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王女と魔剣、花と蝶

作者: 日室千種

 


 皇国とカエサヌ王国の間で、今まさに停戦条約が締結されようとしていた。

 国境近くの荒地、にわか拵えの会場で、丸腰で並び立った長身の皇帝アルフと小柄な王女ルネマリアが、揃って署名をする。


 その時、ペンを捨てた細い手が、条約文書を机上から払い落とした。

 美しい白い紙が、土に塗れる。


「なんのつもりだ?」


 ペンを置いたアルフが、秀麗な顔を歪ませて隣を睨み下ろした。形のいい額には青筋が浮いている。


 ルネマリアは、それを真っ向から睨み返した。

 互いに丸腰とはいえ、大きな男と向かい合うのは怖い。震えを見せないよう、ゆっくりと息を吸って吐いた。


「我らがどれほど苦労してここまで漕ぎ着けたと思ってる。この土壇場で馬鹿なことを」


「さすが傲慢が板についておいでですのね。馬鹿で構いませんわ、とにかく私、こんな条件は受け入れられません」


 今朝命じられたことを思い出す――隙を見て敵を殺せ。それがどれほど不本意でも、ルネマリアは国に逆らえない。

 会場にいる間だけのことであれば、誤魔化せたのだが。


 署名前に条約文に婚姻の文字を見つけ、背筋が寒くなった。婚姻を受け入れれば、夫の寝首を狙い続けねばならなくなる。それはどうしても避けたくて。

 ルネマリアは、同時に胸をくすぐった密やかな期待や喜びは押し殺し、決死の思いで署名を突っぱねたのだ。


『みゃー! 急にどうしたの、ルー、ちょおっと冷静になった方がいいんじゃにゃいでしょうかー?』


 場違いな明るい声がルネマリアに届いた。はふ、と息が抜けて、落ち着くことができる、そんな声だ。

 署名台の奥、一段高い雛壇に並んで置かれた二振りの魔剣の一つが、精一杯声を上げていた。


「アンネ、この程度で停戦の合意を翻すなら、皇帝といえどその程度の男ということよ」

『そ、そうかにゃ、喧嘩売ってるのかとおもったにゃ』


「――大体、停戦の条件に私と皇帝との婚姻が組み込まれている意味がわかりません。悪いことは申しません。婚姻部分をなしにして、すぐに作り直してくださいませ」

『傲慢なのこっちじゃにゃい!?』


 いや、味方にも傲慢に聞こえるくらいがちょうどいい。嫌な女だと疎んじてくれたらいいのだ。

 胸はぎしぎしと痛むけれど。


「婚姻が必要だから盛り込んだに決まってるだろうが。あとで説明してやる。とりあえず署名しろ」


「お断りします。修正されない限り、署名いたしません」


 何故かしつこく諭されるのをその都度突っぱねていると、周囲が騒然とし始めた。

 まず皇国の文官が、気配を殺して二人の足元に這い寄り、汚れた紙を拾って離れていった。それを見たカエサヌ国の文官は、後ろも見ずに逃げ出した。

 誰もが、ルネマリアの態度がよくない事態を引き起こすと予想しているのだ。

 果たして。


「聞き分けのない。ならお望み通り、力押しで娶ってやろうじゃないか」


 はあ、とため息を付き、アルフが抜刀した。


 皇帝の正装として、鍛え上げられた体をより美しく見せる濃青の武官礼服に、金地に青糸で緻密な刺繍をあしらった麗しいマントを両肩にかけている。

 手にしたのは、雛壇にあったはずの魔剣の片割れ。細身で優美な曲線を描く、黒々とした刀だ。刀身には白い炎が纏わりついて揺らめき、舌炎の向こうに冥府の深淵が口を開く。銘は冥府淵崩哭白焔。触れたものを砂粒のように破砕し呑み込むともいう。

 大陸の歴史上最も魔力に溢れ、最も凶々しい魔剣が、嗤うように白炎をさざめかせた。


 そんな場合ではないのに、ルネマリアは彼らの美しさに目を奪われた。


『や、やばい気配にゃ! ルー、ほんとに結婚はだめにゃ?』

「駄目よ!」


 咄嗟に叫んで、ルネマリアは咳払いをした。今はまだ王女のフリをしなければ。


「失礼。……そもそも私は王女とは名ばかり、仮にも将軍であり、国から出られません。やはり婚姻は、無理ですわ」


 そうだ、これまで呪いのように言い聞かされてきたことを逆手に取って、振りかざせばいい。これなら後で命令違反を責められずに済むかもしれない。


「無理ではない、だがもうお喋りはいい。力尽くだと、そう言ったはずだ」


 アルフが、一歩迫った。


 ジャリと土をにじり、ルネマリアもまた、ドレスの裾を捌いて剣を握った。一瞬で手の中に転移した魔剣を片手で握り、質量を感じさせない動きでふわり振る。

 その長く幅広な剣は、曇り無い白銀の刀身に空を映し、だが薄らと赤い靄を帯びるようだった。銘というものはない。代々カエサヌ王家に伝わる魔剣だ。

 守護の剣、あるいは赤き呪いの剣とも呼ばれるが、ルネマリアにとってはただのアンネマリア。

 かけがえのない親友だ。


『にゃー、構えちゃったよう。でも、わかったにゃ。私はルーの味方にゃよ!』

「ありがとう、アンネ。頼りにしてる」


 小柄なルネマリアに、アンネマリアはあまりに巨大。だが、二人の間には揺るぎない絆がある。


『最初から本気で行くにゃよ』

「わかった」


 ルネマリアは結い上げた金の髪からティアラをむしり取り、品の良い白絹のドレスに羽織っていた豪奢なショールを払い落とした。戦場では見せない化粧を施した顔は愛らしさを増していたが、淡い色を乗せた唇をあえて好戦的に引き上げた。

 もう王女のフリは必要ない。

 激しい戦意を灯して、姫将軍のルビーの目が煌めいた。


「ちっ、こうも頭から拒まれるとは思わなかったな。おい、憑依型の魔剣とあまり親しむな。呑まれるぞ」


「お喋りはおしまいと言ったのはどなただったかしら? アンネのことを知らないのに、悪く言わないで。そうやって私の意志を端から尊重する気がない方と、婚姻? ――寝言ですわね」


 そんなことは思っていない。だが戦いが始まる以上、言葉も武器となる。

 自分の胸もまた軋んだのに目を瞑り、ルネマリアはふっと短い息を吐いた。それだけで、細身の体全体が覚醒状態になる。

 細い腕がミシミシと鳴り、翅のように剣が振り上げられる。

 そして、風が起こった。


「寝言結構」


 受けるアルフは、受け流すでも避けるでもない。

 振り抜かれようとする剣のその内側に、一歩で入った。相手の目には、アルフが消え、そして現れたように見えただろう。

 遠心力で威力を増す外に対して、内を止めるのに大きな力はいらない。飛び込んだ低い体勢のまま、相手の上腕に左手を当てて勢いを殺す。

 と同時に脇腹に刀を当てて、それで勝ちだ。


「安直」


 くにゃり、とアルフの手に柔らかな手応えだけを残し、ルネマリアの剣が豪と横に薙いだ。アルフの頭を。

 驚異的な筋肉の強さと柔軟さを活かして、軌道を変えたのだ。同時に、常人には真似のできない角度で腰を曲げ、脇腹に当てたはずの刀も狙いを外している。


「むっ……」


 だが、アルフは咄嗟に刀を引き、顔の横に掲げて、分厚い刃を受け止めていた。

 打ち鳴らした金属音が、至近から耳を苛む。


「でたらめだな!」


 罵りながら、アルフはルネマリアの間合いから弾き出された。

 距離を取り、対峙する。


「皇帝陛下、こんなものではないでしょう?」


 挑発され、アルフはマントを乱暴に外して後ろへ放った。金をたっぷりと織り込んだマントは、重たい音を立てて土に落ちる。礼服越しに、しなやかで厚みのある体が戦闘に向けて研ぎ澄まされるのがわかった。

 絹の手袋を口で引き抜いて落とす間、アルフはルネマリアから視線を外さなかった。菫色の目が剣呑に細められ、目元に薄く残る傷が赤く浮き出る。

 呼応するように、黒い刀から焔が湧き立った。


「珍しい。こいつもやる気だ」

『にゃにゃ、この人たち戦場より殺気立ってるにゃよ。え、殺る気にゃ?』

「先ほどからこうるさい魔剣だな」

「アンネに失礼ですわ。貴方だって、魔剣と会話なさるでしょう?」

『ルー、ルー、ね、ほんとにいいにゃか? まだやるにゃか? だって、結婚』


「「有り得ない」」


 二人、同時にそう呟いて。

 停戦協議の場となるはずだった国境の平野は、歴史に残る決闘の地になった。







 はあ、はあ……。

 二人の荒い息が重なる。

 最後に剣を合わせたままどちらともなくよろけて、ごろりと空を見上げて転がったところだ。

 剣と刀が、手から離れて転がる。

 いつの間にか日は傾き、湿った冷たい空気が、地表を撫でるように吹いていく。


「はあ、おい、ルネマリア」

「は、ふう、呼び捨てですか」

「いちいち突っかかるな。……その」

「? なんです?」


 あたりには誰もいなくなっている。しばらくは、二人きり。

 それに、お互い死力を尽くした後で、凪いでいる。体に力も入らない。

 だから話くらい聞いても、命令違反ではない。


「そんなに俺との結婚が嫌か」

「まあ、そうですわね」

「なぜだ」

「何故って……敵同士ですもの」

「結婚すれば、敵ではない。そもそも、俺はあんたと敵になったことはないつもりだ」


 ルネマリアは、目を見開いた。







 カエサヌ国王が王子であった時に、城の女騎士との間に生まれた子が、ルネマリアだ。王女として数えられたことなど、一度もない。

 母はルネマリアを産むと、騎士をやめ、実家からも縁を切って、辺境で農作業と用心棒をして暮らした。

 母娘二人で幸せだったのに、十歳を過ぎたころに攫われるように城に連れて行かれた。何故かは知らない。ルネマリアは知りたくもなかった。いつか、母の元に帰る。それだけだ。

 父親である王とは会うことすらなく、王妃や他の王子王女とはもちろん、城の誰にも馴染まず、過酷な嫌がらせに心身を脅かされる毎日。

 優れた身体能力で致命的な状況を避けられたこと、そして母の旧知の騎士たちがそっと手助けをしてくれたおかげで、ルネマリアは成人まで命を繋いだ。


 そして、運命の日が来る。

 王家に伝わる魔剣の、十年に一度のお披露目の日。

 後で思えば、しきたりにより王家の血を継ぐ者をその場に揃えなければならず、そのためにルネマリアは城へ連れて来られたのだ。

 何も知らないままに、他人より遠い王家の人間と大勢の見知らぬ人々の前で、ルネマリアは呼び声に従い、巨大な剣を鞘から抜き、軽々と振り回してしまった。

 そこから、ルネマリアの日々はさらなる地獄となった。


 魔剣を抜いた者の習いだと、問答無用で日常は奪われた。親代わりのような騎士たちとも会えなくなった。

 姫将軍などと呼ばれ、それまで存在を無視されていた高位の貴族たちと関わらなければならなくなった。仮にも剣を持つのだからと、格下の兵たちにまで、訓練と称していたぶられる。

 読解すら危うい書類の扱いに途方に暮れていた執務室から引き摺り出され、苛烈なしごきを受けて訓練場の床に倒れ伏し、水をかけられても起き上がれず、放置される。

 冷えた夜にガタガタと震えながら起きた、何度目かの夜。


 ルネマリアは、切れた。


「何が魔剣よ、頼まれたから抜いてあげただけなのに。こんな酷い目に遭うなんて、何も聞いてないっ! 〜〜アンネマリア! 今すぐここに来て、謝罪しろおおお」


 披露目の後、魔剣は取り上げられていた。

 何も知らないルネマリアだが、母が語ってくれた寝物語で、魔剣の名は知っていた。物語が本当なら、呼べば主人の手の中に現れることも。

 本心では、信じてはいなかった。だからこそ、絶対に呼ぶなと脅されていたのに、怒りと悲しみに任せて呼んだのだ。

 だから、魔剣がいきなり手の中に現れて、ルネマリアは放心した。


『はーい! ご主人様やっと呼んでくれたの? うれしーにゃー! ……え!? なになに、ご主人様、どうしてボロボロなの? 私を呼ぶ前に、どうしてそんなにボロボロに? だ、だぁれがやったんじゃああ、ゴルアァァァ!!!』

「え、いや、ちょ」


 魔剣は、ルネマリアよりもブチ切れた。

 その夜のうちに、魔剣に振り回されたルネマリアは王と宰相らを叩き起こし、「魔剣が喋るとは……」と驚愕されながら(魔剣が)脅しつけ、魔剣の主人に対する不当な扱いをした者十数名を王宮に召集させ、(魔剣が)事の次第を明らかにし(魔剣が)ボコボコにして、投獄させた。

 反抗する者は叩き伏せられ、城は死屍累々。国は機能停止となり、最終的に高官三名が城を追放、十名ほどの上級使用人と騎士たちが王都追放となった上、彼らの財産は没収されて、ルネマリアに慰謝料として渡された。


 ルネマリアはその後、安全が確保された新たな屋敷で、親代わりの騎士たちに守られ、一週間生死を彷徨った。

 疲労、虐待、怪我と冷えによる全身機能低下のところに、魔剣に限界を超えて体を酷使されたのだ。

 全身が、ズタズタだった。

 ようやく回復したルネマリアが命じられたのは、辺境警備だった。しかも母のいる地とは国の反対側、皇国との国境沿いで治安が良くない場所だ。

 王都の水は合わないだろうから、と勿体つけて、つまりは、ルネマリアとルネマリア派と見做された騎士たちは、体よく追い払われたのだ。

 慰謝料があるだろうと、資金援助などなかった。慰謝料など、移住と移住先のボロ屋敷修繕に消え、以来ルネマリアたちは助け合って生きるのに精一杯だった。

 いつの間にか、あの一件は姫将軍の乱心と呼ばれるようになり、追放された高官たちも舞い戻ったらしい。


 反抗など、母のことをチラつかせられただけで、頭から消した。

 あの時、その足で母を連れて国を出たなら逃げられたかもしれない。だが時遅し。そんなことを考えた時には、既に母は国の強い監視下にあった。


 幸い、辺境の地は貧しくとも平穏だ。

 けれど何かに追われるように、基礎訓練だけは必死に、真面目にやった。

 自分が不遇でも、特に心は動かない。けれど、もし機会が来たなら、今度は自分で、自分も大事な人も的確に守れるようになりたかった。





 変化の始まりは、国境をまたぐ野盗同士の縄張り争いが激化したことだ。

 長きにわたり国交のなかった二国が対応に迷う間に、野盗は野盗を飲み込んで大きくなり、両国を荒らしまわった。

 辺境の領主は関心を見せず、城からルネマリアに紙一枚の指令が来た。

 だが、交流のない国同士を隔てるものは、馬でも越えられる山一つ。当然、野盗は地理を熟知し、危険が迫れば容易く国境を越えるだろう。

 国境に縛られるルネマリアたちは苦戦すると、簡単に想像できた。



 近隣の村人たちは、生活を助けてくれる恩人だ。指令があろうがなかろうが、ルネマリアは野盗を許すつもりはなかった。


『じゃ、ちゃちゃっと全滅させようにゃ〜』


「だめ、一気に全員は無理だもの。手負いになって逃げられたら、被害が大きくなる」 


『どうするにゃ〜? でもルーなら、きっとすごいこと考えるにゃね、戦いになったら、任せてにゃ。ね、それよりその編み込み、かわいいにゃ。私もお揃いのリボンが欲しいにゃよ』


「ちゃんとあるよ。結んであげる」


『ほどけにゃいようににゃ〜』


 数年経ち、ルネマリアもだいぶ図太くなった。

 必要に応じて王女のフリも姫将軍らしい顔もできるようになったし、こうした気の抜けた会話を楽しめるようになった。

 田舎の地で、周囲は兄……父ほどの歳の騎士ばかり。彼らの献身は疑いないが、ルネマリアの綻び始めの蕾のような心に一番近く寄り添ったのは、魔剣アンネマリアだ。

 魔剣としては、少女の年齢だという。

 花と蝶のように、二人はいつも寄り添った。


『リボン付けて戦ったら、ひらひらかわいいと思うにゃ』

「ふふ、そうかもね」


 野盗と戦える騎士は六人。ほかに、近隣の村からの有志の男手。戦力ではまるで敵わない。村に近寄ってくるのを追い払い続けているが、奴らは大勢いるし、すぐに戻って来る。

 根本的に解決するには、搦手で一気に片を付けるしかない。だが考えても、考えても、失敗が怖い。





 ある時、高所から遠目で皇国を見れば、統制の取れた騎士たちが野盗を追っていた。皇国側の討伐隊だ。だが、あの野盗は斥候で足が早い。案の定逃してしまっていた。

 皇国の討伐隊は、大人数だ。野盗と正面からやり合えば、負けることはない。だが、皇国側は平野部が多く、野盗も頭を使う。おいそれと追い込まれてはくれない。

 悔しがる騎士たちが合流した本隊に、一人抜きん出て目立つ、紺色の髪の男がいる。

 いつも指揮側にいて、他の騎士とは違う服を着ている。領主か、貴族だろうか。

 だが、男は姿勢良く体格良く、身のこなしを見ればおそらくどの騎士にも引けを取らない。そして剣を抜けばきっと誰よりも強い。

 一度、転倒して苦しむ馬の首を一太刀で落としたのを見た。服のせいでほっそりも見えるが、おそらくどこもかしこも鋼のような筋肉に違いない。


『あの騎士、なんか気配が違うにゃね』

「うん、そうね」

『ルー、ちょっと気に入ってるにゃ?』

「アンネったら。……そうね」


 ルネマリアは甘く疼く胸を手で温めながら、その時、取りこぼしのない罠を思いついたのだった。






 辺境に来ていつからか、アルフは毎朝、王国側を眺められる高台に立つ。運が良ければ、髪をきっちり編み込んだ小柄な騎士を遠目に見ることができるのだ。

 だがその日その人を見ることはできなかった。


 飽きていた。何もかもに。

 唯一の皇位継承者として生まれ育ち、成人後間も無く穏当に即位し、国は栄えている。当然、水面下では様々な敵や危機もあったが、悉く叩きのめすのに苦労もなく。

 順風満帆な日々に倦んで、この辺境の野盗ごときに出張ってきたのだが。

 この頃、気になる相手がいる。

 野盗などよりそちらに集中したい。

 そろそろ、討伐は幕引きだ。



 アルフは騎士たちに、頻回に見回りをし、野盗に遭遇しても必ず取り逃すよう言いつけていた。

 十日ほど経つと、慢心した野盗どもは、煩わしい騎士たちのいる皇国を出て王国へ行こうとばかり、白昼堂々、移動を開始した。

 本気で攻撃はされないと見込んでいるような振る舞いだ。

 そうなって欲しかった。

 アルフの合図で矢が降り注ぐ。ようやく奴らは身の危険を感じ、必死に馬を走らせ始めた。

 風雨に晒され脆くなった岩場が、馬に蹴られて砕ける。足場の悪さに転倒する者、弓で射られて落馬する者、そしてその体が当たって倒れる人馬もいた。

 だが誰も落伍者を気にかけることなく、隣国へとひた駆けていく。

 一網打尽は狙っていない。まず半分に減らす。多少被害が広がったとしても、長引かせなければいい。

 馬の速度を上げた。


 その時、前方に、騎馬が現れた。

 単騎、しかも馬上の人は小柄で細く、スカートを履き、長い髪を風にたなびかせていた。こちらに気付き、慌てて馬首を返して逃げていく。

 地元の娘か。

 野盗たちが、その長く美しい金の髪に誘われるように、緩く進路を変えた。明らかに、狙っている。

 その時、ふと直感が働いた。

 あの女を、知っている。

 その正体に思い至って、一瞬我を忘れた。

 何故一人でいたのか。それに、その方向は。


 危ない、と思った時には、躍り出ていた。

 盗賊たちを後ろから何人か切り倒し、転がる人馬を避けて全力で駆ける。

 女が逃げている先は緩やかな谷状に狭まり、山に突き当たるところには高い崖が三方を塞ぎ、水のない湾のような地形になっているはずだ。

 つまり、行き止まりだ。そこまで行ってしまえば、隣国にはっきりと踏み込むことになる。

 盗賊たちはそれを知っている。そこへの行き掛けの駄賃とばかり、女を追い込んでいるのだ。


「待て! 行き止まりだ! 追い込まれているぞ!」


 頭上にかかるほどせり出した大岩の下をくぐり抜けると、灌木や乾いた草が姿を見せ、両側に山が迫った。足掛かりの脆そうな山だ。馬を捨てても、あの斜面を登るのは至難だろう。

 終着点が近い。


「曲がれ! 右だ!」


 視界の定まらないほど追い込んだ馬の荒い息を聞きながら、届かないと知っていてなお、叫ぶ。

 だがそれに応じたのは、女からの細弓の一撃だった。

 威力はないが、はっきりとアルフを狙った矢に、野盗どもが笑い騒いだ。女が怯えて闇雲に打った狩矢が、自分たちの中に紛れた敵を掠めたと思ったからだろう。

 だが、女のルビーのような目は、冷静にアルフだけを見ていた。

 闇雲に? いや、アルフに向けて、当てないように射たのだ。


 アルフは周囲の野盗を牽制しながら、馬の速度を落とした。必死に追い縋っていた味方が、すかさずアルフの周りに展開して盾となる。

 味方の体の向こう、女と馬は誰よりも疾く陸の湾の奥へと到達して、馬を返した。

 アルフたちは湾が見えるギリギリの位置で足を止めた。

 それをどちらも予測していたように、バラバラに逃げていた野盗たちは団子状に寄り集まって、背後のアルフたちを罵り嘲笑いながら、女に迫る――。


 そして、彼らは地の底に落ちた。


 比喩ではない。

 人馬ともに、土に沈んでいく。

 湾の中ほどの地が、ぼかりと穴を開けて野盗たちを飲み、もうもうたる土煙が立ち上がった。

 同時に、背後で大きな音と地響きが起こった。


「背後400メルで崩落! 帰路が塞がれております!」


 目の良い騎士から報告が来た時には、アルフは全てを悟っていた。

 あの女は、囮として野盗たちを見事に罠に嵌めた。そして、おそらくは……。

 土煙の中、生き残りの野盗たちが這い上ってくるのが見える。それを目掛けて、数人の王国騎士が森から駆け出てきた。

 女は、一人悠然と状況を見ていた。いつの間にか、手には巨大な剣を持っている。

 ルビーの目と、視線が絡んだ。


「皇国の騎士殿。これも何かの縁。盗賊退治に御助力あれ。大義名分は、貴殿たちの不法入国を正当なものとするでしょう」


 言い放ったその白い顔に、アルフはぞくぞくと背筋を快いものが這い上るのを感じた。

 この女は、野盗を罠に嵌めただけではない。

 皇帝アルフ率いる皇国騎士団をも罠に嵌め、退路を絶って獲物を差し出し、殲滅の手数としたのだ。しかも、互いに貸し借りなし、突発的な協力体制だとしてみせた。

 愉快だ。


「いいだろう」


 アルフの指令で、騎士団は野盗の殲滅にかかった。





 この顛末に、王国側は難癖をつけた。

 曰く、皇国は野盗を理由に領土侵犯をした、野盗自体も自作自演だった、云々。アルフは鼻で笑ったが、皇国に与したとしてあの女、王女ルネマリアが牢に入れられたと聞いて、態度を一変。

 その日のうちに、皇国はカエサヌ国に対して宣戦布告した。






 城の塔に収監されたルネマリアには、食事も一枚の毛布も与えられなかった。

 ルネマリアは国に対してもう何も思わない。ただ、弱っていく自分を案じてアンネマリアが泣くのが辛かった。

 夢現に、あの人にもう一度会いたいと願っていたから。

 五日目の朝、塔の扉が開かれ、


「間に合ったか。あんたを連れ出しに来た」


 と、紺色の髪の騎士が現れた時は、幻覚が見えたのかと想った。

 その直後、ルネマリアは疲労と空腹で倒れた、らしい。

 気がつけば王都の自分の屋敷に帰っていて、体を癒す間に、国が皇国から宣戦布告されたこと、そしてすでに停戦協議が始まっていることを知った。

 そして今日、突然命じられてこの場に立ったのだ。

 隙を見て敵を殺せ、と。

 





「私は、いつも何も知らない。今日だって条約締結に何故私が出るのか知らなかった。私の結婚が条件だなんて知らなかった。あなたが皇帝だとは聞いたけれど、他には……何も知らないの」


 ふむ、とアルフが思案する声を洩らした。

 恥ずかしい泣き言を言ってしまった。しかも素の態度になっていたと、ルネマリアが身じろいだ時。


「知りたいことがあるなら、何でも俺が教える」


 そう言われて、ルネマリアはがばりと起き上がった。

 腕を枕に仰向けになった美丈夫は、のんびり空を眺める風だ。


「今日ルネマリアがここにいるのは、俺がそう求めたからだ。停戦はどうでもいいが、婚姻の署名はあんた自身にしてもらいたいと思ったからな。本当は塔に迎えに行った時に連れて帰りたかった。だが、あんたがあまりに弱っていたから諦めた。まさかそれから一月も事務方に引き延ばされるとは思わなかった」


 情報量が多すぎる。ルネマリアは必死に咀嚼した。


「あ、あの……どうして、私と婚姻を?」


 尋ねたのに、答えはなく、菫色の目がじっとルネマリアを見つめてくる。


「あの?」

「素の話し方、可愛いな」

「な、ふざけ」

「ふざけてないさ。戦場の勇ましさも良かったがな。あれは、腰に来た。だが今のあんたも、好みだ」


 ルネマリアは言葉も出ずに、真っ赤になった。


「あんたをよく見てた。いつだって強くて、味方を気にかけて、それでいていつも慎重で、気を張っていた。いつも、目を惹かれた」


 だから気づいた。ルネマリアの率いる隊は、人が少なすぎる。装備も貧弱だ。

 調べて、知った。虐げられる市井出の王女、魔剣の主人となった姫将軍のことを。


「あんたの扱いを知って腹が立った。俺は、生きるのに飽き飽きしてたから、腹を立てるのも久しぶりだったんだが。だが、あんたが投獄されたと聞いた時は、さらに頭に来た。そんな国から、あんたを連れ出したいと思った。だから」

「――私、あなたのことを殺せ、と言われた」


 ルネマリアのことで怒ってくれるのが、連れ出したいと思ってくれたのが、嬉しい。

 だからこそ、早々に打ち明けた。


「私は命じられたら従わなきゃいけない。だから、連れて行っちゃだめ。婚姻は無効にして」


 本当は、連れて行ってほしい。あんな国から自由になって、一緒に行きたい。

 だけど、アルフを巻き込みたくない。

 だって、ルネマリアの初恋の人だ。

 罠へ導こうとするルネマリアに、必死に危ないと叫んでくれた人だ。


 ルネマリアは多くの人の優しさに救われてきたけれど、ルネマリアだけを守ってくれる頼れる人はおらず、同じだけの悪意と冷たさに慣れてしまって、心が凍っていた。

 アンネマリアと出会って、少しずつ心は融け出して、自分も他人も大切にすることを知ったけれど。

 アルフには、心はここまで熱くなれると教えてもらった。


 落とし穴に巻き込みたくなくて、矢を射かけたように。

 一緒に行きたい気持ちを悟られたくなくて、ルネマリアは毅然と顔を上げた。

 けれど、ルネマリアの頬をなぞった男の指には、いくつもの雫がついた。


「なあ、大丈夫だ。あんたの母親はすでに保護した。あんたの騎士たちも、希望する者は家族ごと受け入れる」

「……!? そんなの、国が許すはずが」

「停戦の条件に入っている。守らなければ、攻め滅ぼす」

「……本当?」

「本当だ。だから、安心して来い」


 そんなに都合の良い話を、信じていいのだろうか。


『いいにゃ、よ〜。幸せを掴むために、飛び込むにゃよ!』

「アンネ」

『ルーが国に残っても、いつか私が滅ぼしちゃいそうだにゃ〜。いい機会だから、乗っかるといいにゃよ!』


 巨大な魔剣が、今にもぴょんぴょん跳ねそうに騒ぐ。


「アンネ、でも、……私、あなたと離れたくない。やっぱり断る」

「おい、ここまで来て振るのかよ、俺より剣だって!?」

「だって、友達なんだもの、大切な……」

「そ、そこは俺じゃ――いや今はいい。問題ない。その剣も持ってこい」


 ルビーの目がアルフをふり仰いだ。

 真っ直ぐな期待に満ちた眼差しに、アルフがぐぐ、と唸って胸を押さえた。


「でも本来は宝物庫に仕舞い込まれているような剣よ。国は手放すかしら」

「もともとこの魔剣は皇国のものだ。五代前の皇女がカエサヌ国に嫁いだ時に、こっそり持ち出したと記録されている。王女と剣が無二の親友だったとかで、皇国としては王女が生きている間だけの貸し出しとしたはずだが」


『そのまま拝借して、それが引け目で国交も細くにゃって、お披露目も十年に一回サッと済ませてたのにゃ。あー、百年ぶりくらいの里帰りにゃよ。ほんと、せこい国だにゃあ』


 ルネマリアは、ぽろぽろと涙をこぼした。王女の仮面も、姫将軍の面影もない。

 アルフが、目元を拭ってくれる。


「よく泣くなあ、めちゃくちゃ可愛いな。なあ、他に、知りたいことはないか?」


 ルネマリアは柔らかく細められた菫色の目を見上げた。

 ゆるやかに確信が生まれてくる。

 この人は、私を根こそぎ連れて行ってくれる。


「あなたは、誰?」

「そうだな、そこからだ。俺は、皇帝アルフレッド。あんたは?」

「私は、ルネマリア……」


 王女だと、名乗りたくはなかった。


「魔剣アンネマリアの主人、ルネマリアよ」

「なら俺も、同じく魔剣の主人、アルフだ」


 アルフは軽やかにルネマリアと同じところに降り立ってみせた。


「ルネマリア、俺はあんたに惚れてる。一生大事にする。だから、結婚してくれ。皇妃が面倒なら皇帝など辞めるさ。な、頼む」


 ルネマリアは、朝露を湛えた花びらのように震えている。


「わ、私でよければ、よろしくお願いします」

「! よし、なら皇城に戻ろう。まずは契約と式だな。確実に結婚をしてから、皇帝位を誰に押し付けるか考えよう」


 返事を聞いたアルフは飛び上がりそうな勢いでルネマリアを抱きしめ、けれど慎重に口付けた。

 花露を吸い取るような、優しい口付けだった。






 あれからいくつか季節が過ぎ。

 まだアルフは皇帝だ。ルネマリアの進言のおかげだ、破滅的なところがなくなったと、家臣たちには泣いて感謝された。

 教え上手な優れた教師について勉強をするのは、意外やとても楽しい。

 基礎訓練は続けていて、城の広場を走っていると、見かけた騎士どころか官吏まで一緒に走る。おおらかで、アンネマリアとも他愛ないおしゃべりを楽しむ人々は、とても好ましい。

 夫婦喧嘩をして、魔剣を持ち出すこともある。

 決着がつかず疲れ果てて二人寝転がり、足りなかった会話をして、喧嘩はおしまいになり、抱き合って眠る。

 心はいつも柔らかに穏やかに、時に弾んで咲いている。


 ルネマリアは幸せだ。


 寄り添うアンネマリアも、幸せだ。

 遙か格上の皇帝の魔剣に、いつの間にか酷く執着されていることに気づくまでは。

 気づいてからは大変だけど、それはまた別のお話。






 カエサヌ王国はやがて皇国の一領地となり、王妃以下貴族たちは消息を絶った。

 王だけは皇妃の実の父として命を保証され幽閉された。何ひとつ要望を口にせず、粗末な衣食で粛々と日々を過ごし、十年後に病を得て死没。

 聡明といわれた王子時代から一転、他人に言われるがままだった王が我を通したのは、生涯に二度。王子時代の恋人と子の命を取らぬこと、そしてルネマリアの母親や近しい者の出国を認めることのみ。

 王の幸せはどこにあったのか、知る者はいない。

読んでいただいてありがとうございました!

⚔魔剣バトルラブ⚔でした!

よろしければ評価で応援よろしくお願いします。


ちなみに、停戦条約締結までに無駄に牛歩で待たされたり、おかしな条件を滑り込もうとされたりで、イライラし過ぎたアルフは小さなハゲができてました。皇国の文官の皆さんは、命知らずな行為だと、半分心配半分呆れて自分たちの仕事だけ必死にやってました。王国の貴族、文官たちは、死ぬほど後悔する目に合ったと思います。


12000文字に切り詰めたので、魔剣恋愛が書けませんでした。

バディ×バディの四角関係で大騒ぎになるはずです。

始まりの小話を活動報告にあげておきます(続きません)


戦った後は清々しい!

ありがとうございました!

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