困らないけど、髪は白髪でもなきゃ困るでしょ」

 更にまさかの〝バラより白髪が大事〟と言った発言に、またみんなが笑った。ただ和希の内心は違っていた。

(もし本当に、その人が絢さんに好意を持っていたらどうするんですか…?)

 絢音がどう答えるのか、そしてその対応によってはストーカーの危険性もあるわけで─…本当はちゃんと話したかったのだ。

「じゃぁー…今日は帰るね」

 笑い声が途絶えたところで絢音が言った。それに真っ先に反応したのは和希だ。

「もう帰るんですか…?」

 できるならもう少し話していたい。結花がいてまともに話せなくても、笑って喋っている姿を見ていたかったのだが…。

「ごめんねー。今日はなんかすごく疲れちゃってさ。それに明日は朝が早いし…」

「そう…ですか…」

 そう言われたら、それ以上引き止める事はできなかった。明らかに肩を落とした和希の姿に、絢音は優しく微笑んで〝ごめんね〟ともう一度言った。そして〝おやすみー〟と元気に言って帰っていくと、間もなくして和希たちも帰っていったのだった──


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