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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

月下に踊る

作者: 大友鋼河

 不意に視界が開けて、女があっと声をあげた。


 森を抜けた先に広がっていたのは、月光に照らされた草原。

 青白く浮かび上がったその平原には身を隠す場所など何処にもなかった。


 眼前の風景に絶望しつつも、萎える心を奮い立たせて女は走り続けた。

 輝く銀髪の下、灰白色の肌を嫌な汗が伝う。黒い両の目に浮かぶ青い瞳が恐怖の色を湛えて揺れていた。


 女を後ろから追う幾多の足音は、着実にその距離を詰めてきていた。このままでは追いつかれる。

 少しでも体を軽くしようと、背負った斧と担いだ鞄に女は意識を向け――逡巡した。瞬時に取捨選択できるほど彼女は冒険者として手慣れてはいなかった。


 そしてその未熟さが、この場では命取りだった。


 草を踏み鳴らす足音の上から、ひゅんと音をたてて何かが空を裂いた。

 女が肩越しに振り返る間もなく、短剣が彼女の足首を切って地面に突き刺さる。


 痛みに顔を歪める女が足をもつれさせて転んだ。

 起き上がろうと手を地面につくが、足に力が入らない。

 首をめぐらせた女の瞳が、血を滴らせる足首を見て震える。


 息を乱す女の耳に、先ほどよりも倍して近づく足音が聞こえた。

 それらは次第にゆっくりになり、やがて止まると地に這う女に四つの影を降ろす。

 女の顔からさっと血の気が引いた。


「何者なの?」


 仰向けに身を起こし、女は逃げる前と同じ事を訊いた。

 彼女の目の先にはその時と同じ男がいたが、今度は返答があった。


「君と同じだよ」


 顔に影を落とした男が続ける。


「だが、少し違う」


 影が口元に弧を描いた。


「安穏と生きられると思ったか、ダークエルフ」


 落とされる四つの嘲笑に女は目を見開いた。

 彼女は彼らを野盗だと思っていた。だからいわば正当に狙われているのだと。

 だが現実はもっと理不尽だった。

 女の口端が呆然ゆえに引き上がる。


「なんで……? ダークエルフだといけないの……?」


「逆に訊くけど、良いと思ってんの?」


 再び嘲笑が沸き起こる。


「たった二十年そこらでお前たちの罪が許されるとでも? 許されるわけないよなあ? これは正当な罰だ」


 瞬間、女が斧を振り薙いだ。

 今度は躊躇が無かった。

 彼女を逡巡させないほど、男たちには明確な殺意があった。


 しかしその斧は空を裂き、薙いだ先で剣に弾きあげられて地に転がった。

 体勢のせいもあったが、なにより実力差がありすぎた。


 女の青い顔に笑みを返し、傷口を蹴り付けながら男が「罰とは」と高らかに言う。


「痛めつけることじゃない」


 悲鳴を上げる女の腕を、別の男が蹴り上げた。


「罪を理解させ、後悔させることだ」


 女の手首を踏みにじる仲間を見ながら「だから」と続ける。


「徹底的に痛めつけないとなあ?」


 男は教えを説きながら、仲間と共に女に暴行を加え続けた。

 女は傷口と頭を手で庇い、ひたすらに耐え続けた。


 男たちが息を上げ、嵐のようなそれが一時的に収まると、女は地を這い出した。

 雑草を握り、本能のままにこの場から少しでも逃げようとする。


 しかし必死に這う彼女の両脇を四組の足が付き添って離れない。

 彼らは足元の女が今どんな思いでいるかに想像を膨らませ、その惨めさを肴のようにして互いに笑いあった。


 それがしばらく続くと、不意に女の進路を男が遮る。

 男の足に手を触れ見上げた女の顔は慈悲を求めていた。


「許して……!」


 ごめんなさい。


 身に覚えのない罪を、彼女は震える声で懺悔し続けた。

 未だ十六の彼女にとって、その罪が全く関係の無いものなのは明らかだった。


 けれども彼女は許しを乞い続ける。生き残る方法がこれしかないからだ。

 目に涙を湛え、痣のできた手で男の足を優しく握る。


 その様を男は首を振り子のようにふりふり眺め下ろしていた。

 そうして次に吐いた言葉は、この場の終幕を告げるものだった。


「懺悔しながら、死ぬと良い」


 男が腰に下げた剣の柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜く。

 鞘を剣身が擦る音とともに、女の表情が引きつっていく。


 振りかぶった剣身が、月光を受けて煌く。

 女の目はそれをじっと見ていた。刃に映ったものをその瞳に反射させていた。

 家族や友人の姿、幾多の思い出。紛れもない走馬灯が現れては消えていく。


「安らかに」


 男が言って、剣を振り下ろす。

 一瞬ごとに顔に近づく刃を、未だ女はじっと見続けていた。

 そしてそれが間近に迫った刹那――


 決して捨てなかったものが女の顔を敵意で埋め尽くし、獣のように豹変させた。





 二匹目の獣が現れたのはその時だった。

 突き出された槍が、剣を振り下ろしかけた男のわき腹に深々と突き刺さり、ばきばきと骨を砕く音が響く。


 汚れた緑のマントが、月光に浮かび上がってなびいていた。

 肩まで伸びた黒髪は口周りの無精ひげと同じく整ってはおらず、両の目を闇に隠している。


 槍使いの闖入者が長身に見合った太い腕で槍を捻ると、男が血の泡を吐きだした。

 泡と骨と断末魔を共鳴させる相手に、槍使いが足をかける。

 蹴り倒して得物を引き抜こうとする姿に、他の三人がようやく我に帰った。


 それぞれが武器を構え距離を詰めようとするなか、槍使いが得物を引き抜いた勢いそのままに体を沈めていく。

 柄を右手で強く握って左手を石突まで滑らせると、今度は逆に右手を滑らせ、槍を長く持つ。

 そして体を捻りながら槍を払い上げた。


 最大限に射程を延ばした攻撃に二人が飛び退るが、左手にいた最後の男は止まりきれなかった。

 払い上げられた穂先が彼の両の目元を切って抜け、弾けるような悲鳴と共に仰向けに倒れていく。


 そのまま穂先は天に突き上げられ、月光を受けて鈍く輝いた。

 血に濡れたそれが紅玉のように、暗い影の巨体の頂上に据えられる。


 不意に槍使いの正面、最も奥の男が腕を振り薙いだ。

 繰り出された分胴鎖が金属音をたてつつ槍の柄に巻きつく。

 それを受けてほぼ同時に両者が得物を引っ張り、ぴんと鎖が張った。


 この好機を右手にいたもう一人の男は見逃さない。

 一気に距離を詰め、右手で剣を振りかぶる。


 両者の目が合う。

 唸りとともに剣を振り下ろす男の目の前で、得物を封じられた槍使いが、くいと首を傾げてみせた。

 次いで力を抜いた両手から槍が離れ、飛んでいく。


 呆ける敵対者の前で、槍使いが前に踏み出した。

 右手の男に向かって、地に膝が着きそうなほどに姿勢を低くして詰め寄る。

 振り下ろされる刃の到着を一瞬でも遅らせるように。


 そうして稼いだ時間は十分なようだった。

 刃が顔面に到達する前に、槍使いの左手が敵の右手を掴む。

 その手を強く握って捻りながら引き寄せると、眼前に差し出された相手の顔に右拳を叩き込んだ。


 手甲が鼻の骨を砕きつつ殴り抜け、哀れな男が鼻血を噴出しながらたたらを踏む。

 その右手からこぼれる剣をこれ幸いと槍使いが受け取り、舞いを踊るかのように体を一回転させた。遠心力の力も借りて手から放たれた剣が、ひゅんひゅんと回転しながら飛んでいく。

 驚愕に目を見開く奥の男の眉間にその刃が吸い込まれて、断末魔の悲鳴を上げさせた。


 立つ者を減らした草原で、たたらを踏んでいた男が鼻血にまみれた頭を振った。

 そして敵意の視線を槍使いに向けながら唸りを上げようとして、目の前で反射する光に息を呑んだ。


 槍使いが腰から引き抜いた短剣が、相手の喉元を通り過ぎていく。

 再び血を吹き上げた男が、今度は耐え切れずに仰向けに倒れ込んだ。


 敵対者を全て地に伏せた槍使いが、地に転がる自らの得物にゆっくりと近づき、柄から鎖を解いていった。

 救出した槍を両手で握ると、未だ目元を押さえてのた打ち回っている男に近づいていく。

 気配に気づいた男が見上げる視線を、口を引き結んだ槍使いの顔が受け、手元の槍を喉元へ突き降ろした。


 槍を引き抜いて、今度は短剣で切った男に近づくが、こちらは既に動かなくなっていた。

 しばしの沈黙の後、喉元に槍を突き刺す。

 周囲には既に血溜まりができており、引き抜いた時に吹き上がった血は少量だった。


 同じく絶命しているであろう残りの二人にも目をやり、その死を確認し始める。

 そんな槍使いの背に、ようやく声がかけられた。


「何も殺さなくても」


 声の主に、膝をついたまま槍使いが振り返る。

 女に向けられた顔には何の表情も浮かんではいなかった。

 呆れでも怒りでも同情でもなく、まるで何度もこの瞬間を経験したかのように冷静な顔。

 汗と血に汚れただけの顔が、やがて口を開く。


「見逃したらこいつらは復讐しにくるだろう。その相手は君だ」


 言って横たわる男たちに視線を戻した。


「君の力では自身を守りきれない」


 言葉を放りながら、男たちの死を確認していく。


「天秤にかけたのは俺だが……この結果は君の力の無さ故だ」


 やがて全員の死を確認すると、槍使いは立ち上がり女の前へ向かう。


「そもそも、自分が命を失いかけた重大性を、君はきちんと理解すべきだ」


 静かな言葉に、女は結局なにも言い返せなかった。


 目の前で跪いた槍使いの顔が女に近づく。

 その顔を見て、女は思わず目を見開いた。


 遠目には分からなかったが、張り付いた黒髪には白い筋が何本も通っていた。

 幾多の傷を持つ顔の端々には、それとは異なる線がいくつも走っている。


 先ほどの戦いと比べてあまりにも老けて見えるその顔は、老爺と称するべきものだった。

 ただその瞳だけが強さを証明するだけの活力を湛えており、月下に鋼の玉を浮かび上がらせていた。

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