55 幸せだと言えるから
最終話です。
止まったまま動かない手に、講師は視線を手からカトリーの顔に動かした。
難しい顔をして悩むカトリーはペンにインクをつけると余白にラクガキを描き始める。
一対一の授業中だというのにいい度胸だ。
「カトリーヌさん?何をされてるのかしら」
講師はカトリーの手元を覗き込むようにしてカトリーに声をかける。
静かに、それでいて言い訳も逃げ出すことも許さないような言い方で、カトリーは一度目を閉じるとゆっくりと開き、可愛く笑ってみせる。
まったくと講師は息を吐いて、問題文を指でなぞる。
「どこから分からなくなったのですか」
「うーん、そうね。全部かしら」
冗談めかすようにカトリーが笑って答え、講師は仕方ないというふうに笑い返した。
カトリーは特別頭がいいわけでもない、ただ努力で補ってるだけの普通の少女で、今カトリーが解いているのが難しい問題だと講師も分かっているからだ。
「では、一つずつ確認してみましょう」
「はい」
そう言って講師はカトリーがどこらへんから分からなくなったのか確かめていく。
それから他の問題にはつまずくことなく、今日の授業が終わり、カトリーは時計を見て声をあげた。
「あ、もうこんな時間なの。急がないと」
侍女の手を借りて急いでワンピースに着替えたカトリーは、音は立てないように気をつけながら廊下を駆ける。
令嬢としては良くないとわかりつつ乱暴に扉を開けると、すでにディオたちは来ていてリサと談笑をしている。
カトリーに気がついたディオが手を振り、カトリーは挨拶を返したところで違和感を覚えた。
いつもの五人の他に今日は一人見たことのない男がいる。
その様子に気づいたトリスがカトリーに紹介をする。
「新しいメンバーのライリーさんです」
「ライリーと申します。以後お見知りおきを、カトリーヌ様」
紹介されたライリーは、ディオとはまた違う明るさを持った人物のようで口調は軽い。
どこかで見たことがあるような気がするのだが、どこでかが分からない。
考えている暇はないので思い出すのは放棄する。
カトリーはライリーに挨拶を返して、ディオたちとディオたちの乗ってきた馬車に乗り込む。カトリーの専属侍女も一緒だ。
今日はダニエルとの約束があるのだ。
シドではなくライリーが御者を務める馬車が走り出し、揺れる馬車の中でフランは乱れているカトリーの髪を器用に結っていく。
授業が長引いてしまいダニエルとの約束の時間に遅れそうだと焦るカトリーをディオは微笑ましそうに見ながら言った。
「ダニーの方もトラブルがあって遅れるみたいだから、安心して」
「トラブルって、大丈夫なんですか」
焦りから不安な表情に変わるカトリーに、シドが呆れた顔をして説明をする。
「怪我とかじゃないから安心していい。グレイ伯爵領にパーチメント商会を呼んだだろ」
「は、はい」
カトリーが頷くと、シドとトリスの視線はフランの方を向く。
フランは特に何も思っていないようでのほほんとした世間話の口調でシドの説明を引き継ぐ。
「売り上げが好調みたいで喜んでるんだ」
「良かったです」
「それで、出先で偶然ダニエル様にお会いしてお礼がしたいからってダニエル様を無理やり捕まえたってデイジー姉さんから連絡があったんだ。止めきれなかったみたい」
「えっと……」
なんて言えばいいのか分からないカトリーは言葉に詰まる。
常識が期待出来ないパーチメント家だからと納得は出来るし、とりあえずは危険がないようなので安心は出来るのだが、別の心配が出てくる。
カトリーはパーチメントを友人に持つのでなんとなく状況は想像できる。
「会った時にお礼をしとかないと、うちはなかなか機会がないからね」
「そうなんですね」
手紙と一緒に何かを送ればいいと思うのだが、それはしないらしい。
なんでも、相手の反応が見えないのがどうにも嫌なのだとか。研究者としての感性がそうさせているのかもしれない。
しばらくの沈黙が続いた後、周りの空気を感じ取れたのかフランは頰をかくとカトリーに謝る。
「なんか、ごめんね。うちの家族が」
「いえ、今回は助かりました。ダニエル様をお待たせするわけに行きませんから」
「デイジー姉さんが上手いこと逃がしてくれるはずだからそんなに遅れないと思う」
フランの言葉通り、カトリーたちが約束の場所についてすぐにダニエルはやって来た。
「お待たせしてすみません、カトリーヌさん」
「いえ、わたしも今来たところですから」
今日は二人で古書店に行く予定らしい。もちろん護衛や従者たちは一緒ではあるが。
ディオは不審に思われない程度に数歩下がると、声を出さずにシドの袖を引っ張り馬車を指差し、馬車の前で立つライリーに静かに乗り込めるようにと準備を頼む。
それを視界に入れていたトリスは、シドとアイコンタクトを取ってからフランとアルドの肩を軽く叩いて呼び、音を立てないように馬車に乗るように指示をだす。
今度はシドが御者を務める馬車はゆっくりと走り出す。
音がハッキリと聞こえたのはダニエルだけで、他の人たちは馬車が走り始めたことに気づいていない。
ダニエルは表情には出さず全くと心の中で吐き出すと、穏やかな笑みを浮かべてカトリーを馬車にエスコートする。
「行きましょうか、カトリーヌさん」
「はい、ダニエル様」
差し出されたダニエルの手に自分の手を重ねたカトリーは花が咲くように笑ったのだった。
最後までお読みくださりありがとうございました。
ブックマーク、評価、また誤字脱字のご指摘ありがとうございます。
これからディオたちの物語を投稿するのでそちらもよろしくお願いします。
『ヒメノカリス』
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