1 タダ働きはお断り
甲高い声が屋敷中に響いて、優雅な昼下がりを台無しにした。
つり上がった目と併せると炎のように見えてしまう真っ赤な髪を振り乱し女は叫び、庭で囀る小鳥すら飛び去って行く。
「ジェーン!ジェーン、来なさい‼︎」
女の怒鳴り声にろくに仕事もできない使用人たちは、影でクスクスと笑って一人で窓を拭いている少女に声をかけた。
「呼ばれてるわよ」
「大変ねぇ、ジェーンは」
少女のせいで自分たちにとばっちりがくるのは嫌だとばかりに女のもとに早く行けとジェーンを追い立てる。
(あぁもう、うるさい)
かつてほどの輝きを失った屋敷の中は、変わらない庭師が育てた花だけが輝きを放っていて妙な違和感を感じさせて、あの女ベアトリーチェに腹がたつ。
ジェーンと呼ばれた少女は大きなため息をついて、雑巾を水の入ったバケツに放り込み、バシャンと音を立て水が跳ねた。
飛び散った水に片付けるのが面倒なことになったと後悔をする。
使用人たちは明日、家にくる商人のことで頭がいっぱいで、ろくに仕事もせずに話に花を咲かせている。
「お姉さま、私喉が渇いたの。早くお茶を淹れてちょうだい」
濃紺のカトリーとは反対の色をしたベビーピンクのふわふわした髪、愛らしい顔つきの少女が声をかけてくる。
ベアトリーチェの娘、シーダだ。
水が飛び散ったバケツを見て呆れた顔をするシーダは、こんなこともまともに出来ないなんて使えないわと文句をいう。
「誰があなたのお姉さまよ」
「ママは違うけど、同じパパの娘だもの。カトリーヌお姉さまは私のお姉さまだわ」
愛くるしい笑顔を見せてシーダが言った。
わざとらしく本当の名前で呼んで見せて、彼女をイラつかせる。
本当に血の繋がりがあるのかどうかも疑わしく、ジェーンいや、カトリーヌと呼ばれた少女はシーダを姉妹とは思っていない、思えない。
カトリーヌ・メル・グレイ
それがジェーンと呼ばれた少女の本名だ。
しかし、ベアトリーチェに本名を名乗ることを禁じられたカトリーヌは名無しの娘と呼ばれている。
他の使用人に訴えたところで冗談を返されるだけだ。
「お姉さま、早くお茶を淹れてちょうだい」
カトリーヌはため息をついて手早くバケツを片付けると、言われるがままに紅茶を淹れにいった。
トレーにカップを置いてベアトリーチェたちのところまで行く、机上には置かずに対峙をする。
カトリーヌはニコリとも怒りを見せることもせず、淡々とベアトリーチェに向かって言った。
「お給金をお願いします」
使用人のような扱いをされるなら、お金を取ったって構わないはずだ。
自由に使えるお金がない以上、家から逃げ出しても動きがとれない。売れそうなものもシーダに取られてしまったし。
「何を言っているの?娘にお願いをしているだけだと言うのにおかしなことを考えるのね」
「お姉さま、怖いわ」
ベアトリーチェが怒りに目を細めるが、カトリーヌははて、と首をかしげる。
「ここにいるのは名無しの娘、使用人の一人にすぎないのでは」
今のカトリーヌは使用人のお仕着せを着ていて、立ち居振る舞いを除けば貴族には見えない。
「もういいわ、早くどこかへ行ってちょうだい」
苛立ちが増すベアトリーチェは、もうカトリーヌの顔を見たくないと、うっとりと眺めていた手近にあった指輪をカトリーヌに投げつける。
(ナイスコントロール)
投げられた指輪はカトリーヌに当たらず、カトリーヌが用意していた空のカップに入り、カラカラと音を立てる。
「失礼いたします」
トレーを持ったままカトリーヌは、ベアトリーチェの望み通りにするべく部屋を出る。
シーダに強奪されほぼ空っぽの自室のベッドに倒れこんだカトリーヌは、ベアトリーチェに投げつけられた指輪を手にして微笑んだ。
「資金ゲットね」
カトリーヌたちをよろしくお願いします!