第113話 ヴァリウス、覚醒進化する
「自分自身を……テイムとは?」
とりあえず、意味が分からないのはこの部分だ。
従魔契約は魔物に対してかけるものなので、そもそも自分自身にかけることは原理的に不可能だ。
「やらない」のではなく「できない」のである。
しかし、初対面で何の説明も無しにコーカサスとの従魔契約を見破ったベヒーモスが、そんな初歩的なことを聞きたいとも思えない。
などと思っていると、、ベヒーモスはこう質問を変えた。
『正確に言えば……自分自身をというよりは、ヴァリウス君の体内の存在に対して、だね。人間の体内には、アデノシン三リン酸をくっつけたり離したりしておる奴がいるだろう?』
「……ミトコンドリアか」
より詳しい質問で……ようやく俺は、ベヒーモスが何を言わんとしていたのかが分かった。
確かに、ミトコンドリアならテイムすることができる。
ミトコンドリアは独自のDNAを持つ、謂わば人間と共生している細胞のようなものなので、ある意味ミクロ単位の従魔みたいなものと言えなくもない。
そこに魔法的に正式に従魔契約魔法をかけるというのは、原理的に不可能ではないのだ。
しかし、それならやらない理由は簡単だ。
単純に、やるメリットが存在しないのだ。
「意味がないからやらないだけだけど……?」
『……そうか? その……ミトコンドリアって名前だっけ。ミトコンドリアを覚醒進化させたら、ヴァリウス君自身、相当強くなると思うんだがね……』
答えると、ベヒーモスはそう食い下がった。
しかし、それだって既に前世で結論が出ている。
ミトコンドリアを覚醒進化させてテイマー自身を強化するのは、はっきり言って非現実的なのだ。
というのも……人間の体内には1京以上ものミトコンドリアが存在し、それらはすべて別々の生物という扱いになる。
つまり、体内のミトコンドリアを全て覚醒進化させようと思えば、1京セットもの覚醒進化素材が必要となるのだ。
そんなの、惑星上の全魔物を殲滅しても尚桁がいくつも足りない。
じゃあ全部とは言わずとも一部のミトコンドリアを覚醒進化させたらどうかというと、仮に1万個覚醒進化させても全体の1兆分の1なので、体感で差など全くでない。
物理的に不可能か、やるだけ無駄か、そのどちらかなのである。
「体内のミトコンドリア、いくつあると思ってるんだ? それら全部の分素材を用意するなんて、とてもさ……」
というわけで、俺はそう答えた。
これでベヒーモスも、納得せざるを得ないだろう。
だが……次の瞬間、ハッとさせられたのはむしろ、俺の方だった。
『たしかに、最初にやってくれた覚醒進化の方はそうだね。でも……月の女の子がやってくれた奴はさ。あの子多分、範囲覚醒進化が使えるよ? 範囲覚醒進化なら、範囲内の生物が何億だろうが何兆だろうが、そんなの関係ない。だから、いけるんじゃないかな?』
……そうか。確かによく考えたら、前世で議論されていたのは麒麟による覚醒進化のみ。
アルテミスの方なら、可能性が残されているのか。
しかし……範囲覚醒進化っていうのは初耳だ。
そんな情報、一体どこで手に入れたのか。
「範囲覚醒進化? 初めて聞いたんだけど……なんでそんなものがあるって知ってるんだ?」
『覚醒進化をしてもらった時の感触だよ。最初の覚醒進化と二回目の覚醒進化、ちょっと体内への力の入り方が違って感じ取れたんだ。推測の域は出ないけど……多分あの子は、空間に対して覚醒進化の力を流す、ってやり方もできると思う。試してみる価値はあるんじゃないかな?』
聞いてみると、自身が覚醒進化を受けたときの感触から分析したとのことだった。
一体どんな離れ業だよ。
全身が生物観察のための感覚器官とでもいうわけか。
まあ何にせよ、正直これはここ一番の朗報だ。
まだ確定したわけじゃないにせよ、もし全身のミトコンドリアを一様に覚醒進化させることができたなら、普通にダンジョンで鍛錬を積むより遥かに一気に強くなれるだろう。
どうせ失敗しても他にやることなんてないんだし、ダメもとで月に行ってみるか。
「……分かった、試してみよう。ベヒーモス、またリニアディガーで穴を掘ってくれ」
筋斗雲の高度を下げて地面に降りつつ、俺はそう指示を出した。
そして俺は、前世の歴史の教科書の隅っこに乗っていた、誰も使うことが無いと思われていたテイマー用の詠唱魔法を唱える。
「我が体内のアデノシンを司りし者よ……我が従魔として、正式に契約せん」
自身のミトコンドリア専用の、範囲従魔契約魔法だ。
ミトコンドリアに関する研究の際開発されたが、「覚醒進化が現実的でない」ということが明らかになって以降、歴史上の存在と化してしまったマイナーな魔法だ。
前世の高校の歴史の教科書が収納魔法に入れっぱなしになっていて助かった。
『できたよ』
そうこうしていると、ベヒーモスのリニアディガーが、深さ数キロの穴を掘り終えた。
そこに如意棒を突き立て、全員掴まる。
そして俺たちは、月を目指した。
◇
月に着くと、アルテミスは心配そうな表情で俺たちを出迎えた。
「どうした、ヴァリウス? いつになく深刻な表情だが……」
そんなアルテミスに、俺は単刀直入にこう質問した。
「一つ聞きたいんだが……アルテミスって、範囲覚醒進化って使えるのか?」
今回の試みが成功するかは、完全にこの一点にかかっている。
もしこれがベヒーモスの思い違いで、アルテミスにそんな能力が無ければ、作戦は振りだしに戻ってしまう。
祈るような気持ちで、俺はアルテミスの返事を待った。
するとアルテミスは、少し目を閉じて考えたのち、こう答えた。
「……たぶん、できなくはないな。昔はできなかったが……ハイルナメタルの第二安定同位体で神通力の質が変わったことで、神通力操作の自由度が上がったからな。でも、効果範囲はせいぜい半径20センチだぞ。そんなので意味があるのか?」
「……良かった」
アルテミスの答えを聞いて、俺は安堵した。
使えさえするのなら、それで十分だ。
効果範囲が半径20センチってことは、全身のミトコンドリアを覚醒進化させるには、数回に分けて範囲覚醒進化を行う必要はあるだろう。
しかしそれでも、対象が1京個以上の微生物である以上、一体相手にしかできないか範囲内の複数体相手にできるかは決定的な違いになるのだから。
「良かったって……何をして欲しいんだ?」
安堵する俺を見て、キョトンとするアルテミス。
一番重要な事項の確認もとれたところで、早速俺は本題に入ることにした。
「俺自身……正確には、俺の体内のミトコンドリアの覚醒進化だ。やってもらえるか?」
「ミトコン……ああー、そういうことか。なるほど、そんな発想に至ってたなら、範囲覚醒進化が可能かどうかが気になるわけだな」
アルテミスは合点がいったと言わんばかりに、そう言って手をポンと叩いた。
「もちろんいいぞ。ただ……覚醒進化、一回やったら4時間ほどクールタイムがいるからな。全身やろうと思ったら丸一日くらいかかるけど、それでもいいか?」
そしてアルテミスは、即座に俺の頼みを快諾してくれた。
「ありがとう、もちろんだ」
三柱の解放まで時間が無いとはいえ、まだ1週間半くらいの猶予はあるからな。
丸一日くらいなら、全然問題ない範疇だ。
なので俺はそう答え、その場に座り込んだ。
「じゃあ早速、まずは頭部に一回目をやってくれ」
「分かった」
アルテミスが俺の額に手を翳すと、今回は俺の周囲が七色に光り、そしてその光はしばらくして収まった。
と同時に、俺は不思議な感覚を覚えた。
覚醒進化の影響でか、俺の頭部で魔力と神通力が融合しているような感触を受けるのだ。
試しにその融合した力を、今回の覚醒進化の範囲外である腕などに流そうとすると、融合が解除されて魔力と神通力に戻ってしまうので……これは覚醒進化の影響だと断定できる。
まだ具体的に何にこの現象が使えるかは分からないが、この力、上手く使えば凄いことができそうだ。
「……強くなった感じはするか?」
「ああ。何か、魔力と神通力が融合したような感じだ」
「そ……そうなのか。不思議な現象だな……」
俺の身に起こったことを説明すると、アルテミスは軽く驚いた様子を見せた。
俺が覚醒進化するとこうなるってのは、アルテミスにとっても予想外だったのか。
とりあえず、アルテミスのクールタイムには……試せる範囲でこの力の使い方を試しつつ、その様子をベヒーモスに見てもらって力の仕様への理解を深めていこう。
そう思い、俺は自分の頭部で、融合した力を操作し始めた。
◇
そして……二十時間後。
「これで全身終わりっと!」
「ありがとう、そしてお疲れ様。また今度、しっかり大量のハイルナメタルを持ってくるよ」
ついに、全身の覚醒進化が終了した。
この二十時間、色々試行錯誤した甲斐あって……俺はこの新しい力について、かなり理解を深めることができた。
この力の特徴は、大きく分けて二つ。
まず一つ目は、この力が、魔力と神通力の双方をいいとこ取りしたようなものであるということだ。
この力を使えば、身体強化やギャラクシースラッシュのような魔法も、空間転移や時間操作のような神通力を使う技も、どちらも繰り出すことができる。
ただ、魔力操作と神通力操作が同じである死者蘇生と情報抽出などは、この力でやると双方同時に起きてしまうので、そこだけは注意が必要だ。
そしてこれが一番重要なポイントだが、この力を使えば、同量の魔力や神通力で同じ技を発動した際の数百倍の威力を出すことができる。
要は、魔力と神通力が融合したことで、俺自身の戦闘能力が数百倍に上がったようなものなのである。
そしてもう一つの特徴は……この力を使っている際は、従魔契約が線として可視化されること。
しかも俺はその線を通じて、従魔に融合した力を送り、一時的に従魔に融合した力を扱わせることができるのである。
都度俺からの力の供給が必要とはいえ、これからは戦いの要所要所で、コーカサスたちの戦闘能力をも数百倍に引き上げられるようになったのである。
このことが分かってから、俺の心の中の焦燥感や絶望は、もう完全に晴れた。
単純な力量としては、もう十分に白虎を凌駕することができたのだから。
ベヒーモスの思いつきから始まった、この試み。
一縷の望みとは思っていたが……まさかここまで劇的に状況が変わるとは、不幸中の幸いの「幸い」が極端にデカいパターンとすら言えるだろう。
とはいえ「白虎を凌駕する」というのは、力の送受信がスムーズに行く前提での話なので、もちろんこれから連携の練習とかは必要なのだが。
惑星に帰還してからもまだ一週間は余裕があるんだし、連携の練習くらいなら、十分間に合うだろう。
「これで、麒麟が前言ってた奴らには勝てそうか?」
「ばっちりだ。絶対に、麒麟の敵は全員消滅させて見せるさ」
「それは頼もしいな。麒麟は私にとって、神界唯一の友達……。任せたぞ」
「ああ」
そんな挨拶を交わすと、俺は千里眼で如意棒の先端を探した。
月に到着してから二十時間ということで、位置的には結構離れているのだが、融合した力での空間転移なら十分射程圏内のようだ。
三匹に肩に掴まってもらうと、俺は空間転移を発動した。
そして、地上を目指して如意棒を縮め始めた。




