第75話 ……厨二か?
「どうぞ、少し熱いから気をつけて」
アーサーと名乗る男性に案内された東家には既に茶菓子とティーセットが用意されていた。
「いただきます」
出されたカップに口をつけて驚いた。
「これは……」
「ふふふ、君のお母様、ナギサさんのお気に入りだった紅茶だと聞いているんだけど気に入って貰えたかな?」
「ああ……少し違うかも知れないが、懐かしい味、です」
よくおふくろが淹れてくれた紅茶と同じ香りだ。
おふくろが死んでからは一度も口にしていなかったが、間違えようもない。
「それは良かった。 用意したお菓子もナギサさんのお気に入りだったそうだよ、甘いものが平気だったら」
そう言って勧めてくれたのはティースタンドに乗せられたスコーンやクッキー、ケーキなど見慣れたものが多い。
口に運ぶとやはり食べ慣れたものばかりだ。
「どうかな? 口に合うといいんだけど」
「はい、どれも美味いです」
「そうか! 良かった、口に合わなかったらどうしようかと思ったよ!」
アーサーはホッとしたように表情を綻ばせた。
「あ、そういえば俺作法とかサッパリなんですけど……」
一応、相手は貴族っぽい男性だ。
友好的だし、ましてやルークの客かも知れないので出来れば失礼の無いよう気をつけたいところなのだが……
「あははは、大丈夫だよ。 そんな事は気にしないでいいさ」
「そう言ってもらえると助かります。 どうもこう言う場は馴染みがないもので、アーサー様が寛大な方で良かったです」
「そんな畏まらなくていいよ、"様"必要ない、話し方ももっと砕けた感じで接してくれて構わないよ」
「そ、そうか? なら俺の事も呼び捨てで呼んでくれ」
そう言って貰えるのは非常に助かる。
出来ない訳では無いが、どうも敬語や丁寧語は得意でない。
「そっちの君も、普通に話してくれて構わないよ」
それは俺に向けられた言葉ではない。
珍しく空気を読んでいた本人もその事には気がついたのか、大きく息を吐くと口を開いた。
「ふむ、どうやら我の事も知っているようだな?」
「ああ、クロさんと呼べば良いんだよね? 改めてよろしく」
「それは構わん。 が、ミナトが言わぬから我から問おう、何が目的で我らに近づいた?」
こういう時にクロの傲慢なところは助かる。
どう切り出すかと思っていた事をどストレートに口にしてくれるのだ。
「目的かい?」
「惚けても無駄だぞ? ミナトの母親の好物を用意するなど明らかにミナトが目的であろう?」
「別に目的と言う程のものじゃないさ、最初に言った通りお2人の事を聞きたくてね」
「聞きたいって、何を聞きたいんだ?」
両親がこっちの世界にいた事を知ったのはつい昨日の事だ。
2人の事を聞きたいのはむしろこっちの方かも知れない。
「ああ! 勘違いしないで欲しい。 僕が聞きたいのはお2人がミナトの世界に戻ってからの事なんだ」
「は?」
思わず間抜けな声が出た。
♦︎
「そうか、君はとても愛されて育ったんだね」
「ああ、まぁそう、だな」
どうにも気恥ずかしい言い方をされ思わずそんな返事が口とから出てしまった。
アーサーは本当に両親が元の世界に戻ってからの事だけを聞きたがった。
理由は分からないが、別に秘密にするような話も無いので俺が出来る思い出話や両親の生活など、本当に平凡でありきたりな話をしただけだった。
「でも、とても信じられないな……」
それは、俺の話した内容が信じられない。
そういったニュアンスではないのだろう。
ルークやマーリンもそうだった。
「……俺も受け入れるのには相当な時間が掛かったからな」
「そうだろうね……僕も時間が掛かりそうだ」
しばらくの間沈黙の時間が流れる。
何杯目かの冷め切った紅茶を流し込む。
「君はこの世界――この国を見てどう感じたかな?」
唐突にアーサーがそんな事を口にした。
「どう、とは?」
空になったカップに新しい紅茶を注ぎながらアーサーが言葉を選ぶようにゆっくりと言葉を口にする。
「よい国だと、そう感じたかな?」
その質問に俺は即答出来ず、少し逡巡する。
一見、平和そうに見える。
スクルドと王都しか見ていないが、生活している人達の表情は殆どが明るいものだった。
でも、あくまで殆ど、だ。
「ミナトがこの世界に来てどのくらいだい?」
俺が答えに迷っていると今度は別の質問が重ねられた。
「えーっと、3週間くらいだな」
「そうか、旅をしてきた事も考えれば僅かな時間しかこの国を見れていないはずの君でも気がついたんだね」
「……」
別に多くの気づきがあったわけじゃない。
せいぜい、獣人差別を初めとした聖光教会の影響力や貴族の権力くらいなものだ。
「一見平和に見えるが、それは極々表面上に過ぎない。 実際は差別や大きすぎる権力、貧困、魔物や魔獣の脅威、挙げれば無数の問題が山積みにされている」
アーサーの瞳に薄っすら怒りの色が浮かぶ。
「だが、それらを解決すべき力ある者の多くがその問題から目を逸らし、私腹を肥やす事ばかり考えている」
それは多分どこの世界でも同じなのだろう。
力を持つ者が、正しくその力を振るえる訳じゃない。
「見せかけの平和は呆気なく崩れ去る。 魔王が復活した今、それはもうすぐそこまで来ているんだ」
え?
魔王が復活?
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 魔王ってまさか――」
俺はそう言って思わず肩の上のクロに目をやった。
「違うよ、クロさん――黒炎の魔王様の事じゃない」
「ッ!!」
どういう事だ。
アーサーはクロの正体を知っているのか?
しかも黒炎の魔王"様"って――
「『蹂躙の魔王』――君のお父上、勇者カイトが打ち倒したとされる魔王さ」
「蹂躙の魔王―― え? オヤジが勇者? それどういう――」
「蹂躙の魔王ッ――深きものども、クトゥルフか!!―― ぐぅ!!」
突然苦しそうな呻き声をあげ、クロが肩からテーブルの上へと落ちる。
「お、おい! どうした!!」
何事かと慌ててクロを両手で掬い上げる。
「はぁ……はぁ……案ずるな、唐突に頭に激痛が走ったが、既に落ち着いた」
「大丈夫ですか!? すみません、僕が余計な事を口にしたばかりに……」
「案ずるなと言ったであろう、既に痛みはない。 むしろお陰で非常に断片的ではあるが記憶が呼び起こされた」
やはりそういう事か!
崩れ落ちる直前、クロは何かを口走っていた。
"深きものども"それに"クトゥルフ"――
「……厨二か?」
「愚か者! そんな訳があるまい!」
ですよね、流石にあの苦しみ様で唯の厨二病発作とは思えないし、思いたくない。
流石に痛いを通り越して哀れだ。
「クトゥルフ……冗談だろ……」
ユキのラノベで度々目にしてきた名前――
現代でも有名な創作上の神様の1柱の名前だ。
それがこの世界の魔王?
しかもそれを倒したのがオヤジでその上、勇者?
もはや理解が追いつかない。
むしろ若干理解する事を頭が拒絶しかけてる。
「ヤツは水を操る、あらゆるモノを呑み込み侵食し、蹂躙する。 故に『蹂躙の魔王』と呼ばれていた筈だ。 だが、ヤツに対抗する者が他に――ッ!!」
再びクロは苦しそうに呻き始める。
「おい! よせ! 無理に思い出そうとするな!」
「いけない! 魂としてしか存在しない貴方が無理に記憶を思い出そうとすれば下手をすれば魂にダメージを受けかねない!」
「馬鹿にするでない……我がその程度の事で……ッ!」
ガクンとクロの小さな身体から力が抜ける。
「おい!!」
まさか――
脳裏に最悪の展開が過ぎる――
「いえ、大丈夫です。 気を失っただけの様ですね」
アーサーの安堵した様子に俺もクロをよく見れば、小さく胸が上下しているのが分かった。
「魂の存在であるクロさんがまだ依代に残っているという事は、少なくとも消滅したりはしていないでしょう。 ですが、油断は出来ません、少なくともしばらくは無理に記憶を呼び起こさない方がいいでしょう」
アーサーの言葉に安堵と一抹の不安を覚えつつも、聞かずにはいられない。
「アーサー、あんた何者だ? なんでそんなに詳しいんだ? それになんで――」
そこまで口にしたところでアーサーは手を突き出し、俺の言葉を遮った。
「今は何も聞かないで下さい。 クロが気を失っているとは言え、君が知ればそれはクロさんも同時に知る事になり得る」
確かにその通りだ。
クロには時々俺の考えが伝わってしまうことがある。
最近は減ってきたが、それでもふとした時にアーサーから聞いた事が伝われば同じ事が起きるかも知れない。
「本当にごめん。 僕が余計な事を口走ったばかりかこんな中途半端な形で話を終えなければならなくなってしまいました」
「いや、大丈夫だ。 むしろ少しでも知る事が出来て助かった」
正直、もっと聞きたい思いはある。
だが、その結果クロを苦しめる可能性があるなら今は知らなくても構わない。
なにより、マーリンやルークが色々と隠しているのもこの事が理由だと考えれば少なくとも納得は出来る。
「おーい、ミナトここかー?」
屋敷の方からルークの声が聞こえてくる。
「お、ここに居たのかミナ――って! 殿下ぁぁ!? 何故ここに!!」
殿下??
「あはは、見つかっちゃいましたね」
え?
殿下って……
は?