4.トーヴィと
とても小さな部屋だった。ドアから入ったその部屋で、全てだった。
この移動中、私は宿にも泊まってきた。初めはそこも驚いたが、宿という仮の場所だからと理解したのだ。だが、トーヴィはそうではない。
困惑した私に、トービィは部屋の中に1つだけある小さなテーブルを示した。椅子も1つだけしかない。だが座るならこれしかない。
私が座ると、トービィ自身は、壁にもたれるようにして立ち、私を見やった。
「きみは・・・アリシエ=デュ=フランテナンドだ。俺には娘なんていないんだが、どうしてきみがここに現れた? それにエレナが死んだというのは本当か? ・・・父親は?」
「私の父親は、私の本当の父親ではありません。父は、私を本当の子ではないと言いますから。母は、お父様だと言うけど、そういうと泣いてしまうのです。だから、私は母と別の人との子どもなのです」
「・・・仮にそうだとして。どうして俺の子どもだなんて話に? それにここに来た目的は?」
「母の浮気相手は、昔に、家に世話になっていた魔術師見習いだと聞きました。ここに来たのは、父に、本当の子どもではないからと言って屋敷を追い出されたからです。親切な人が、本当のお父様のいる家を知っているからと、ここに連れて来てくれました。実際連れて来てくれたのは、護衛たちですが」
聞かれた事にきちんと答える。いくら私の気が滅入っていても。
男は眉を潜めている。
「・・・浮気相手、ね。俺の他に、父親候補は?」
「知りません。トーヴィさんは違いましたか?」
「違う」
「・・・お母様と知り合いだと思ったのですが、違いましたか?」
「・・・知り合い、なんてもんじゃない」
「じゃあ何です?」
私が尋ねると、トーヴィは黙ってしまった。視線を下げて。
数秒の沈黙が落ちてから、トーヴィは顔を上げた。
「とにかく、俺はきみの父親じゃない。きみの父親は」
と言いかけたところで、トーヴィは顔を歪ませた。そして黙ってしまった。
私はじっと見つめていた。
父親は。誰。
トーヴィは知っているのか。
トーヴィはため息をついた。
それから私を見つめて、私の発言の一部をふと思い出したようだ。
「・・・屋敷を追い出されたって? どうして」
「だから、父は、私を実の子ではないからと」
「馬鹿な」
「本当の事です」
「それでノコノコとここに? おかしい話だな」
「そうでしょうか? でも、こうなる気はしていました」
「どうして」
トーヴィは真剣に聞いてくる。眉をまたひそめている。
「父は、母にしか興味が無い人だから。血も繋がっていませんから。私を生んで私を気にかける母が死んだので、もう私などいらないと判断したはずです」
「他の人たちは、どうしていたんだ」
私は首を傾げた。
意味がよく掴めない。どう答えていいのか分からない。
「他の人たち、ですか・・・? 父の判断は絶対ですし・・・」
私の答えに、トーヴィは理解しにくそうな顔をした。
「エレナ、は、どうしていたんだ」
トーヴィの声は、途中から急に弱く小さく消えていくようになった。視線が床を向く。
私は奇妙な感じがしたので、そのまま口に出した。
「トーヴィさんは、私のお母様の事が、好きでしたか? 辛そうです」
辛そうなのは、母が死んでしまったと知ったから・・・?
トーヴィが目を上げて私を見やる。硬い表情だ。
「お母様は、私を生んでから、ずっとお父様としか会わなかった。屋敷の皆とも会いたくなかったみたい。ずっとカーテンを降ろした暗い部屋が、お母様の部屋だった。外を見たくないって」
でも本当は幸せだったというのは、秘密で、口に出してはいけない事だ。
「お母様は、お父様と結婚する前に、結婚の約束をした人がいたと、聞きました。その人が本当のお父様で、その人のところに連れていってくれると、屋敷を出てから会った人が、私に言ったの。だから、あなたが本当のお父様なのだと、私は思ったのだけど、あなたは違う人だったの?」
トーヴィが目を見開くようにしている。
緊張したように、私をじっと見ている。もう少しすれば震えあがりそうな様子に見えた。
「あなたが違うなら、私の本当のお父様は、誰なのか、知っている?」
ゴクリ、とトーヴィは唾を飲み込んだ。その喉の動きがよく見えた。
トービィは右手で自分の顔を覆うようになり、壁にさらに体重を預けるようにもたれた。
そして目を閉じて顔をしかめていた。何かを考え、何かに耐えるように。
「分かった。だけど、俺は違う」
と、トーヴィは小さくどこか絞り出すように声を出した。
「どこが違うところ?」
と私は尋ねた。
どこが真実でどこが間違いなのか。一つ一つが私にとって重要だと思える。
「・・・子どもに言う話じゃない」
「でも、言ってくれないと困るわ。本当のお父様が誰かという話だもの」
トーヴィはため息をついた。
「俺は違う。もう分かっただろう。帰れ。ここはきみの場所じゃない。絶対に」
その言葉に、私は気づいた。
身動きせず顔を強張らせた私に、トービィは数秒経ってから気がついて、
「どうした」
と怪訝に尋ねてきた。
私は動揺のために、すぐに答えられないまま、トービィを見た。
きっと、助けを求めるような表情になってしまっていた。トービィは私の顔見て、首を少し捻るようにしたのだから。
「私、あなたが本当のお父様だと思って」
「・・・いや。それが?」
「だから。本当のお父様のところに、いけば、大丈夫だと、思って」
「・・・」
「ここ、町の名前も、私、知らない。リーダーたち、帰っちゃったんでしょう? 私は、」
動揺する私の言葉に、トーヴィの顔がどんどん険しくなっていく。
「おい、金は持ってるのか?」
「あ」
私はその言葉に、ハッとしてまた目を見開いた。
私の鞄。着替えなどを入れてくれた、屋敷の人たちが持たせたボロボロの鞄。
あれは・・・。
「おい。まさか、金も持っていないのか・・・!?」
「鞄。鞄、馬車に置いてて、ねぇ、リーダーたち私の鞄を届けてくれてないかしら」
明らかにオロオロしている私に、トーヴィはチッと舌打ちを聞かせて、壁から身を起こした。
「探すぞ! 冗談じゃない。クソッ、大分時間経ってるぞ、どんな馬車だ! 特徴は!?」
「く、黒い・・・でも、ここからは離れた場所に停まったの、あ、宿、どこか宿に泊まってるかも」
「希望的観測だな!」
「魔法! ねぇ、トーヴィさんは魔法が使えるんでしょう!? 魔法で探してくれない」
「駄目だ、俺は大したものは使えないんだ、それに俺が魔法使い崩れだと、絶対に周りに話すな」
トービィが私を立たせるように腕をつかみかけ、直前で手を止めた。手を出すことを躊躇っていた。
一方の私も焦っていた。
今着ている衣服にも家政婦長のつけてくれたポケットはついている。
だけど、移動中、私は手を抜いていったのだ。なぜなら、着替えのたびにポケットのものを移動させるのは酷く手間だったから。
つまり今着ている服のポケットには、見送りの際に貰った品物は数個しか入れていない。残りは、他の、鞄に入れてある服などに。
私は自分で立ち上がり、視線をトーヴィと合わせた。二人とも緊張した顔をしていた。揃って急いで外に向かった。
***
結果として。
見つけることはできなかった。
リーダーも、小柄な男も、魔術師も、御者も、馬車も。当然、私の鞄も。
私は途方に暮れた。そして、トーヴィを頼るほかないと判断していた。
この町についたのは夕暮れだったから、もう日は落ちてあたりは暗くなっている。
こんな名前も知らない場所で一人残されるなど無理だ。何が何でもトーヴィについて回り、トーヴィの世話になるしかない。
暗い空の下。
私の決意を感じ取ったらしいトーヴィは、私をじっと睨むように見つめていた。
私が、チラと様子を伺うと、トーヴィの視線とバチリと合った。私は慌てて視線を外すために下を見つめ、それでも置いて行かれないように、チラチラと様子を伺った。
ッチ、とトーヴィは舌打ちをした。
それから、頭をボリボリとかいて、私に聞かせるためなのか、やたらはっきりとため息をついた。
「仕方ない。今日だけだ。なぁ、本当に金目のものは何も持っていないのか?」
質問に私は俯いたまま思案した。
売ればお金にかえてもらえるという品物は、少しならある。だが、家政婦長は、人前では決して取り出すなと言ったと思う。
人前、つまりトーヴィから見られないように取り出すには、トーヴィから離れるしかない。
しかし今、トーヴィから離れるなど。おいて行かれたら終わりだ。危険すぎる。
だけど。
何もないのなら、余計に置いて行かれるのでは?
私は切羽詰まり、トーヴィに頼んだ。
「お願い、少しだけ、目を瞑っていて!」
「なぜだ。金があるのか」
コクリ、と私は頷いた。
「分かった」
トーヴィは思いの外素直に、目を閉じた。
その様子に、私は急いで一番簡単に出せそうなポケットに手をのばした。
2つ入っている。だけど1つを取り出した。
「これ」
と私は一言だけ話し、トーヴィの前に取り出した品を手のひらに乗せて差し出した。
「・・・なんだこれは。指輪」
トーヴィは困ったように私の手のひらから指輪を取り上げた。そしてため息をついた。
「つまり、金は持っていないんだな?」
想定外のトーヴィの反応に動揺して、私はまたコクリと無言のまま頷いて、恐る恐るトーヴィの様子を見つめた。
「・・・これは、今日の宿代として、俺が貰って良いんだな?」
「・・・はい」
「分かった。だが、これは金じゃない。手間がかかる。だから色々、文句を言うなよ」
「・・・文句?」
状況を探るように問いかける私だったが、トーヴィは今度は静かにため息を吐き、私の手のひらにあった指輪を握り込むようにしてしまった。
「とにかく、今日は・・・飯は、瓶詰だ。それしかないから我慢しろ」
「・・・はい」
私の恐る恐るの返事に、トービィは苦り切った様子だった。
***
トービィの部屋に2人で戻った。
私はホッとしていた。見知らぬ町で屋外に放り出されるなんて真っ平だったからだ。ご飯も出してくれると言うことだし。
トービィは壁の棚から茶色い瓶を2つ取り、木製のスプーンとフォークも取り上げ、部屋の中のテーブルの上に置いた。
「1つずつだ。どちらかは選ばせてやるけど。味はあまり変わらない。残念なことにな・・・あぁ、それから瓶自体が汚いから、食べる時は周りを触らないように。蓋は取ってやるから、瓶の外側に触れないようにして上手く食べた方が良い」
「・・・はい」
布で瓶の周りを拭き、トーヴィがグィと瓶の封を開けてくれる。スプーンとフォークと2本、まるでカードゲームをするように持って見せられたので、私は首を傾げた。
「どちらがいい。きみは多分スプーンの方が食べやすいと思うが」
私は頷いた。
なるほど、どちらか選べという事だったのか。
助言に従い、スプーンを取る。
「さぁ、食おう。よく噛んだ方が良い。腹が満たされた気分になるから」
「・・・はい」
どうやら、これだけなのかもしれない、と私は気づいた。
スープもパンも何もなく、これだけなのかも。ドロリとして、ただ濃いだけの同じ味付けの色々。とても美味しいものではない。
「・・・トーヴィは、とても、貧しいのですか?」
と私は聞いていた。
「・・・そうだな」
とトーヴィは答えた。
トーヴィが視線を落としたように黙々と瓶詰から中身を食べるので、私もつられるように同じように下を向いた。
「どうして、こうなったんだかな」
とトーヴィが言った。
視線を上げたが、トーヴィは食べるために瓶詰を見つめたまま。
トーヴィの言葉は、今、私がここに居る事だけではなく、彼の生き方についてのものに思った。
「・・・あの、私、今、髪の毛が短いのですが」
と私はおずおずと言った。
これからトーヴィに世話になるしかないので、私はなんとか擦り寄ろうと考えて、言ったのだ。
「伸びたら、私の髪の毛を、売ったら、良いお金になるかも・・・」
移動中、小柄な男が、ちょっとした額で売れた、と教えてくれた。私の切った髪の毛の束について。
「・・・髪?」
食事していたトーヴィはポツリと呟き不思議そうに私を、私の髪を見た。
「はい」
と私も手を止めてトーヴィを見る。
ぼんやりとトーヴィは私を見ていて、それからまた不思議そうに瞬いた。
「きみの、髪の色は・・・」
考えるように途中で言葉を止め、トーヴィは自分の髪に、空いている左手で触れるようにした。
少し橙色の混じる明かりの下、トーヴィの髪はどうやら白に見える。
何か言いかけ、それから少しだけ目を閉じて、トーヴィは再び瓶詰に視線を落とした。
「・・・不思議なものだね」
とトーヴィは少し落ち込んだように呟いた。
「きみの、本当の父親は、とても、酷くて馬鹿で愚かだとしか、言いようが無いな」
どうしてそんな話になったのか、掴めない。
「食べなさい」
とトーヴィが勧めた。




