第61話 神獣
整備された街道を外れると途端に足元が悪くなる。
鬱蒼とした樹々で視界は悪いが、充分な明るさはある。
お陰で多少、移動速度は落ちたもののこのまま行けば明るいうちに親玉のところにたどりつけそうだ。
「とはいえ……」
茂みから飛び出してきた狼を躱しつつ、その腹に拳を突き上げる。
痛手を負った狼は尻尾を巻いて逃げ出していく。
そんな感じで既に何度も襲われては撃退を繰り返していた。
「群れで襲って来ないのが幸いだな」
「こちらの気配に尻込みしておるんじゃろ」
爺さんが言うには狼の魔獣はそれなりに知能もあり、危険を回避する傾向が強いと言う。
また少数の群れは形成するものの、数十匹で群れる習性はない。
今は変異種という強力な頭がいる所為で例外的に大きな群れになっているのではないかとの事だ。
「ふむ、では奴らはミナト殿やタナトス殿の気配に怯えて大半が襲って来ないと言う事ですかな?」
「何故我の名が出てこない?」
クロの気配などエサ程度にしか思われてない気がしてならないが、言ったところでうるさいだけなのでスルーする。
「その可能性もあるが、一番は恐らく其奴じゃろ」
爺さんが指差したのは意外な奴だった。
「え? わたし?」
突然指を差されて驚いたのはリサだ。
だが、爺さんが指差したのはリサの下――
正確にはリサが騎乗しているクマ吉だった。
「この森は本来なら此奴らが生態系の頂点じゃからな、その所為じゃろ」
「お前のおかげか……」
「ぐるう!」
クマ吉はどこか誇らしげだ。
というかこっちの言葉理解してない?
リサに頼まれたのもあるが飯の分以上には役立ってくれているならありがたいな。
その後も、頻繁に襲われはしたものの都度、ほぼ1匹か2匹だったので特に問題もなく進むことが出来た。
歩きながら食べられる軽食をとりつつ進み、昼過ぎには目標まで後少しのところまでたどり着くことが出来た。
だがいよいよと言うところで問題が起きたのだ。
「な、なんか……」
「身体が重いな……」
「す、すごいプレッシャーを感じます」
俺を除き、全員の足取りが重くなり、遂には止まってしまったのだ。
だがそれもその筈だ。
数百メートルほど先からかなり強い気配が漂っている。
爺さんの時の様に纏わりつき、呼吸が止まるような気配とは比べものにならないが、相当な相手がいる事は間違いない。
「ふーむ……予想外じゃな」
爺さんもその気配に少し驚いている様子だ。
「大物が出てきそうだな」
クロは何故か楽しそうだ。
状況を考えろ、状況を……
「うむ、恐らく大物も大物、滅多とお目にかかれん奴が現れたもんじゃな。 まぁお主もおるしなんとかなるじゃろ」
どうやら爺さんはこの気配の正体に心当たりがある様だ。
気にはなるがそれより先にここからどうするかを考えなければならない。
なにしろ全員が気圧されてしまい動けないのだ。
一旦、離れてそこから俺ひとりで動くべきか?
「……進もう」
そう言って一歩踏み出したのはクリスだ。
額には汗が浮かび呼吸は荒い。
疲労が原因ではない。
クリス以外も似たような状態なのだ。
「無理するな、キツいんだろ?」
そう気を使うがクリスはその言葉に首を振った。
「注告を受けた上でここまで同行したのだ。 これで引き返したり待機したのでは役立たずどころか足手まといだ……例え危険だとしても私は最後までついて行く、行かせてくれ」
様子こそ辛そうだが、その目には意思が宿っている。
なるほど、覚悟は決めてるって事か。
「分かった、他のみんなはどう――」
どうする?
そう口にしかけ、飲み込んだ。
見れば全員がクリスと同じ目をしていた。
どれだけ気圧されていても引き返すつもりの奴はひとりも居ないようだ。
「ヤバかったら撤退するぞ」
撤退に関しては爺さんの時に経験済みの2人だ。
しっかりと学んでいたようで、すぐさま理解を示した。
クリス達に至っては騎士団所属と言うだけあってステラ達以上に理解していた。
「では撤退の際は私が先頭を、撤退の判断と殿はミナト殿にお任せします」
「了解だ。 ただ、俺が戦闘不能になった時はすぐに撤退してくれ、間違っても助けようなんて考えるなよ?」
俺が敵わない相手じゃクリス達がどう頑張っても無駄に被害が大きくなる。
全員が覚悟を決めているとはいえ、避けられる危険なら避けた方がいい。
特にステラとリサは俺がいなければ危険な冒険に身を晒すこともなくなる筈だ。
(そういう意味では巻き込んだとも言えるのか……)
だが、成り行き上他の選択肢は無かった訳で仕方ない事でもある。
つまりは考えるだけ無駄な訳だ。
小さく嘆息し、無駄な考えを振り払う。
「じゃあ、行くぞ。 全員覚悟を決めろ」
そう声をかけ、再び歩を進め始める。
狼の親玉はすぐそこだ――
♦︎
距離にして数百メートル――
走れば一瞬の距離だったが、一歩近づくたびにプレッシャーは大きくなっていく。
それでも今度は誰一人歩は止まらない。
近い様で遠い数百メートルを進み、遂に目標の姿を視界に捉えた――
3メートルはありそうな巨大な身体で美しい白銀の毛並みを纏った巨大な狼が地面に寝そべりこちらを見つめている。
その目には高い知性を感じる。
そしてその感覚が間違いではない事を証明する様に――
「はぁ……全く面倒くさいわね、こんなところまでノコノコと」
驚いた事にそう言葉を発した。
「お前が狼どものボスか?」
言葉が通じるようなのでそう声をかける。
「別にそんなつもりはないわよ、アイツらが勝手にやってるだけだし」
「なら好都合だな、アイツらが街道で好き放題やってて困ってるんだ。 やめるように言ってくれないか?」
こちらとしても話し合いで済むならそれに越した事はない。
ないのだが――
「バカ言わないでくれる? どうして私がアンタら人間の頼みを聞かなきゃいけないわけ? そもそも――」
先程まで感じていたプレッシャーはコイツの存在感そのものだった。
それとは別、意図的に放たれる強烈な殺気。
「ッ!!」
「………!!」
「ひっ!!」
背後の仲間達はその気配に耐えきれず短い悲鳴と共にその場にへたり込んでしまう。
「人間の分際で平然と私に命令してんじゃないわよ! 殺されたいの?!」
凄まじい殺気を放ちながらそうこちらを威圧する。
「まぁそう殺気立たないでくれよ」
その殺気を受けてなお俺は狼のボスに頼んでみる。
言葉が通じ、かつ問答無用で襲いかかってこないなら説得してみる価値はあるはずだ。
「……気に食わないわね、これでも平然としてるなんて」
これだけ殺気を剥き出しにしつつも、やはり襲ってくる様子は見られない。
「こっちも必死になる理由があるんだ、それに命令してるつもりもない、お願いしているつもりだよ。 だからもし何か条件があるなら言ってくれ」
「人間に頼むような事はないし、頼みを聞く気もないわ」
襲っては来ないが、聞く耳もない。
うーん……やはり話し合いで解決ってのは難しいのか?
「ちと良いかの?」
背後から爺さんが声を発した。
「あら? 妙な気配が混じってると思ったら、あんたリッチ? 随分と気配が弱いから分からなかったわ」
「ホッホッホ、お察しの通りじゃ。 此奴らはなかなか興味深い人間達でのぉ観察の為に同行させてもらってるんじゃよ」
「あっそ、別に私は興味ないわ。 でもそう、人間の群れかと思ったらよく見れば確かに変わったのが何人か混じってるわね。 特にそこのフード被った子なんてむしろ私達に近いじゃない。 なんで人間なんかと一緒にいるのよ?」
恐らくリサの事だろう。
狐の獣人だが狼のボスからすれば近しい存在らしい。
「おい、我を無視する――」
「お前はいいから」
存在を無視され、声をあげようとするクロの口を塞ぐ。
何やらモゴモゴ言っているが、どうせロクな事じゃないので無視だ。
「そうじゃな、故にどうじゃろう? 神獣の名を冠するフェンリルの子よ、ここは儂らの願いを聞き届けてくれんかのぉ?」
神獣フェンリル――
強大な狼と言えば真っ先に思い浮かぶ存在だ。
北欧神話由来が目立つこの世界なら、その姿からひょっとしたらとは思った。
しかしまさか本当にフェンリルだとはね……
「そうね……ならここはその子に免じて条件次第で聞いてあげても良いわよ?」
先程までの態度から一変してそう言った。
「頼むよ。 で、その条件ってなんだ?」
余程難しい話でなければ、力に訴えなくて済む。
こちらとしては助かる話だったが――
「その子以外の全員の命ね」
「…………はぁ」
せっかく穏便な解決を期待したのに……
どうやらこのバカ犬には躾が必要なようだ。