第十二話 十五歳の力
「さて、それでは乾杯といこうか」
用意されたのはどうやら和食のようだった。おそらく俺と竹内が、テーブルマナーで恥をかくことがないようにとの心遣いだと思う。和食なら箸さえ使えれば何とかなりそうだしね。それに食べる順番も出された順でいいと聞いたことがある。
ところで最初の乾杯がビールというのは、大金持ちだろうと一般庶民だろうと関係ないということだろうか。それとも俺たちに合わせてくれたのだろうか。
「えへっ! 私も一口だけ」
夏菜は俺の隣に、春香さんは竹内の隣に座っている。本当なら彼女たちは一条夫妻の隣にいるべきなのだろうが、二人のたっての希望でこのようなことになっているのだ。一条父ももう諦めたらしい。
「だーめ、夏菜さんはこっちね」
夏菜がビールが注がれた俺のグラスを取ろうとしたので、寸前でそれを阻止してオレンジジュースが注がれたグラスを渡す。
「えー、いいじゃないですか。捕まるわけでもあるまいし」
「未成年の飲酒は法律で禁止されてます」
「夏菜さん、さすがにそれは私も許しませんよ」
一条母もこれだけは真面目な顔で言う。
「だってぇ、私だけお酒飲めないなんて不公平です」
「夏菜、我が侭を言うと池之内さんに嫌われますよ」
春香さん、別に夏菜を我が侭で嫌ったりはしませんけど、どうして基準が俺なんですか。だが夏菜の気持ちは分からないでもない。一人だけ皆と同じに出来ないのは疎外感を感じるからだ。
「すみません俺……じゃなかった、私もオレンジジュースを頂けますか?」
給仕のために後ろに立っていたメイドコスの使用人さんに声をかけた。
「私もオレンジジュースで乾杯させて頂きます。夏菜さん、これなら不公平じゃないからいいでしょ?」
「亮太さん……」
一条父は感心した表情で俺を見ており、春香さんも何故か熱い眼差しを送ってくる。そして夏菜はというと、酔ってもいないのに潤んだ瞳で俺を見ていた。ちょっと色っぽいぞ。
「ではお食事になさいますか?」
「へ?」
その質問には応えに困窮した。それじゃ今のこれは何なの。そんなことを考えていると、夏菜が代わりに応えてくれた。
「亮太さんには私と同じにして下さい」
「かしこまりました」
その後彼女が小声で教えてくれたのは和食懐石についてだった。これで俺が今まで疑問に思っていたことが、図らずも解消されたのだから面白いものである。
懐石料理では何故かご飯や味噌汁が、おかずがなくなった最後の方に出てくることが多い。しかしこれには訳があって、本来懐石とは酒を楽しむものでありご飯は〆なのだそうだ。
つまりお腹が膨れてしまうご飯を最初に食べてしまうと、酒や料理を楽しめないからということである。対して酒を飲まない者にとってはメインが食事になる。料理を酒の肴として楽しむか、食事とするかで出される順番に違いがでるというわけだ。
「初めて知ったよ」
「やたっ! 褒められた!」
無邪気に微笑む夏菜は本当に可愛い。この子との出会いには感謝すべきなんだろうな。
「池之内さんはそれでいいのかね?」
「はい。元々酒は嗜む程度ですし、私はどちらかと言うと料理を楽しみたいので」
そこで何故か夏菜がエッヘンというような素振りを見せた。別に君が偉そうにする場面じゃないだろう。
「夏菜さんは本当に素敵な殿方に出会えたのですね」
お母様、何をおっしゃっているのかよく分かりません。
「私も、池之内さんにしようかな〜」
「ちょ、春香?」
「ダメ! お姉ちゃんには竹内さんがいるじゃない!」
からかうような視線を向けてきた春香さんの言葉に、夏菜は俺の腕に抱きつくような感じて姉を牽制している。対して竹内は大慌てである。
ってちょっと待った、何この展開。そして一条父の視線が痛いんですけど。
「私は……」
だから俺は皆の前に先付の料理が並べられた時、いったん夏菜を腕から解いて口を開いた。
「妻を亡くしてからまだ半年も経っていません」
「池之内さん、奥様がいらしたのですか?」
「はい。ですから今年いっぱいは喪中なんです」
その時初めて場に重苦しい空気が充満していた。こんな話をするつもりはなかったが、皆の陽気な雰囲気に居たたまれなくなってしまったのである。
「夏菜さんはご存じだったのですか?」
「はい。亮太さんの奥様は交通事故で亡くなったと聞かされました」
「なるほど。死別か」
一条父が目を閉じて何度もゆっくりと肯いている。
「君は奥様を?」
「もちろん愛していました。いえ、今でも愛しております」
「辛いことを思い出させてしまったな。申し訳ない」
「いえ……」
心配そうに俺の顔を覗き込む夏菜に気付かないふりをして、俺は出された先付を口に運んだ。何だこれ、めちゃめちゃ美味いぞ。
「亮太さん!」
「はひ?」
その時夏菜が大きな声で俺の名を叫んだので、びっくりして料理を噛まずに呑み込んじゃったよ。だが彼女の次の一言が、俺の人生を大きく変えるものになろうとは、この時は夢にも思わなかった。