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15 元カノの再会と絢音の発作

 十月の最後で最大のイベントであるハロウィン。今年はちょうど金曜日ということもあって、駅周辺から花弥木商店街、大通りにはいつも以上に人が溢れていた。人が多いということは、当然開いている店も混むということで─…いつもは静かな〝バー Ayame〟も様々な仮装をした人で溢れかえっていた。

 準備中の札がかかる時間帯に店にやってきた絢音と和希は、誠司の日替わりを食べたあと休憩室へと移動した。今日は客というより家飲みの感覚で、欲しいお酒やつまみが要る時は勝手に厨房から持っていっていいと言われているのだ。

 休憩室の引き戸は閉めてあるが、店の方からはいつもと比べ物にならないくらい賑やかな声が聞こえていた。かけているクラシックもかき消され、聞こえたとしても今日のこの店の雰囲気には全く合っていない。そんな中、カウンターから厨房に向かって声を張り上げるママの声が聞こえた。

「このままじゃ、氷と炭酸水が足りなくなるわ。誠司、あんたちょっとパパッと行って買ってきてちょうだいよ」

「はぁ? オレだって今注文こなしてんだよ。行けるわけないだろ?」

 厨房にいる誠司が答える。

「注文たって、あと二個でしょ? パパッと作ったら行けるじゃない」

「パパパパうるせーな。お前はもうパパですらないだろ」

「なに訳わかんない事言ってんのよ、あんたは──」

「どっちがだよ。大体、こういうイベント事に十分用意してない方が悪いんだろ」

「用意はしてたわよ。ただ想定外だったってだけで──」

「だったらその〝想定〟が甘々ってこったな」

「何であんたはそういう言い方──」

「はいはい、そこまでー」

 たまらず絢音が休憩室から出てきた。

「私が行ってくるから、それ以上ケンカしないの」

「え! いいの、絢ちゃん!? でも、結構な量よ?」

「あ、僕も行きます!」

「本当に!? あー、もう、助かる…! あ…じゃぁ、ちょっと待ってて─…」

 ママは一旦カウンターの方へ消えていくと、レジからお金を出して戻ってきた。

「はい、これね。今日はもう、十時にラストオーダーにするから──」

「分かった。じゃぁ、氷と炭酸水買って来るねー」

「ありがとう、お願いね。和くんも─…」

「はい、行ってきます」

「あー! ちょい待て、和希!」

 絢音に続いて裏口から出て行こうとした和希を、誠司が慌てて呼び止めた。

「ソファの上にある黒い布も持ってけ」

「黒い布…?」

 言われてソファを見れば、確かに折り畳まれた黒い布があった。それを取って誠司に聞く。

「これは?」

「いざって時に役に立つ。頼んだぞ」

「あ…ぁ、はい─…」

 絢音が先に行ってしまったためそう言ったものの、どっちを〝頼んだ〟なのかは分からなかった。買い物なのか、それともいざという時なのか…。

(…ってか、いざってどういう時…!?)

 状況も使い方も分からず、そっちでなければいいな…と思いながら絢音の後を追った。

 店の裏口から駅に向かって商店街を歩いていき、途中で東の方に抜けると公園の通りにコンビニがある。その東に抜ける細い路地で、和希はようやく絢音に追いついた。

「本当に凄い数の人ですね」

「数もそうだけど─…本当に凄いのは、ほとんどの人がこの人混みのなか好き好んで歩いてるって事よ。信じられる?」

「まぁ…楽しさの方が勝ってるからなんでしょうけど」

「楽しさねぇ…」

 〝私には分からない〟と返ってきそうな口調に、和希が小さく笑った。

「とりあえず、パッと買ってパッと帰ろ」

「ですね」

 路地を抜けたその角のコンビニに着いた絢音は、扉の前で指示を出した。

「私は氷を取ってくるから、和くんは炭酸水をお願い」

「分かりました」

 店に入ってそれぞれがカゴを手に取ると、二人は別々の場所に向かった。絢音は冷凍庫から氷を一袋、二袋と取り出しカゴに入れる。そこで扉を閉めようとしたのだが、少し考えてやっぱりもう一袋…と氷を追加した。一方、和希は冷蔵室の扉を開けようとしてその手が止まった。

(あれ…どっちだ? いつも飲んでいるのは強炭酸だけど…飲み物や人の好みで普通の炭酸と微炭酸を使い分けてたりしたら─…)

 何も考えず〝炭酸水〟と思っていたが、改めてその種類を目にすると迷ってしまったのだ。

(お酒は飲まないけど絢さんなら分かるかも…)

 ──と冷凍庫のある方に顔を向けた時だった。

「…和希?」

 どこか懐かしく聞き覚えのある声が反対の方から聞こえた。反射的に振り返れば、これまたどこか見覚えのある女性が目に入る。

(えっと、誰だっけ…)

 ──と頭の中で言った矢先、当時の記憶が走馬灯のようによみがえり、目の前の女性と重なった。

「結花…?」

「そう、私! えー、すごい偶然! 久しぶりだね」

「あぁ、ほんと久しぶり」

 記憶の中の彼女と比べると、かなり大人の女性になっていた。清楚系はそのままだが、服装や髪型が更に女性らしさを際立たせている。それも当然の事だろう。

「あれから何年…? もう十年くらい経つよね? 元気にしてた?」

「もちろん、見ての通り。結花も元気そうだね」

「もちろん! あ、ねぇ…ここにいるってことは、今この辺に住んでるの?」

「あー…いや、まぁ……」

 正直、和希はこの会話を早く終わらせたかった。絢音に炭酸水の事を聞かなければならないのはもちろん、待たせたくないという気持ちがあった。でもそれ以上に、この状況から結花との関係性を知られたくないというのが一番大きい。

 ただ氷を持っている絢音にとって、こういう時の決断は早い。聞こえてきた話の内容から、すぐに終わるものではないと判断。強引に切り上げさせるような事もしたくないため、先に戻る事を決めた。

 絢音は〝ちょっとごめんねー〟と言って和希のすぐ近くの扉から一リットルの強炭酸水を三本取り出した。

「絢さん─…」

 和希が絢音の名前を口にすれば、結花が小さな声で〝絢さん…?〟と言ったのが聞こえた。

「あー…っと、話してるところごめんね。私、これ買って先に戻ってるからさ、あと五本お願いしていい? お店の名前で領収書を切ってもらえればいいから」

「あ、いえ、僕もすぐに──」

「あー、いいから、いいから」

 絢音は手を出して制した。

「大丈夫。少しくらいは時間あるから気にしないで。じゃ──」

「あ──」

「あの…!」

 〝じゃぁね〟と言おうとしたところで、和希よりも大きな声で引き止めたのは結花だった。

「は…初めまして。私、片桐結花と言います」

「…初めまして、早瀬絢音です」

 正直なところ、この手の会話は苦手だった。──というより、不要なものだと思っていた。仕事はもちろん、これから間違いなく関わっていく人ならまだしも、この歳で〝ただの知り合い〟になるくらいの交友関係は増やしたくないというのが本音だからだ。故にさっさと退散しようとしたのだが…。

「絢さん、あの…彼女は僕の大学時代の後輩──」

「後輩で、元カノです」

 〝後輩〟である事だけを伝えるつもりが、まさか結花からその言葉が付け足されるとは…。否定したくても否定できない情報に、和希は少し顔を歪ませた。

「もう十年くらい前ですけど…。でも、あの時とあまり変わってなくてビックリしちゃいました」

「えー、そうなんだ。まぁ…女性と違って男性はあまり変わらないかもね。もしくは、童顔であまり老けない、とか」

 〝羨ましいぞー〟と和希に笑顔を送ったが、彼の表情はとても固いように見えた。

「…じゃぁ、積もる話もあるだろうから私は行くわ」

「絢さん──」

「あ、でも炭酸水がなくなるまでには戻ってくるように。よろしくね」

 和希の言葉を遮るようにそれだけ言って炭酸水のお金を渡すと、絢音はさっさと会計を済ませ店を出て行った。その姿を目で追う和希。結花はそんな和希の姿をじっと見ていた。

 絢音の姿が見えなくなってから結花と少し話をしたが、心ここに在らずの和希にはあまり内容が入ってこないものだった。

 一方、店を出た絢音は少し心配していた。

(元カノか〜。和くんのあの顔、やっぱり気まずかったのよね…。そりゃそうか。私の場合は〝あの時の仕返しをしてやる!〟くらいにワクワクしたけど、普通は元カレや元カノと会っても何話したらいいか…ってなるもんねぇ。これは連れて帰るのが正解だったか…?)

 ──なんて事を思いながら、商店街に続く道を曲がった時だった。

「─────ッ!」

 絢音は、ふと視界に入った死神の姿に驚き足が止まった。ハロウィンの仮装としてはよくある格好だが、絢音にとっては恐怖でしかない。一瞬止まったかと思った心臓は、鈍い痛みを感じるほど早鐘を打ち始めた。

(…マズい…どうしよう……)

 ゆっくりとこちらに向かってくる死神。それを避けるように道の端に寄ろうとするが、体が震えてうまく動かなかった。呼吸は浅く早くなり、冷や汗までがじっとりと滲み出てくる。次第に手先が痺れ始め、氷や炭酸水の入った袋を落とさないように…と力を入れようとするのだが、握れているかどうかさえ分からなくなるくらい感覚が鈍くなってきてしまった。

(…お願い…それ以上来ないで─…)

 せめてどこかの陰に隠れられたら…そう思い、必死で近くの店の方へ足を動かす。一歩が数センチしか動いていない気がした。それでも引きずるように動かすしかなかった。一歩、また一歩…。けれど自分の気持ちとは裏腹に、視界が霞み始めた。

(…力が…抜ける…)

 貧血で倒れるような感覚で、周りの音が遠くの方で聞こえ始めた。とその時──

 突然、頭から何かを被せられたような感覚と共に、体全体をガッシリと掴まれたような衝撃を受けた。すぐには力が入らなかったが、遠くに聞こえていた周りの音がフェードインするように戻ってくる。

「…さん! 絢さん…!」

「…………?」

「僕です! 大丈夫ですか?」

「……和…くん…?」

「良かった…。しばらくこのままでいてください。もうすぐ通り過ぎるので…」

(…通り過ぎる…)

 和希の声を聞きながら、同時にその言葉を頭の中で繰り返した。

「もうすぐです…」

 布越しに聞こえてくる少し曇った声がそうさせるのだろうか。次第に心臓と呼吸が落ち着いてくると、耳元からゆっくりとした鼓動が聞こえてきた。それに比例して手や足の感覚も戻り始める。そこでようやく、絢音は自分の頭に布を被せられた状態で和希の腕の中にいる事を知った。

(何だろう、この安心感……)

 極度の緊張やプレッシャーから解放された安堵感と同じものなのだろうか。それとも、赤ちゃんがおくるみに包まれている時の安心感に似ているのだろうか。もしくはそのどちらでもないのか…。

 正直、今の絢音には分からなかった。

 それから僅かな時間が過ぎて、和希の腕の力が緩んだ。ゆっくりと体が離れれば、被せられた布の隙間から周りの光が入ってくる。真っ暗だった視界に、自分を覗き込む和希の顔が見えた。

「もう、大丈夫です。見えなくなりましたよ」

 その言葉を確かめるように、絢音がゆっくりと周りを見渡した。確かに、あの死神の姿はどこにもない。

 絢音は、ようやくここで大きく息を吸った。そして体の中に溜まった負の産物を吐き出すかのように、ゆっくりと吐き出した。

(…よし、大丈夫)

 気持ちを切り替えるように、絢音が心の中で言った。

「助かったわ、ありがとう。もう大丈夫よ」

「良かったです…。でも絢さん、今の──」

 絢音に被せた黒い布を取りながら、フードの事を聞こうとしたのだが…。

「ヤッバ、氷!」

 意図的なのか否か、絢音は思い出したように手元の氷を確認した。

「良かった、まだ大丈夫。──ほら和くん、氷が溶けないうちに早く戻ろ」

 言いたくない事なら無理に聞きたくない。それでも何かに苦しんでいるのなら助けになりたい。矛盾する思いはどちらにも傾かない天秤と同じで、和希は〝そうですね〟と返すことしかできなかった。


「ただいまー」

 人の合間を縫って店に戻ってきた二人は、裏口から厨房へ荷物を運んだ。絢音の声を聞いて、〝待ってたわよ〜〟とママも厨房に顔を出す。

「あー、お帰り! 絢ちゃん、和くん!」

「はい、これ。氷と炭酸水と…あと領収書ね」

「良かったぁ。あと少しで氷がなくなるところだったのよ」

 早速、氷の袋を開けて使い始めたママ。誠司は残りの氷を冷凍庫にしまい、和希からの炭酸水も受け取った。その時、折りたたんであった黒い布が無造作に腕にかけられているのを目にした。和希に視線を移すと、目が合った彼が〝使いました〟とばかりに軽く頷く。誠司は〝そうか〟と、これまた返事のように二回頷いた。

(まぁ、こんな日だからな…)

 想定していた事で、それに対処できたなら良かった…と、誠司は胸を撫で下ろした。

 それから二時間ほどしてラストオーダーの時間になると、次第に客も減り店内が落ち着きを取り戻し始めた。全ての注文を捌き終え、誠司から〝もういいぞ〟と言われたのは二十二時半。ようやく二人がいつもの席に戻ってきた。

「お疲れー、誠司くん」

「お疲れ様です」

「いやー、今日はマジでヤバかった…」

 カウンター内で〝はぁ〜〟と大きく息を吐いた誠司が、厨房から持ってきた椅子に腰掛けた。

「来年は喫茶店だけにしたら?」

「あー…マジそうしてぇー。けど、稼ぎどきって言ったら稼ぎどきなんだよなー…」

「しかも、大変なのにママが一番楽しそうだしねー」

「ほんと、それな。心が女ってだけで、体は男だから無駄に体力あるんだよ、あの親父…。しかもオレよりあるからタチが悪い。来年も絶対休まないぞ、賭けてもいい」

「じゃぁ、喫茶店の方を休んだらどうですか?」

 和希の言葉に、絢音と誠司が思わず顔を見合わせた。ややあって、〝それだ!〟と互いに指を差し合った。

「そもそもオレの勤務時間が長いんだよな。喫茶店休んで、その日だけバーに専念すればいいんだ」

「それと、夏帆ちゃんにも手伝ってもらえたら──」

「おぉ、それいいな! ──よし、今度から頼んでみよ」

 解決策が見つかれば、気分も幾分か楽になる。

「じゃぁ…もう、飲んじゃおう! 誠司くんも」

「あー、そうだな。そうするか!」

 店の扉にはもう〝営業終了〟の札がかけてある。オーダーは入らないし、今いる客が帰るのも時間の問題だった。誠司は厨房の冷蔵庫から冷えた缶ビールを出してくると、グラスに移すことなくそのまま缶から飲んだ。ゴクゴクと気持ちいいくらいに喉を鳴らし、五口目を飲み込んだところで〝あーーーっ!〟と声を上げた。

「うんまっ!!」

 それは本当に美味しそうで、見ているだけで気持ちいいくらいだった。

「ねぇ、酒の肴にもってこいの話があるんだけど─…聞く?」

「話…?」

「そう。炭酸水を買いにコンビニに行った時の話」

 そう言った途端、和希がハッとした。

「え、ちょっ…まさか──」

「誰に会ったと思う?」

「誰に会った…?」

「ちょっ…絢さん、もうその話は──」

「何だ? 芸能人かと思いきや…和希が慌てるってことは、こいつに関係があることだな?」

「そう!」

「だからその話は──」

「元カノだな」

「え…!?」

「ピンポーン!」

「何で分かるんですか!?」

「お前、ほんっと分かりやすいよな」

「えぇー…」

「──で、どんな感じだったんだ?」

「大学の後輩らしいんだけど…可愛いさのある、綺麗な人だったわよー。清楚系からちょっと色っぽさが出た感じかな」

「へぇー。絢ねぇとは正反対か」

「まぁ、そうね──って、うっさいわ」

「あははは。けど、そうか。そういうのがタイプだったんだな、お前は?」

「べ、別にそういうわけじゃ─…」

 敢えて〝タイプだった〟と過去形にすれば、正反対の絢音に対し〝以前はそうだが今は違う〟と言いやすいと思ったのだが…どうやらその意図は伝わらなかったらしい。

「えー、いいじゃない。ああいう人、和くんとお似合いだと思うけどな」

「それは関係ないです」

「どうして?」

「どうしてって─…少なくとも僕は、似合うとか似合わないとかで付き合うわけじゃないので…」

「あぁ、まぁ…それは確かにそうか。結局は、好きになった人がタイプって事だもんね」

「そう、そういう事です!」

「力説すんなぁ…」

「誠司さん!?」

「まぁまぁまぁ─…」

「ねぇ、それで後輩ってことはいくつ下なの? 付き合ったのはいつ?」

「絢さんまで─…どうしてそんなに楽しそうなんですか?」

「えー、だって和くんの恋バナだよ? しかも大学生ってさ…初々しさの残る、こう胸が痛くなる予感満載じゃない」

「そんな大したことないですから──」

「いいから、いいから。ほら聞かせてよ、いくつ下でいつ付き合ったの?」

 興味本位満載なのはバレバレなのだが、本当に楽しそうに目をキラキラさせて自分を見てくるのが嬉しくもある。和希は何とも複雑な気持ちのまま、諦めたように溜息をついた。

「三つ…です。僕が大学四年で彼女が一年。サークル活動で一緒にいる時間が長くなってそれで何となく…って感じです」

「付き合おうって言ったのは? 和くんから?」

「彼女からです」

「えー、彼女積極的じゃない。それとも和くんが奥手だったとか?」

「奥手っていうわけじゃないと思うんですけど…。ただ今思えば、その時に嫌いじゃなかったから付き合ったのかも…とは思います。…誠実ではないですよね」

「あー…まぁ、でもそういう時期は誰にでもあるでしょ。若い時は特にさ。それに、誠実でない事を極めた人があまりにも近くにいるから……ねぇ?」

 そう言って絢音は誠司に投げかけた。一瞬〝オレか!?〟と思ったが、〝そんなわけない〟とすぐに理解した。

「確かに、あのタラシと比べたら〝誠実じゃない〟っていう基準には全く引っかからないな」

「そういう事」

「それって喜んでいいんですか? なんか比べられる対象に疑問が残るんですけど…?」

「あはは、確かに。レベルが低過ぎたわね。でもさ、〝誠実でない理由〟はなかったんでしょ?」

「誠実でない理由…?」

「ほら、〝お金を持ってるから〟とか〝一緒に並んだら見栄えがいいから〟とか〝体が目的〟とか──」

「そ、そんなのないです! ただ一緒にいて楽しかったから─…」

「うん、うん。いいじゃない。それが理由なら付き合うのに十分な理由よ。誠実とか誠実じゃないとかの問題じゃないわ」

「じゃぁ、別れたのは何が理由なんだ?」

「それは…働くようになったら色々忙しくて…時間も気持ちの余裕もなくなって連絡できない日が増えていったんです。気付いたら〝別れましょう〟っていうメッセージだけ送られてきて…」

「本当にそれだけか?」

「それだけってどういう事ですか?」

「浮気したとか?」

「してません」

「じゃぁ、他に好きな人ができたとか?」

「できませんって」

「でも、社会人と学生が付き合うってギャップが出てくるだろ? 大変さが理解できない彼女にストレスを感じたりとか…。そうなると、自分の境遇をよく分かってくれる同じ社会人に惹かれる…っていうのはあると思うけどなぁ」

「だとしても、誰かと付き合ってる時にそういう事はしないですよ。そもそも、僕はそんな器用な人間じゃないですし…」

「まぁ、それはそうだな」

「──って事は、別に嫌いで別れたわけじゃないってことよね?」

 今度は絢音が聞いた。

「まぁ、それはそうですけど─…」

「じゃぁ、どうしてあんなに気まずそうだったのよ?」

「え…?」

「店出てから、ちょっと心配したんだから。気まずそうにしてたのは、嫌な別れ方をして何話したらいいか分からなかったからかな、とか。連れて帰ってくるべきだったかな、とかさ。だから、嫌いで別れたのじゃないなら、どうしてあんなに気まずそうだったのかなーって」

「そ、それは─…」

 本気で分からないと質問する絢音を見て、誠司は気付かれないように溜息をついた。

(こっちは、ほんっと鈍感だな。観察力は優れてるし人のことならよく分かるのに、自分の事となるとベクトルが向かないっつーか…ってか、告白されてんだろ…?)

 なかなか答えが返ってこない和希に、絢音は更に追い打ちをかけた。

「まぁでもさ、これを機によりが戻るっていう可能性もあるかもよ?」

「はぁ!?」

「おいおい、絢ねぇ──」

「だって嫌いで別れたんじゃないんだから、ありえるでしょ?」

「いや、その前に相手の状況もあるだろうが? 向こうに彼氏がいたり、年齢的に結婚してる可能性だって──」

「じゃぁ、その可能性がなかったら、そっちの可能性はあるわけだ」

「いや、ないですって。少なくとも僕は──」

「まぁまぁまぁ。大丈夫、その気になったら応援してあげるから、ね?」

「だから、その気はありませんって…。聞いてます? 絢さん!?」

(──ってか、告白しましたよね!?)

 全く聞く耳を持たない絢音に、必死に否定し続ける和希。

 誠司は何だか気の毒になって、ビールを一杯和希の目の前に置いた。

「オレの奢りだ。飲め」

「…全然嬉しくないですよ」

「それでも、飲まずにはいられないだろ?」

「それはまぁ、そうですけど…」

 そう言うと、和希は半ばヤケクソになって一気に飲み干すしかなかった─…。


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