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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

白百合に泣け

作者: 山本輔広

 奪われるようなキスをした。

それも自分をいじめていた相手に唇を奪われた。

両手を押さえられて体の自由を奪われると、無理やりに重ねられた唇。


 木村ゆかりはその日も自分をいじめている相手に呼び出されると、拒否することを許されずに誰もいない理科室へ向かった。

相手は学校のスクールカーストでも上位の加野まほだ。

普段から金を無理やりとられたり、自分の持っている文房具を勝手に捨てられたりと好き放題されていた。

 

 この日も何をされるのだろうかと不安になりながらも、ゆかりは言われるがままに従ってしまった。


「目を閉じて――動いちゃダメだから」


 何をされるのか不安になりながら、ぎゅっと目を瞑ると後頭部を押さえつけられた。

殴られるのだろうか、顔に落書きでもされるのだろうか。もしくは変な動画でも撮られてしまうのだろうか。


 不安な気持ちの中、感じたのは唇に触れる柔らかくて温かな感触。甘い香りと味がして、その感覚で唇が重なっているのだと分かった。

恐る恐る目を開けば、そこには目を閉じて唇を重ねるまほの顔があった。


 思考が停止した。

ただ目の前にあるまほの顔が、これ以上ないくらいに近くに映って気が動転しそうだった。

目を瞑る顔は憎い相手のはずなのに、何故だか哀しそうな表情に見えた。

そして近づくことで香る女性らしい香り。香水でもつけているのだろうか、甘く、でも爽やかな香りが鼻をかすめる。

ゆかりのカサついた唇に対して、まほの唇はリップで潤っていて少女らしさがあった。


 何故、どうして。

疑問は解消しない。でも、どうしてだか嫌な気持ちも覚えなかった。

所謂、壁ドンの状態になって腕を押さえつけられた。

抵抗することを赦さないと行動で示すまほに、ゆかりはただ甘い感覚を感じていた。


「赦さなくていい。ゆかりは私を赦さないで」


 唇が離れて、まほはそう言った。


「…どうして?…なんでキスしたの?」


 押さえつけていた手を放すと、まほは背を向けた。

今どきの女の子らしい艶やかな黒髪が西日を浴びて輝いている。華奢な背筋は伸びてシャツからは青い下着が透けて見えた。


「私ね、転校することになったの」


「え?」


 いじめていた相手が転校する。

これほどの朗報はないはずなのに、キスしたせいなのか、ゆかりは何の感情も抱けなかった。


「親がね、離婚するの。それで私母親と一緒におばあちゃんの家に行くことになったの。だから」


「それとキスするのどうして関係があるの?」


 答えることも振り返ることもない。

放課後の理科室にはただ沈黙したオレンジ色の光が差すだけ。味わったことのない苦しい空気が理科室を包んでいた。


「――あなた、私のこと嫌いでしょ。もう、この学校からはいなくなるし、正直に言って」


 言っていいのだろうか。

言ったらまたキスされたり、嫌がらせまがいのことをされるのだろうか。

言葉につまりそうになりながらも、ゆかりは小さな声で答えた。


「…嫌い。大嫌いだった」


「でしょうね。きっと私を憎んでいるんでしょうね」


「うん……いつも学校に来るのが嫌だった。あなたのせいで」


「ごめんなさい」


 出ると思わなかった謝罪の言葉に、ゆかりは表情を無くしていた。

いつも強気なはずのまほの声が震えていた。いつも自分をいじめていたはずの、暴君にも見えたまほとは思えない言動。

形成が逆転したとも思えなかったが、ゆかりはそっとまほの肩に触れると、怖がるように肩を震えさせた。


 何故、どうして震えているの。

恐怖の対象であったはずなのに、今のゆかりにはまほが興味の対象でしかなかった。


「ごめんなさい…ごめんなさい…」


 拒否する身体をゆかりは自身のほうへ向けさせた。

まほは口を結んだように食いしばると涙を流している。

余計に混乱した。ゆかりは自分をいじめていた相手が泣きながら謝罪する姿に、どうしたらいいのかまるでわからなかった。


「嫌…見ないで…」


 恥じらう姿と視線を外そうとする顔。

でも、憎い相手の顔を見ていたい。そう思うと自然に相手の頬に手が伸びた。

顔を向い合せながらも、まほは視線を向けようとしない。

幾度も零れる涙は降りはじめた雨のように止まることがない。


「や…!私の泣き顔が見れて嬉しい!?いじめてた相手がいなくなって嬉しいでしょ!」


 悲痛な叫びだった。震えながら大きくなる声は、まるでそう言ってくれと訴えるように聞こえてしまう。

確かに憎い相手だ。恨みもある、学校に来たくないと思った、現実になってしまったようにいなくなればいいのにとさえ思った。でも。


「…どうして泣いているの?いなくなるなら、答えてくれても…いいよね」


 一際嗚咽が大きくなった。

嫌がる顔を無理やりに自分に向けさせた。頬を伝う涙が手を濡らしても、まほがどんなにゆかりを遠ざけようとしても。

 

 ゆかりの復讐だった。

相手が嫌がることをしてやる。散々されてきたことだ。

行動こそ小さなものであったが、今のゆかりにはそれが精いっぱいだった。

泣きじゃくるまほをこちらに向かせる。相手が拒否しようと何をしようとこちらに意識を向けさせた。


「嫌…言ったら…嫌われる」


「もう嫌いだから。だから言って」


 もう嫌いだから。

言葉の鍵がまほの口を開かせた。


「私……ゆかりのことが…好きなの。好きだったの!」


 本日何回目かの衝撃だった。

キスされた上に告白された。女同士であるのに。おふざけや、からかいで言う好きではない。

叫ぶように言う言葉は、きっとまほの本音――隠し通していたかった気持ち。


「好きって……恋愛感情として?」


「そうよ!もういいわ!言ってやるわよ!私はあなたのことがずっと好きだったの!好きになっちゃったの!」


「どうして…」


「私だってわからないわよ!最初は違うって思ってた…

でも、ゆかりを見るたびにいつも心がときめいちゃったの!

家に帰ってからも、寝る前もずっと考えちゃったのよ!」


 開かれた口からは、押さえつけていた気持ちがガラスのようにひび割れて粉々に散っていく。

同性愛の告白。ゆかりは告げられたまほの気持ちをどう受け取ればいいのか分からなかった。


 いじめていた。それは愛情表現の裏返しだとでもいうのか。

だとしたら、どれほどねじ曲がった愛情表現だったのだろう。ゆかりは泣きじゃくるいじめっ子をもっと泣かせたくなっていた。


「私のこと…好き、だったんだ?」


「……そうよ」


「散々いじめてたのに?」


「そうよ!陰キャでいつもウジウジして、話すとモジモジして!イジめられるのも当然でしょ!」


「それでも好きになったんだ?」


 まほが顔をゆがめたり、涙を流すたびにゆかりは満足感が心を満たした。


「……好きになっちゃったの…私だってどうしていいか分からなかった…

こんなこと誰にも言えなかった…でも、誰かにイジメられるなら、私がしたほうがいいって思った。

誰かにとられたくないっておもった」


「最低。そんな理由で」


「いいよ。何とでも言って――」


 だから、最後の思い出にキスをしたのだろうか。

ゆかりにとって、それは初めてのキスだった。それを強引に、しかも男性ではなく女性に。

無理やりに連れ去られた初めてのこと。


「じゃぁ何でキスしたの?」


「恨んで欲しかった。ゆかりなんかどうせキスしたこともないでしょ。だから初めてを奪ってやろうと思ったの

一生思い出に残るでしょ!一生私のことが思い出になるでしょ!

どうせ叶わない恋なんだ!だったら、恨まれてでもゆか――」


 唇を重ねた。

今度はゆかりがまほを抱きしめて。相手が拒絶しても、それを赦さないように抱きしめて口づけた。

抵抗はしなかった。ただゆかりに抱きしめられると固まったままに唇を重ね続けた。


 これは復讐。

自分をいじめてきた相手への復讐。

まほは今まで散々ゆかりを傷つけてきた。いつだって不安で仕方なかった。学校に行くのが憂鬱など日常茶飯事だった。

その恨むべき相手は今いなくなる。


 最期の最期に生涯残る傷跡を残して。

しかし、それはきっとまほの心にも傷を残すのだろうと思った。

だから、自分も傷をつけてあげようとゆかりは思った。


 固まった身体を引き寄せながら、ゆかりはまほの唇をいつまでも奪い続けた。

放課後のオレンジ色に染まる理科室。二つの重なった影。

ゆかりは今までため込んできた怒りと不安を、まほの唇に返した。


「まほ、あなたを赦さない。あなたはずっとずっと私にキスしたことを思いだしながら傷ついて」


 まほの体をテーブルの上に押し倒す。

牙の抜かれた暴君はとても小さく、とても弱く見えた。


「ゆかり…」


「このまま終わりなんて赦さない。あなたがしてきたこと、倍返しにしないと気が済まない」


 言葉を終えるたびに口づけた。


「これで終わりなんて思わないで。まほが転校しても、まほが大人になっても。私はあなたに復讐したい」


 ゆかりの手が制服のボタンに伸びた。


「いや…ダメ、止めて!」


「赦さないっていったでしょ」


「ゆかり…お願い。私もう、痛いよ」


 まほがどんなに嫌がっても、まほがどんな言葉を零そうとも、ゆかりはまほの心にいくつもの傷跡を残した。

唇を重ねるたび、抱きしめるたび、相手の肌に指をなぞるたび。


 出来るなら、ずっとこうしていたいと願いながら、ゆかりは復讐をし続けた。



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